第30話 メロップちゃんとセイレーン
そこにいたのは、セイレーンだった。
セイレーンの――死体。死骸。その塊。
魔核生物の中には、死して尚動き続けるものがあるというけれど、これはそれではない。何か、宝物庫に秘されたものがこの死骸の塊を動かしている。
「ほ、ほら! ヤバいって!」
「……」
命を奪う。それが怖い。
今自分に問いかけるのは、この敵は生きているのかどうか、だった。けれど心情が言っている。
嫌だ。生きている生きていないにかかわらず、目の前のものを終わらせたくないと思う自分がいる。
つくづく。
異族の子に姿隠をかけて、一歩踏み込む。
命を奪うのが怖いのは変わらないけれど、戦場が怖いわけじゃない。皆は私を守ろうと守ろうとしてくれるけれど、ただ相手の命を奪えないだけで、私は度胸がないわけじゃない。
「ォ――」
「うん。でも、ごめんね」
空間宥和を編む。
粘度の上がった空間がセイレーンの遺骸塊を包み込む。その横を通り抜けて、宝物庫の中心へ。
術式の気配は沢山する。どうにもセイレーンらは金銀財宝というより呪いや契約といった、術式の気配の強いものばかりを集めているらしかった。人間と魔核生物とで価値観が違うのだろう。
精霊の宿る物質というものは、触っただけで契約と見做されるものも多い。本来はどこぞの王族と精霊が交わした契約に使われた品とかで、だから普通触るのは王族だけだから余計な儀式を省いて契約を行う、みたいな仕組みなのだけど、それをこうやって持ってきてしまっているから呪いに似た効果になっていると。
まぁ、簡単に説明するとそんな感じで……。ああ、いや、本筋から逸れた。
つまり、時の精霊石を探すにあたって、闇雲に探してしまうと何が起こるかわからない、ということだ。
解呪しながら探すと、さっきのセイレーン塊を解放してしまう可能性もある。
やるべきは、時の精霊石を外側から探し当て、それだけを取り出す、ということ。
……まぁ、ゼインがこれを意図していたのかまではわからないけれど――彼の祝福を学んだことが、時の術式の気配を感じ取るのに役に立っている。
これなら、時の精霊石を取り出すことも容易になる。細動を起こして宝物を崩し、青緑色の石を取り出して、空間ごと掴んで浮かせる。
振り返れば、パクパクと口を動かしている異族の子。
姿隠は極至近距離にいないと音も通さなくなるから、これで問題ない……のだけど、どうしたのだろうか。何か焦っているような表情。
子供が手を上げる。指を差す。
私を。
いや、私の後ろを。
ぐちゃ、という音が。
「安心して。私はもうこの部屋にいないから、少しずつ後退して宝物庫を出て」
「!?」
頭部をナニカに握り潰された私を見て、腰が抜けてしまったように倒れ込んだ異族の子。その耳元に声を届ければ、今度こそ恐怖を覚えた形相でこちらに振り返る。
あんな呪いの塊が背後に来ていて気付かない方がおかしい。そもそも私は未知の術式に対して背を向ける、なんて愚は犯さない。時の精霊石を取り出した時点で幻影を用いて部屋の外にまで出ている。
「お、おま、オマエ!」
「大丈夫。これでも昔は顔のない皇帝とか……ああいや、なんでもないけど」
それは僕がまだ皇帝になったばかりの頃の話。
姿を見せることなく、術式だけを振りまく――紛う方なきタイタンの戦士たちの一人。眠らせ、縛り、無力化し続ける司令塔。姿は見えず、けれど戦士たちが指示を仰ぐものだから、顔のない皇帝とかなんとか言われていたっけ。
そのすぐ後に城へ引き籠るようになったから、言われていたのはほんの一瞬だったけれど。
術式を用いて私を捕らえる、なんてほぼ不可能だと思ってもらいたい。
「怨霊、とでもいえばいいのかな。宝物に宿った精霊と、未練を残して死した魔核生物の融合体。セイレーン達はこの遺骸塊に君を近づけたくなかったんだと思う。取り込まれてしまうかもしれないし、仮にそうなった場合、けれど情が勝って攻撃できないから」
「なにを」
「あのセイレーン達は君の事嫌ってないって話。魔核生物だから、人間的な愛情の注ぎ方を知らないだけだよ。もしかしたら君を交渉役にしたのも、良い機会だから私に拾って行ってほしいと……私と暮らした方が君のためだと思ったのかも」
だから、巣の中で彼女らと出会っても無視されるんだ。
強制的に親離れさせるために。
……連れて行くかどうかは、この子次第だ。
それより先に、カーリースの願いを叶えよう。
「カーリース。……カーリース?」
玉座のあった部屋に戻って来た。
カーリースは先ほどの場所にいた。いたけれど、衰弱度合いが激しい。
……もしかして、外のアレス達が何かしているのだろうか。
「大丈夫よ……大丈夫だから、お願い」
「うん。……想影」
術式を編む。
時の精霊石から取り出した時間の術式を用いて、異族の子がこれから先どういう成長を遂げるか、を先取りしてみる。勿論これは確定事項ではないし、本当に未来を見ているわけではないけれど、ここで見えるものは予測として九割方の的中率を誇るはずだ。
