第18話 メロップちゃんと大精霊
眼前に広がる空も海も、全て穏やかだ。
隣にいるプレオネと、その膝で眠るメロペー。
……何もそんな、こんな早くに夢だと気付かせなくてもいいのに。
「どうしたの、アトラス。いつもの苦笑いが、より濃くなってる」
「酷いな。……メロップは、まだ起きなそう?」
「そうね。この子にはただ海を眺める、というのはつまらなかったみたい」
「だろうね。子供には……まだ早かった」
すらすらと口をついて出る言葉。
この状況がおかしいと、あり得ないとわかっているのに、僕はこれを受け入れている。
だってこれは、僕が死ななかった場合の世界だろうから。
……突きつけられなくたってわかっている。プレオネの口を使わなくても、メロップの口を使わなくても、理解している。
この平穏は、僕の臆病さが、けれど既のことで止まっていたら得られていたものだ。
「アトラス」
「怖いな。夢の中の君に何を言われるのか、全く分からない」
「愛しているわ。――どんな姿になっても」
ぎゅ、と。
メロペーを抱きしめるプレオネに。
「……僕もだよ。ああ、でも、そうだね。……愛し合うなら、親子ではなく、夫婦がよかった、なんて――あまりにも、いまさらだ」
「……でもね、アトラス。私達も後悔しているのよ。あなたを止められなかったこと。あなたをわかってあげられなかったこと」
「夢で言われてもなぁ。それは結局、僕がみんなに思っていて欲しいことでしか」
「いいえ。これは今、皆の夢を繋げていることだから、皆の思いが混ざっている。……皆はこの夢を忘れてしまうだろうけれど、あなただけは忘れないから」
「やっぱり。夢の中にしては、すらすら喋ると思っていた。君が大精霊?」
どこまでが彼女だったのか。
どこまでが彼女ではなかったのか。
愛の言葉までが嘘だとは思いたくないけれど。
「愛の言葉と、後悔までは本当のこと。その後は全部私」
「私、って言われてもな。僕は君の事を知らないんだけど」
「……そうね。アトラスは、引き継げなかったから」
言われた瞬間、胸にチクっとしたものが飛来する。
夢の中なのに、おかしなことだ。
でも、そうか。
前も、その前も、その前の前も全部が私で僕で誰かなら。
アトラスが忘れさえしなければ、覚えていたかもしれないのか。
「教えてくれるのかな。君と僕の軌跡を」
「聞きたいと思うの?」
「どうだろう。戦火に満ちているのなら、聞きたくないかも」
「そう。なら、教えないでおくわ。あなただってタイタンの帝国成立以前の歴史は知っているでしょう?」
「ああ、確かに。ずっとずっと戦っていたからね、人間は。そうか、その中にいたのか」
小さな紛争から大きな戦争まで、争いに彩られた歴史が人間の歴史だ。
タイタンの帝国が大陸統一を果たすまで、ずっとずっと争っていた。今だけなんだ。唯一、今だけ、ようやく大陸は平穏を掴み取った。
それでも海の向こうでは争いをしている国はあるんだろうし、『暁の双眸』を始めとした反抗勢力も出始めている。
持続はしない、のだろう。
そしてそうである限り、愛し子と精霊も。
「どうやったら覚えていられるのかな、ずっと」
「忘れさせたのよ。アトラスの前のあなたは、苦しいことが多すぎたから」
「そっか。その僕は、命を奪った?」
「いいえ。最後まで奪えなかった。――奪えなかったから、肉親に殺された」
「教えないんじゃなかったの?」
「これは警告だもの。……メロペー。あなたがその信念を貫くことは、ええ、良いと思う。血の雨の降らないあなたの星は、本当に住みやすいところだから。だけど――また悲しい思いをしたくないのなら、違う結末を望む必要がある」
違う結末。
肉親に殺される、でもなく。自ら命を絶つ、でもなく。恐らくもっともっとある、悲しいだけの結末ではなく、だ。
「足りないものが何かは、聞きたい?」
「いや、いいよ。どうやらメロペーはきっかけに愛されているみたいだから、自ずと集まるだろう。探さなきゃいけないと思っていたら、その焦りが自分の足元を掬うんだろう」
「流石、幼い少女ではない大皇帝様はわかっているようね」
「これからその少女も大皇帝になるんだよ」
