第10話
年末の居酒屋は個室だけど、うるさかった。
うるさいのはいつもなんだけど、近くで学生が騒いでいるのか、いつもよりうるさく感じた。
土曜日18時のチェーン店の居酒屋は、何回も来ているんだけど、今日はいつもと違った。
まぁ、はじめて父親とされる人と会うのだからあたりまえか。
「こっちは5分くらい前にお店に到着するよ」
「俺はもう、着いているよ」
母親と父親とで連絡をしあっていた。
もう、到着している、と聞いてから、緊張していなかったはずの心臓が、鼓動を早めた。
胸が何かに握られている感じと、それに負けないように脈を早くうち、血を押し出しているのがわかった。
冬なのに、汗ばんでいる自分に気がついた。
靴を脱がないタイプのチェーン店の居酒屋なので、お店に到着するなり、店員さんにまっすぐに案内された。
店に入ってから、心臓だけでなく、脳もたくさん使っている自分に気がついた。
今思えば、なんて呼ぶべきなんだろう、第一声はなんて言えば良いのだろう、そういうのは親たちに任せればいいのか、嫌な奴だったらどうしよう、怖そうな人だったらどうしよう、シーンとした時ように会話を準備してくるべきだったな…。
数分で、嫌、数十秒でまとまるはずがない自問を繰り返し、自答をする時間なんてなかった。
店員さんが立ち止まる。ノックをする。
まてまて、何も考えがまとまってないぞ。
ちょっと待ってくれ。
心臓が苦しい。
店員さんがドアを開ける。
開けるというよりは、横にドアを引いた。
開ける、引く、なんてどうでもいい。
「お連れ様が到着しました」
「はい。どうも」
「お待たせ」
「待ってないよ」
「久しぶりだね、広治」
はじめて父親を見た気がする。
実際には見たことがあるが、記憶に残っていないから、そういうことだ。
自分とは似ていないと思う。
笑ってはいるが、目つきは悪そうだ。
目が笑ってない気がする。
待てよ、悪そうな人って、じつは好い人だったりするんだぞ。
この人はそういう人なのかもしれない。
母親が好きになった人だ。
悪い人ではないだろう。
でも、おじいちゃん、おばあちゃんは嫌っているし、悪い人なのかもしれない。
いやいや、まずは自分の目で見て、話を聞いて、好い人か悪い人なのかは判断しよう。
年末の、学生がうるさい居酒屋の音声が書き消されている気がした。
「はじめまして、広治です」
これが、僕と父親とされている人の、記憶として残るようになってから、はじめて会った日で、はじめての会話だ。
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