第21話 はじめての遊園地 3

 お化け屋敷を出てもしばらくの間は玲子ちゃんは俺から離れなかった。


「もう外だぞ」

「は、はい……。すみません、もう少しだけ……」


 奏たちのほうを見てみるがなぜここまで怖がるのかわからないようだ。

 このままでは楽しむどころではないため、一旦昼食にすることにした。

 遊園地の中にあるレストランに入り、対面には奏と湊、俺の右隣り窓側に玲子ちゃん、左隣通路側には刹那が座ってる。


「もうお腹ぺこぺこだよ。しっかり食べちゃおっかなぁ」

「その栄養はいったいどこに行くんでしょうか。ねぇ、刹那」

「私に聞くなって! 玲子も何か選びなよ」

「う、うん」


 レストランに来てからはさっきよりも落ち着いた様子だ。

 それでも、一番最初の元気と比べればまだ影が見える。


「ゆーくん、メリーゴーランドの写真見せて!」

「ほら、結構よく撮れてるだろ」

「お兄ちゃんこれ私が湊にイタズラされてるときじゃん」


 玲子ちゃんの写真になると、三人は言葉を失ったように驚いていた。


「なんだか神秘的な感じだね」


 少し光が反射し、輝いたような雰囲気になっており、その端麗な容姿をより美しく飾っている。意図的ではないが元の容姿もよかったから俺自身いい写真を撮れたと思っている。


「これが本当に私ですか」

「結構綺麗に撮れたと思うんだけどどうだ?」

「なんだか私じゃないみたいです」

「正真正銘玲子ちゃんだよ。加工だってしてない。可愛いんだからもっと自信を持ちなよ」

「か、可愛いって、そんな恥ずかしいですよ」


 すると、俺の言葉を聞いた奏や湊はどこかムスッとした表情をしていた。

 この二人の感情の変化はたまによくわからない。


 食事を終えた後もいろんなものを楽しんだ。

 絶叫系では。


「ゆ、ゆゆゆーくん! 落ちるよ!」

「結構高いのな」

「なんでそんな落ち着いてるの!? ってわあああああ!!!」


 アヒル競争では。


「では、あの赤いスカーフのアヒル。右肩は赤く塗らないのですか」

「レッドショルダーにしようとすな」

「むせる」


 コーヒーカップでは。


「コーヒーカップって謎だよね。何が楽しいのか。お兄ちゃんもそう思わない?」

「いわんとしていることはわかるがメリーゴーランドを楽しんでいた人の発言じゃないだろ」


 ゴーカートでは。


「え、えっとこれがアクセルですよね」

「なんか思ったよりスピード出てないか?」

「あ、前にぶつかっちゃいます!」


 どこに行っても何かしら起きて飽きない時間が続いた。

 茜色の空の下、最後のアトラクションは観覧車に決まった。俺と玲子ちゃんが列に並び、三人は先にトイレに行ってくると言って離れた。


「なんだか刺激的な一日でした」

「この疲労感で帰り運転しなきゃいけないのがしんどいな」

「あ、そうですよね。お兄さんはまだ終わってないですもんね」

「いや、玲子ちゃんは気にしなくていいよ。それに、みんなが楽しんでる姿を撮れたし結構満足してる」

「お兄さんも楽しんでくれたのならよかったです」


 ほどなくして観覧車に乗る番になったが三人はまだ戻ってきてなかった。

 後ろの人に順番を譲ろうとしたら、玲子ちゃんが手を引っ張って来た。


「乗りましょう」

「でも、三人が」

「お兄さんと二人で乗りたいです。次、いつこうできるかわかりませんから」


 詳しい話は聞いてないが玲子ちゃんにあまり自由はないらしい。

 今回ここへ来たのもかなり説得したようだ。

 実際、次がある確証なんてどこにない。


「わかったよ。でも、あとで三人に怒られるぞ」

「覚悟の上です」


 二人っきりの観覧車はとても静かだった。

 空のまるで空に溶け込むようにゴンドラは上がっていき、夕日が俺らを照らした。


「なんで俺と一緒に乗りたかったんだ?」

「……お兄さんはとても優しいからです」

「こういうこと聞くのどうかと思うけど、両親とはあまりうまくいってないのか?」


 すると、玲子ちゃんは少し考え遠くの景色を見ながら答えた。


「私が、お母さんの思いに答えられないのがいけないんです。もっと点数を上げて、もっと作法を学んで、お母さんが望む姿になってあげたい」


 ずっと抱いていた違和感というか、気になることがようやく鮮明になって来た。

 玲子ちゃんの母親はもしかしたらいわゆる毒親タイプなのかもしれない。

 

