第10話 メロップちゃんと空間宥和
目を開く。
そこは──先ほどの森だった。
けれど、プレオネ達がいない。
「ここは」
「ここは精霊の世界。あるいは術式の世界、でもいいのよ」
「術式の、世界?」
霧の少女が言う。
見渡しても特に現実と変わらないここが、精霊たちの住まう世界なのだろうか。
「ここはね、アナタ達人間の世界と、実際の世界の狭間にあるの。ほら、上を見て?」
実際の世界、という言葉を聞き返そうとしたけれど、上を向くことを優先した。
だってそこには、あまりにも美しい星々が輝いていたから。
昼間だったはずなのに空は暗く、星が煌めき──地上は明るい。それはまるで。
「……夜の国?」
「あははっ、それ、前にここへ来た人間も言っていたわぁ」
夜の国。死者の国。
死した者が向かう場所。いつでも夜で、満天の星々といつでも明るい地上の混在する場所。死者はそこで眠り続ける。あるいは起き続ける、と称する者もいる。どちらでもよく、どちらも正解だと僕は考えている。
ただそれが、この場所のことを指していたというのなら話は違う。
「あ、ほら。見て見て、あそこ」
顔を上げる。
少女の指さす先に、水面で起こる波紋らしきものが広がるのが見えた。そうしてその中心に、新たな星が生成される。
「アトラスみたいに自分で術式を作れる人が高度な術式を作ると、ああやって星になるの。この星空は、今まで人間たちが作り上げてきた術式の歴史なのよ」
無数。
数えきれないほどのそれが、先人たちの。
「……あなたは、私が……僕がアトラスだと、わかっているんだね」
「ええ、勿論! だってここは、あなたが作った星だもの!」
「僕が?」
「そう。さっき言ったでしょ? 高度な術式を作ると星になる、って。空の星々から見れば、ここも遠くで煌めく星の一つ。精霊はね、人間の世界にいない時はこうして自分の好きな星に住まうの」
ここが、自分の星。
言われてもよくわからない言葉だ。
「アトラスの星は大人気なのよ。私も居住権を手に入れるために苦労したわぁ。あ、えっと、そう、それで。アトラスになっても、メロペーになっても、他の誰になってもあなたはあなた! 記憶が無くても記憶を持っていてもあなたはあなた!」
……そうなのか。
じゃあもし、僕がメロペーに生まれ変わらずとも。他の誰かに生まれ変わっていても、僕は。
「さっきから元気ないけれど、どうしたの、アトラス」
「アトラスは死んだ。これからはメロペーか、メロップって呼んで欲しい」
「わかった。それでどうしたのメロップ。プレオネ達が恋しい?」
それはある。大いにある。
恋しいし、心配だ。突然いなくなったら探すだろう。それでみんなは、無茶をするかもしれない。
「大丈夫! さっきゲルアに説明してきたから。この星に住むみんなに貴女を紹介して、それが済んだらちゃんと帰すから、ってね」
「そ……そう」
「それに、ここには貴女の嫌いな争いはないのよ。精霊は血を流さないし、死ぬこともない。食べ物も飲み物もいらない。……ただまぁ、住みたい星に住むために、ちょっとした遊びをすることはあるけれど、それも危ないものじゃない」
そっか。
だとしても、私は帰るけれど。
「ありゃ、フラれちゃった。流石ね、メロップ。だからこそみんな貴女を好いているのだけど……あ、ほら。見えてきた。アレが精霊の街よ」
見えてきた。
……いやあの。
「ここ、昔のタイタンの帝国……」
「へぇー! 記憶力がいいのね、メロップ。そう、ここは貴女が皇帝になる前のタイタン。でも別に意味はないの。この星を作ったのが貴女だから、貴女が星を作った瞬間の星が再現されているだけ」
成程。
僕がアトラスであった頃、最初に術式を編んだのは子供の時だ。父上も母上もいた──遥か昔のこと。
じゃあ、ここは。
昔のままで、止まっているのか。
「今の帝国くらい大きくするには、どうしたらいいのかな」
「うーん、わかんない。わかってたらお願いしてたわ」
「そうか」
星を作り直す、というのは……なにかいけない感じがする。
やるべきは、更新すること。
だから。
「キフティ。ここでも術式は編める?」
「あら、名前。教えてないのに。ふふふ、流石はメロップね。それで、術式。勿論編めるわ」
ふと口をついて出てきた名前で呼べば、それであっていると来た。
