第26話 メロップちゃんとお風呂

 ライ、ヴィルディ、クォリエル。そして環焉なる組織。

 それらを全てプレオネ達に話した結果、こちらの行動方針は――。


「ま、特に変わりはしないか」

「それよりも兄さん、敵に捕まって人質になったんだってねぇ。あの兄さんが」

「うるさい。……そして、驕りがあったことも認めるよ。僕はちょっと僕自身を過信し過ぎていたらしい。叶うなら鍛え直したいね、里で」

「もう無い里でどうやって鍛え直すってんだい」

「だから叶うなら、さ」


 変わらない。

 私が崩壊についてを学びつつ、反抗勢力を鎮圧するという主目的に何ら変わりはない。ただ今回の事でメティスは大いに落ち込んでいるようで、妹のプラムに散々からかわれている。

 プラムも……随分と態度を砕いてくれた。はじめはクールなお姉さん、でも目指しているようだったけど、無理だったらしい。ようやく僕の知っているプラムに戻ってくれたって感じで僕的には嬉しいんだけど。


 みんな、アトラスに接するときの気安さを私にも見せてくれるようになっているのがとても嬉しい。

 ……を除いては、になってしまうが。


「プラム」

「ん? なんだい、メロップ」

「……お母さんに笑ってもらうには、どうしたらいいと思う?」

「おっと。……兄さん、なんかあったのかい?」

「いや、ないと思うが……。どうした、メロップ。プレオネと喧嘩でもしたのか?」

「ううん。でも、最近ずっと暗い顔してるから」

「あー」


 わかってはいる。

 彼女は私の方針を支持していない……できていないでいるのだろう。私の放った「反抗勢力は全て夢幻に閉じ込める」というのは、命こそ奪わないだけで、ちゃんとした圧制だ。

 善良な彼女はそれに耐えられない。だけど娘の言葉を否定したくない。その板挟みで心労を患っているのだろうことはわかる。

 

 でも、そこは私も変えられない部分だ。

 だからそれ以外の所で笑って欲しい……というのは、傲慢なんだろうか。

 考えるまでもなく傲慢だよなぁ。そもそもアトラスと同じように接してほしいというのなら、全てを打ち明ければいいものを。彼女の幸せを考えるのなら、この政策を諦めればいいだけの話。

 矛盾矛盾。いつも私はそうだな、本当に。


「一緒にお風呂入ってあげるとか、どうだい」

「そうだな。一緒に寝てあげるとか。最近一人で寝ているだろ、メロップ。プレオネはあれでいて寂しがり屋だから、あまり早すぎる親離れは……っと、これをメロップに言うのは酷か」

「そ……んな、ことでいいの?」

「そんなことって、じゃあメロップ。アンタ、今までにプレオネと親子らしいことしたかい? たまに膝の上で眠ってるくらいしか見たこと無いけど」

「……」


 親子らしいこと。

 とは。

 親子らしい、こと。一緒にお風呂に入る……は赤子の頃はしていた。でも子供、況してや五歳になってまで親と共に入るものなのか? 一緒に寝るのもそうだ。

 参ったな。

 自分の幼かった頃を思い出してみても、母上と共にお風呂に、なんてのは……あったかなぁ……?


