手札が尽きるまで
紫鳥コウ
手札が尽きるまで
1.
《これ、刷るまえに気づかなかったの?》
《金返せよ。こんなん永久に赦されないの確定してるだろ》
批判コメントが、次から次に見つかる。
八万円で手に入れたものが、URLをクリックして全文を読みおえたときに、紙切れに変わっていた。
怒りの行き場を探し当てたクレーマーに頭を下げて、店長の几帳面さのために頭を下げて、先輩のプライドの高さに頭を下げて……耐えに耐えてきた日々を乗り越えた先に、あのカードが4枚、ぼくのデッキに組み込まれたときの感動は、忘れられない。
しかし、次の休日になる前に禁止カードに指定されてしまった。
批判をしたい気持ちも分かる。ぼくもしたい。だけど、ぼくたちって、運営元にあれこれ振り回されたところで、このカードゲームを止められないだろ?
《もう引退するわ》
それ、この前も言ってただろ。
でも、次に会ったときには、ノーベル賞級の発見をしたといわんばかりの得意面をして、「まっ、とにかく対戦しようぜ」と言ったかと思えば、華麗なるコンボを決めて圧倒して、デッキレシピを見せびらかしてきたじゃん。
引退宣言をした次の日から、デッキの構築を考えていないと発明できないだろ、あんなの。
この4枚のカード。1枚で二万円前後するのに、デッキに4枚入れないと「話にならない」カード。いつか「禁止」が「枚数制限」に変わるかもしれない。だけどそのときに、ぼくはこのカードゲームをしているのだろうか。
カードゲームを引退する理由として、「忙しくなった」というものは多い。もし、時間に余裕ができるようになったら復帰しようと心に決めて、去っていく。去ったまま、二度と帰ってこないやつも、たくさんいる。
2.
サンタクロース側で参加した聖夜を終えて、自転車を押しながら家に帰ると、入れ違いに父さんが仕事に行くところだった。
「死ぬなよ……」
ぼそっと父さんは言った。
着替えもせずに、こたつにもぐりこんでいると、ミキが毛布をかけてくれた。
「さんきゅ」
電気が消えたところで、「そうだ」という声が聞こえた。
「ゆゆかちゃん、引っ越すんだって」
「永井ゆゆか……さんのこと?」
ゆゆか、――どういう漢字だっか思いだせない。
「うん」
「そう……まあ、いまはとにかく寝させてくれ。夕方からまた出勤だから」
もう話しかけないでほしいということを伝えたくて、毛布を頭からかぶった。
「おやすみなさい」と言って、障子を静かに閉めたミキだったが、しばらく、廊下でなにかを考えているようだった。
「ゆゆかちゃん、専門学校に行くんだって」
「そう……」
「そうなの」
ミキは、ため息をひとつついて、音を立てて階段を上がっていった。
だれもいない一階の静けさを背中に感じながら、「転職したい」と呟いてみた。
高校生のときにバイトをしていたから、勝手が分かっているぶん、一生続けていけるだろうと思っていたけれど、そんなことはなかった。
不規則な生活のせいで、身体が悲鳴を上げている。イベント事があるたびに「オリジナル商品」を売るノルマが決められて、それを達成しようと奔走しているうちに、知り合いがほとんどいなくなった。知人に買ってもらうよりほかに、選択肢がなかったからだ。
永井は――ゆゆかは、高校を卒業する歳になったんだな。もう親しい間柄でもないし、なにもお祝いをする必要はないだろう。
いま思うと恥ずかしいけれど、高校生のときのぼくは、相手の気持ちを考えようともしなければ、自分の周りの人たちに「位階」のようなものを勝手に付けていた。
そんなんだから、八万円から紙切れになった、もう対戦で使える見込みのないチートカード4枚をゆゆかに押し付けて、プレゼントという名のもとに処分をしたのだ。
しかもそれを、「小学校の卒業の祝いに、こんな意外性のあるプレゼントができる自分のオリジナリティ」というように調理して、自分自身にうっとりと酔っぱらっていた。
ゆゆかは、ミキと毎日のように遊ぶほどの仲だったから、自然と家族間でも意識しあうようになり、いつの間にか「他人とは言えない子」になっていた。だから、小学校の卒業も、ミキと一緒に祝ってやろうということになった。
あの4枚のカードは、もうとっくに、焼却炉で燃え尽きてしまったんじゃないか。
3.
