第9話 雨の降る帰り道 2

 学校の校門前に到着した。正面玄関の前で空を見上げる湊の姿が見えた。


「湊、迎えに来たぞ」

「奇遇ですね。そろそろ連絡しようかと思ってたいところです」

「いや、連絡先知らないだろ」

「そういえば連絡先変わったのですね。盲点でした」


 奏とはこの前の一件で連絡先を交換していたが、湊とはまだだった。


「連絡先交換しとこうか」

「ほう、女子高生の連絡先をこんなにあっさりと得ようとするとは、ナンパの才能はないですね」

「ナンパする予定なんてないっての。またこういうことあるかもしれないだろ」

「そうですね。名案です」


 連絡先を交換し終えると、湊は不思議そうに俺のほうを見て言った。


「迎えに来てくれたのはありがたいですけど、なぜ傘が一本なんですか?」

「えっ……? あっ! 急いでたから完全に忘れてた」

「天然アピールですか。高得点ですよ」

「天然じゃないって。でも、忘れてたのは確かだよ」

「いいじゃないですか別に。二人で入れば問題ありません」

「悪いな、少し窮屈だけど我慢してくれよ」


 相合傘は家族としかしたことがない。

 刹那も時折傘を忘れるから俺が何度か迎えに行ったことがある。もう何年も前のことだ。それに、幼いころは母さんや父さんともした。他人とするのは湊が初めてだった。


 湊が濡れないように傘を持っていると、じーっと湊がこっちを見ていた。


「こっち見てたらこけるぞ」

「なぜ、優斗は肩を濡らしているのですか?」

「いや、さすがに二人が濡れないってのは難しいだろ」

「二人とも濡れる。私だけが濡れる。優斗だけが濡れる。この選択肢の中でなぜ優斗だけが濡れるを選択したのか気になるのです」

「真冬の外で数時間待機しても俺は風邪ひかないからな」


 なぜか湊は少し不機嫌になったような表情をし、急に傘の外へと飛び出した。

 前に立って俺のほうをまたジーっと見ている。


「これで二人とも濡れましたね。どうします? これじゃあ優斗の選択は意味がなくなりましたね」


 一体何がしたのかさっぱりわからない。

 いつだって湊の行動は唐突だ。買い物に行って気づけばいなくなるし、料理の手伝いを頼んだのにまったく違うものを作り始める。豆腐を切ってくれと頼んだのにこんにゃくを切って謎の作品を作ったこともある。


 俺は湊の近くに寄って傘を持たせ、ジャケットを脱いで湊の肩にかけた。

 

「服が透けるぞ」

「あっ……」


 湊は普段見せない表情を見せ慌てて体を隠した。

 少し意外な反応だった。湊はいつだって表情が少ない。感情に乏しいわけでもないんだ。でも、奏と比べると、同年代の女子に比べると表情から感情を理解するのが難しい。

 

 でも、今見せた表情は明確に恥じらいだ。


「俺が傘と鞄持つから、湊はしっかり体を隠しとけよ。この時間は人通りが少ないけど誰が通るかわからないし」

「……そうします。それと、腕を貸してもらっていいですか」


 鞄の紐を右の肩にかけ、右手で傘持ち、左手を自由にすると湊はだきつくようにして俺の腕につかまった。


「これなら安心です」

「俺の腕がびちょびちょになるんだがそれは」

「腕の一本や二本我慢してください。人間には二百十五本の骨があるんですから」

「それは折れた時のセリフな。まぁいいや、これ以上濡れたくないししっかりくっついとけよ」

「ええ、離せと言われても離しません」


 刹那と一緒に帰った時のことを思い出した。

 あの日もこうやってくっついて帰ったんだ。まだ小学一年生の刹那は俺の側を離れようとしなかった。濡れた服が俺の服にぴったりとくっつき、じわじわと湿っていくのを感じ、次第とわずかに肌の温もりさえも感じた。


「はぁ……。ノスタルジーを感じる歳になったんだなぁ」

「どうしたのですか急に。前世の記憶でも蘇りましたか」

「そこまで昔のことを思いだしてるわけじゃねぇよ。ただ、こうやって歩くのも久しぶりだなって」

「では、私は優斗の久しぶりを奪ったってことですね」

「その言い方やめろよ」

「事実です」


 俺からは湊の顔がよく見えないが、なんとなく、本当になんとなくだけど、声色から湊の機嫌がよくなったような気もする。自慢ではないけど、たぶん奏や刹那の次に湊の表情や声色で感情を理解できるのは俺くらいだろう。


「今日の夕ご飯はなんですか? 私はシチューとパンがいいです」

「奏が米を炊いてくれてるからそれはまた今度な」

「シチューライス……。いや、そうですね。ほかのにしましょう」

「家にあるもので何が作れるかなぁ」

「温かいものがいいです」

「そうだな。美味しいスープを作ってやるよ」

「それはいいですね。高得点ですよ」

「点数稼ぐと何かもらえるのか?」


 何気ない問いかけだ。

 日常の会話の一つにすぎない。

 だが、湊は急に黙って考え始めた。


「お、おい。そんなに深く考えなくてもいいんだぞ」

「いえ、御褒美は上げるべきです。……では、私に奉仕する権利でどうでしょう」

「飯作って迎えに来るだけじゃ足りませんかお嬢様?」

「まだ足りぬ。尽くし尽くしてあの世まで」

「尾上菊五郎の辞世の句を引用すんな。てか、どこで知ったんだよ」

「何気に博識なのですよ私は。優斗もよくわかりましたね」

「俺も博識ってやつなのかもな」

「ライバル登場ですか。これはうかうかしていられませんね」


 雨音とどこか淡白で、それでも機嫌のいい湊の声は、心を落ち着かせてくれる。考えてばかりじゃ埒が明かない。こうやって他愛もない会話する時間もまた大事な時間なのだろう。



 

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