5話 クール美女は嫉妬する


 翌朝。

 目が覚めてベッドの隣にあるカーテンを開くと、外は雨が降っていた。

 今は6月中旬で本来なら梅雨の季節だが、今年は梅雨は全然雨が降らなかったから、梅雨に入ってる実感が無かった。

 ジメっとした空気を肌に感じながら、俺は寝起きでしょぼついた目を擦った。


「昨日のあれは……夢だったり」


 ベッドの上に転がっていたスマホ手に取ると、通知欄に”ヤツ“からlimeが入っている事を知る。


『さえき:おはよう』


 ……どうやら、夢じゃ無かったらしい。


 昨日の夜、俺が送ったスタンプを最後に、会話が終わったと思っていたら、まさかのおはようlime。

 佐伯は何を目的にこんなlime送ってくるんだ?

 佐伯と仲良くなって自分の価値を高めたい陽キャ男子たちなら、飛んで喜ぶかもしれないが……誰からも干渉されず孤独に平穏な学園生活を望む俺にとってこの状況はまずい。


「かと言って既読スルーなんかしたら、佐伯の事言えないし……」


 既読スルーする佐伯の気持ちを、佐伯本人のlimeによって知るとは……皮肉なものだな。

 俺は『おはよう。今日雨だな?』と返信してから、顔を洗うために部屋を出た。

 佐伯のlimeに毎回オウム返しするのも悪いと思ったから、なんとなく天気の事を書いたのだが……。


 顔を洗ってから部屋に戻ると、先ほどのlimeに既読が付いており返信も来ていた。


『さえき:あなたの事だから傘を忘れそうね』


 お前は俺の何を知ってんだ。

 こんな雨降ってんのに、傘を忘れるわけ無いだろ。

 俺が『忘れねーよ』と送ったら、すぐに既読が付いて、急にそこで会話が終わった。

 やべ、佐伯の機嫌を損ねたか……?


「……い、いやいや。なんであいつの機嫌を伺ってんだ。やっと佐伯の方から既読スルーしてくれたんだから、もう気にしなくていいだろ」


 どうしても、佐伯は上の立場の存在という認識がある。

 普段はクラス内カーストとかどうでもいいし、気にしないが……佐伯雪音とまでなると、話は別だ。


 玉里に相談して、それとなく俺が困っているのを佐伯に伝えてもらうか?

 ……いや、バカな玉里にはそんな立ち回り無理だろう。


 俺はあれやこれやと考えながら朝支度を済ませ、傘を片手に家を出た。

 天気は雨だし、佐伯の件も相まってかなりナーバスな気持ちになっていた。


 バス通学をしている俺は、駅前からバスに乗るため、地下道を通って駅のロータリーへ向かう。


 高校方面のバス停まで来ると、俺以外にも何人かバスを待つ生徒がいた。

 俺は最後尾に並んで、肩に下げたスクールバッグから文庫本を取り出す。


 こうやって本を読んでいる時間だけは、全てを忘れられる。

 俺はそのままバスが来るまで立ちながら本を読み、バスに乗り込んでからも、バス後方にある二人掛けの席の窓側に座って本を読んでいた。


「隣……いい?」


 俺が本に意識が行っていると、急に真横から声をかけられる。

 俺は本から隣に視線を移す。

 ポニーテールにこの大きな瞳……。


 声の主は町張向日葵だった。

 なぜ俺の隣なのかと思い、周りを見渡したが、俺の隣しか席は空いていなかった。


「……別に、構わない」


 俺がそう言うと、町張は「ありがと」と言って隣に座った。

 そういえば町張もバス通学だったか。


 町張とは昨日の一件で、若干気まずい雰囲気が漂っていたが、俺は本を読む事で全てを忘れようとした。

 しかし、俺が本を読んでいると、町張が隣から俺の肩を軽く突いて来た。


「大狼……昨日の事、怒ってる?」


 町張はストレートにその事を聞いて来た。


「別に、怒ってない」

「……本当に?」

「あれは全部ノートをとってなかった俺が悪かったんだ。そんな奴に助け舟を出す必要は無いだろうし、委員長のお前は正しい」

「……ふふっ」


 町張は小さく鼻で笑って、俺の方を横目で見て来る。

 なんだ? 珍しく俺が長々と喋ったから馬鹿にしてんのか?