「ま、相談してきたんだ。帰って来た答えには素直に従ってみるもんだよ」

「自分から言うと良いよ。僕も父親と深く話したい時はそうやっていた。同じ空間で安らぐ、というのは腹を割って話すのと同じような効果が見込めるんだ」

「メティスと、プラムの……両親」

「ああ、まぁ里が無くなっちまった時に離れ離れにはなっちまったけど、どっかで適当に生きてると思うよ。そう簡単に死ぬ二人じゃあない」

「というか今の僕でさえ勝てるかどうか。タイタンの戦士として情けないことこの上ないけどね」


 軽くしか聞いたことは無いけれど、確か北方の出であるはずの二人。

 メティスは何度も述べているように僕への刺客として現れ、プラムはアレスが連れて来た。森で出会って意気投合したとかで。

 その後ちょろっと色々はあったけれど、プラムは僕に忠誠を誓うことになって、それでようやく兄妹は再会した。本当に偶然、再会する予定だった、とかでもなく、だ。

 惹かれ合うものなのだろう。血のつながりというのは。


「わかった。やってみる」

「その意気だ」


 それで彼女に笑顔が戻るのなら。


*


 早速プレオネに言ってみた。


「お風呂、ですか? ええ、いいですよ。久しぶりですね。……何か、悲しいことでもありましたか?」

「ううん。でも、一緒がいい。寝るのも」

「勿論いいですよ。……ふふふ、何年ぶりですかね。こうやって素直に甘えてくるなんて。プラムに何か吹き込まれましたか?」


 鋭すぎる。

 いやまぁ そういうことをやらせるのがあの兄妹だってわかりきっているからなんだろうけど。


 城の浴場は――貸し切り状態。皇妃とその娘が入るのだから、侍従が入っているわけもなく。

 懐かしいものだ。本当に何年ぶりか。

 アトラスだった頃はプレオネと湯浴みをすることも少なくはなかったけれど、メロペーになってから……娘になってからは、様々な罪悪感からあまり入れてなかったかもしれない。

 確かに腹を割って話すには丁度いい場所だ。

 ……隠し事ばかり、だけど。


 湯に浸かる、という文化は、帝国文化にはもともとなかったものだ。湯を浴びる、水を浴びる、まではあったけれど、浸かるまで行ったのは確かセールノンという国を併合吸収してからだったか。

 革新的だったのを覚えている。潤沢な淡水の採れるあの国だからこそ発達した文化だったけれど、帝国で実現するために海水の濾過や煮沸なんかの機構作りに励んだ覚えがある。あの時の、機構を作り終えるまでに代用していた術式とか今じゃ全く使わないなぁ。


「いいんですよ、メロップ」

「え……」

「私に気を遣わなくても。私が悩んでいることを気遣っているのは、わかりますから」


 わかる、か。

 悟られるだろうとは思っていたけれど。……こうやって言葉にされると、色々とめぐるものがある。


「確かに私は……今の貴女の在り方を好ましく思っていない。教会の聖女として在ったころの私であればいざ知らず、『誰しもは手を取りあえるはず』という綺麗すぎる理想論を掲げた貴女の父に夢を見た私は、今の貴女の強引なやり方を……恐ろしく思っています」

「……うん」

「でも、お願いだから、親のために生きないでください。貴女は貴女の人生を過ごしてほしいの。それがどれほど鮮烈でも、どれほど苛烈でも……私は貴女の母親でいたいから」


 親のために生きないで、か。

 ここにいるのが本当のメロペーであれば、その言葉で考えを切り替えることができたかもしれない。

 でも私は。


「貴女の隠し事は、私を傷つけないためのもの。そして貴女自身の勇気のなさからくるもの。そうでしょう?」

「……うん、そう」

「なら大丈夫。貴女は勇気を持っているし、私は――傷つきはするかもしれませんが、それで貴女を見放すことはありません。あり得ません。これは、絶対に」

「……たとえ、私が私じゃなくなっても?」

「そうなったら、貴女を取り戻しに行きますよ。その時は……今はバラバラになってしまったタイタンの戦士たち全員で」


 私は僕だ。

 メロペーはアトラスだ。

 今までメロペーのふりをして、『誰しもが手を取りあえる』というアトラスの理想を追いかけようとしてきたけれど、それをやめた。

 メロペーとなって、『逆らう者は全て夢幻に閉じ込める』というアトラスの理想を捨てた。

 

 もう、変わってしまった。

 メロペーはメロペーじゃなくなってしまったんだよ、と。

 

 ……意気地のない私は、言い出すことができない。勇気なんか、あるものか。


「貴女に言っても仕方のないことを言っても良いですか?」

「うん。なぁに、お母さん」

「……貴女の父、アトラスが自死した、というのは、知っていますよね」

「うん。……知ってるよ」


 誰にも知らされていない。

 タイタンの戦士たちしか知らないその情報は、けれど私には知らされている。それ以外の伝え方がわからなかったらしい。

 まぁ、それはそうなのだ。だってアトラスは、あらゆるものに守られていた。メティスのような刺客さえ入って来られない、転移術式すら弾くプレオネの防護結界の中で――死んだ。