あとはそれを、幻影の術式で異族の子に重ねれば。
「……ああ、やっぱり」
そこにいた女性は、優しい目をしたセイレーン。他の魔核生物よりも少しばかり理知的で、攻撃性のない雰囲気を纏っている。
「似ている?」
「ええ。名前も思い出せないのに、変な話だけど……とてもよく、似ている」
「この子と契約、できそう?」
「……あなたは、したい?」
問う。カーリースの問いかけに、異族の子が「当たり前だろ」と口を開こうとして、けれど。
背後からわっとやってきたセイレーン達がその口を塞いだ。
クスクスと笑うセイレーン達。……丁度いい。やってみようか。
音と夢幻の術式を編み直して、直感的な言語に聞こえるよう変換する。
恐らく人間と同じような文法構造は持っていない。ただ感情が言葉として聞こえるように。
「いい」
「大丈夫」
「行って」
「もう大丈夫」
「え……」
途端、口々に声が聞こえだした。
クスクス笑いは、やはり鳴き声だったのだ。セイレーン達の言葉。こちらを嘲っているのではなく、何かを語りかけていた。
「守らなくていい」
「立派」
「大丈夫」
「ありがとう」
「あなた」
「人間」
「ち、違うよ! ボクはセイレーンだ!」
ふむ。
もう少し改良して、異族と私達の言葉もセイレーンに伝わるようにしてみる。
試験的ではあるけれど、これでどうだろうか。
「大丈夫」
「仲間」
「必要」
「ボクはセイレーンの仲間だよ! ボクは、だってお母さんはセイレーンだったんでしょ!?」
「言葉」
「わかる」
「違う」
「あなた」
「人間」
優しい言葉しかない。
突き放すようではあるけれど、セイレーンの誰もがこの子を案じている。
ここに縛られ続けることを、拒んでいる。
愛されていたのだとわかる。
「カーリース」
「ええ……この子も、そういう子だった気がするの」
「私の世界に来ない? 血の雨は、降らないよ」
「……魅力的ね」
でも、と。
でも、まずは、と。
「名前を教えて」
「メロペー」
「メロペー。私の呪いを解いて。……この島の『幽滞』を解くから」
「わかった」
骨の玉座から伸びた鎖を引き抜く。
途端、カーリースから魔核生物の気配が消えて行き、その長い髪に艶が戻り、その骨ばった手に生気が満ちて行く。
「ああっ!? な、何やってんだよ! そんなことしたら!」
「大丈夫」
「ありがとう」
「お疲れ様」
「ありがとう」
「いいえ。……貴女達は、私をずっと気遣ってくれていたもの。こちらこそお礼を言いたいわ」
薄れて行く霧の術式。
この島を隠蔽するそれが消えて行く。
異族の子にかけた術式も――消した。
元の姿はやはり子供で、けれど面影はあって。
「この子の名前は?」
セイレーンに問う。
問えば、皆が口を揃えて、その名を呼んだ。
「シレナ」
シレナ。
異族の子につけられた、名前。
「名前……もしかして、ずっと呼んでくれてた、のか?」
「うん」
「言葉」
「わかる」
「嬉しい」
「シレナ」
「大切」
セイレーン達はシレナを取り囲んで、その手で彼女を撫でる。
もみくちゃに、くしゃくしゃにされて、けれど振り払うことは無い。
「……精霊の愛し子」
「シレナは、あなた達と共にいたいようだけど」
「幸せ」
「シレナ」
「あなた」
「……約束はできないよ。私は今、とても怖いことをやっている」
「私達」
「幸せ」
「なれない」
「シレナ」
「そ、そんなことはないよ! ボクは皆と一緒にいたい! それだけで幸せだから、だから」
涙を浮かべるシレナを見て――セイレーン達は、カーリースへと向き直った。
「願う」
「祈る」
「私達の大切な子」
「シレナ」
「――外に」
「ええ、承ったわ」
「待」
待って、までは言えなかった。
霧が彼女を包み込み、転移させたからだ。
恐らくは、アレス達の下へ。
「……カーリースは、どうするの?」
「さっきの魅力的なお話。残念だけど、蹴らせてもらうわ。私は、久しぶりに見たこの子の姿を夢に見て、この島と共に沈むつもりだから」
「沈む……やっぱり、無理矢理浮かせてたんだ」
「ええ。セイレーン達は昔、海中にいたのよ。だけど、憎き者と交わって、この子がシレナを生んで……シレナは、長い間海中にいることができなかった。だから、当時のこの子はこの島を浮かせたの。そして隠した。人間が来ることのできないように」
それがいつの事なのかはわからないけれど、多分そんな昔じゃないはずだ。
シレナの年齢からして、アトラスが没したのと丁度重なったくらいかもしれない。
「そっか。……わかった。おやすみね、カーリース。セイレーン達も」
「ありがとう」
「幸せ」
「シレナ」
「恩」
「うん。じゃあね」
「さようなら」
転移する。
……おやすみなさい、霧の精霊カーリース。そしてセイレーン達。
多分別に、死ぬわけじゃないんだろうけれど。
もう会うことはないだろう。私が海の底にでも行かない限り。
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