クマのハラワタ
テディベアがカッターナイフ片手に立っている。
あり得ないはずの現実を案外あっさり受け入れられたのは、
「人美、儀式を終わらせろ!」
「……っ!!」
滅多に聞かない
ひとりかくれんぼの途中で家を出る事は許されない。それはたとえ、霊とご対面している今でも変わらないだろう。ならば正規の手順で儀式を終わらせるしか道はない。
その終了方法は、食塩水を少量口に含んだままぬいぐるみを探し、コップの食塩水、口内の食塩水の順番でかけ、最後に「私の勝ち」と三回宣言する事。もはやぬいぐるみをさがすという工程は意味を成さなくなったが、それ以外は同じように遂行すればいいはず。そう思い、人美は机の下に置いてあったコップに手を伸ばす―――
「うわっ!?」
音を立ててガラスのコップが弾け飛んだ。当然、中身の食塩水は床にまき散らされる。
「触ってないのに割れた……」
儀式終了に欠かせない食塩水がダメになったショックで固まっていた人美は、思わず空と
当然のように直立するティアの周囲に、煌めく『何か』が浮かんでいた。それが綺麗に切り分けられたカッターナイフの刃である事に気付いた時には、計五つに分割された刃が一直線に放たれた。
「ひぃ!」
尻もちをついた人美の目の前で、飛んで来た刃はピタリと動きを止めた。右隣を見ると、才輝乃が片手を突きだしていた。彼女が超能力で刃を止めてくれたのだ。
「空君、人美ちゃん、大丈夫!?」
「ありがとうサキ!」
「俺も無事だ。助かったよ」
冷や汗をぬぐいながら、空はティアを睨みつける。これまた滅多に見られない、眠気が吹き飛んでいる目だった。
「才輝乃と同じような念動力……いや、ポルターガイストか? そんな事までやってくるなんてな」
コップを遠くから破壊したり、カッターナイフを飛ばしたり。明らかに超常現象と言えるそれらを引き起こしたのは間違いなくティアだ。今もつるつるした黒い瞳を三人に向けている。可愛らしいはずの顔も、今だけは不気味で仕方がない。
しかし驚くべきは、霊障が起こった事ではない。その力が、間違いなく『敵意』として人美たちに向けられているという事。真っ先にコップを破壊した事から、儀式終了の条件を知り、なおかつ邪魔をするという知性のようなものがある。厄介極まりない相手だ。
「才輝乃、大丈夫か?」
「うん……怖いけど、シルエットがテディベアなおかげでまだ平気だよ」
才輝乃の声を聞きながら、空は懐から呪いのお札を取り出す。彼の呪術はお札によって発動する。紙幣のように薄い紙が彼の武器だ。
「が、頑張れー!」
臨戦態勢を取る二人に、人美は応援を送る事しか出来ない。ただの人間が割り込むには危険な戦いだった。
「……っ!」
ティアが動いた。
右手をゆらりと持ち上げたかと思うと、キッチンの近くにあった食器棚がガタガタと揺れ、扉が開けられた。中から続々と食器が浮かび上がり、ティアを守るように展開されていく。それらもまた、先のカッターナイフのように一直線に放たれた。
「防御は任せて!」
ティアの食器攻撃は、才輝乃の超能力によって全て受け止められる。彼女の優しさが出ているのか、こんな状況でも皿を割らないよう力を加減しているようだ。
その隙に、空の手が振るわれる。紙製のお札が、まるで板か何かかのように素早く空を切り、ティアの足元へ滑り込んだ。床に設置された二枚のお札が光を放つ。
「弾けろ」
小さな落雷のような閃光と、空気を焦がす雷の音が二連続で炸裂した。才輝乃と違ってこっちは手加減無しだ。床や壁がまる焦げである。
「ちょ、ソラっち! 家壊さないでよ!?」
「大丈夫、才輝乃の超能力で元に戻る」
「そうだけどさぁ!」
なんて言い合ってるうちに、ティアがむくりと起き上がった。空の『雷で焼け焦げる呪い』を喰らってもまだ立っている。本体がティアに降りた霊だというのなら、ぬいぐるみをいくら傷付けた所で大した損傷では無いだろうが、それでも動ける事には驚いた。
ティアの攻撃が加速した。ポルターガイストによって食器を割り、無数と呼べる量の破片をまき散らした。
「二人とも下がって!」
才輝乃も全力で防御する。不可視の障壁によって、横殴りの雨のように射出された破片を弾いている。その片手間で、才輝乃は別の力を使う。ティアの体がひとりでに浮かび上がり、顔が不規則に震え出した。
「ごめんね、ティアちゃん」
念動力によってティアを持ち上げ、そのまま首を360度……いや、1800度は回したかもしれない。見えない手でねじり切ったかのように首が回転し、ぶちぶちぶちっ!と布が千切れる音が響いた。謝った割に容赦の無い攻撃だ。
ぼとり、とティアの首が落ちる。切り離された胴体からは白い綿が見えた。胴体も事切れたようにその場に座りこみ、背中から倒れた。
「ふぅ……さすがに死んだよね」
「おい、それフラグ」
「あ」
遅かった。倒れたはずのティアが、顔も無いのに再び起き上がった。
どのみち人美の失言があろうがなかろうがこうなっていただろうけど、それでも人美はショックだった。まさか自分がこんな馬鹿みたいなフラグを立てるモブの台詞を吐いてしまうとは。
「まだ動くの!?」
驚きつつも、すかざず念動力で拘束する才輝乃。しかし、ティアの体は油をさしていない機械のようにぎこちなく動いている。
「私の超能力が押し返されてる!?」
「こいつ、思った以上に強い力を持ってるな……」
