第15話 不思議な子も風邪をひく 2

 部屋に戻り湊の表情を見てみると、汗を拭いたおかげか少し楽になったようだ。

 

「眠れそうか?」

「うん。でも、まだここにいて」

「わかった」


 まだ熱は下がっていない。あくまで状態を少しだけよくしただけだ。

 こんな時、何を話すべきなのか、それともそっとしておくのがいいのか。俺にはわからなかった。とりあえず、ベッドの側に座り湊が眠るのを見守ることにした。


「手がほしい」

「えっ、どういう意味だ?」

「おでこに置いて」

「あ、ああ……」


 湊のおでこに手を置くと、少し汗をかいたおでこの熱が伝わってくる。


「優斗の手は冷たくて気持ちいい」

「冷え性がこんなとこで役に立つとはな。確か冷却シートとあった気がする。とってこようか?」

「今はこれでいい。これで十分」

「そうか。じゃあ、このままにしておこう」


 不思議な時間だった。

 いつもとはちょっと違う言葉遣いに、いつもとは違うふわふわした声。

 まるで幼子が親に甘えるように俺の服をぎゅっと掴んでいる。

 

 子どもができたらこんな感じなのだろうか。そんなことを思ってしまう。

 それよりも先に恋人を作らなきゃ子どもはできない。いつまでも独り身だと母さんが心配しそうだ。


「優斗は……奏のことどう思ってる?」

「どうって、幼馴染として大切に思ってるよ。湊も同じだ」

「そっか……。なら、まだチャンスはあるね」

「チャンス?」

「ううん。なんでもない……」

「相変わらず不思議なことを言うよな」

「私だって……優斗のことが……」


 湊の言葉はそこで止まった。顔を見てみると目を瞑り眠りについたようだ。

 奏と湊は双子で、体型と髪型以外は瓜二つだ。細かい所作や表情、話し方なんかは結構違うが、黙ってると見分けられないと俺は思っていた。


 でも、改めてみると、案外二人には違いがある。それは言葉で表せるようなものじゃなく、俺の中でなんとかなく奏と湊を見極められるというだけだ。

 人に説明しろと言われたらわかりやすくするために見た目をあげる。


 さっきのことがあってかやけに心臓の鼓動が早い。まったく、自身の女性に対する免疫のなさが悲しくなる。


 これまでは身近な人としか関わっていない。すなわち恋愛をするような刺激的なことなどなかったのだ。芳香さんは上司であり姉のような存在で、薫や奈々はごく最近関係ができた。


 そう考えると俺の人生ってのは妹や神崎姉妹を除けばあまりにも女っ気がない。

 別に避けていたわけではないけど、やりたいことをやっていた結果そういう関係に発展しなかったのだ。


 なのに、俺はこともあろうか幼馴染、しかもまだ幼さ残る女子高生に緊張をしてしまった。妹のような存在と認識していたのにだ。これは参った。


 湊が寝た後の何度か確認しに部屋には行った。しっかり眠れているようで何よりだ。部屋のクーラーを快適な温度にしておいたから熱くなっても掛け布団を軽くどかせば涼しくはなるだろう。


 俺は一息つくためにキッチンでインスタントコーヒーを入れ、机に移動し休憩した。自然と漏れたため息は、疲労ではなく心配からだ。いや、精神的な疲労というのが正しいのかもしれない。


 昼になると奏から電話がかかって来た。


「ゆーくん、湊の体調はどう?」

「今は寝てるよ。痛みはないみたいだからこのまま安静にしていればたぶん大丈夫だ」

「よかったぁ~。朝ね、湊はいつも通りに振舞おうとしてたけどきっとつらかったと思う。ゆーくんがいてくれて本当に助かったよ」

「俺が神崎家に来たかいがあったな。湊のことは俺にまかせてくれ」

「うん。本当にありがとう」


 奏との電話を終えると、階段のほうで物音が聞こえた。

 もしやと思いすぐに階段のほうへ行くと、湊が部屋からでて階段から降りようとしていた。


「そこで待ってろ! すぐ行くから!」

「う、うん……」


 立てるくらいには回復したのはよかったが、いま階段を下りたら落ちてしまうかもしれない。階段を上がり湊を支えゆっくりと階段を下りた。わざわざ自分の足で降りようとしたのは、いいづらいことがあるからだ。


