第25話 メロップちゃんと脅し

 比較的早く凍蛇は凍り付いた。

 名前の通り全身が氷でできている魔核生物だけど、勿論他の氷との区別はある。だから私の術式で作り出した氷で凍らせてしまえば他の魔核生物と何ら変わらない。その上で凍死の心配がないのだから、むしろ私にとってはありがたい敵であった、と言えるだろう。

 その分の意識をメティスに割いているけれど、特に異常なし。式者も見当たらない、ということでもある。


 よって、私達は一度合流することにした。

 

「さて――お姫様? これからどう動く。このまま城に帰るのが最も単純だが」

「それだと仕掛けてきた意味がわからない。あの程度でどうにかなる僕たちなら、もっと昔に死んでいる……あ、いや、悪い」

「なんだメティスお前、まだ自分が暗殺者だったこと気にしてんのかよ。どんだけ引き摺る気だ」

「そ、そういう意味じゃない! メロップの前であまり死にまつろう単語を出したくないだけだ!」


 暗殺者メティスはかつてのアトラス、つまり僕へ向けられた刺客だった。死角の内の一人だった、というべきかな。

 元は敵だった、というのならメノイだってそうだし、なんならプレオネだってはじめ僕には敵愾心のような……警戒心のようなものを抱いていた。タイタンの戦士たちは最初からいたわけではないのだ。

 最初からずっと一緒だったのはアレスだけ。……それを裏切ったのが僕なわけだけど。


「雑談はその辺にしておけ。メロップ、どうだ」

「……いる。どこにかはわからないけど……広範囲の探査をするなら、霧幻や姿隠を切らないとダメ。あと霧硬も」

「構わない。それらは全て私達を守るものだろう? まだ信用できないか、私達タイタンの戦士たちを。無論、たった三人だが」


 霧硬はメティスやテウラスにかけた、彼らにとっての不意打ちとなる攻撃に対して発動する遅延型の術式。使う機会がなかったようで何より。

 ……気になっているのは、一つだけ。


「アレス」

「ん?」

「私を信じられる?」

「当然!」

「……じゃあ、二人を拘束して」

「おうよ」


 即断だ。一切の疑問なく、疑問を挟もうとした二人の首根を掴むアレス。

 だから私も彼を信じる。信じて、まずはテウラスの胸に手を突っ込んだ。


「――!?」

「ぐ、ちょ……何するんだアレス! それに、メロップも!」

「――誘発の呪い。使役の呪い。無意識の呪い。うん、やっぱりライは使役の呪い使いなんじゃなくて、呪いが得意な式者か」


 全て引き抜く。

 私の前に呪いを出して、気付かれないと思う方がおかしい。いや、勿論五歳児が何を、というのはわかるけれど、ライは私の実力を知っている上で勧誘してきた者と思っているから。

 

 引き抜いた三本の呪い。それを未だ暴れているメティスへと接続し直す。


「っ、すまん、助かった! 敵は少女の式者と、今メティスに化けている異族だ!」

「敵ってことか?」

「ああ、だが」

「わーってるよ」


 アレスは離さない。メティスではない何者かの首を離さない。

 そのまま地面へ叩きつけ――酷く冷たい声で言葉を零した。


「燃えろ」


 燃える。

 その何者かの周囲だけが燃える。決して燃え移ることなく、しかし動かば燃える炎の拘束。


 アレスは術式に疎いが、一点。

 火に纏わる精霊にこれでもかというほど慕われている。愛されているわけでも、好かれているわけでもない。慕われている。

 だから彼の斬撃には炎が乗るし、彼が燃やしたいものは燃える。これは術式というより精霊が勝手に彼のやりたいことをやってしまっている、という表現が正しくなるだろう。

 それで彼が苦労したことは、彼と幼少期よりずっと共にいた僕が一番わかっている。精霊との付き合い方を教えたのも僕だから。あの頃はお互い精霊なんか見えなかったっていうのにね。


 とかく、入り込もうとしていた偽物は捕まり、私達を後ろからぐさりとしようとしていた……させられようとしていたテウラスは自由になった。


 だから、来る。

 どぷん、と空から滴り落ちるは黒いインクの雫。インクの塊、といってもいいかもしれない。それが弾けた時、中に三人の人影があった。


 拘束されているメティス。そしてライ。

 もう一人の男性は――。


「……ヴィルディ?」

「えー、なに? ヴィルったらメロップちゃんと知り合いなの?」

「こちらに覚えはない。だが予想はつく。ヴァルナスに居ついていたあの精霊の仕業だろう」

「あらあら、記録されてたってこと? じゃあ色々バレてるんじゃない?」

「問題ない。私があそこにいたのは組織に入る前のことだ。あそこでの私を知っていようが――」

「組織名は環焉。今のところわかっている構成員は、ライ、ヴィルディ、そしてクォリエル。……で、あってる?」

「あそこでの私を知っていようが、何かしら」

「……王との最期を見られたのか。確かにこれは私の落ち度だ。だが、いずれ知られていたことだろう」

「クォリエル以外はね」

「……わかった。わかった。落ち度を認める。代償は後で支払う」


 もし環焉に上下関係があるのなら、ライはヴィルディの上司的な立ち位置なのだろう。そうでもなければこの堅物そうな男がこのように従うこともないだろうし。

 何より、あの国で革命を起こした男が、その革命となった理由たる組織に属しているとなれば、色々話が面倒になってくる。今理解すべきはヴィルディはライの下にいる、という事実だけで十分そうだ。