空は『力が入らなくなる呪い』のお札を飛ばすが、ティアは依然として才輝乃の超能力に抵抗できるだけの力が出ている。空と才輝乃が連携して攻撃を飛ばすも、全てバリアのようなもので防がれてしまう。
ギリギリ抑え込むので精一杯。二人の超能力と呪術でもってしても、決定打にはなり得ない。
「くそう……見てる事しか出来ないのが歯がゆい……」
必至に戦っている二人の後ろで、人美は見ているだけだった。何か手助けしたいけど、無策で突っ込んでも盾にすらならないだろう。このまま指をくわえて見ている事しか出来ないのか……
「……あれ?」
見ている事しか出来ない。逆に言えば、攻撃に意識を割いている二人よりも、より観察が出来るという事でもある。そんな人美が、真っ先に気が付いた。
「ティアのお腹、ちょっとほつれてない?」
「何だって?」
それは、ひとりかくれんぼの準備としてテディベアの中身を取り出して詰め込むために引き裂いた傷。人美が少々雑に縫い合わせた赤い糸が、わずかにゆるくなっていたのだ。
「本当だな。中身が出かけてる」
「ねえ、たぶんだけどさ。ティアがこんな超パワー使えるのって、霊の元々の力ってだけじゃないのかも。もしかして、超能力者の爪と呪術使いの髪の毛を含んじゃったからじゃないかな? ほら、フィクションだと能力者の体細胞にも力が宿るとか言うじゃん」
「そうか……? 内容物に原因があるんなら、間違いないく降霊術を舐め腐っていた誰かさんの血が原因だと思うけど」
「今は冗談はいいって! 私が言いたいのは、中身さえ取り出したら力が弱まるんじゃないかって話!」
空と確認したひとりかくれんぼの記事によると、ぬいぐるみの中に詰める米や爪などは内蔵、縫い合わせる赤い糸は血管を表していると言われているらしい。どんな生物でも内蔵は弱点であるように、生物を模したぬいぐるみに憑依している霊も『中身』は弱いのではないだろうか。
「なるほどね……可能性としては捨てきれないかも」
未だ訝し気な空とは反対に、才輝乃は人美の仮説に肯定的だった。
「ティアちゃんからは、私自身の超能力に似た力を感じるもん」
「本当か。なら試してみるか」
「ねえ、なんでサキの提案は素直に受け入れるのさ。ねえってば」
「気のせいだろ」
面倒臭い態度になった人美を無視し、空は手の中でお札を入れ替える。全ての攻撃を中断し、ティアの動きを止める事だけに注力する。
「これはとっておきだ……!」
呪術以外の超常の力がある事は、いつもそばにいる才輝乃自身が証明している。もしも似たような力が自分たちに向けられた時に備えて作っておいた、『力の流れを乱す呪い』のお札。それをティアへと飛ばした。想定通り、ティアが張り巡らせるポルターガイストの力が弱まった。
「今だ、才輝乃!」
「うん! 中身を取り出すよ!」
電気の消えた暗闇の中で、才輝乃の瞳が輝く。身動きが取れなくなったティアの腹の傷口がバッサリと裂け、バラバラと中身がぶちまけられた。
「うげっ……」
人美は思わず引き気味に声を漏らした。中から零れ出たのは、それなりの量の米に、才輝乃の爪、空の髪の毛、それから人美の血を吸い込んだ、少量の綿。血を吸った赤い綿はまさに内蔵のように見え、ティアの惨状をより一層おぞましい光景にしていた。
そして、人美の目論みは当たっていたようだ。腹から中身をくり抜かれたティアは、目に見えて弱っていた。動きはふらふらと千鳥足で、ポルターガイストも皿の破片を三つほど浮かせるのが限界のようだった。
「じゃあ今度こそ、ちゃんと終わらせようか」
ここで、人美が前に出た。向かう先はティアのもとではなく、キッチンにある調味料の並ぶ棚。そこから塩の瓶を掴んでみせると、才輝乃と空も彼女の意図が読み取れたらしい。空はティアの動きを止め続け、才輝乃は水を生み出す超能力で、人美が新しく取り出したコップに水を注いだ。
コップを満たす水に小さじ一杯ほどの塩を入れ、人美はそれを少しだけ口に含んだ。少し塩辛いのを我慢して、ティアの前にかがみ込む。コップの中身を瀕死のティアの上でひっくり返し、続いて口の中の食塩水をかける。
「私の勝ち」
ティアの動きがさらに微かなものになる。立っていられるのもやっとな状態で、空の呪術による拘束もいらないくらいだった。
「私の勝ち」
ティアは首が無いまま、両手をわたわたと動かしていた。自分達がした事だが、少々痛々しいその見た目に、人美はいたたまれなくなった。
腹を割き、中身を入れ替え、尚も刃を突き立てた。ティアにも中の幽霊にも申し訳ない事をしたな、と人美は目を伏せた。
だからこそ、きちんとした方法で終わらせるべきだ。才輝乃や空と違って何の力も持たない自分が。言い出しっぺの自分が。さんにんといっぴきのかくれんぼを終わらせるのだ。
「私たちの勝ち」
左手でティアの体を支え、右手で床に落ちた頭を撫でる。最後の一言によって、ティアから発せられる威圧感が消え失せた。
人美は、ただのぬいぐるみに戻ったティアを抱きしめた。今はこんな扱いをしてしまったけど、小さな頃はこうやって抱いていたのを思い出す。
当時の人美がこの子に付けた名前は、もう覚えていない。きっと持ち主が忘れてしまったその時点で、このぬいぐるみの思い出は死んでしまったのだろう。それを今更になって、蘇らせてしまった訳だ。ならば、労ってやるべきだろう。
「お疲れ様、ティア。ありがとね」
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