悪い子はどこかな

 人美ひとみがひとりかくれんぼの助っ人として才輝乃さきのそらを読んだのには理由がある。それは、降霊術で降りて来た霊による心霊現象が発生した際、さらにそのチカラがこちらに向けられた際に、どうにかしてもらう為だ。


 人美と同じただの高校生に見える二人だが、しかし人美とは違ってそれぞれが異能の力を持っている。

 才輝乃は生まれ持っての超能力者であり、空は独学で力を身に付けた呪術使いなのだ。


 才輝乃は生まれつきが故に、あらゆる超能力を呼吸をするように自然に使う事ができるが、強大な力は私利私欲のために使わないと誓っているらしい。

 空は幼馴染の才輝乃を守るために似たような力を手に入れたくて勉強している、という経緯はあるようだが、昔の事はあまり話したがらないのでよく知らない。


 ともかく、超能力も呪いも心霊とは少し種類が違うかもしれないが、何かしらの効果は期待できるだろう。何も対抗手段が無い自分が少し情けなく思えて来る人美だったが、そこは持ち前のポジティブシンキングで乗り越える。

 今日はもしもの時に助けてもらうために呼んだのだ。友人相手に情けない所を見せても一向に構わない。そう開き直っていた。


(さてと)


 先ほどリビングに行き、砂嵐を映し続けるテレビの前で目を瞑って十秒数えて来た。そして今、浴槽にテディベアのティアが浮かぶ浴室まで戻って来た所だ。


「ティア、見つけた」


 一旦ティアを浴槽の蓋へと置き、それから手に握っていたカッターナイフを振りかざし、ティアの縫い目が見える腹部に突き刺す。ぶすりと布を突き破った感触が伝わり、心の中でごめんねと謝った。今は儀式を続ける。


「次はティアが鬼だから。次はティアが鬼だから。次はティアが鬼だから」


 カッターナイフを突き立てたまま手を放し、人美は踵を返す。

 これにて鬼は交代。人美も才輝乃と空の隠れている場所へ向かい、終わらせたい時間まで隠れる番だ。


(本番はこれからとはいえ、意外と楽勝だね)


 役割をひとつ終えただけで、人美はもう気が大きくなっていた。これなら机の下で三人で談笑していればすぐに終わるかもしれない。

 なんて、気を抜いていた時だった。


「ひっ!?」


 ガコンッ!!と、硬いモノが床に落ちる音が浴室に響いた。

 血の気が引いた顔で、人美はゆーっくりと振り向く。ここで背後など見向きもせず退散するのではなく、きちんと確認する程度の度胸は、彼女にも備わっているようだ。


 視界に映る浴室と先ほどまでの浴室の差は、浴槽の蓋に置いていたはずのプラスチック製の風呂桶が、床に落ちていただけ。ティアは一歩も動いていないし、カッターナイフも垂直に突き刺さったまま。


「お、おにさぁーん。せめて10秒は数えてくださいねー……」


 それでも、普通は落ちないであろう位置と角度の風呂桶が落ちた時点で、人美的にはもう霊障である。すぐに背中を襲うんじゃないぞと釘を刺しつつ、そそくさと浴室から退散した。


 可能な限り足音を消し、可能な限りの早足でリビングまで戻って来た人美。机の下には儀式の終了に必要な食塩水が入ったコップが端の方に置かれてあり、中央辺りで才輝乃と空が隠れているはずだ。


(せっかくだから背後から忍び寄っておどかしてやろうかな)


 なんていたずら心が芽生えつつも、降霊術の最中なのだしおふざけは自重するべきだな、とわきまえる。人美は自分を律する事ができる女なのだ。


 そうして、普通に机の下に入ろうと身をかがめる人美。彼女の目に飛び込んで来たのは、清々しいまでに熟睡している空と、彼に膝枕をしている才輝乃。二人の姿を見て、人美は中腰のまま固まった。


(……ほう。なるほどね)


 人美の頭から配慮という言葉が消し飛んだ。そして、自分の新たな役割を悟った。この付き合っても無いのに恋人のような行為に及んでいるふしだらな相思相愛幼馴染異能バカップルに制裁を下してやる、と。