「笑うなよ」

「ごめんごめん。大狼ってもっとヤンキーみたいな感じだと思ってたから」

「や、ヤンキー?」

「だっていつもムスッとしてるし、道藤さん以外とは話さないでしょ? それに男子の友だちはいないみたいだし、授業中は窓の方ばっか見てるから」


 玉里だって、あっちから話しかけて来るだけで、俺は鬱陶しく思っているんだが。


「でも昨日、わたしに道藤さんのノート貸してって頼み込む様子見てたら、ちょっと違うのかなって。本当はどうなのか、委員長として調査する必要があるかなって」

「……なんだよそれ。俺を珍獣か何かだと思ってんのか?」

「うん」

「思ってんのかよ」


 俺がツッコむと、町張はさっきより笑っていた。


「ま、今後も優しくするつもりは無いから。またあんな事したら、今度はわたしからも怒るし」

「ああ。……もう本読んでいいか?」

「どうぞ。途中で話しかけてごめんね」


 町張は俺の方を意外に思ったようだが、俺も町張を意外に思った。

 普段から委員長としてお堅いオーラ出していたが、意外とフランクに話す事も出来るんだな。


 ✳︎✳︎


 高校前のバス停で降り、俺は読んでいた本をバッグに仕舞うと、校門の方へ歩き出した。


 クラスメイトだからって一緒に教室まで行く義理は無いので、町張には先に高校へ行って貰いたかったのだが……町張は、バス停から高校への道も俺の隣を歩いていた。

 あまり関わらないで欲しいのだが……。


「そういえば道藤さんは?」

「あいつは寝坊するから、いつもチャイムギリギリのバスだ」

「ギリギリって……幼馴染なんだから起こしてあげるものじゃないの?」

「しないだろ。漫画じゃあるまいし」


 俺たちが話しながら校門の前まで来た時、周りの視線がまた一点に集中していた。

 この感じ、まさか——。


 俺は恐る恐るその視線の方向に目をやる。


 傘で顔が隠れていても誰だか分かるそのプロポーションと、揺れる長い髪。

 そこには登校中の佐伯雪音が……いた。


 俺が目を向けた瞬間、佐伯はlimeの既読並みの速さで俺に反応し、俺の方を一瞬見ると、そのまま登校して行った。


 生ぬるかった外の空気が一瞬で凍りつき、その冷ややかな視線が俺の背筋も凍らせる。


 なんだよ、今の……。


「大狼? どうしたの急に足止めて?」

「……な、なんでも無い」


 ビビりすぎだ俺。

 limeでは会話を交わしているが、佐伯はもう俺と話す理由も無いし今後関わる事もない。

 そのうち佐伯の方も飽きてきて、limeも来なくなるだろうし、気にする必要もないだろ。


 そう思った矢先、俺のスマホに通知が入る。

 ……嫌な予感がして、スマホを開くと案の定佐伯からだった。


『さえき:あなたって道藤さんだけじゃなく町張さんとも仲がいいのね……女性ばかり。失望したわ』


 し、失望した? ……って事はつまり、佐伯はもうlimeを送って来ない……?


 よ、よく分からないが、町張のおかげで佐伯から解放されたのか?

 そもそも俺なんかに何を期待していたのか分からないし、佐伯の言動と行動には謎が多いが、佐伯から解放されたと思うと、肩に乗っかっていた荷が降りた感じがした。


 俺はスマホを閉じて町張に「先に行く」と言うと、心の中で笑いながら教室に来る。

 もう佐伯からlimeが来る事は無い。


 ホッとしながら、読みかけの本をバッグから出した時、またしてもスマホに通知が入り、俺は確認を……っ。


『さえき: 既読スルーしてないで、さっさと弁解したらどうかしら』


 め、面倒くせえ……。


 俺は既読スルーしたい気持ちでいっぱいだった。



―――――――――――――

【あとがき】

1章完結。次回から波乱の文化祭編へ。

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