第31話 メロップちゃんとシレナ

 霧の晴れた島。その洞窟の先に出た。シレナも隣にいて――。


 怒り顔のが、眼前にいた。

 

「メロペー」

「……はい」

「自分一人で、全てを終わらせてきたようですね。流石は私達の娘です」


 愛称で呼ばないあたり、本気で怒っている。

 これは。


「そちらの異族の子は?」

「セイレーンに育てられた、セイレーンと人間の混血です」

「その子をどうするつもりですか?」

「セイレーン達の願いを聞き届け、幸福を」

「あなただけで成し遂げられることですか?」

「……」


 霧船を編む。 

 地響きと共に島が沈んでいっているからだ。


「ボ、ボクは、そんなこと望んでない! 今からでもみんなの所に帰る!」

「こう言っていますが?」

「……シレナ。それが望みだというのなら、帰す。私は命を奪うことに多大なる恐怖を覚えるけれど、勝手に死に行く命にまで手を伸ばすつもりはない。貴女を想ったセイレーン達の願いを無視して、カーリースの慈悲を振り払って、それでも残るというのなら――私はその意思を尊重する」


 カーリースやセイレーン達は全力で障壁を張ってくるだろうけれど、それを突破できる力が私にはある。


「選んで、シレナ」

「も、勿論戻るよ! 今までだって同じだったんだ、言葉が通じないまま、でも一緒にいたんだ! ボクはセイレーンだから、みんなと一緒にいるのは何もおかしくない!」

「わかった」


 術式を編む。 

 手を翳し――シレナは、ガクンと眠りに就く。


 転移術式ではなく夢幻術式だ。

 あとは、セイレーン達を時の精霊石を利用した残影で再現して、シレナの夢に変化を与える。


「……メロペー」

「魔核生物と話したのは、初めてでした。そしてああも知性があると初めて知りました。心が、愛がありました。――ゆえに、私はそれを尊重したいです。願われたこの子がどんなに拒んでも、私はこの子に幸福を押し付けます」

「そう、ですか。……何が貴女をそう駆り立てるのですか?」

「重い方を取っただけ」


 霧船が完成し、同時に水位が、いや島自体が完全に海へと沈んでいく。

 同時、禍々しい霧も元の色味に戻って、それもまた海へと還っていく。

 

 ……いつか、シレナが大人となって、全ての心の整理がついた日に。

 お返しします。だから、今は与っていきます。


「ごめんね、お母さん。怒りたいんだと思うけど、これは決めたことの一つだから」

「いいえ。……そんな顔をされてしまったら、怒るに怒れませんよ」

「うん」


 酷い顔なのだろう。 

 全てを諦めたような、全てを割り切ったような。

 何かを噛み締めるような、歯を食いしばるような。


 絶対、今の私は、幸せを知らない顔をしている。

 幸せを謳えない顔を。


*


 島が沈んだことで船は元に戻った。元より船底に傷はなく、カーリースが起こしていた嵐も収まった。

 眠るシレナを連れ帰れば、アレスは得心が行ったような顔を、テウラスは溜息を吐いた。予想はしていたのだろう。


「もういいのか?」

「うん。アフザに急ごう」

「おう。テウラス、帆を張ってくれ!」

「力仕事はお前がやれ。私は風を起こす」


 眠り落ちているアニーの横に、シレナを置く。 

 心の整理には時間がかかるだろうから。


「……私も、寝ようかな」

「おう、あとは任せろ。一人で頑張って来たんだろ? 出番のなかった俺達が、せめてお前の安眠くらいは作ってやるからよ」

「うん。お願いね、アレス」


 

 キリニーを呼び出す。


「どう思う?」

「開口一番がそれなのね」

「島全体を自分自身で埋め尽くして術式を使えなくする、まではわかるんだけど、他の精霊が入って来られない程ってなると、とても一精霊の力だけでどうにかできることと思えないんだよね」

