第21話 メロップちゃんと方舟
空間に干渉する術式は奥が深い。
アトラス時代や今でもよく使っている空間宥和に始まり、障壁や結界、遮音などの日常的なものから、現在私が編んでいる空の方舟という術式と様々ある。
この方舟は「行く先の空間を折りたたみ、過ぎた空間を引き延ばす」ことで前に進むため、こと進行という点において妨害を受けることがない。前方に来たあらゆるものは折りたたまれてしまうからだ。
欠点は折りたたんだ直後に背後で引き延ばすので、妨害行為を止めることができるわけではない、ということか。
術式とは世界を書き換えるもの。
その最たる例が空間術式だと私は思っている。
「……見事なものだな」
「ありがとうございます」
「アトラスにも同じことはできたのだろうが……その齢で、となると、さしものアトラスも敵わないだろう」
心の中でうっとダメージを受ける。
……そのアトラス本人だからな。体力問題さえ解決できれば、練度はそのままなんだよ。
「これはもう乗り込んでいいのかい?」
「はい。私が最後に乗り込みます。浮上後、速度が安定したら周囲の索敵お願いします」
「わかった」
テウラス、メティス、アレスの順に乗り込み、最後に私が方舟へ搭乗する。
久方ぶりに作った方舟だけど、ちゃんと機能している。空間を固めて作ってあるから足場もしっかりしているし、光も複雑な屈折をするから地上から見えることはほとんどない。メティス級の観測手がいたら話は違うかもしれないけど。
浮かぶ。
浮上そのものには大して消耗はない。位置情報を書き換えるだけだから。
空間と空間の位置を変える……二つに割った札の相互の位置を入れ替える感覚に近いか。
「おお、すげぇ」
「安定しているな」
「メロップ、体力は大丈夫かい?」
「問題ありません。――出発します」
目標はヴァルナス。崩壊したという跡地へ。
眼前の空間が潰れるように歪み、後方の空間が引き延ばされていく。
乗っている側からすると速度も風を切る感覚も、そもそも進んでいるかさえもわからないと思うけど、既に元タイタンの帝国の領土を抜けるくらいの場所まで来ている。それほど速い移動手段でありながら――。
「……すみません、一度空間迷彩と加速を解除します。休憩を挟んで再開しますが、その間」
「俺達の出番、ってわけだ」
クレネの山に差し掛かるあたりで、私の消耗が七割を超える。
方舟が空中で分解することが最もやってはいけないことなので、ここからは一旦節約気味の航行に切り替える。
地上からは丸見えになるし、他者の術式も通すようになってしまう――けれど。
「アレス、四時の方向だ!」
「っしゃぁ!」
「雲矢……おっと、殺してはいないぞ、メロップ」
バード系の魔核生物に対し、ガンガンに対処をしていく一応剣士なアレス。メティスの観測能力は言うまでもないが、アレスの斬撃の精度のいいこと。アレも術式の一種だけど、アイツは感覚で使ってるのがなんだかなぁ。
その隣で仕事人をしているのがテウラスだ。
メティスの死角から忍び寄る魔核生物や、地上から私達を狙おうとしている魔核生物に牽制をしているらしかった。
「クレネの山を越えたな。メロップ、もうすぐだ……うん?」
「前方! 正体不明の黒雲! メロップ、高度下げられるかい?」
「……いえ、問題ありません。あの程度の術式でどうにかなるような強度にしていません。このまま突っ切ります」
「お、おい!?」
舐められたものだ。
こと術式に関してはそこそこのプライドがある。
私の方舟をこんな妨害の雲で破壊できると思ったら大間違いだ。
折りたたむ。
黒い雲を潰して、方舟を通り越したら引き延ばして元の位置に戻る。
黒雲に乗った妨害術式は、しかし方舟を触ることさえない。
「力技も良い所だが、同時に正攻法でもある。しかしこの方舟とやら、消耗が激しいのではないか? 私に変われる部分はないだろうか。負担の軽減がしたい」
「いえ、もっと効率化すればいいだけなので、問題ありません。それよりテウラスはメティスと協力して式者の発見を」
「……いいだろう」
術式の体力は己との勝負。
キリニーのおかげでかなりの拡張が為されているとはいえ、消費の激しい術式をそのまま使う、というのは美学に反する。今この場で行うのだ。術式の改良を。
