第11話 メロップちゃんと精霊の墓所
あ、という声は、恐らく隣のキフティからこぼれ出たものだろう。
瞬きの後には変わっていた。森を開き、遥か彼方にまで伸びる城壁。立ち並ぶ家々。街並み。
現在の──私が良く知るタイタンの大帝国。
この星は、生まれ直したのだ。
「す……すっごーい! けど、こんなことしたら」
「え、ダメ、だった?」
「ダメじゃないけど、居住区が増えて精霊がたくさん来ちゃう。や、来ちゃってもいいのだけど、賑やかになっちゃって……」
ああ。
まぁ、確かに昔の帝国の方が静かではあったか。帝国を名乗っていても、崖際の必要最低限な資源しかない国だったから、辺境ではあった。
それがいつしか大陸を統一し──文字通り世界で一番賑やかな国となったのだ。
「……ね、メロップ。私イチオシの場所があるんだけど、そこへ行ってみない?」
「時間は大丈夫かな」
「さっきの術式で貴女が無事なのはわかっただろうし、大丈夫よ!」
そうだといいけれど。
どの道どうやって帰るかもわからないんだ。言葉に従うしかない。
「もう、そんな硬くならないで。私達が貴女に危害を加える、なんてあり得ないんだから」
「でも誘拐はしたよね」
「そ、それは物の弾みというか、勢いというか。そ……それよりね、ほら、見て」
見る。指の示す先を。
──それは、小さく薄い流れ星。否、流星群に近いもの。
「アレが今こっちに向かっている精霊たちよ。この星の変動を見て、みんな一斉に向かっているの」
「……なんでそんなに私の星は人気なの?」
「血を嫌うから!」
あっけらかんと、そして当たり前のことのように言うキフティに、少しだけ眩暈を覚えた。
だってそれは、私の欠点だ。それさえなければ私は、僕は、もっと多くの命を救えたかもしれないのに。
「精霊はね、血を嫌うのよ。だって穢れるから。穢れが酷くなれば酷くなるほど、魔核生物に近づいていく。知らない? 堕ちた精霊とかって呼ばれる子たちのこと」
「……聞いたことはあるけど、見たことは無い」
「それが穢れ過ぎた精霊たち。式者によって使役され、術式として他者を傷つけ、命を奪い続けると──星に雨が降る。血の雨がね。それに蝕まれたのが、堕ちた精霊。精霊は必ずどこかの星に住まなければいけないから、そういう血を好む式者の星に住んでしまうと、いつ自分が堕ちるか、という恐怖に怯えなければいけなくなるの」
だから、か。
私の星が人気なのは。
「そ! メロップの星に住んでいれば、絶対に血を浴びないでしょう? こんなに長く平和な星はそうそうないから、精霊にとっては楽園なのよね~」
怖ろしい光景なのだろう。
血の雨が降る星。それを浴びれば浴びるほど、自らが魔核生物に近づいて行き、最後には──など。
「だから、お願いねメロップ。"愛し子"。貴女がこれからもそうして誰しもを傷つけないでいてくれると、私達が助かるのよ」
「……うん。君達のため、ではないけれど、私はやっぱり、誰も傷つけたくはないかな」
それがたとえ、自分の命の危機であっても。
──仲間の危機、であっても。
「そのために編む術式になら、みんなが力を貸すわ。アトラスの頃と違って身体が出来上がっていないことも考慮して、体力は極力奪わない形でね」
「ありがとう。素直に嬉しいよ」
奇しくも目的は達成されたわけだ。
なら、あとは。
「キフティ。君のその、見せたい場所、という所に行ってみたい。『
彼女の身体は霧だから。
それに合わせた術式で、船を作った。あとはこれに乗っていけばいい。子供だから、歩幅がね。
「ええ、それじゃ──案内するわ。この世界で最も美しい場所に」
*
そこは。
そこは、何かふわふわしていて、半透明なものが溜まっている場所だった。
現実の世界で言えば、ここは。
「墓所……?」
「ええ、そう。あっちの世界でも、こっちの世界でもそう」
近づいて。
近づいて、よく見て。
近づいて、よく見て……膝を突く。
紛れもない死体だった。紛う方なき遺骸だった。
アトラスだった頃も、死体は苦手だった。自分の罪を見せつけられるから。それに気付いていたのだろう、プレオネやプラムは私を墓所へは近づけなかったし、戦場における死体安置所にも向かわせないようにしていた。
死。
死は、等しく訪れるものだ。だけど──あんなにも苦悶の表情を浮かべて死を迎えなくたっていいじゃないか。何故、何故、なぜと。
