第15話 メロップちゃんとドラゴン

 雲と空の間を進む霧船。

 その上から地上を見下ろす。広がるはタイタンの大帝国。


「……広い」

「いまさら何を言ってるの?」

「そう、だね。いまさらだ。……本当に」


 治めていたのが己だと。

 いや。治めてなど。


「それより、ほら、あそこよ。クレネの山は」


 キフティが指さす所に、それはあった。

 煌々と輝く巨山。けれどそれは頂上付近のみで、麓や中腹は暗いもので覆われている。あれが耐火性のある樹木。

 そして。

 そして、そこにいる。アレが竜だと、ドラゴンだと直感で理解する。相対したことはないのに、見たことは無いのに、わかる。生物的本能なのかもしれない。


「……本当に行くの?」

「血の雨は降らせないと約束する」

「そういうことじゃなくて」

「危ないから?」

「そうよ。あなたがアトラスであれメロペーであれ、戦場に出たことなんてほとんどないんでしょ? それくらいの知識はあるんだから」


 そうだ。

 だって僕に戦う気は全くなかった。

 全部みんながやったことだから。でもそれは過失ではなく、僕が臆病過ぎたというだけの話。

 そんな臆病者が、こんな大立ち回り。

 心配されるのも不思議じゃない。


「そう、だね。今でも怖い。というか、この恐怖は私が私である限り、絶対に乗り越えられないものだと思う。だけど、何もしなかった生の果てがアレであるのなら、私は行動した生の果てが欲しい。たとえ同じ結末を迎えるのだとしても──私はもう、私の命を奪いたくないから」


 霧船の速度を上げる。

 同時に編む術式は、受け止めることに特化した、空間宥和に似た術式。

 ほとんど光だった。ほとんど見えていない。私はそんなものに反応できるような身体能力していない。

 だからこの光──力の塊を眼前で受け止めきったのは、単なる経験則だ。

 いや、保険だったかもしれない。僕だったら、どこぞから得体の知れないものがこちらに飛来してきていると気付いた時点で、迎撃の術式を組み立てる。僕であれば落とさずに捕縛するもの。アレス達であれば撃墜して命を奪うもの。

 おそらくクレネの山にいる者達の思考はアレス達寄りだから、霧船に気付いた時点でこれを撃墜せんとする術式なりなんなりを編んでいると予測した。


 そしてそれが案の定だった、と。ただそれだけだ。

 

「今のは」

「今のがドラゴンブレス、って奴ね。術式は別に人間だけに許された技術じゃない。魔核生物には精霊が従わないから絶対に使えないけれど、単なる生き物であるドラゴンには使える。それも、人間より自然に親和性のあるドラゴンなら、より純度の高い、より効果の高い術式を扱えるでしょうね」

「ブレス、ですらないじゃないか……」


 光だった。光を照射された、としか思わなかった。

 空間そのもので受け止める術式でなく、何か結界のようなもので防ごうとしていたら危なかったかもしれない。


「というか、この距離で見えるんだね、ドラゴン……」

「ドラゴンが見えているのか、ドラゴンを使役している誰かが見ているのか、まではわからないんじゃない?」

「ああ、遠見か。ふむ、なら……」


 第二波が来る前に、術式を編む。

 姿を消すのではなく、ぼやけさせる術式。相手はこちらがまるで本物の霧のように、あるいは蜃気楼のようになったと感じることだろう。

 それでも光は来た。

 数で落とそうとしている。なら、今度は幻影だ。自身と同じ霧船の影を空中にばら撒けば、今度こそ光は止まった。


 霧と影の船団は進む。

 遠目にはゆったりと、けれどかなりの速度で。

 そうして──辿り着いた。


 煌々たる活火山、クレネ。

 その真上に。


「……キフティ。力を貸してほしい」

「ええ、勿論」


 キフティは霧の精霊だ。いや、あの時霧の精霊になった、という方が正しいか。

 精霊の生態について詳しく知っているわけじゃないけれど、私とのキスが彼女をそうさせたのだということだけはわかる。

 だから、霧の術式への助力を乞う。


 真横。

 放たれた光を柔らかくなった空間が受け止める。

 ……段々、理解できてきた。これがなんであるか。光を照射する術式の仕組み。


「霧幻」


 降ろす。

 夜の帳が落ちるように、霧の蓋をふわりと地上に降ろす。乱射される光は霧を突き抜けるけれど、拡散させるにはいかない。

 放たれた光は全てこちらで受け止め、抑えてある。どこへ逸れることも、回収されることもない。


「……多いな。けど、皆を探すくらいは……」

 ──"問ウ"


 頭に、脳裏に響くような声だった。

 荘厳で厳格で、けれどどこか──助けを求めているような声。


 ──"汝、我ヲ解放スル者ナリヤ?"

