第37話 メロップちゃんと悪戯
古来より教会は戦火とは無縁の場所だった。
何故かと言えば、術式による治癒が教会の人間しか行えないからだ。よって善人も悪人も教会を襲撃する、利用するということはない。自らの命が危機に瀕した時、最後のよすがとして頼れる場所を敵に回すのは避けるべきである、という考えが根付いている。
ただ、私が治癒の術式を使えるように、テウラスもまた使用できるように。
そして楽園ヘルファイスという治療集団がいるように――「何故教会の人間だけが治癒術式を扱えるのか」、という仕組みがバレ始めているのか、その権威も落ちつつある。
世間一般に広まっているのは、教会の人間は特別な加護を受けているからである、と。
異族からしてみれば、教会の人間はその全員が異族であり、その固有能力である、と。
そして私から言わせてもらえば、ただ治癒の精霊とでもいうべき精霊を教会が多く蓄えているというだけで、それを自らの星に呼び込むか、術式そのものを編み出してしまえば教会の人間でなくとも治癒術式は使える、と。
……無論、そんなことを公に言えば教会を襲う悪人たちが出てくるだろうから、公表はしないけれど。
どの組織も、どう切り取っても裏表があるんだな、と。
「危ないぞ、メロップ」
「え、あ……ありがとう」
「ああ。全く、嘆かわしいな。貴重な書物をこうも無造作に……」
今生の私がどうかはまだわからないけれど、アトラスであった頃は"そう"だった。
何もしていなくとも突然上から本が降ってくるとか、梯子が倒れてくるだとか。
つまるところの不運体質。もしアトラスがこんなところに来ていたら、バッサバッサと禁書が落ちてきていたに違いな――。
「空間宥和……今、誰か本棚揺らした?」
「気配察知なら得意分野だろう? 私はもちろん、プレオネも揺らしていない。私たち以外には誰もいない」
本が落ちてくるどころか、本棚が倒れて来そうになっていた。
なんかこれ城でもあったなぁ。
「早い所古城に関する記録を見つけて出ましょう」
「それがいい。目星はついているのかね?」
「はい。私がまだあの人に嫁いでいなかった頃に見た覚えがあるのです」
聖女として生まれ、育てられたプレオネは、僕のところに嫁いでくるまではれっきとした教会の人間だった。
禁書庫は悪事を書き連ねている書物などが置いてある場所、ではなく、古来より続く歴史を公平な観点から記録し続けている本のある場所、という認識が正しい。何故それが禁書なのかといえば、各国にとって都合の悪い情報もしっかりと記録されているからだ。
協会は各地……国にも街にも村にもあるから、隠し事などできようもない。
プレオネがそこへの立ち入りを許されている理由は「聖女であるから」と、「タイタンの大帝国が王妃であるから」が大きい。最大主教はあのような態度だったけれど、タイタンの大帝国は教会をも掌中に収めている。
本来の立場で言えば、既にプレオネの方が上なのだ。
「時に、だが」
「環焉と教会が同じ組織である可能性なら、ないと思う」
「……なぜ?」
「環焉の目的は『支配からの解放』だった。教会は何かしらに支配されていた方が動きやすい。自由であるということは、他者に救いを求めないということでもある」
「ふむ」
それに、最大主教は外部組織を毛嫌いする。タイタンの大帝国にさえあの態度なのだ。それを新興宗教にも似た環焉相手にどういう態度を取るか、なんてわかり切っているだろう。
勿論あの老人に呪いがかかっていないことも確認済み。
「城らしい城というと、タイタンの城くらいしか思い浮かばないな。歴史にあった城はどれも取り壊されて久しい」
「流石に大陸全土を感知するのは無理だし、できれば資料から見つけたい」
本から欲しい記述を見つける術式、というものが編めたらいいのだけど、どういうアプローチを……。
……。
「ちょっと試してみたいことがある」
「なんだ?」
「古城、あるいは城という文字の形をしたインクを探す術式を編む。ライが使っていたあのインクの術式は多分水と泥の応用だから、そこから掴めるかも」
「……構わないが、外で編んだ方がいいだろう。ここは流石に貴重な書物が多すぎる」
それは確かにそうだ。
失敗した場合、書物を汚す可能性が高い。
ただ、一人で行動して良いものか。
「教会内部にいる限りは大丈夫ですよ。最大主教様も流石にそのあたりは弁えています。むしろ守る側に回るでしょうね」
