第12話 過去という足枷
何をしていくか、どんな人生を歩むか。
小学生の頃は難しいことを考えずになんでも言えた。
でも、年齢を重ねるにつれて徐々に簡単に言えなくなってくる。
金銭的な理由、社会の目、常識という枠の外に出ようとする時、いつだって出る杭を打つように上から圧がかかる。それは、誰かが直接俺に言っているわけではない。俺自身が悩みすぎて存在しないはずの圧を作り出している。
芳香さんのように自分を貫ければどれだけ心地よいだろうか。
高校生みたいに自分がまだ主役でいられると思えてたらどれだけ楽しいだろうか。
俺の中に上から落ちてくるその圧は、学歴や現状が生み出したコンプレックスで、それから逃げるにはまだもう少し時間がかかりそうな気がする。
――――
二人のいない神崎家は静かなものだ。
もう少しで五月になろうとしている。
奏や湊はゴールデンウイークに友達と遊ぶ約束をしているらしい。
高校生らしくて素晴らしいことじゃないか。
しかしだ、どうも今の生活は俺にとって切迫感がない。なまじ住む場所が提供されているからこそ、家賃を払うために必死に仕事をしていた感覚がなくなっていた。
同時に、道が見えていないからこそ、どこに進もうか迷っている。
「何かしないとなぁ~」
とかいいつつも、俺はぶらぶらと外を歩いて近くのコンビニに向かった。
これといって買うものがあったわけじゃない。でも、家の中にいるのが少し退屈で、窮屈だったのだ。
大手チェーンのコンビニが住宅街のすぐ近くにある。立ち寄る人のほとんどは付近住人だ。それと運送の人たち。時には水道管工事の人や電線の工事の人など、この場所に関わる人たちがやってくる。
ここのコンビニに最後に来たのは一人暮らしをする前だ。
店内は適温に保たれており、寒くも暑くもない外よりも過ごしやすい。カウンターの向こうには若い女性が立っている。
「いらっしゃいませー! あっ……」
女性店員は何かに気づいたように裏へと向かった。
コンビニ店員は大変そうだ。
コンビニエンスストア、つもり便利な店という意味なのだがそれにしても便利すぎる。
改めて店内をじっくり見てみると、本があって飲み物があって、サプリや下着や化粧品やワックス、ペットフードにおつまみにお酒、カップ麺や缶詰やお菓子、それにアイスや弁当やラーメンやパスタさえもある。店によっては野菜さえある。さらに、チケットの販売や電子マネーのチャージ、切手や荷物の受け取り。公共料金の支払い。
それらすべてを決して高くはない自給ですべてこなすのだから、コンビニの店員というのはある意味人の生活を支えるエキスパートなのではないかとも思える。驚くべきはその営業時間。近年問題になっているがやはり二十四時間営業というのは実に魅力的。
品出しや検品、賞味期限チェックや掃除をしながら不快にならないレベルの接客を求められ、ピーク時にはスピードも求められる。一時期はコーヒーさえ入れてくれた。
本当に心の底からお疲れさまと言いたくなる。
一通り店内を回ったあげく、結局コーヒーを一本手に取ってレジをへと向かった。
しかし、店員は裏に行ったっきり戻ってこない。
「すみませーん。レジお願いします」
「は、はい……」
女性店員は極端に顔を下に向けて出てきた。
青みがかかった肩まで伸びた髪、なめらかな所作、丁寧な言葉遣い。
どこかで見たことがある。
名札にはヤシロとかかれていた。
「もしかして矢代奈々?」
「えっ、あ、その……」
「やっぱそうだ。確か奈々って」
矢代奈々は高校の頃の同級生だ。
生徒会長をやっていて容姿端麗。
学校ではハキハキとした姿が特徴的だった。
なのに、今の奈々はどこか鬱屈とした感じでかつての姿を感じさせない。
「保育士やめたのか?」
「……うん」
「やっぱ保育士って大変だよな」
「そうなんだよ!」
「うわっ、びっくりした」
「私、子どもたちの役に立ちたいと思って保育士になったけど、気づいちゃったの。子どもがあまり好きじゃないって。それで、結局やめて今は実家で暮らしながらここで働いてる。馬鹿みたいだよね。生徒会長もやってしっかり短大にも行ったのに、結局コンビニなんてさ」
