第5話 妹の気持ち
帰宅するとすでに二人とも帰ってきていた。
「ただいまー」
元気よくリビングから奏が出てきた。
「おかえり! 今日はサプライズなゲストがいるよ」
「サプライズ? 俺の知ってる人ってことだよな」
「もちろん。ゆーくんがよく知ってる人だよ」
正直誰かなど検討はつかない。
奏に手を引っ張られリビングに入ると、ソファには黒髪ボブの奏たちと同じ制服を着た女の子が座っていた。
「えっ、もしかして」
「久しぶり、お兄ちゃん」
それは妹の刹那だった。
俺が引っ越す前は髪は長かったがバッサリ切ったらしい。
俺は少し刹那が苦手だ。中学に入って少ししてから俺への対応が非常に冷たくなった。あまり波を立てないよう離さないようにしていたが、刹那は小言でもいちゃもんをつけてくる。思春期というやつだろう。
「お、おう。久しぶり」
「ねぇねぇ? 驚いたでしょ!」
「蛇に睨まれた蛙の気持ちが分かった気がする」
刹那は俺の発言を聞き、まさしく蛇のように睨んできた。
「はぁ? 私が蛇ってこと?」
「あ、いや……」
すると、刹那は次に驚きの発言をした。
「私、今日泊まるから」
「え、母さんは許可したのかよ」
「許可しなかったらこないでしょ。そんなこともわからないの? 本当に写真を撮ることしか能がないんだから」
「あ、はい。すんません」
なぜこうもつんけんしているのか。俺にはさっぱりわからない。小学生のころまでは甘えてきて、結構仲良くしてたつもりだった。いや、それは俺がそう思っていただけで、刹那は嫌だった可能性もあるのか。
「ちょっとまてよ。部屋はどうするんだ」
「心配いらないよ。ゆーくんの部屋に布団持って行ってるから。久しぶりに兄妹揃ったんだしつもる話もあるでしょ」
「あ、そ、そうか」
心優しい奏の親切がいまは悲しいよ。
刹那は今、湊とゲームをしている。
しばらくは俺に何かしらの矛先が向かってくることはないだろう。
俺は椅子に座りお茶を飲みながら刹那と湊がゲームをしている姿を眺めた。すると、隣に奏が座って来た。
「せっちゃんっていい子だよね。なんでも器用にできるしさ」
「そうなのか?」
「知らないの? 料理も上手なんだよ。前にせっちゃんのお家でクリスマスケーキを作ったんだけど、すっごく可愛かったんだよ」
奏はスマホを開いて俺にその時の写真をいくつも見せてくれた。
そこには調理中で真剣な眼差しの刹那の姿や、上手くホイップクリームで飾り付け出来て喜んでいる刹那の姿があった。
こんな姿はしばらく見ていない。新鮮な気持ちになる。
俺らの話が耳には入ったのか、刹那は慌ててこっちにやってきて俺からスマホを取り上げる奏に言った。
「見せないでよっ」
「可愛いからつい見せたくなっちゃって」
「お兄ちゃんにはだめ!」
「えー、まだまだいい写真いっぱいあったのになぁ。ごめんね、ゆーくん」
ちょっと見てみたい気もするが、一瞬垣間見えた本気の顔はおそらく嫌悪を表したものだろう。これ以上刹那をピリピリさせたら夜眠れなくなる。今はそっとしておこう。
夕方になると刹那はゲームをやめてキッチンのほうへと向かった。
「お兄ちゃん、やるよ」
「何をするんだ?」
「夕飯を作るんだよ。妹一人でやらせる気?」
「あ、はい。やります」
そんな俺らの姿を見て奏は笑っていた。
何か企んでいるような雰囲気もあるが、それが何なのかは俺にはわからない。
刹那は家からもってきた水色のエプロンを身に着け、冷蔵庫から野菜を取り出し始めた。
「簡単なものにするから」
「もしかしてポトフか? でも、コンソメはないぞ」
「……なら和風にする。だしがあるでしょ」
「和風ポトフか。よし、じゃあ手分けして野菜を切るか」
ウインナーはそのまま、キャベツや大根、余っていた椎茸を切り始めた。
ポトフだからそんなに時間はかからないが、どうもこの沈黙の時間がつらい。
何かを話そうと思っても、それがまた刹那の神経を逆なでしたらどうしようと考えると言葉にできない。
それでも、俺は意を決して話しかけてみた。
「家でも料理を作るのか?」
「うん」
「母さんと一緒に?」
「一人でもやる」
「そっか」
……会話が終わってしまった。
あれ、俺ってこんなに話すの下手だったのか?