「囚われているの?」

 ──"是"


 これは、霧を伝って、私の術式を伝って声を届けているのか。 

 なんとも器用なことをする。他者の術式に干渉すること自体がかなり至難であるというのに、全く違う用途のものに声を乗せるなんて。


「それは、使役の呪い? それとも契約?」

 ──"古ノ契約。国ト交ワシタ契リ"

「内容は?」

 ──"守護"


 ふむ。ふむ。

 ヴァルナスの国が契約していたドラゴンが、契約内容の拡大解釈によって使われているのか。このドラゴンはただヴァルナスを守るためだけに契約を交わしたのに、ヴァルナスが崩壊し、盗賊稼業に移行したから、ついて行かざるを得なくなった。

 そしてヴァルナスに仇なすタイタンの戦士たちを標的に、と。


 ──"問ウ。精霊ノ愛シ子ヨ。我ノ契リ、解ケルモノカ"

「あなたに協力する気があるのなら」

 ──"頼ム"

 

 本来は解放者メノイの分野だけど、私だって負けてはいない。

 不当な契り。呪い。満了したにもかかわらず縛り続けるその術式は、必ず綻びがある。

 

「キフティ。無理矢理術式を解除することは、精霊にとってどんなこと?」

「……あなたは、そんなことまで気にするの?」

「気になっちゃうんだ。こればっかりは、変えられない」

 

 もし、それが苦痛なら、と。

 考えてしまった。考えてしまった以上は聞かなければならない。


「大丈夫よ。むしろ、契約は互いの合意あってのもの。片方がそれを嫌がっているのなら、精霊もそれを嫌がる。だから、あのドラゴンだけじゃない、契約に使われている精霊も解放を望んでいるはず」

「嘘は、ないよね」

「当たり前じゃない」


 ならいい。

 怖ろしかったんだ。私が知らないだけで、精霊は苦痛を背負っていたんじゃないかと。

 でも、そうではないのなら──できる。


「契約も呪いも、根本原理に相違はない。違いがあるとすれば、それが合意のもとであるか、屈服のもとであるか。だから、呪いを解く手法と同じ手順で契約は解ける。解くときに一定量の苦痛……主に心臓に刺さっている針が抜けるような痛みがあると思う。我慢できる?」

 ──"無論"

「じゃあ、やるよ」


 呪いも契約も、術式は鎖のような形をしている。

 これを解くのならば、鎖を断ち切るか、互いから鎖を抜くか、どちらかしかない。けど、今回はあのラヴァバードの時と違って、鎖が見えない。つまり契約者があのドラゴンの程近くにいる、ということだ。

 離れていればピンと伸びるから見える鎖も、近ければ互いの中に入ってしまって見え難いという、ただそれだけの話。

 

 よって私が選択するのは、鎖を掴み、引き抜く、という術式。 

 人間側がどういう契約を結んでいるのかがわからないから、ドラゴン側だけ。ドラゴンの身体を解析し、その不純物たる術式を引き抜く。

 

 オ、オオと……地上の方から、思念ではない、ドラゴンの咆哮らしきものが聞こえてきた。けれど、構わない。

 我慢できると言った。私はそれを尊重する。


 引き抜く。


「……ッ」

「大丈夫?」

「……うん。キフティ、ありがとう。事前に霧幻で体力を使い果たしていたら、できなかった」

「これくらい、どうってことはないわ」


 抜いた。契りの楔を抜き放った。

 さぁ、そうすれば──苦痛に満ちた咆哮から打って変わって、ドラゴンは歓喜の声を上げる。


 ──"心配無用ダ、精霊ノ愛シ子"

 ──"我ニ、コノ者達ヘノ憎シミハ無イ"

 ──"自由、感謝スル。礼ハ必ズシヨウ"

「……初めてだ。術式を編む前から、何をしようとしているか見抜かれたの」


 そう、私はドラゴンがヴァルナスの人たちに恨みを抱いているんじゃないかと思って、拘束系の術式を編もうとしていた。編もうとしていた段階だった。

 だというのにドラゴンはそれを見通して、無用だと。

 

 彼なのか彼女なのかはわからないけど、ドラゴンは一度大きく咆哮を上げた後、バッサバッサと優雅に飛び去っていく。

 大騒ぎしている地上など気にもせずに。


「霧で声を伝える。……良い発想かも」


 だから、端的に伝える。

 言葉を霧に乗せる。


「もう大丈夫だから、皆、帰ってきて」


 さぁ、どうだろうか。

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