第38話 メロップちゃんと古城
難航していた文献探しは術式によって飛躍的な効率化が図られた。
教会の禁書庫より見つかった本は三冊。そのどれもが同じ位置を指し示しているとなれば、最早そこに行く以外に道は無い。
エルドを肩に抱え、深々と黙礼する最大主教にこちらも頭を下げて、教会を後にする。教会はこちらと事を構える気は無いということだろう。
「……しかし、まさか湖の底とは。この大陸にはまだまだ未知が溢れているな」
「湖の底となると、さすがにワルカ達はついてこられねーかな」
「水の中にも火の精霊はいますから、心配要らないでしょう。それよりアレス、そちらの二人に変わった様子はありませんでしたか?」
「なーんも。平和な顔して寝てらーな」
アニーは眠らせてあるから当然としても、シレナまで起きないとは。
何か夢の中でセイレーン達とお別れでもしているのかもしれない。夢幻にあるものを起こすのならともかく、自然な眠りに就いているものを強制的に起こすのは少し意味が違う。脳の休眠は人間だろうと異族だろうと必要だろう。
よって、二人を起こすことなくほんの指し示す位置――コールッタの手前にあるとある湖へ向かうことになった。
湖の名は。
「トリトニス湖……」
「アトラスの親父、だから、メロップの爺さんの名前になるな」
「文献には彼が見つけた湖だからその名になったと書かれていたが、果たしてそれだけか」
「テウラス。余計な勘繰りはやめなさい」
余計な勘繰り。
だから、つまり。
父上が――環焉に関わっていた、という可能性。
無論。
もう父上は亡くなっている。母上もとうの昔に没した。だから、仮に関わっていたとしても、もう方針やらなにやらに口出しをしているわけではないだろう。精々が崇め奉られている程度。
もし本当にかかわっていたら、の話だ。父上の名を隠れ蓑に、何も関係ない環焉がそこを棲み処としているだけの可能性も十分ある。
――何か、来る。
「お母さん」
「ええ、結界を張りました」
流石だ。私もその結界の内側にもう一枚結界を張る。
これを突き破り得る術式があるとすれば、フレイルのドラゴンブレスとかそういう力の塊くらいだろう。
影が差す。
「っ、上!?」
「……なんだ、あれは」
上。上だ。
何かが降ってくる。
トゲトゲした形の、円形の、水に濡れた石の、だから、それは。
「全員、何かに掴まって!」
城だった。古城だった。
明らかに私達が目指していた湖底の古城が、空か降ってきていた。この結界二枚じゃどうしようもない。転移術式を編んでいる暇もない。
ゆえに使うのは、最近覚えたばかりの祝福だ。
この船と、この船に乗る全員に対してかける祝福は、「不壊」。
私の世界に星が一つ増えるのを感じる。
「メロップ!」
私に向かって手を伸ばすプレオネ。
間に合わない。だけど、そんな悲痛な顔をしないでほしい。
こういう理不尽を全て「大丈夫」にするために、私は日々進化しているのだから。
直撃する――。
*
祝福は正常に作動している。
船も身体にも傷はついていない。だけど、衝撃までは殺せない。
一番軽かったからだろう、私の身体は簡単に放り出されて――ぽふっ、と受け止められた。
「……ありがと、キフティ」
「構わないけれど、その祝福早めに断ち切った方がいいわ。祝福がどれほど体力を持っていくか知らないわけじゃないでしょう」
「でもまだ、みんなの無事がわからない」
「……命を削ると言っているのだけど」
奪うのでないのなら、いい。
自死は二度と御免だけど、皆を助けるためになら、多少削れるくらいは許容する。
船の周囲の空間の海は解除したから、船も弾け飛んでいる。アニーとシレナにも「不壊」はかけてあるから大丈夫なはず。タイタンの戦士たちは……大丈夫。存在を感じられる程度の範囲にはいる。
問題があるとすれば、こっちだ。
「……」
「……随分な無茶だけど、ライの命令?」
「ライより上の者の命令だ。奴も頭のおかしい類ではあるが、棲み処を上空に転移させて侵略者を潰す、などという発想は流石に出んだろう」
来たのは、ヴィルディだった。
腰に提げた剣。鎧。正当な剣士だろう彼が、私の前に……眼下に立っている。
キフティに声をかけて、私も地面にまで降りた。彼女には他の調査を頼む。
「上空にいた方が安全だっただろう。見るからに式者。近接戦闘は苦手ではないのか」
「苦手も苦手。だけど、上空にいると死角が無さすぎるから。誰かは知らないけど、誰かが私を狙っているのはわかったから降りた」
「……素晴らしい感知能力だ。やはり危険だな」
遠く。
森に古城が落ちる。野生動物たちの悲鳴が耳をつんざき、遅れて轟音と……巻き上げられたらしい水が降り注ぐ。
「ライはどこに?」
「教える義はない」
「なぜ、あなたは、環焉にいる? あなたの国を壊した組織そのものなのに」
「教える義はない」