「俺なんかに比べれば少なくとも何倍もすごいさ。俺なんていまだにふらふらしてるだけで、固定の仕事があるわけじゃないしな」
すると、奈々は少し考え、意を決するように言った。
「あ、あの。夕方とか時間が空いてる?」
「特に何もないけど」
「じゃあさ、ごはん行かない?」
なんとなくだがわかった。これは単なる食事の誘いではない。
奈々自身話したいことがあるんだろう。
「いいよ。あ、でもさ、いまちょっと事情があって二人ほど連れて行かなきゃいけないけどいいかな。席は別にしとくから」
「いいけど、妹さんだけじゃないよね。確か一人だったでしょ」
「あー……今いろいろとあってね。幼馴染の面倒を見てるんだよ。両親が一年くらいまともに帰ってこれないみたいでさ」
「それは大変ね。無理言ってごめん」
「全然。俺、同級生とはあまり絡むことないし、たまに人と話しとかないと」
そういうことで奈々と夕方会うことになった。
待ち合わせしたのはファミレスだ。
「……で、なんで刹那もいるんだ?」
通路を挟んで四人掛けの席にいる刹那へと問いかけた。
「湊がお兄ちゃんの奢りだからご飯食べようって言うから」
「食事はみんなで食べるとよりおいしくなるものです」
「まぁ、いいけど」
「ねぇ、ゆーくん。何頼んでもいいの?」
「今日くらいはな。刹那も好きなもの食べていいぞ」
「じゃあ、遠慮なく」
俺は二人掛けの席で待っていた。
ほどなくして奈々がやってくる。
白いブラウスに黒のパンツにパンプスと、シンプルながら大人っぽい服装だ。
少し髪も巻いていて昼間と少し印象が変わっている。
「ごめん、呼び出して置いておくれちゃった」
「別にいいよ。妹たちと話してたから」
奈々が俺の前に座ると、三人がじーっとこっちを見ていた。
「優斗、その美人は誰ですか」
「高校の時の同級生だ。そんなじろじろ見るなよ。失礼だろ」
最近は奏たちと芳香さんくらいとしかまともに会ってなかったが、こう見比べてみるとやはり奏たちはまだ幼く見える。奈々は大人っぽいとはいえ芳香さんと比べるまだ幼さが残る。
「えっと、矢代奈々です。よろしく。刹那ちゃんとそちら二人はもしかして双子?」
「私は奏です! こっちが妹の湊」
「どうも、湊です。優斗のお世話をしています」
「俺が世話してんだろうが」
「何をいいますか。あんなことやこんなこと、いろんなお世話を私たちが……」
「誤解を招くような言い方はやめろって! あまり湊の言うことは気にしないでくれ。こういう不思議な奴なんだ」
「そ、そう。なんだか賑やかね」
とりあえず全員注文をして、それぞれ食べ始めたころに奈々は話し始めた。
「あの、こういうこと聞くのも悪いかもしれないけどさ。優斗は高卒だよね。何かこう、周りとの差みたいなものは感じてないの?」
「結構ドストレートに聞いてくるな」
「ごめん、答えづらかったらいいよ」
「感じてはいるさ。それに今もちょっとそれで悩んでる」
「……それって辛くない?」
「ずっとそのばかり考えてると辛い。でも、一人暮らしから今は二人の世話をするようになって、最近撮影の依頼も来て、若干気は楽になってるかな。まぁ、それでもこのままじゃいけないと漠然と思ってる」
「そうなんだ。私、ずっと考えちゃってさ。なんでこうなったんだろうって」
たぶん、俺よりも奈々のほうが辛いはずだ。
なにせ俺は平凡な学生だった。
周りから強い期待もされてなかったし、話し合いはしたが大学に行かないという選択肢も許してもらえた。その結果、まだカメラマンとして全然とは言えなんとか一人で暮らせるレベルにはなっている。
それは誰にも迷惑をかけていないし、例え失敗しても困るのは自分だ。
背負うものがないというのは気楽なんだ。
でも、奈々は違う。
期待もされていた。それに子どもの役に立ちたいという誰もが褒めてくれるような理由で保育士という道に進んだ。しかし、待っていたのは辛い現実。
おそらく、奈々ならただ大変というだけで物事を投げだすことはしないだろう。それでも奈々がやめてしまった。それは、本当に子どもが苦手だったということなんだ。
「いまだって子どものために何かをしたいって気持ちは変わらない。なのに、子どもを避けてしまって、そんな私自身が嫌で仕方ない。進みたい方向に足が進まなくて、気づけば後退ってる。……笑えるよね。こんなのが生徒会長をやって子どもの役に立ちたいだなんて」