朗らかな朝だった。こういう朝は、ぼく自身も朝の一員になれたような気がする。
「行ってきますね」
「行ってらっしゃいな」
こんな会話ができるようになったのは、朝に家を出て夕方に帰ってくる生活になったからだ。実家から離れて、親戚の家に厄介になっているからだ。
なんで、この仕事が自分に向いているのかは分からない。もちろん、分かっていたとしたら、就活のときに選択肢に入っていたはずだ。
泣きやむことのない人や、すっきりとした顔をする人や、なにかに怯えているような人や……様々な人々を見てきた。いろんな家族の形と、死がもたらす繊細な作用を知った。
就職してから四年が経ち、仕事をするにあたり「ステータス」となる資格を取ることができた。高校卒業までに車の免許を取っていたことも、働くうえで有利になった。貯金通帳が、ある種の「印籠」になる日も近かった。
「妹が結婚したのだから、次はお前だぞ」という圧をかけられているのを自覚しているけれど、収入が安定しているいま、高校生のときに引退したカードゲームに「復帰」してしまうのは、当然だろう。
前職と違って、定期的に休日があるし。隣県まで車を飛ばして、カードショップに入り浸ることができる。
でも、おじさんやおばさんには、この「復帰」を隠し通している。
「いい年をして子供たちに交じって遊ぶなんて」という叱責を受けたくないのだ。
しかし、この趣味のことを「恥ずかしい」と考えてしまうのは、なぜなのだろう。
禁止カードを4枚、卒業祝いだといって渡したあのイタい経験が、関係しているのかもしれない。
あのカードを受け取ったゆゆかは、一体、どんな表情をしていただろうか。どうしても思い出せない。
4.
半年に一度、新しいシリーズが始まり、新しいカードが刷られていく。競技人口の多い、世界的に
ぼく自身、「復帰」をした当初は、いわゆる浦島太郎状態だった。
一カ月後に発売が予定されているシリーズの全貌が、だんだんと明らかになっていくにつれて、いままでにない違和感を覚えるようになった。
一枚のカードの絵柄が、いままでのこのゲームの歴史に、微妙にそぐわないタッチのような気がするのだ。
一体、だれが描いたのだろう――調べてみると、いままでこのカードゲームに携わったことのないイラストレーターだった。SNSのアカウントがないかを調べてみる。
だが、こんな時代だ。もちろん、あった。このペンネームが、なんという読み方をするのかは、分からない。
《この度、長年の夢だったトレーディングカードゲームのイラストを一枚、担当させていただきました!》
――という投稿の下に、自身の投稿が連ねられてあった。
《むかし、好きだったひとから、小学生のときにカードを貰って、そこから、「こんな絵を描きたいな!」と思ったのが、わたしがイラストレーターになったきっかけだったので、嬉しくてたまりません!》
この一文を見たとき、制服の胸に花形のリボンをピン止めにしたゆゆかが、ディスプレイに一瞬間だけ映じた気がした。
このイラストレーターがゆゆかであることを確かめようと、過去十年近くある投稿をつぶさに見ていく。疑惑ではなく、確証がほしい。スクロールを重ねていくと、このイラストレーターの歴史が紐解かれていった。…………
目覚ましの音が、ぼくの執念をとがめて、窓の向こうで蝉が鳴く夏へと、ぼくを連れ戻した。
寝不足だということを忘れさせるくらいの、いままでに経験したことのない、妙な興奮めいたものを感じていた。
5.