「よく見て、メロップ」
「……?」
俯いていたら、いつの間にかとなりにキフティがいた。
なぜこんなところに連れてきたんだと言いたくなる口を塞いで、喉から出そうになる嗚咽を抑えて、見る。見ろと言われたものを見る。
精霊の死体。
──なんて、穏やかな。
「精霊にも寿命はあるわ。堕ちなくてもいつかは死ぬ。それでも人間よりは長いけれど。精霊は死に場所に精霊の死んだ場所を選ぶ。だからこんなにたくさんの精霊が折り重なっているし、だからこんなに美しく輝いているの」
「うつく、しく」
「そうよ。綺麗でしょ。貴女のおかげで、一度たりとも穢れなかった精霊たち。貴方が、アナタが、貴女が血を嫌ったことで、ここにいる子たちは穢れを知らずに死ぬことができた。他の星じゃこうもいかないのよ? 体に黒が混じっていたり、苦悶の表情を浮かべていたり。こんなにもおだやかな眠りを享受できる星は、あなたの星以外にはないの」
見る。幾つもの顔を見る。
精霊を見るのが初めてだから、様々な種族がいることに驚きつつ、それらが皆穏やかな眠りに就いていることに……心の中で、何かが生まれる。
術式と精霊の密接な関係も今しがた知ったばかりだというのに。
ああ。
良かった、と。そんなことを思う気持ちが。
「私はここが大好きなの。私もいずれはここで眠りたいと思えるから。美しくて、綺麗で、なんだか胸が暖かくなって、なんだか──この光景を壊したくない、って。そう思うでしょ?」
「うん。……ここに血の雨を降らせることだけは、絶対にしたくない」
「ありがとう。……ただ、一つだけ言いたいことがあるの。聞いてくれる?」
「勿論」
キフティ。
名を教えられたわけじゃないけれど、その名はわかった。彼女だけじゃない。ここで死している精霊の全て。その名がわかる。なぜかはわからないけど、わかる。
「あなたの世界で死した兵隊さんたち。人間のね。……その人たちも、勿論無念の中であったり、未練のあった人もいると思う。けれど、全ての星の墓所が真っ黒になっていないように、そうではなかった人たちもいるはずなの」
「そうではなかった人たち……」
「本懐を遂げて、信念を貫き通して。貴方は貴女のために流される血が嫌いでしょう? だから、そうではない方法でこの国を守り通して、そうして死した命もあるはず。怖いのはわかるわ。多分あなたの気持ちは精霊に近いから。血が怖い。命を奪うのが怖い。──でも、だからこそ、そうではなかった人たちまで無視しないであげて」
そうではなかった人たち。
そうではない人たち。
僕のために死んだのではなく。
私のために傷ついたのではなく。
そんなことのために命を賭したわけではない人々と、向き合う。
傷つけたくないあまり、命を奪いたくないあまり……ああ、忘れていた。確かにそうだ。
一体何年行っていないのだろう。タイタンの大帝国の大墓所。国の礎となった彼らの墓の、何を恐れていたのだろう。
「どうしてキフティは、人間のことまで気にするんだ?」
「可哀想でしょ。それに、あなたの周囲にいる人間は、絶対にこういうことを進言しないだろうし。彼らはあなたに優しいのではないのよ。怖いだけ。……あなたがまた、死んでしまうことが怖いの」
「……そうだ。そうじゃないか。私は僕の命を奪った。その時血の雨は」
「降らなかったわ。けれど、精霊の世界に初めてただの雨が降った。見たことは無いけれど、精霊王様が涙を流したとされているわ。"愛し子"とあなたを呼び始めたのも精霊王様だと言われているの」
精霊王。
今日は知ることばかりだ。自分が何も知らなかったことを思い知らされる。
「いい? そんなことより、気付いてあげて。そして、大丈夫だと思わせなさい。周りの人間たちに──もうあなたは死を選ばないのだと。怖がっている彼らの背を叩いて、前を向かせるの。それができるのは貴女だけなのよ、メロップ」
ふと。
霧が周囲を包んでいることに気が付いた。
また会いましょう、メロップ、という言葉が脳裏に響く。
説明も言葉もないのは、また会えるから、ということだろうか。
そうして、霧が晴れた時。
気付けば私は、自室のベッドの上にいた。
────
※毎日二回更新はここまでです
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