 空は眠っているし、才輝乃はこちらに背を向けているせいか、まだ人美が戻って来た事には気付いていない様子。人美は音を立てずに降ろしかけていた腰を持ち上げ、忍び足でキッチンに向かう。


(せっかくこっちが大人しくしようっていうのに、そっちがその気ならイタズラしちゃうもんねー)


 本来ならば鬼が交代した時点で大人しく隠れなければいけないのだが、人美としては降霊術を舐めているとしか思えない友人に罰を与える事しか頭に無かった。どちらかと言えばひとりかくれんぼを三人でやろうと言い出したり開始時刻を勝手に早めたりと、降霊術を舐めているのは人美としか思えないのだが、勿論当人にその自覚は無い。


 ほんの少しだけキッチンの蛇口をひねり、ぽたぽたと一滴ずつ落ちる雫を手で受け止め、時間をかけて両手を湿らす。一分ほど手を冷やした人美は、いよいよ才輝乃の背後へと忍び寄った。


「なーに人ん家の机の下でいちゃついてんだオイ」

「ひゃう!?」


 精一杯ドスの効いた低音ボイスで囁きながら、キンキンに湿った両手を才輝乃の首筋に当てた。

 すると才輝乃は面白いくらい驚き、小さく悲鳴を上げながら飛び上がった。その拍子に頭が机の裏に激突し、その様子がさらに人美のツボを刺激する。


「うははっ、良い驚きっぷり。イタズラ大成功ー」

「な、何するの人美ちゃん!」

「いやーごめんごめん。可愛い子にはついちょっかいかけたくなるでしょ? だからついね。別に、私が魂を削る想いでティアと対面してる間に二人がいちゃついてたのがすげーむかついたとかでは無いからね」

「本音出てるよね……!?」


 かくれんぼ中なので声を潜めて人美は笑う。才輝乃は声を大にして抗議したそうにしていたが、流石に諦めて飲み下したようだ。


「もう……別にイチャイチャしてた訳じゃないもん。空君が途中で寝ちゃってて、倒れて頭を打っちゃわないようにこうしてるだけだもん」

「へー、そうなんだ、へー」

「信じてよ!」

「あはは、ごめんって。もうからかわないよ」


 涙目で驚いたりジト目で怒ったりコロコロ変わる表情が可愛いなぁなんて眺めていたら、人美のしょうもない鬱憤も晴れた。一人だけすっきりした顔で机の下に潜って体育座りをする。