「だとして、心配は残る。伝達の術式をすぐに使えるようにしておけ。私とプレオネはもう少し真っ当な手法で探してみる」
「うん」
二人に文献探しを任せて、一度禁書庫を出る。
あのままあそこにいたら上の段の本や棚という棚が崩れて来そうだったし、営団ではあったのだろう。
「おや、お嬢様。やはり難しい書物はお嫌いでしたか?」
「効率が悪いから、術式で探す方向に変えただけ。インク、ある?」
「あちらの机にありますよ」
エルドが寄ってくる。
多分監視を任されていたのだろう。彼は私の後ろに付いてきて、そのまま居座った。まぁ、構わない。見られた程度でどうにかなる術式など編むつもりはないから。
インクの蓋を開けて、思い切り中身をぶちまける。
「何を……おお」
大陸で使われている文字を空中に形成する。
その中から「城」、「秘された」、「地下」などの文字列を抜き出して、その他は容器に戻していく。
一旦これはこれとして置いておいて、紙を一枚用意。裁断術式と融合術式の合わせ技で簡易的な本として……それをエルドに渡す。
「ええと?」
「適当なページに"秘密の城"とか"財宝の眠る古城"みたいな言葉を書いてほしい」
「はあ。構いませんが」
パラパラとページをめくって、適当なところで何かを書くエルド。
返された本を受け取って、それを机に置いて。
浮かせておいたインクの文字を本に滑り込ませていく。
インクは、けれど紙に染み込むことなく――出て来た。
「……あまりそういう冗談は好まない。けど、術式は完成した。ありがとう」
「そうですか。残念です」
本の中に、古城に纏わる文章はなかった。だからインク文字たちは何もしないで出てきたのだ。
代わりにあったのは、「あなたは敵ですか?」の文字列。
やはり狂信者であるところは変わっていないらしい。
「そして、答えは貴方達の態度次第。――私は教会が敵に回ることを恐れていない」
「夢見がちな子供ですねぇ、と言えたら良かったのですが……お嬢様が言うと本当そうだ。最大主教様には強く言っておきますよ。帝国と事を構えて良いことなど一つもない、と」
「最大主教はわかっている。あの問答の時点で納得もしているはず。納得できていなかったのはあなたの方で、あわよくばここで私を殺すつもりだったでしょ。結果自身が囚われの身になっても、死したとしても、それが教会のためになるのなら、と」
随分と丁寧な言葉遣いになっているけれど、エルドとは元よりそういう男だった。
破壊も殺しも見殺しも人質も、教会のためになるのなら何も辞さない。自身の手を汚すことに躊躇のない男。
――かつてプレオネを、僕の思想に同調してくれたプレオネを殺さんとしてきた男。
「誰かから私の事を聞いたようですね」
「もう一度、改めて宣言する。私はあなたも教会も敵に回す覚悟がある。力を測る相手はちゃんと見極めた方が良い。飼い犬が噛んだ相手が、飼い犬だけを恨むとは限らないから」
「……本当に五歳児ですか? なんだかまるで、あなたの御父上と話しているかのようですよ。もっとも、あなたの御父上は『教会と事を構える覚悟がある』なんて絶対に言わない方でしたが」
「挑発も無駄。そんなに教会を帝国の敵に仕立て上げたいのならそう言えばいい。それとも、本当にそういう事だったりする?」
もし、エルドが環焉の手下になっていたら。
そう考えたら今までの過度な挑発行為も納得が行く。狂信者にしては教会を危険に晒し過ぎているから、おかしいとは思っていた。
「……いえ、違います。調子に乗りました。子供だと思って油断していた、が正しいでしょう。それでは私はこれで。文献探し、頑張ってください」
「引き際は見極めるべきだと言っている」
彼が踵を返すと同時に放たれた術式。
それを弾くのではなく包み込んで、彼自身に浴びせる。
エルドはびくんと身体を震わせると、そのまま膝を突いて倒れ伏した。意識はあるだろうけど、全身が麻痺して動けも喋れもしないはずだ。
「最大主教の目利きを信じればよかったのに。彼が耄碌したと思ったら大間違いだよ、エルド」
彼みたいに、早々に諦めなかったが故の罰だと思って欲しい。
とにかく術式は完成した。早速試しに行くとしよう。
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