「本当はもっといい高校に行くはずだったんです。でも、私の頭が悪いから……」

「お母さんは大学に行ってないかもしかして短大卒とかじゃないか?」

「え、どうしてわかったんですか。お母さんは高卒なんです」

「なんとなくだ」


 やっぱりそうだ。

 自身の学歴コンプレックスを子どもで解消しようとしている。

 この子はそういった母親の下で育ったから、その端麗な容姿とは不釣り合いにあまりにも自信がない。


「刹那ちゃんが羨ましい。私も、あなたようなお兄さんが側にいてくれたら、こんな風にはならなかったかもしれない」

「月並みなことしか言えないが、まだこれからがあるじゃないか」

「……これまでも、そしてこれからも、私はきっとお母さんには逆らえない。怖いんです」


 きっと、この歳になるまでいろんなつらい経験をしてきたのだろう。

 本来、母親から注がれる愛情がこの子の中にはない。

 優しく、厳しく、大切にしてくれる母親の存在は子どもの成長にとって必要不可欠だ。だが、母親のコンプレックスがここまで子の自信を殺し、恐怖で支配している。

 本人はそのつもりはないかもしれない。子のためにともっとも良い道を選んでいるだけかもしれない。だからこそたちが悪い。悪意を持った人間がここにはいないのだから。


「あの……、隣に座ってもいいですか?」

「いいよ」


 俺が今できることは何だろうか。

 隣に座る玲子ちゃんは、そっと俺のほうへと体を預けた。


「綺麗な景色ですね。初めてあった友達のお兄さんなのに、私はどうしてこんなに近くに行きたいと思うんでしょうか」


 俺は大人になりきれていない。

 玲子ちゃんの問題を解決できるほど強く賢い人間じゃない。

 でも、放っておくこともできない。

 

 ちょっとだけ自分が嫌になる。能力はないのに、それにそぐわないことをやろうとする自分が嫌になる。


「玲子ちゃん」

「はい、なんでしょう」

「俺は、君のその問題に対して回答を持ち合わせてはいない。それは大人として情けないことだ」

「そ、そんな。お兄さんは情けなくなんてないですよ。ごめんなさい。私がこんなことを話したばっかりに」

「いや、いいんだ。俺は自分のこと以外は刹那や奏たちくらいしか見ていなかった。それが最近徐々にいろんな人に触れていっている。少しずつ成長しているんだ。だからさ、いますぐには何かしてあげられないけど、辛くなった時はいつでも言ってくれ。一人で抱え込まないでほしい」

「お兄さん……」

「これは、俺が大人としてできる最低限の手助けだ。奏や湊や刹那の友達を、話だけきいて見捨てたくはない。だから、いつでもいい。もし、辛くなった時はいつでも頼ってくれ」


 まったく無責任だ。頼られたとして俺に何ができる?

 後先も考えずこんなこと口走るなんて、お菓子欲しさに駄々をこねる子どもと何ら変わらない。感情の赴くままに行動しているだけじゃないか。


 俺が自分の行動の馬鹿さ加減に呆れていると、玲子ちゃんは隣にで泣いていた。


「玲子ちゃん?」

「い、今はこちらを見ないでください。ひどい顔をしてますから……」


 くそっ、だめだ。

 無責任だとしても、これを放っておくなんてのは俺自身が許せない。

 玲子ちゃんの前の膝をついて、その表情をしっかりと見つめた。


「ハンカチ、使って」

「ありがとうございます……」


 ハンカチを拭く所作さえも母親に躾けられたのだろうか。

 その動きは同年代の女子高生では想像ができないほど丁寧で美しい。

 でも、その美しさは、まるで透き通るガラス玉のように儚くも映る。


「きっとなんとかなる。気休めに聞こえるかもしれないけど、なんとかする。これは大人として見過ごせない。他人の家系の出来事に友達の兄が首を突っ込むなんてのは野暮な話だろうけど、君が望むなら俺はいつだって手を貸すから」

「お兄さん……それ以上優しくされたら私……」


 玲子ちゃんは言葉を止めた。

 

「言っていいよ」

「……私、お兄さんのこと好きになっちゃいます」


 その時、降下するゴンドラの窓から、頂点へと上がっていくゴンドラが見え、そこには奏たちの姿が見えた。向こうからは俺が玲子ちゃんを泣かせているように見えたのか、何やら慌ただしい。


「どうしました?」

「いや、あれを見て」


 涙を流していた玲子ちゃんは、奏たちの姿を見つけると優しく笑った。


「私、奏ちゃんたちといるのが好きです。だから、この気持ちはまだ胸に秘めておきます。抜け駆けは悪いですから」

「抜け駆け?」

「今のは聞かなかったことにしてください。……お兄さんのおかげで勇気をもらえました。いつか頼りにするかもしれません。でも、いまじゃない。もう少しだけしっかりとお母さんと話してみます」


 あれでよかったのだろうかと正直不安だ。

 このあと、玲子ちゃんは母親にどんな顔して会うのだろうか。

 心配だったが、玲子ちゃんの表情は最初にあった時よりも清々しい表情になっていたのは間違いない。


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