よくわからないまま、よくわからないことをしようとしている自覚はあるけれど。
今回はいけない感じがしない。
覚えている。あの日、父上と母上は喧嘩をしていた。……僕がご飯を食べなかったからだ。喧嘩の発端は。あの頃は……今もだけど、調理されたものにさえ命を感じてしまって、それが怖くなる。
その癖が顕著に出てしまったあの日、二人は喧嘩をした。
喧嘩をして、言い合いになって言い争いになって、母上は父上の頬を叩こうとして、父上は拳を握り締めたのが見えた。両者ともに手を出そうとした──それが見えてしまった。
僕の結界術式や隔離術式は大帝と呼ばれ始めてからどんどん新しいものが出来上がっていくのだけど、一番に使ったのはここ。
二人が力を込めたその瞬間に、柔らかく、衝撃を吸収するような結界術式を張った。
二人を隔てるように。
その場はそれで収まったけれど、ああ、悲しいかな。
二人の隔たりは、そこから大きく大きくなっていったように思う。僕が原因で、僕に起因して、そうして──最初の悲劇が起きた。
隣国の侵略。
宣戦布告なしでのソレで、父上が命を落とした。僕はずっと縮こまって隠れていて──戦火が消えたのは、「アレスが敵国の全てを滅ぼした」という報せが国中を駆け巡った時だった。
悲劇。悲劇だったのだろうか。何が原因で彼らが侵略をしてきたのかはわからない。
ただ似たようなことがあと九回あって、タイタンの戦士たちが集い、タイタンの帝国はタイタンの大帝国になった。
その渦中で母上も命を落としたし、数えきれないほどの犠牲が出て……。
「メロップ、大丈夫?」
「あ」
……悪い癖だ。本当に。
一度過去を思い返し始めると、とめどなく後悔が溢れ出てくる。
そうじゃないんだった。
僕は、僕がやりたかったのは、僕が思い出したかったのは──最初の術式。
「空間宥和」
使う場所は勿論。
*
争いだった。
言い争いを越えていた。
「今すぐに取り戻しにいくべきです! 相手は精霊、口約束など信じられません!」
「そう言うなプレオネ。奴らは気紛れなんじゃ。じゃが約束は守る。此度は儂が"メロップを連れて行くな"という約束をしていなかったのが悪いんじゃ。どうか許してやってくれ」
「ゲルア。てめぇ、それでメロップが帰ってこなかったら、アトラスにどんな面見せる気だ?」
「ひーっ、帝国最強と帝国最高を相手にするのは老骨にクるのぅ!」
飛び交うのは光と炎と風。
もしかしたら、当人たちにとっては言い争いレベルのじゃれ合いなのかもしれない。牽制程度のつもりなのかもしれない。
ただ、傍から見たら戦争だった。飛び交う術式の威力が桁違いだ。一般人に当たれば怪我どころか半身を持っていかれるレベルの。
「むおっ!?」
「術式──誰だ!?」
「結界術……まさか教会……いえ、この感覚は」
だから、そこに敷かれた。
彼らの間に。けれど此度こそは隔てることなく──どちらかというと、包んで、動けなくする形で。
「……これは、メロップですね。……戦意が、削がれて……」
「アトラスもじゃが、おっそろしい術式を作る親子じゃのぅ……。ふぁぁ……眠くなってきたわい。四十年ぶりに眠ることも……吝かではないのぅ」
「あー、まー、ここに術式を敷けたってことは、無事ってことだよな。……んじゃ俺も寝るかぁ」
空間宥和。
対象空間内を包み込み、柔らかいが故の身動きの取れなさと、脳に作用する戦意喪失の術式により戦闘を強制中断させる結界術式。
かつてアトラスが作った術式であり、此度のコレはそれのブラッシュアップであると言えるだろう。
戦意どころか精霊への敵意も悲嘆も収まっていく感覚。
プレオネはどうにか抗ってみようと全身の聖気を滾らせたが、やはり無駄。
どこかで。
精霊に連れ去られたどこかで三人を見ていたのだろうメロペーが施したこの結界の、三人とも文字通りの骨抜きにされてしまった。
最後の砦、プレオネの意識がようやく落ちると──空間宥和の球体はふわりと浮き上がり、城の方へと飛んでいく。
──突然目の前に空間宥和が降りてきて死ぬほど驚いた探求者がいたとかなんとかは、また別の話。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます