第12話 メロップちゃんとライ

 勿論、大いに心配されたし、また泣かせてしまった。

 精霊の世界は時が止まっているから、外でどれほどの時間が流れているかはわからない。

 私が帰って来たのは、私がキフティに連れ去られてから13時間も経ったあとだったらしい。それは確かに心配されて仕方がない。


 私のいない間に何か異変が起きた、とかそういうことはなかったらしい。

 喜ばしいことであると同時に気になることでもある。異変──誰ぞかの謀略か策略か、最近立て続けに起きている異変は全てこの城の誰かを狙ったもの。そしてそれを防いでいるのが私であると多少なりとも理解はされているだろう。

 その私がいなくなったというのに攻めてこないのは──狙いが私だから、か。


 何をもって私を狙うか。理由は色々考えられる。

 第一に大皇帝の一人娘だ。その利用価値は大きい。第二に知られているかはわからないが機式師だ。こちらも利用価値が大きい。第三に私は僕だ。それに気付いた、過去、僕に恨み抱いていた者が、という可能性も無きにしも非ず。

 どちらにせよなんにせよ、私が狙いだというのなら……なんて考えは皆を悲しませるだけか。キフティに言われたことはちゃんと覚えている。


「ほら、ここじゃよ」

「うん、ありがとうゲルア」


 馬車に引かれてたどり着いたそこへちょこんと降りる。

 

 ──広い、広い墓所。


 タイタンの大帝国。その礎となった者達の眠る場所。

 精霊の世界で見たような美しさはないけれど、静謐な場所であるのには変わりない。


 ……プレオネ達を説得するのには骨が折れたけれど、なんとか許可を取ってここへ来ることができた。ゲルア、そしてアレスの護衛付きで。


「しっかし、アトラスの娘と言っても、やっぱりちゃんと違う所はあるもんじゃのぅ。あ奴、墓所なんぞには絶対に近寄らなんだ」

「突然墓所へ向かうと言った時は驚いたけどな」


 後ろの軽口には答えずに、少し進む。

 立ち並ぶ黒い墓標。黒の棺と、それに突き刺さる折れた剣をモチーフにしたこの墓は、タイタンの大帝国が巨大になる前からの慣わしに基づくもの。いや、多分もっと前からの。

 道半ばであれ。志半ばであれ。夢半ばであれ。

 ここにあるのは剣先だけ。自らの持つ柄は、夜の国へと持っていけ。それが必ず役に立つ……だったか。


「メロップ、こっちじゃこっち」

「あまり遠くへ行くな。流石の俺も、ここじゃ暴れ難い」

「うん」


 目を瞑り、黙礼する。 

 今まで来なくてすまなかった。今まで怖がっていて申し訳なかった。未だに私のためにと命を賭した者達の事は、怖い。怖い。どうしても怖い。だけど──いつかあなた達のことも、理解できるように見識を広めていくつもりだ。

 こちらの性分はまだまだ直せそうにないけれど、どうか、安らかな旅路を。




 ここじゃ、と案内されてきたのは──ひと際大きい墓。

 アトラス、とだけ書かれた墓。教会の人間と婚姻を結んだ者は、その姓を教会に捧げる。だからアトラスに姓はない。

 しかし何もこんなに大きな墓にしなくてよかったものを。


「……」

「メロップ、儂らは少しだけ離れておく。言いたいことがあったら言うんじゃ。文句でも構わんぞ」

「だなー。俺達がいちゃ出せねえ言葉もあんだろ。ああ、なんかあったらすぐ名前を呼べよ。前みたいに」

「うん。ありがとう」


 空気を読んでくれたゲルアと、頼もしいことを言ってくれたアレスに礼を言って。

 

 膝を突く。


「恨みはあるかな、アトラス」


 問い。それは自己への問いでもある。


「君の命を奪った私に、君はどんな言葉をかけるのかな。……君のことだ。恐ろしいものをみる目で見て、けれど怒りはしない。そんなところか」


 ああ、わかった。

 この場所。精霊の墓所の、あの美しい山の中心部だ。数多の精霊が折り重なった、色とりどりの光の山。その真ん中にアトラスの墓があった。


「何故、相談できなかった。何故、弱音を吐けなかった。普段から嫌だ嫌だと言っているくせに、何故だ。自分の命を捨てる時だけは、誰にも言わず──仲間を傷つけることを厭わなかった。それは、なぜだ、アトラス」


 自問自答。

 答えなんかわかり切っている。


「止められると知っていたからだ。わかりきったことだった。自死なんて──止めない方がおかしい。でも、あの時のアトラスには、わからなかったんだ。それが優しさなのか、誰を思っての行動なのか、自分を見ている者がいるのか、皆が向ける笑顔がなんなのか」