急にコミュ障になってしまった感じがする。
「写真、撮ってるの?」
「え? あ、ああ。撮ってるよ。と言っても今は手伝いしてるだけでカメラマンとしての仕事は少ないけどな」
「そう」
え、それだけ?
なんかこう、頑張ってるんだねとかなしか?
いや、でも刹那から聞いてきたってことは少なからず興味があるってことだ。ここから会話を広げてみよう。
「カメラに興味あるのか? わからないことがあったら少しなら教えられるけど」
「別にいい。てか、好きじゃない。むしろ嫌いだし」
「そ……そうなのか……」
はい、終わりました。
もう無理だ。これ以上なにもできない。
何の成果も得られなかった。
いや、むしろ後退した。進展したと思ったのは幻想で、それは砂漠にオアシスを見て走って無駄に体力を消費したのと同じ。状況は悪化したのだ。
和風ポトフは何の問題もなく出来た。正直刹那の手際の良さには驚きを隠せなかったが、それさえも何か良くない反応をされるのではないかと思い言えなかった。
食事の時には奏や湊がいろいろと話してくれたおかげで、刹那もそれにしっかり応答しごく普通に話していたが、この時ばかりは俺は何も話せなかった。こんなんで夜眠れるのだろうか……。
風呂から上がり髪を乾かし、二階の自室へと戻る途中、奏の部屋の扉が少しだけ開いていて三人が部屋にいるのが見えた。
「えー! 二人にしたのに!?」
「だ、だって……」
「デレ要素がなければただの面倒くさい人ですよ」
「わ、わかってるけど!」
何やら盛り上がっているようだ。
俺に対しては冷たいが、奏たちとはちゃんと話せているから日常生活は心配ないだろう。でも、どうしてこうも冷たくされるようになったのか。いまだに俺にはわからない。
部屋に戻りパソコンでほかの人の写真を眺めて小一時間、刹那が部屋へとやってきた。
「そろそろ私寝たいんだけど」
三人で話していた時とは全く違う冷たい声色で言った。
こんな風に言われてしまうと素直に従わずにいられない。
「わかった。すぐにパソコンを切るよ」
俺がパソコンを閉じている最中、ドスンと音が聞こえた。ガサガサと音がし振り返ってみてみると、刹那はベッドですでに毛布にくるまっていた。
「え、ベッドで寝るのか?」
「悪い?」
「いや、いいんだけど。俺が寝てるベッドでいいのか」
「別に。気にしないし」
こういうのって普通は一緒に洗濯しないでとか、私のコップ使わないで的なやつで、俺が使っているものに対して嫌悪を表すイメージがあったが、案外そうでもないのか?
