ふわふわ

呂兎来 弥欷助(呂彪 弥欷助)

第1話

 どうして私は、大きなぬいぐるみを抱えて電車に乗っていたのだろう。


 呆然とした頭で鍵を開け、ひとり暮らしの家に入る。


 カバンをおろし、ガサゴソと透明なビニール袋から大きなぬいぐるみを出す。


 パイル地のふんわりとした水色のイルカ。

 黒いつぶらな瞳が、じっと私を見つめている。




「水族館が好きなの? じゃあ、今度一緒に行こうよ」


 憧れの人に誘われたら、断る理由なんてない。

 どうして誘ってくれたのか聞けないまま当日を迎え、水族館デートはドキドキしっぱなしであっという間に終わった。


 デートなんて、勝手な思い込み。

 ただ、憧れの人を一日中独り占めしたのだから、そう思い込んでも許される気がする。


 最後に立ち寄ったお土産コーナーで、大きなイルカのぬいぐるみが目についた。

 見ていたら『ほしいの?』と聞かれ、『この年で持って帰るのは恥ずかしい』と返した。


 けれど、

「好きなら恥ずかしいことなんてないよ」

 と、彼は買ってくれた。


 そんな彼が、ますます大好きになった。




 そして、夢心地のまま帰ってきた私は、大きなぬいぐるみをじっと見つめて、余韻に浸っている。


カズくん」


 ぬいぐるみって、名前をつけてもいいよね。──と、呼んでみた。


 憧れの彼の名前は『和哉カズヤ』。

 とても下の名前では呼べないけれど、心の中ではずっと『和くん』と呼んでいる。


 ほわんと彼の顔が浮かび、想像以上に照れる。

 ムリ。

 恥ずかしさに耐えられない。

 ガバッと顔を埋める。


 すると、ふわっとやさしい感触が伝わってきた。


「癒される……」

 

 ああ、いつか彼にこんな風に甘えられる日が来たら。


 わーっ!

 私ってば、なんて大胆なことを思ったんだろう。


 でも。

 帰り際、彼は『また来ようね』と言ってくれた。


 ぬいぐるみから顔を離し、無垢な丸い瞳を見る。


「和くん、私のこと……」

 どう思っているの?


 これは今度、必ず聞こう。

 それまでは、この『和くん』にたくさん代役を勤めてもらうんだ。

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