第29話 メロップちゃんと愛の呪い
どうやらこのセイレーンの巣というのは島の内部にあるらしかった。
呪われた霧の精霊が隠すこの島の、奥深く。また巣の中にある池から直接島の外へも繋がっていて、セイレーンたちはそこから出入りをしている様子。
異族の子は肯定や否定こそ感情的にしてくれるものの、どうにも式者については要領を得なかったから、自分の足で歩いて見回る。
セイレーンの巣の名に違わずセイレーン以外の魔核生物がいないのはありがたい。どこへ行ってもセイレーンと鉢合わせるけれど、やっぱり人語を解すのは異族の子のみのようで、声をかけてもただ無視されるだけに終わる。襲われないだけいいだろう。襲われたら眠らせるしかないのだから。
「こっちかな……」
「お、おい勝手に行くなよ、迷子になるぞ!」
精霊の濃い方へ、というとわかり難いけれど、呪いの気配の強い方へ進んでいく。
隠蔽の呪いは隠蔽の内側にさえ入ってしまえばどうということはない。むしろ何を隠したがっているかが筒抜けになる。
「人工物にも似て……けれど、自然に出来上がったエントランス……こんな状況じゃなきゃゆっくり見て回りたいものだけど」
半球状の天井は美しくなめらかな白で塗り固められている。セイレーンの技術なのか、何かの成分が析出した結果なのか。
非常に興味深い。きょうび人の手の入っていない島なんかほとんどないから、大体が報告書や図鑑でわかってしまうんだよなぁ。
こういう未知に心を躍らせる程度の「男の子」は私にも残っているらしい。
「あ、おい! そっちはダメだ!」
分かれ道を左に行こうとしたら、止められた。
「なぜ?」
「宝物子なんだよ! 勝手に入ったら殺され……怒られる!」
やっぱり、この子の立場はかなり低いものらしい。
宝物庫に勝手に入っただけで殺される、か。セイレーンも……まぁ、魔核生物だから詳しいことは言えないけれど、そういう規範や戒律で群れを縛るのか。
ふむ。ふむ。
そうか、人語は解せなくとも、セイレーン達独自の言葉がある可能性は大きいな。
道すがら分析をかけてみるのもいいかもしれない。
分かれ道を右に行く。
段々術式の気配が強く波長として捉えられるようになってきた。
波長があるということは、精霊がまだ形として残っているということ。
まだ助かるかもしれない。
「お、おい……そっちには骨の玉座しかないぞ……?」
「骨の玉座って?」
「言葉の通りだよ! 骨でできた椅子で、なんかキラキラしてるけど、誰も近寄らない……ボクにさえ危ない、って忠告してきたくらいには、なんか、あ! オイ、ボクの話聞けよ!」
確実にそれだ。
防護系の術式を纏っておく。条件反射で攻撃してくる可能性もあるから。
歩く。
歩いて。
辿り着く。
「……なるほど、骨の玉座」
「ほ、ホントに来ちゃった……」
「別に部屋の外で待っていてくれてもいいけど」
「は、はぁ!? オマエから目を離せるワケないだろ!」
「成程、そういう命令も受けたの」
「う、いや、そ、そんなことは」
だからセイレーンは無視してきたのか。
監視役がいるから。
まぁ、いい。それもここまで。
プレオネ程の技量は無いけれど、この部屋全体に結界を張る。外と内を隔絶させる結界。
「島を覆う霧。島を覆い隠す霧。けれどあなたは縛り付けられているだけ。縛り付けた存在は、その遺骸。寄り添うあなたは望んで呪われている」
口に出せば、成程納得できた。
それほど難しいことなのだ。人間が精霊に呪いをかける、というのは。でも精霊自らが自身の耐性を下げるというのなら話は別で。
「その名は、『幽滞』。精霊の名はカーリース」
「さっきから何言って……ひぃっ!?」
途端、出現したのは髪の長い女性。
異族の子は精霊が見えるらしい。その、一見すれば水死体に見えなくもない姿に心底驚いたらしかった。
「霧の精霊だけど、あと少しで魔核生物になる。……もう、自分が誰かもわからない?」
「……いいえ。ありがとう、愛し子。今、名前を呼んでもらって……少しだけ自分を取り戻した」
「それは良かった。……その遺骸は、あなたの住まう星の式者?」
「そう……だった、はずよ。とても大切なヒトだったはず、なのに。おかしいわ……もう、名前も」
呪いの厄介なところは、式者が死んでも呪いは残るという点にある。