 扉の前まで送り、水の流れる音が聞こえ、湊は出てきた。


「ごめん。言えばよかった」

「気にするな。階段上がるの辛いだろ。持ち上げてやる」

「えっ、あわっ!」


 湊をお姫様抱っこすると、驚いた声を発した。落ちないように必死に俺の服を掴んでいる。


「お、重くない?」

「問題ないよ」


 と言ったものの、ずっとこのままはさすがにつらい。

 なにせ今までまともにスポーツをしたことがないのだ。

 女子高生程度なら両腕で持ち上げられるが、いまさらおんぶにしておけばよかったと後悔している。


 湊の部屋の前まで行き、扉は湊に開けてもらった。

 ベッドに寝かせると湊の腹の音が聞こえた。


「食欲はあるか?」

「少し」

「たまごのおかゆでも作ってくるよ」


 俺が行こうとする湊はまた俺の服を掴んだ。


「すぐ戻るから」


 今日の湊は一人でいるのが寂しいようだ。

 肉体の不調は同時に精神までも不安にさせる。

 俺も子どものころにおたふく風邪になった時、両方の頬がパンパンに腫れて口を動かすのでさえ痛みを感じ、今までできていたことが急にできなくなった恐怖と、体のだるさや熱で辛かった。


 幸運にも事故や大きな怪我はなかったが、あのおたふく風邪は人生で一番つらかった。母さんが側にずっといてくれたおかげで寂しさが紛れたが、夜になって部屋を暗くし、母さんも寝たころにどうしようもない寂しさが襲ってきたのを覚えてる。


「電気つけといたほうがいいか?」

「うん」


 カーテンを開ければ外の光は入るが、それでも明かりがついているほうが今はいいらしい。


 一階に戻ってささっとおかゆを作った。

 ちなみになぜおかゆを作り方さえも見ずに作れるかというと、幼い刹那に作ってあげた経験があるからだ。母さんが仕事に行かなくちゃいけなくて、俺は土曜で休みだった。母さんがおかゆの作り方を教えてくれたんだ。


 おかゆを作り終えて部屋に戻り、棚の上におかゆを置いて朝のように湊を起こした。朝よりも体を自分で維持できるようになったみたいだ。回復の兆候が見えた瞬間、俺の心はホッとした。


「まだ熱々だな。少し冷まさないと」

「ふーふーして。お腹空いた」

「仕方ないな」


 なんというか、不思議なものだ。

 いや、刹那にもしてあげたことなのだが、なぜか変に緊張してしまう。風邪のせいで潤んだ瞳でじっと見てくる湊に対し、俺は普段とは違う感情を抱いている気がした。


「うん。美味しい」


 口を開けて待っている姿に、俺は不覚にもドキッとしてしまった。

 

「くれないの?」

「あ、ああ。ちょっとまってくれ。冷ますから」

「早くしてくださいね」


 不思議なこと過ごす不思議な時間。

 俺の心までもが普段とは違う不思議な表情を見せる。


 結局、湊は三口だけ食べてしばらくしてまた眠った。

 俺は余ったおかゆを食べて昼飯代わりにした。

 

 精神的な疲れの影響で、俺にも睡魔が襲って来た。

 少しだけ寝よう。

 いなくなって寂しい思いをさせるのも悪いと思い、湊のベッドに背中を預けそのまま寝た。


 どれほどの時間寝たのだろうか。

 深海からゆっくりと浮かんでいくように、徐々に覚醒していく意識の浮上を感じている。何か肩のあたりに重みを感じた。目を開けると、隣で奏が俺の肩を借りて寝ていた。それと、湊が俺の後ろから腕を回し寄りかかって寝ている。


「もう夕方か」


 二人とも寝ているのだろうか。


「……起きてるな」

「あ、バレた?」

「察しがいいですね」

「さっきぴくっと動いたろ。奏、おかえり」

「ただいま。湊の体調だいぶよくなったみたいだね」


 右には奏、左には湊の顔があった。

 様子を確認しようとして左を向くと、湊の顔がものすごく近かった。呼吸さえも伝わるほどの近さに、俺はほんの少しだが動揺してしまった。


「体調はどうだ」

「かなりいいです。朝とは比べ物にならないほど」

「それはよかった。一日看病したかいがあったよ」

「本当に申し訳ない」

「セリフを引用すんなって」

「ありがとう」

「どういたしまして」


 あとで思い出したことだが俺は湊が食べた後におかゆを同じレンゲで食べてしまった。それにずっと側にいたから風邪がうつるかもと思っていたけど、次の日はいつも通りに目覚めることができた。


 いつものように朝ごはんを作っていると、俺の背後に忍び寄る影があった。


「……湊だな」

「バレまたしか」

「何がしたいんだ?」

「私にもわからん」

「だったらテーブルに皿を並べてくれないか」

「お安い御用です」


 パジャマ姿だがすでに目は覚めているようで、風邪は完全に治ったみたいだ。


「ゆーくん、湊、おはよ~……」

「あれはメロンですか? いいえ、奏です」

「完全にいつも通りだな」

「それは違いますよ。一皮むけていつも以上です」


 また何を考えているかわからない不思議ちゃんに戻ったが、この姿を見ていると安心してしまう。でも、昨日の湊もまた新たな一面として俺の中に残しておこう。


 

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