 誰に殺された、と言っても禍根を残す。病だった、なんて言えば幼い私は恐怖するかもしれない。

 私はその頃から隠しもせずに知能を見せてしまっていたから、隠さない方が探られないと踏んだのだろう。

 

 アトラスの死は、メノイから聞かされた。

 適役だった。メノイはそもそも隠し事が苦手だから、余計に。彼自身も言いたそうにしていたし。

 そしてそれに対する衝撃など、当然ない。

 僕が、僕自身で決めてやったことなのだから。


「私は……今でも後悔しているんです。一番近くにいたのに、何も気づいてあげられなかった。戦いに勝利し、平和になっていく、大きくなっていく帝国を穏やかに眺めるあの人を、私は疑いもしなかった。……私は、止めることができたはずなんです。私は聖女としてではなく、あの人の妻として、あの人と話して、いいえ、もっとちゃんと、もっと奥の奥まで話して……アトラスを苦悩から掬い上げることだってできたはず。なのに」


 心苦しい。

 ……一緒にお風呂に入れば、笑顔が戻るんじゃなかったのか。

 何故泣かせてしまう。何故も何も、僕のせいだとわかってはいるけれど。

 どうすればいいんだ。わからない。過失だから、どうしようもない。アトラスの自死がなければ彼女はずっと笑顔だった。私は。私は、今になって、今更、どうやって彼女に笑顔を取り戻せばいい。


「父は」 

 

 声は出せているだろうか。ちゃんと言葉になっているだろうか。


「父は……理解されても、掬い上げることは難しかったと、思います」

「……メロップ?」

「私は父と会ったことはありません。けど、夢に良く出てきます。……『誰しもが手を取りあえる』という理想は、あまりにも美しすぎる理想。誰の命も奪わない……私も怖いけれど、それが嫌なら、皇帝なんてやめてしまえばよかった」


 零れる。

 かろうじて自身をメロペーであると認識できているけれど、言葉は悔悟のそれに近い。


「お母さんと一緒にどこか遠くへ、海の向こうへでも逃げてしまえばよかった。……それさえも命を奪うことになると、もっと多くに影響を与えると知っていた。だから」


 だから。

 私の。僕の。

 本心は。


 皇帝の血など引かなければ良かった――までは、口に出なかった。

 だってそれは、僕の両親があの二人でなければよかった、と言っているようなものだ。僕はあの二人を嫌ってはいない。愛情は、わかりにくかったけれど、確かに会ったと認識している。

 ……わからない。

 結局僕が、私が、こういう価値観を持っているのが悪い。ただそれに尽きる。

 

 だから。


「必要なのは『掬い上げてくれる存在』ではなく、『向き合ってくれる存在』だったんだと思います。……私も、多分、そうだから」


 同じ目線を持っている誰かが欲しかった。

 悩みを打ち明けられる存在。苦悩を分かち合える存在。遥か高みから僕を引っ張り上げてくれる戦士達ではなく、同じ目線に立って、時に正し、諭し、時に隣を歩いてくれるような。

 

「父には、友が必要だったんです。アレスじゃダメでした。多分」

「……ふふふ。アレスじゃ、ダメでしたか」

「はい。アレスはあれでいて父を信仰し過ぎている。……と、思います」

「そうですね。そうでした。私達タイタンの戦士たちは、アトラスを信仰し過ぎていました。それが――そうですね。原因です」

「だから、お願いします。お母さん」


 もう繰り返したくないと思うのなら。

 私が繰り返す未来を辿らないよう、心から願ってくれるなら。


「普通の親子でいたいです。……私が空の彼方へ行ってしまっても、お母さんはお母さんでいてくれますか?」

「ええ。はじめに言った通り、私は貴女がどんな貴女になってしまっても母ですよ。それは、絶対に」


 ……結局私の相談になってしまった気がするけれど。

 どこか雰囲気が軟化した。目的の少しは達成できたと見ていいのかな。


 そうであると、願おう。

 

 湯を出て、髪を乾かして。

 一緒に寝る。抱かれて眠る。


「いつまでも、いつまでも。貴女は私の大切な存在ですよ。どうなっても、なんになっても、ずっと」

「うん。ありがとう、お母さん」


 いつか、必ず。

 全てを。

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