通常の解除方法を取るなら式者自らが呪いを解呪する必要があるから、式者が死している場合呪いは永遠に残り続ける結果になる。
私みたいな力業が使えない場合以外は、だけど。
「精霊の世界に入ることはできる?」
「残念ながら。……私の、私にかけられた呪いが、すべてを阻害している……」
「その呪いは、解呪してもいいもの?」
「だ、だからダメだって! ここが見えるようになったら、人間に侵略されちゃうだろ!」
「そう……その子の言う通り。そう、そうだった。私の式者は、セイレーンだった。最も賢いセイレーン……。人語を解すセイレーン」
伝説にある通りの。
あるいはそのセイレーンから伝説が始まったのかな。
「そして、その子の、母親」
「……ああ、そういうこと。番は誰だったの?」
「憎い、ということだけが、頭の中にある」
「漂流者か賊の類か。良い思い出ではないんだね」
「そうみたい」
大体つかめては来た。
決めるべきはこれからのことだ。
「このままいけば、あなたは魔核生物になる。そうなればこの島の隠蔽は維持できない」
「え!?」
「……そうね。霧の精霊だからこそ、人間の目を完全に欺く、ということが……できていたけれど。魔核生物になってしまったら、その力も失ってしまう」
「この島を隠し続けたいのなら、解呪を推奨する。私にはそれができる」
「……でも、この呪いがないのなら、この繋がりがないのなら、私はここにいる意味を失ってしまう。この呪いだけが……唯一の、この子との繋がりだから」
だから急いでいた。
この霧の精霊、カーリースが魔核生物になった時点で、この島の隠蔽は切れる。呪いは確実にカーリースを蝕んでいて、いつ彼女が魔核生物となってもおかしくない状態だ。
なっていないのは、カーリースの意志の力か。
「ど、どうすればいいんだよ! じゃあどっちみちこの島は、セイレーンの巣はダメになっちゃうのか!?」
「方法は二つ。一つは呪いを解除し、カーリースの善意で残ってもらう、というもの」
「……この子以外に、そこまでの思い入れは、ない、はずよ」
「もう一つは――この子がその遺骸の血縁であるというのなら、契約という形で再設定を行う、というもの」
「……」
「ぼ……ボク?」
わからない。
精霊の愛情の形を知らないから、血縁者をも気に掛けるかどうかはカーリース次第だ。
だけど、これが最も尤もらしい回答だと思う。
カーリースは、ゆっくりと頭を、顔を上げる。
長い髪の奥から除く金の瞳がまっすぐに異族の子を見た。
「ひ……」
「……ねぇ、愛し子。お願いがあるの。幻影でいいから、この子が順当に成長したらどうなるか、という姿を見せることは、できる?」
「成程」
初めて編む術式だけど、つまり時間の経過と成長予想ができればいいわけだ。
丁度残影という時間の精霊の術式を見たばかりだったのは幸いだった。時の術式の構成はある程度理解している。ただここに時間の精霊がいないこと、そして私の世界にもいないことを鑑みるに……ううん。
「精霊石が欲しい。時の精霊の精霊石。あるかな」
「せいれいせき……?」
「うん。濃い青と緑の入り混じったような色の綺麗な石。見覚えないかな」
「あ……それなら、宝物庫に」
ああ、殺されるとか怒られるとか言ってたのは、昔忍び込んだことがあるからだったのか。
精霊石というのは、つまりこちらの、人間の世界で死してしまった精霊の遺骸だ。術式の世界で眠りに就けばああやって元の形を保てるようなんだけど、こちらの世界だとそれが維持できないらしい。
ゼインはほとんど死にかけで消耗し続けていたから、精霊の世界へ入っても原型を失ってしまった、というわけで。
さて、じゃあこの島を守る、という大義名分も手に入れたことだし。
「おい、ま、待てよ、まさかとは思うけど」
「うん。宝物庫に入って、時の精霊石を探すよ。カーリース、もう少し待っていてね」
「ええ……待っているわ」
「ほ、ホントに怒られるぞ!? いや、殺されちゃうぞ!?」
それについても、大丈夫だと思っている。
多分だけど、これについては本当に憶測だけど。
当時この子が宝物庫に入ろうとしたとき、セイレーンたちは怒ったんじゃなくて――。
「ォ――――」
警告しただけ、だと思うから。
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