まず、空間迷彩はトグル式に変えるべきだろう。こんな黒雲の中で迷彩を使っていても意味はない。一度消す。
次に防護だ。めいっぱいの防護結界を張っているけれど、ここはもう少し薄くしても良い。護送や要人の運搬であればもっと強度が必要だと思うけど、アレス達ならば大丈夫だという信頼がある。一度弱くする。
遮音もそこまで必要ないはずだ。必要なのは気温を保つ術式くらいか。
「見つけた! テウラス、アレス! 下方、十二時の方向! 黒を基調とした日傘をさした少女! アレがこの雲を発生させている!」
「――メロップ、敵か?」
「まだわからない。殺さないで、けど無力化して。お願い、アレス」
「ハッ、良い無理難題だ!」
アレスが大きく剣を振り被る。その刀身に猛る業火。
今なら見える。炎の精霊たちは、それはもう楽しそうに踊っている。アレスに使われることがうれしくてたまらない、というかのように。
「一瞬だ」
本当だった。
アレスの言葉通り、いつの間にか振り下ろされていた剣は黒雲を割り、そして黒服日傘の少女の――その真横を大きく深く穿っている。
牽制。いや、警告だ。気付いているぞ、と。そして、いつでも殺せる準備がこちらにはあるぞ、と。
「……」
黒雲が晴れて行く。
どうやら引いてくれたらしい。これで楽に進める。
そして、これでわかった。
ヴァルナス崩壊にはやはり、ライ達の組織が関わっている。でなければ妨害なんてしてこないだろう。
「休憩終わり。飛ばします」
ぐんと速度を上げる。
世界の書き換え速度が上がり、そうして、瞬きの間に。
「着きました」
着いていた。
*
「ごめんなさい……」
「気にするな。むしろ仕事としては十二分の成果だ」
テウラスに背負われて、ヴァルナスに入る。
本当は自分の足で歩きたいんだけど、さすがに疲れた。飛ばしすぎたかな、とも思いつつ、早く調査を終わらせて城に帰りたい欲が出てしまったのだろう。やっぱり城を開けている状態、というのは落ち着かないものがある。
「前に来た時と変わらないな」
「ああ、崩壊。その一言に尽きる」
「ひっでぇことするよなぁ。どの家も等しくぶっ壊されてら」
壊れていた。
ヴァルナスの民が自ら壊した、という説が出ていたけれど、それだけでは説明のできない――なにか大きなものが降り注いできたかのような痕跡もある。
「前に来た時と、変わらないのですか?」
「む? あぁ。前に調査に来た時と……」
テウラスも気付いたらしい。そしてその様子を見て、メティスも得心が行ったというように構造物の中を物色する。
「……変わっていない。メティス、前に来たのは四年前だ。これは合っているな?」
「間違いないよ。アトラスの没後一年目にヴァルナスは崩壊した。そこから四年経って、何も変わっていない」
「ありえ、ない」
どうやったって使われていないものは風化する。
それが破壊された街並みならばなおさらだ。壁の鋭利な部分や木の杭など、雨風も防げないヴァルナスで四年間変わらずに残っている、というのは考え難い。
「おい見ろよこれ! 食いモンがそのままだぜ!」
「……貯蓄の食糧が腐ってすらいない、か」
「そんな……あり得るのか?」
普通はあり得ない。
だけど――術式を用いれば、あるいは。
「……メティス、テウラス。この国に人の気配はある?」
「ない。完全な無人だ。どころか、鼠一匹いないよ」
「異族の気配もないな。見ての通り精霊もいない。……おい、まさか」
「そう。――アレス」
「んー?」
「一回、本気でヴァルナスを薙ぎ払ってみて欲しい。この国を――地図から消滅させる気で」
私の推理が正しければ。
というか、正しいという確信があるから、言う。
「いーのか? 重要な証拠だろ?」
「お願い」
「……良いぜ。んじゃ、ちょいと下がってな。本気でってなると、お前らまで巻き込みかねねぇ。対象はヴァルナスという元国家。その全てでいいんだな? 地下は?」
「確か地下道があったはずだ。深さは二階まで」
「りょーかいっと!」
その後の事は、筆舌に尽くし難い。
それは間違いなく炎だった。だけど私が、僕が、始めてみる焔。
すべてを焼き尽くす、本気も本気の。
「消えろ!!」
あまりにも鮮やかな。
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