仕事から帰ってすぐに電話をかけると、ミキはさも当然のように、ゆゆかが絵の仕事をしているということを伝えてきた。それは、ミキの生活の上で、特別な興奮を与えるものではないらしかった。もうすっかり没交渉になった相手なだけに、なおさら興味は薄れているようだった。
あれから何度もゆゆかの投稿を眺めたり、つぶさに文章を読み返したりしている。
そして、《好きだったひと》という言葉に、どこか寂しさを覚える。
きっと、ゆゆかの中でも、あのころの想い出は美化されていることだろうし、ぼくもまた、ゆゆかの姿やふるまいに、ときめきやとまどいを感じていたかのように、記憶を修正しているのかもしれない。
でも、あのとき、ひっそりとゆゆかを気にかけていた自分がいたことを、いまになって見出してしまうのは、もう一度なにか特別な感情を抱いてしまったからなのかもしれない。
その感情を抑えるには、――満たすには、ゆゆかが描いたカードを4枚集めるしかないのではないか?
6.
しかし秋になると、ぼくを取り巻く環境は、大きく変わった。
大量の金が入用になったのだ。
何度も実家に帰って、病院に顔を出したり、ミキとこれからのことを話し合ったりしなければならなかった。
両親ふたりのための医療費の捻出と、交通事故の後始末に奔走されることが、実生活の苦痛となっていた。
今後の将来に対する見解の違いで、だんだんと、ぼくたちの仲は険悪になっていった。
親戚の多くは、この問題に積極的に介入しようとはしなかった。ただ、みじめなぼくをいたわってやりたいという気持ちを、どこにも隠そうとしないだけだった。その人の良さが、かえってぼくを苦しめることもあった。
こうした実生活上の困難の連続は、ゆゆかに対して抱きはじめていた特別な感情に、くっきりと輪郭を与えてしまった。
鍵付きの「裏垢」を作ってゆゆかの投稿を眺めたり、ゆゆかが時折開いている作業配信をじっくり見入ったりするのが、ぼくの、ほとんど唯一の楽しみになっていた。
7.
息つく間もなく忙殺されたこの一年で、ぼくの通帳は誇るべき価値を失ってしまっていた。親戚に月々払っている部屋代などの支払いにも難儀するようになっていた。
ぼくが金銭的な不安に苛まれるなかで、ゆゆかが担当したカードの値段は跳ね上がっていった。
カードの値上がりの原因は、なによりもデッキに採用されている「率」で決まる。
大会で使用されて結果を残したデッキのレシピは、多くのプレイヤーに参照されるので、ある特定のカードが偏って値上がりしてしまう。受容に対して供給がつり合わないのだ。
「カードの売り買いは株みたいなものだ」と、いまはもう連絡の取れない友人がいっていたくらいだ。
そして、ゆゆかのイラストが輝かしいあのカードは、プレイヤーにとって、三度の食事のように必要なものになっていた。
再び金銭に余裕ができてからでも、いいじゃないか。そのうちに、カードの価値が下がるかもしれないじゃないか。
そうは思いながらも、いますぐにでも手に入れなければならないという気持ちが強くなる一方だった。
だいいち、価値が下がることなんてないだろう。
ゆゆかの知名度がどんどん上がり、評価がさらに高まるにつれて、ゆゆかのファンがあのカードを手に入れようと必死になるのは目に見えている。
8.
生まれてからずっと過ごしてきた家は、両親が留守になっているあいだ、定期的に掃除をしているミキの痕跡を至る所に見せている。
高校の卒業文集、大学の卒論題目一覧、憎くてしかたがなかった職場のひとたちへの呪詛を書き連ねたノート、……それらを押し入れから引っ張り出して、机の上に並べた。
そこに載っている名前を、ひとりひとり点検してく。
心の優しい持ち主はだれだったか、家が裕福なのはだれだったか……だれだったら金を貸してくれるのか?
そうしているうちにも、ゆゆかのことが、頭から離れなくなっていく。
最後に見た、むかしのゆゆかの姿。まだ見たことのない、いまのゆゆかの姿。
ぼくはいま、困窮していく実生活をなんとかするためではなく、ゆゆかに対しての内なる欲求を充足させるためだけに、土下座をするつもりでいる。…………
手札が尽きるまで 紫鳥コウ @Smilitary
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