「あら、ということは、少しでも考えていた私に連れ去られる、という未来は消えちゃったの?」
そこにいたのは、もうプレオネじゃなかった。
いや、プレオネとメロペーは静かに隣で眠っている。
私が見ている方向にいるのが、この平穏な海と空の狭間にいるのが、美しい光を放つ真白の女性である、というだけだ。
「初めまして、大精霊。名前はあるのかな」
「キリニー」
「キフティと似た雰囲気を感じるのは気のせい?」
「あの子が私に似ているのよ」
「成程、そっちが原初なわけだ」
夢の中だけど――術式を編む。
階段だ。中空へ浮かぶキリニーのもとへ、一段ずつ上がっていく。
「うん。僕は君に連れ去られる未来を選ばない。多分それが一番苦しくないんだろうけど、安寧の中で眠りに就けるのだろうけれど――僕がそれを選ぶことは、私が許してくれそうにないから」
「そっか」
辿り着く。
同じ目線にまで。真白の女性は、真白に輝く女性は、にっこりと笑顔を浮かべた。
「だけど、君を忘れたいとも思わない。君と離れたいとも思わない。どうしてかな、僕の記憶に君はいないのに、君に悲しい思いをしてほしくないと思っている。――だからさ、キリニー」
「……言っておくけれど、こっちは大精霊よ? こんなのすぐに抜け出せるんだから」
「だとしても、僕がやりたいことだから。また会おうよ。何度も何度も。それで、僕の知らない、悲しくない話を聞かせて欲しい。君との思い出を。君との記憶を」
夢を空間として捉え、囲う。
囲い、切り取り、一つの世界とする。
「キフティは精霊の世界のどこを探しても君はいなかったと言っていた。愛し子も。……つまり、君は精霊の世界に居られないんだろう?」
「ええ。私の存在は、他の精霊にとって毒だから。今の私にはたくさんの欠けがある。私の傍に精霊が来たら、勝手に吸ってしまうのよ。私の意思も、他の精霊の意思も関係なくね」
「じゃあ、隔離はやっぱり正解だ」
「そう、大正解」
プレオネ達が遠ざかっていく。
タイタンの大帝国が遥か彼方に消え去っていく。
残されるのは、平穏な空と海の一部が切り取られた世界と、キリニーと、私だけ。
「君を癒すには何をすればいい?」
「メロペーのきっかけに聞きなさい。愛されているんでしょう?」
「わかった。最後に一つ聞いていいかな」
「いくらでもどうぞ。だって今の私は囚われのお姫様ですもの」
「最初の愛し子は、どうなったのか。それを聞きたかったんだ。僕でも私でも、その前の誰か達でもない愛し子は」
フレイルの言葉が正しいのなら。
愛し子は二人いる。
「……嫌な事ばっかり聞いてくるんだから」
「答えたくないなら、いいよ。自分で考える」
「いいえ。こればかりは考えたって答えはでないから、教えてあげる」
キリニーが私の頬に触れる。
そうして、近づいて、小さく小さく囁いた。
「術式になったわ。精霊になったのではなく、術式に。ある――誰も知らない、とても大切な術式に」
「術式……。そうか。うん。ありがとう、キリニー。それは、僕もそうなりたいと思う結末だ。教えたくなかった理由もわかってスッキリしたよ」
「ええ。あなたとあの子は本当に似ているから、怖かったけれど。……あなたは、前を向いているのね」
「もう悲しませたくない人がたくさんいるんだ。二度も僕を看取らせるなんて、あってはならないことだと思うから」
晴れて行く。
平穏な海と平穏な空の切り取られた世界。
そしてそれ以外の暗黒が、次第に薄れ、晴れて行く。
「そろそろメロペーが起きるみたいだ。――またね、キリニー」
「ええ。閉じ込めたまま放置とか、やめてよね」
「もちろんまた来るよ。頻繁に来ると思う。僕は知らないことがいっぱいあるからね」
晴れる。
晴れて。
目を、開けた。
「あら、起きてしまいましたか?」
「……」
平穏な空と海。先ほどまで私が眠っていた
隣には。
誰も、いない。
「……父がそこにいる夢を見ました」
「それは、ええ。あの人もここが好きだったからかもしれないですね」
「私も……ここが好きです」
だから、見逃さないようにしないと。
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