 支離滅裂なのは許してほしい。

 死した己への問答など、これが初めてだ。だから勝手も作法もわからない。


「プレオネに伝えなかったのは、なぜだ。怖かったからだ。止められることが怖いのではない。泣かれることが怖かったわけじゃない。わからなかったから怖かったんだ。なんて言われるのかわからなかった。あんなにも長く苦楽を共にしてきた仲なのに、あんなにも愛し合った仲なのに、命を奪うことあのことだけは、どこまでいっても平行線だった」


 それはメロペーになっても何も変わらない。変わっていない。

 僕が私を奪ったこと。全く話せる気がしない臆病者。


「どうだろう、アトラス。私はまだ、死ぬべきかな。結局同じことを繰り返すのならば」

「あら、勿体ない。捨てるくらいなら私にくれないかしら、あなたの命」


 背後から聞こえた声に、咄嗟にアレスの名を叫ぼうとして、けれど口をふさがれた。

 背後。背後から伸びる腕だ。


「しーっ。わかっているのよ、近くに控えているタイタンの戦士たちのことは。最強と最賢を護衛に墓所観光なんてすごい御姫様だと思っていたら、お墓に向かって話しかけ始めて……とにかく、ほら暴れないで。余計なことをしなければ、こっちも余計なことをする気は無いから」


 少女だ。少女の声。年の頃はわからないけれど、余裕のある声ではある。タイタンの戦士たちが、アレスがそこにいるとわかっていて逃げられる自信があると見た。

 

 頷く。それで伝わったのか、少女は手を離した。

 アレス! ……と叫ぶようなことはしない。ここは墓所だ。アレス自身も言っていたけれど、彼がここで暴れたら大変なことになる。それに、私はアレスを生きている者相手にけしかけたくはない。


「良い子ね」

「名前を、教えて欲しい。私の名前は知っているんでしょ」

「ええ。大皇帝の一人娘メロペー。愛称はメロップちゃん」

「……」

「なら私は、ライ、と名乗っておきましょうか。愛称よ」


 ライ。

 ゆっくり振り返る。ライは……黒を基調とした服を着た、なぜか日傘をさした少女だった。何故。今曇ってるのに。


「ラヴァバードと森人は、貴女の仕業?」

「話が早いのね。前者はそうだけど、後者は違うわ」

「後者をやった式者とは同じ組織?」

「……話が早すぎるのも考え物だわ。会話が楽しめないじゃない」


 少なくとも組織だった犯行で、ライは転移術式の使い手。多分使役の呪いも使える。ライではない式者は洗脳系の何かか。

 正面切って戦うのが苦手な組織なのか、アレスのように前線に出て戦う戦士が他にいるのか。全体像が見えない内に手を出すのは危険。


「それで、私にどんな用?」

「用。用。そうね、勧誘だったのだけど、無理そうね。貴女、喋りながら術式を編めるとか反則だわ」


 気付かれた。

 でも、もう遅い。


「というわけで、今日は挨拶だけにとどめておくから──もし気が変わったらこっちへ来て。椅子はまだ空いているから」

「逃がさない」

「でも残念、コレ、本物じゃあないのよ」


 粘質空間。

 空間宥和の下位術式で、単純に対象範囲内の大気の粘度を上げる術式だ。勿論呼吸もし難くなるので、基本は身体だけを拘束する。

 ……その配慮は無駄に終わった。

 潰れたのだ。ライは、ぶちゅっと。


「っ……インク?」


 一瞬身構えたのは血を恐れて、命を奪ってしまった可能性を考えての事。

 けれど違う。粘質空間に残ったのは黒いインクだ。どうやらこれをヒトの形に形成し、使役していたらしい。


「アレス、ゲルア」

「もう終わったのかの?」

「おー、もういいのか……って、なんだそりゃ」

「敵襲。ゲルア、これ」


 インクから術式の痕跡を紙に写す。

 追跡はテウラスの分野だからあまり明るくないけど、これだけ証拠が残っているのなら話は別だ。


「敵襲!? おい、だからそういうことあったら俺を呼べって言っただろ!」

「ごめんなさい。でも、声を出したら危なそうだったから」

「……メロップ。この紙は貰ってもよい、ということじゃな?」

「うん。ちゃんと解析してほしい。もしかしたら、かなり大きな組織かもしれない」


 古き者ゲルア。

 彼の得意分野は多岐にわたるけれど、やっぱりその知識から来る解析力が彼の華と言えるだろう。

 ただのインク、とは出ないはずだ。術式痕跡はしっかりと封じ込めたから。

 

「ったく……。無事でよかった。つか、ゲルア、お前もだよ! 結界張ってたんだろ? 何で気付かねえ」

「お主だって気配で気付けるじゃろ。それらをすり抜けてきたということは、それなりの手練れということじゃ。警備の強化が必要じゃのぅ」

「……俺もまだまだ強くなれる部分があるってことか」

「そういう結論に辿り着くあたりが脳筋じゃよなぁ」


 ライ。

 彼女の目的が単に私の勧誘である、なんて信じられるほど私は純粋じゃない。

 目的は……さて、もう少し深く考えてみるとしようかな。

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