「人質の交換、だよね。ライがしたいのは」

「どうしてそう思うの?」

「そうでなければメティスを生かしておく意味が無いし、こっちの人質のために姿を現す意味もない。違う?」

「ええ、正解。どう? 凄いでしょう、ヴィル。この子まだ五歳なのよ」

「確かに末恐ろしい才だ。――ここで摘み取らねばと、強く思うほどに」


 剣が抜かれる。

 その剣は、あの国王を刺した剣そのもの。……捨てられない、のだろうか。


「馬鹿正直にやりあう気? 無理無理。今ヴィルの正面にいる剣士とはやりあっても絶対ヴィルが負けるし、その後ろでなんかやってるのもメンドー。一番簡単なのがメロップちゃん……に見えて、アレが一番厄介よ。喋りながら術式を編むっていう反則技を使ってくるわ」

「もう、使ってる」


 凍る。 

 周囲一帯が一気に凍り付く。壁は高く聳え立ち、その厚さは大人一人を横たわらせても足りぬ程。

 

「……これは」

「見ての通り、脅し。メティスを安全に帰さないのであれば、諸共凍らせる。大丈夫、死なせはしない。私は命を奪うのが怖い。だから――永久に夢の中へ行ってもらう。何不自由ない夢の中で、寿命の尽きるその時まで過ごしてもらう」

「成程、ライがちょっかいをかけたがるわけだ。天才という言葉も惜しいな。傑物の類。……ライ、返してやらないのか?」

「えー、ヴィルったら、少しくらい抵抗の意思を見せるとかないの? 仮にも私の騎士でしょう?」

「これにどう抗えと。私は一介の騎士に過ぎん。術式だのなんだのはお前の領分だろう」


 こぉと息を吐いて、そこから霧を発生させる。

 それらはすべてが小さな蛇のように形を変えて、氷を含んだ後に速度を増す。

 先程の凍蛇から思いついた冷蛇という拘束術式だ。それと並行に、ライのインクの解析も試みる。


「遊び心は適切な場と時のみにしておけ」

「んー、なんかこっちに侵蝕してきてるし、そうらしいわね。それじゃあこの子は返すから、その子返してね、メロップちゃん」

「なぜ?」

「え?」

「これは脅しだと言った。メティスを安全に返さないのなら、あなた達を夢幻に閉じ込める。――こちらの人質を返すとは一言も言っていない」

「いやさっき人質交換って」

「それはライ達がしたいこと、でしょ」


 冷蛇がじりじりと二人に詰め寄っていく。

 ただしこれはあくまで脅しだ。もしこちらから手を出して、「ならこっちの人質は殺すわ」とか言われては堪ったものではない。だから、事を穏便に進めたいのなら早くメティスを返して欲しい。


「……ちぇ、もうちょっと遊べると思ったのに。それじゃあお仲間さんはお返しするわ。それで、そっちの子、アニーっていうんだけど、返さなくても良いから。それじゃあね、メロップちゃん」


 パチン、と。

 ライとヴィルディが弾け飛ぶ。またも飛び散るのはインク。

 そしてそこへ落ちるメティス。気を失っているらしい。……悪趣味な呪いがいくつかついているので、全部引っこ抜いて分解しておく。


 ついでにこっちの人質の呪いも解除。


「ふむ。一応上は閉じておいたんだが、引っかからなかったな。転移術式か」

「ライは呪いと転移の使い手だよ。ラヴァバード、突然現れたでしょ?」

「ああ、あの時の下手人か」


 アニー。少女の名だ。

 しかし依然としてメティスの姿のままなのは何故なのか。術式の片鱗は感じるけど、これは術式でも呪いでも契約でも祝福でもない。


「……これは異族特有の能力、と言ったところだな。相手の姿を見て自身に反映させる……といったものだろう。こればかりはメロップ、お前にも解けまい。異族の固有能力は使用者自らが解かん限り解除は至難だからな」

「え、ゲルアとテウラスにもあるの?」

「あるにはあるが、まぁ別段見せるものではない。それより、そろそろ帰るぞ。森の中にいたという一人含めて、環焉なる組織がまだ狙っている可能性がある。できることなら」

「空路が良いよね。メティスとアニーが気絶してるわけだから」

「体力は大丈夫か?」

「……実はちょっとキツい」


 実は、どころじゃない。 

 起き抜けから大規模な術式を使い過ぎた。もう少し休息が無いと霧船は作れそうにない。


「アレス、メティス二人を運ぶのは」

「いやまぁできるが、流石に剣の腕は鈍るぜ?」

「構わん。どうせメティスと尻尾切りにあった敵だ。戦闘になれば放り捨てればいい。もっとも、鈍るだけで戦えはするのだろう?」

「ま、この辺の魔核生物ならワケねぇか。城に近づくにつれて強さも下がってくだろうし――っしょ、と」

「メロップ、私の背はメティス程寝心地の良い物ではないだろうが」

「うん、お願いね、テウラス」

「ああ」


 こうして。

 ヴァルナスの最後と、謎の組織環焉の襲撃を経た私達は、ようやく城に帰ることができたのだった。

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