電気を消して俺は床に敷かれている布団に横になった。
マットはないためクッション性は低いがそれでも寝るには全く困らない。
困るとすればこの静かな時間が耐えがないということだ。
「……お兄ちゃん」
少しか細い刹那の声。
こんな声は今日初めて聞いた。
「起きてる?」
「起きてるよ」
「……」
いや、何もないんかい。
なんか思い悩んだみたいな声してるから心配になってしまった。
……というか俺も懲りないというか、あれだけ冷たくされているのにまだ心配する気持ちは残っている。自分でも不思議なものだ。ここまで冷たくされればこっちから無視したりしてもいいものだろう。
たぶん、これは昔から刹那はどこか危なっかしい一面を見ているからかもしれない。
母さんの天然属性はどちらかと言えば刹那に遺伝している。
砂糖と塩を間違えたり、髭と髪という漢字を間違えたり、予定が一日ずれていたり、そんなのを見ていれば心配にもなる。
だが、どこかで完璧主義的な一面も持っている。
結構へこみやすいタイプでもあるのだ。
「……ごめん」
「急にどうした」
「岳さんに言われた」
「何をだ。あの人のことだからどうせくだらないことだろ。気にしなくても」
「素直になれないと後悔するぞって。それを聞いてね、私このままじゃダメだって思ったの」
「ダメって何がだ?」
「お兄ちゃんに冷たくしてたこと」
刹那は話してくれた。
今まで俺に対して意図的に冷たくしていた理由を。
それは、俺が一眼レフをプレゼントしてもらった時のことだ。もらうまでは写真を撮るのは好きだったが、人並み以上すごく熱心だったという訳じゃない。
でも、カメラをもらってからは独自で調べカメラに使う時間もかなり増えた。刹那は、俺がどんどん自分から離れていくのが嫌だったようだ。
「好きだから離れていくのが辛くなる。だから、嫌いになればいいのかなって。冷たくすればお兄ちゃんも私のこと嫌いになって気にしなくてすむかなって。でも、お兄ちゃんは話そうとしてくれる。なんでそんなに優しいの?」
「そりゃあ、大切な妹だからだろ。カメラを好きになったきっかけの一つには、刹那の頑張っている姿を撮れるって思ったからだし」
「そうだったんだ……」
「俺はてっきり刹那の逆鱗に触れて嫌われたと思ってたよ」
「お兄ちゃんはなにも悪いことしてないよ! 私が……」
声がはっきりと聞こえたのは刹那がベッドから顔を覗かせ、俺の方向を向いていたからだろう。だが、声が途切れたと思った瞬間、俺の体の上に何かが乗っかった。
「うおっ!」
思わず変な声が漏れてしまった。
まだ暗闇に目がなれてないか、目の前には何か黒いものが見えた。しかし、次の瞬間それが何かはすぐにわかった。
「ご、ごめん。落ちちゃった」
刹那は顔あげて恥ずかしそうにしてる。
「昔は俺のベッドに潜り込んでくることもあったよ」
「それ、ちっちゃい頃でしょ!」
「高学年までやってたじゃないか」
「や、やってないこともないけど……」
久しぶりに思い出した。
刹那はいつもいろんな表情を見せてくれてた。黙ってるとクールっぽく見えるんだけど、案外饒舌で、母親譲りの天然で、恥ずかしがったり嬉しそうにしてる姿が好きだった。
「身長も伸びて大きくなったな」
「……うん。お兄ちゃんも前より大人っぽくなったね」
こうして、俺と刹那の冷戦状態はなくなり、以前のように話すことができるようになった。ただ、それはそれで困ったことがある。
次の日の朝。
「ほら、お兄ちゃんは味噌汁作って。包丁は危ないよ」
「あ、はい」
「やけどしないように気を付けてよね」
無知な頃はただ甘えてくるだけだったが、知識をつけてからはそれが過保護に変化していた。
「せっちゃん、言えたみたいだね」
「これが神崎家の加護というものです。これで商売しましょう」
奏と湊はどうやら、刹那が正直になれなかったことを最初から知っていたらしい。
二人とも刹那のために機会を与えたなんて、いいところがあるじゃないか。
「なぁ、刹那」
「なに?」
「昨日のポトフ美味しかったぞ」
「……よかったぁ。今度また新しい料理してあげる!」
昔に戻った訳じゃない。
昔よりももっと、お互いを知れたような気がする。
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