「ありがとう。あなたはライがどこにいるか知っているし、あなたは自身が何故環焉にいるか理解している。それがわかれば問題ない」
「……恐ろしい子供だ」
気付いた時には、目の前……首を断ち切る剣があった。反応なんかできるはずもない。私は剣術を知らない。
だけど、「不壊」の祝福が私を守る。
「……最近の子供は鋼鉄でできているのか?」
「教える義はないかな」
「道理だな。なんにせよ、永続するもの、というわけでもあるまい。いくぞ、娘子」
「霧煙」
轟、と口から霧を噴き出す。
瞬く間に周囲を埋め尽くす霧。けれど、そんなことは関係なくまっすぐ私に向かってくるヴィルディ。
今度は袈裟懸けの斬撃が私を捉えた。
「っ、幻影か!」
「私はあなたが本命だとは思っていない」
「そこか!」
斬られるそれも、霧へと消える。声のするところ。姿の見えるところ。
あらゆるところに私はいない。
「式者相手に戦士を寄越すのは愚策。それがわからないヒトが上にいるというのなら、それほど簡単なこともない。だけど、少なくとも悪辣な計画を積み上げることができる程度には頭の良い人であるはず」
だから。
「ヴィルディを返してほしかったら、出てくると良い。ライか、その上の誰かか」
「何を言っている?」
ヴィルディは霧の外にでて、ようやく私を見つけることだろう。
そうして斬りつけて、悟るはずだ。
彼のいる場所が夢幻の中であるという真実に。
「夢に誘われた者が目覚める手段は存在しない。唯一、私が解除する以外では」
「……」
果たしてそうだろうか、とヴィルディは思ったのだろう。
剣を地面に突き立て、座り込み、瞑想をする。そうして集中に集中を重ね――目を開くと。
そこには、戦火に塗れていないヴァルナスがあった。
「無駄を知った方が良い。術式とは気合でどうにかなるものではない。恨むのなら恨めばいい。貴方にある大義も正義も、私に対峙したことで潰え、貴方は夢の中に閉じ込められる。幸せな夢か、苦しい夢か。それを選ぶのは貴方」
夢幻の術式。
それなりの式者が軽々しく扱うから、脅威の低いものに見られがちだ。
実際普通の夢幻の術式は、ゼインがそうであったように夢を夢だと気付けた時点で醒め行くもの。
それが何故こうも恐ろしいものとなっているかと言えば、tだ、私の術式が永続するという、本当にそれだけの話だ。
「安心するといい。首を断てど、死にはしない。空腹も渇水もない。疲労もない。何をしても何も変わらない夢の世界で、いつか現実を忘れて眠り行け」
「……これを『殺していない』と言い切るか」
「無論。貴方には自由意志がある。そこの有無にこそ私は命のカタチを見る。魂が尽きるまで、鳥籠の中を飛び回ればいい」
許さない。
その状態を死んでいると表現することは、私が許さない。
「――無様ね、ヴィル。子供一人、私だけで十分だ、と言ったのはなんだったの?」
「彼を返して欲しい? ライ」
「欲しいか欲しくないかで言えば欲しいけれど、今度は何を要求されるのやら。ここを特定したのだってアニーから聞き出したんでしょ?」
「夢幻に入れて、言葉だけを取り出した」
「それ、ヴィルにもできるわけね」
「うん。――知られたくないことがあるのなら、交渉は下手に出た方が良い。ヴィルディの知っていることであれば、なんだって喋らせる準備がこっちにはある」
そんなことはない、とヴィルディは言葉を発そうとしただろう。
けれどできなかったはずだ。音は聞こえていても、ヴィルディの肉体はもう彼のものではない。彼が動かし得るのは、夢の中の自分だけ。
「要求は、何かしら」
「各地から異族の子を攫い、刺客として育て上げていると聞いた。即刻辞めると言わなければ、私が今把握している範囲にいる人間、その全てを夢幻に誘う」
「権限がないわ。私の地位じゃどうにもできない」
「それが答えと受け取るけれど」
「……今、伝達の術式を使うから待って」
「違う術式を使えばすぐにわかる。要らないことを考えない方が身のため」
ライの口元から風が飛ぶ。
伝達の術式だ。飛んでいった方向はトリトニス湖の方。やっぱり古城は囮か。
「わかったわ。もうやらない。今いる子たちも解放する」
「そう。じゃあ、おやすみなさい」
知覚範囲内で、私を狙っていた異族の全てを夢幻に誘う。
「ちょ、ちょっと」
「嘘は嫌いだ、って上司の人に伝えておいてほしい。そして宣言する。環焉という組織が支配からの脱却を、終焉を望むというのなら、私は反対を行く。私は全ての力を持ってこの大陸を再統一する」
「……あなたは」
「私はメロペー。大皇帝アトラスの娘。世界の新たな支配者となるもの」
戻って来たキフティから、その言葉を聞く。
大声を出す。ライもヴィルディも無視した大声を。
「――アレス! あのお城、中に誰もいないって!」
瞬間、さかさまの古城は煌々たる炎によって消し飛ばされた。
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