「でもサキってば大胆だね。私はお邪魔だったかな?」

「だから違うってば……!」

「大丈夫、友として私は応援してるから。でも人ん家ではやめてね」

「絶対まだからかってるでしょ」

「いやいや、本当に」


 才輝乃と空の行く末を応援している気持ちは、偽りなき本心である。幼い頃から一緒だという二人はさぞお似合いだろうな、と人美はニヤニヤしていた。

 それが才輝乃の怒りに触れたのだろうか。彼女は頬を膨らませながら人美の頬をむにっとつねった。


「これはおしおきだよっ」

「ふひゃ! ひひにひたいひょ!」


 超能力者とて素の力は普通の女子高生のそれ。けれど頬をつねるくらいなら誰でも威力を出す事が出来る。それは平均と比べても非力な才輝乃も例外では無かった。


 地味に痛いよ、と笑いながら両手を合わせて降参の意を示す人美を見て、仕返しの意味を込めて頬をつねる才輝乃にも笑顔が戻っていた。そして相変わらず空は眠っている。


 一体どれほどの間じゃれ合っていただろうか。リビングにか細く響いていた押し殺した笑い声もいつの間にか止み、二人ともウトウトし始めていた。

 ひとりかくれんぼの最中とはいえ、思ったより何も起こらなかった事に安心したのだろう。無理な夜更かしが祟って、二人にも睡魔が襲って来た。


 そして気付けば、三人とも眠ってしまっていた。





     *     *     *





「ん……」


 体育座りのまま眠っていたせいか、体の節々が痛む。両手で抱えるひざの隙間にうずめていた顔を持ち上げ、ぼんやりとしたままぱちくりと瞬きをする。


「あれ……?」


 自分の姿勢。隣にいる二人の友人。そして、何かに隠れているかのような自分達の位置。10秒ほどかけてそれを脳内に落とし込んだ時。


「わ……」


 爆発したかのように人美の意識は覚醒した。


「うわあああああああああ!?」


 もはやかくれんぼという競技すら忘れ、人美は叫んだ。体中からどっと汗が噴き出す。パニックになりかけているのか、めまいすら覚える。

 空と事前に確認したルールだと、ひとりかくれんぼは絶対に二時間以内に終わらせなければならないと明記されていた。そして現在時刻は深夜三時半。人美たちは午前0時に儀式を始めた。つまり、三時間半経過。


「やばいやばいやばい!!」


 勢いで飛び出しそうになるのをぐっとこらえる。ウェブサイトで見たルールにはこうも記されていた。『何があろうともパニックに陥らずに落ち着いて、終了の手順は必ず守る事』と。


「サキ、ソラっち! 起きて!」


 鬼の交代の時は人美だけが鬼だったので、ルール上浴室へは一人で行った。しかし、隠れる側となった今は三人でティアを迎えに行ってもルール違反ではない。少なくともこの状況で、一人で廊下を歩く事など人美には決して出来ない。頑張って二人を起こそうと必死に揺さぶった。


「人美ちゃん……? どうし――」


 目を覚ました才輝乃は、人美の焦った顔を見て言葉を引っ込める。そして人美より素早く状況を理解した彼女は、さっと顔が青ざめた。


「人美ちゃん……もしかして私達、二時間以上寝ちゃった……?」

「そうなんだよ! 三時間半、ばっちり熟睡しちゃったよ! やばい!」

「そ、空君も起きて! 今すぐに終わらせないと!」


 未だ才輝乃の膝の上で微動だにしていない空へ呼びかけるが、反応は無い。彼の眠りはかなり深いようだ。


 カツン……


 小さな音が、静まり返った人美家の廊下に響いたのはその時だった。微かだが確かに聞こえた異音に、人美と才輝乃は顔を見合わせる。


 スーーーっと、今度は長めの音が続いた。

 そして唐突に、人美の頭に音の発生源が映像となって浮かび上がった。今の音は、まるで刃を出したカッターナイフを床に引きずっているかのような音だった。


「やばいって……」


 そして、考える。全長30センチ前後のテディベアがカッターナイフを片手に持って歩いた場合、……?


「ティアがこっちに来てる……!? いやまさかね、まさかね!」

「お、落ち着いて人美ちゃん! まずは現状確認―――きゃあ!!」


 才輝乃の瞳にうっすらと淡い光が灯ったと思ったら、彼女は短く悲鳴を上げた。人美はぎょっとして才輝乃の顔を見る。


「ど、どしたの? まさか超能力でティアがいるか確認を?」


 人美の問いに、才輝乃は慌てて頷いた。


「浴室を見たの。そしたら……いなかった」

「…………マジか」


 ティアが浴室から消えていた。それが意味する事は一つ。

 あの熊は動いている。心霊現象である。


「ええいソラっちめ、早く起きんかい! 私だってサキに膝枕してもらいたいんだぞこの野郎! そこ変われ! じゃなかった緊急事態だよ早く起きて!!」


 錯乱しているせいで支離滅裂な事を口走りながら、空の肩を掴んでぶんぶん揺さぶる人美。ようやくうっすらとまぶたが持ち上がった空へ、人美は畳みかける。


「起きた!? ソラっちヤバいよ! ひとりかくれんぼは失敗した! ティアが動き出したんだって!」

「へ……?」


 まだ開き切っていなかった彼の目が、大きく見開かれた。彼の視線は人美ではなく、その先に向けられていた。


「マジじゃん……」


 その言葉の意味を理解して、人美は声が出なかった。何か言おうとしても、ひゅっ、と空気が通る音しか出ない。そんな状態で、後ろを振り返ると。


 立っていた。

 自らに突き立てられたはずのカッターナイフを右手に持ち、テディベアのティアが、リビングの入口に佇んでいた。

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