もし、俺がカメラの才能がなかったら同じような気持ちだったのかもしれない。
悲しくも俺は多少の結果は出せてしまった。
だから、奈々の気持ちに同調することはできない。
言葉だけなら言えるだろう。でも、こんなに悩んでいる人相手に、簡単な同調で返すのは失礼な気がした。
「三人の姿を見てみなよ」
「えっ?」
「刹那はさ、昔は俺がいないと怖がりだったんだ。奏たちともぎこちない雰囲気があった。それが今はああやって楽しく喋ってる。奏たちも両親が不在で寂しい気持ちがあるだろうに、俺の前ではそんなそぶりは見せない。きっとさ、学業っていうやらなくちゃいけないことが目の前にあって、まだまだ夢を追いかけられる年頃だからなんだと思う」
「でも、私たちはもう大人。いつまでも夢は見てられない」
「そうかな?」
「そうでしょ。だって、同級生は大学か社会で頑張ってる。なのに私は……」
「子どもの役に立つってのは、何も側にいるだけじゃないと思うんだ」
「じゃあ、何をすればいいの?」
「子どもが見る物、触れる物、行く場所。そういった子どもたちの体験をより良いものにするのも、子どもの役に立つことなんじゃないかな」
なんでこうもいろいろ話せたのか俺にもわからない。
一つは奈々をこのまま帰していい思えなかったからだ。
たぶん、奈々は俺を同じだと思っている。
本人は言わないだろうが、社会の常識からずれてしまった者同士だからこそ、自分の本来は打ち明けたくないところを話してくれたんだろう。
芳香さんと話をした時、まだ状況は変わっていないのに少しだけ楽になった気がした。人に話すということは合理性があるかと言われればないかもしれない。だって、何かを目指すならそこまでの道はおおよそすでに用意されているからだ。
でも、道があっても進めない。いろんな要因があって進めないんだ。
人と話してみる。それは、一歩を踏み出せなかった重い体を、そっと一押ししてくれるようなものだ。
俺に何が言えるかわからなかった。正直ここに来るまで何を話せばいいかと考えた。でも、考える必要はなかった。奈々のことを考え、奈々と真正面から向き合う。
それが常にベストではないが、少なくとも今回はそうしたほうがいいと思った。
「……まだ道はあるんだね」
「学生時代が人生のすべてを決めるわけじゃない。奈々は俺よりもがんばってたから、中々すぐに新しい道に切り替えるのは難しかもしれない。でも、何かを成し遂げる時、簡単なことのほうが少なかっただろ」
「そうね、生徒会長になる時も、なった後も、短大に入る時も、入った後も、簡単なことなんて何一つなかった」
「人生の大勝負に負けたわけじゃない。その道が自分にあるものかどうか、判断がつかず、結果的にあわなかっただけだ。自分に何ができるかを悩んだ時間の代わりに調べる時間に、そして考える時間に使ってみたら、何か見えるかもな」
すると、奈々は小さく笑った。
「ごめんね、別に優斗が変なことを言ったわけじゃないの。でも、優斗は優斗のままで安心したと思って」
「どういうことだ?」
「私たち、三年間同じクラスだったでしょ。私、あなたのこと見てたの」
「えっ?」
「いつも風来坊のように余裕があって、でもやる時はしっかりやる。そんなあなたを魅力的な人だと思ってた。偶然とは言え再会できてよかったって心の底から思う」
「何かあったらいつでも言ってくれ」
「じゃあ、連絡先教えてよ」
「ああ」
その時、奏がドリンクを飲んでいる最中にむせてしまった。
「おい、大丈夫か」
「ご、ごめん。大丈夫だから」
「ふむ、奏のライバル登場ですね」
「あ、やっぱりそんな感じだったんだ」
「俺はなにもわからないんだが」
湊と刹那は目を合わせ呆れたようにため息を吐き同時に言った。
「「やれやれ」」
その後、奈々はコンビニで会った時よりも表情が明るくなり、高校の時のようなハキハキした姿を少し取り戻していた。まだ何も解決してないが、少しでも手助けできたなら嬉しい。
俺も、道を見ないといけない。
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