「ま、そうね。あの精霊、大分弱っていたし。島一つを隠して、嵐も呼んで、転移もさせて……命を削っていたとしても、単体でできることじゃない」


 たとえあの宝物庫に術式や精霊の力を増幅させる何かがあったとしても、無理だ。

 だからやっぱりこれも、何者かが関与していると考えるのが妥当で。


「そもそも純粋な魔核生物……シレナの母親だったセイレーンがカーリースと契約していた、という所は、どうなの? できるの?」

「容易ではないわ。魔核生物側に非常に高い知能があることを前提に、精霊が魔核生物に近づくことも稀。魔核生物は基本的に攻撃的だから、使う術式は他者を害す……血の雨を降らせる術式ばかりなのよね」

「……シレナの母親のセイレーンは、平和が好きだったのかな」

「あんな術式での契約を結ぶくらいだもの。攻撃的な魔核生物ではなかったのは事実でしょう。けれど、そもそも珍しい霧の精霊がどうしてあそこにいたか、という話をするなら、少しばかりの違和感が出てくる」

「元は海中にあった島。なら、そこに霧の精霊がいるはずはない。何かがあって島が浮上して、何かがあってカーリースがそこへ来て、シレナの母親とカーリースが契約した。……ううん、あるいは、シレナの父親が鍵なのかな」

「聞いている限りはそうでしょうね」


 カーリースが心の底から憎んでいたシレナの父親。

 時系列が不明だけど、シレナの母親とカーリースが出会った後に父親が来ていたのなら、誑かされたから。逆なら――使役されていたから、とかになってきそうだ。

 何らかの目的でカーリースをセイレーンの棲み処に連れて来たその男は、シレナの母親に惚れたか、あるいは利用しようとして彼女に近づき、子を成した。その際使役の呪いが解けたか振り解いたかでカーリースは自由を手に入れ、シレナの母親と契約を交わした。

 ……という流れに見えてしまうのは、疑い過ぎだろうか。


「あ、そうだ。これ」


 暗鬱とした思考を一旦切り替えて、キリニーのいる隔絶空間に時の精霊石を送る。

 先述したように精霊石は術式の世界に還ることのできなかった精霊の遺骸だ。故に強い力を持っている。


 なれば。


「……ありがとう」

「やっぱり、これで君を癒せるんだね」

「微々たるものだけれどね。けれど、この方法だけが正解ではないわ。精霊石だって無限にあるわけではないのだから」

「うん。でも、少しでも元気を取り戻してほしかったから」

 

 精霊石は希少だ。

 どんな精霊も基本的には術式の世界で最期を迎える、らしい。余程の事がない限り、人間の世界で眠りに就くことは無いのだと。

 だからこの方法のみでキリニーを癒しきるのは無理だ。圧倒的に数が足りない。


 もし、何も考えないのなら、この隔絶空間を取り払えばいい。

 キリニーは自身に欠けた穴へ周囲の精霊取り込んで癒し、完全復活するだろうから。それが嫌だと、私もキリニーも言っているわけだけど。


「精霊石が数多くある場所……なんて、探さない方が良いか」

「ええ。それだけ、非業の死を遂げた精霊が多い場所、ということだから」


 でも、もしかしたら。

 環焉なら――精霊を研究していると思われる環焉なる組織なら。とか。


 思ってしまう。


「そういえば、キリニー。私も祝福を一個作ってみたんだけど」

「そう簡単に作れるものじゃないのだけど、見せてみて?」

「うん」


 祝福を自らに浴びせる。

 これはただ、喜びの感情の発露時に良い物を引き寄せる、という簡単な仕組みのもの。


「……ええ、ちゃんとした祝福よ」

「良かった。……でも、誰かにかけるのはやめておいた方が良さそうだね」

「そうね。同意を得ない、という点においては、呪いと似ているから」


 そして、祝福を作っている時に見つけた、私自身にかけられている根本のもの。

 精霊の愛し子――それに付随する不運体質。これも解呪できないかどうかを試し続けている。

 ただこれは呪いでも契約でも祝福でもないようで、まだまだ解析段階になってしまうのだけど。


 いつかは自在に操れるように。そして、その連鎖を断ち切れるように。


「さ、そろそろ時間よ、メロペー」

「もう? さっき来たばかりなのに」

「それだけ身体が疲れていたってこと。敵地で一人大立ち回りなんて、アトラスの頃にもやってこなかったでしょう?」

「……確かに。休息が必要だったんだね」


 世界が白んでいく。

 起きるのだ。つまり、船が。


 アフザに到着した、と。

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