雨が降った日

酒と食

第1話 ある一日

 みなとは思わずため息をついた。先ほど帰った女性客。湊の手元には小さなテディベアが置かれていた。


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「湊君。今度彼女を連れてこようと思うんだ…」


 カウンターでバーボンをロックで飲みつつそんなことを言ってきたのは常連の高橋さん。確か奥様を亡くされて数年が経つと伺ったことがある。


「ちょっと年下だけど素敵な女性なんだよね…」


 そう言う高橋さんはとても嬉しそうだった。


「すごい…、素敵なバーですね…」


 後日、高橋さんと来店されたのは優しい空気を纏う可愛らしい女性だった。


「私…、こういうお店って初めて来ました…。どういったお酒をお願いしたら…?」


 宮部さんというその女性。それほどお酒に強い訳ではないと言っていたがバーの雰囲気を気に入ってくれたようで、その後、高橋さんと一緒に…、また時には一人でも来店してくれたりもした。


 そんな彼女が今日は開店直後に来店した。


「湊さん。こんなお願いをして申し訳ないのですが…。このテディベアをあの人に渡して頂けますか?私、約束の二時間前に来たんです」


 事情は聞かなくても大体想像がついた。


「それは構いませんが、よろしいのですか…?」


「はい。私…、故郷に帰ろうと思います」


「一杯召し上がっていかれますか?」


 湊の提案に彼女は頷きジャックローズを注文した。カルヴァドスを使いグレナデンシロップの鮮やかな赤が映えるカクテルであり高橋さんが初めて彼女のためにオーダーしたカクテルだ。


「美味しい…。あの人と一緒にこのテディベアを買った日も…、ここでカクテルを頂いたんですよね…。このお店で頂いた美味しいお酒は忘れません。楽しい思い出も…」


 そう言い残して彼女は店を後にした。


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「湊君?」


 来店された高橋さんにテディベアを渡す。


「………だめだったか…」


 高橋さんの声が沈む。


「湊君…。何か美味しいカクテルをお願いできるかな?」


「畏まりました…」


 こんな日もある。外は冷たい雨が降っていた。

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