第9話 メロップちゃんと精霊
「ダメです」
ダメだった。
……当然だ。件の秘湯はかなり遠い場所にあるし、危険な場所でもある。アトラスであった頃に入ったことはないし、見つかった、入った、という報告を聞いただけで実態がどうであったのかも知らない。
これは、焦る必要はない、ということなのかな。
けれどどうにも焦る。焦燥感がある。何か──私の知らないところで何か良からぬことが動いているかのような。
「精霊の秘湯のぅ。連れて行くのは吝かではないが、お主血を見れんじゃろ」
「血が、流れるのですか」
「うむ。あそこはお主以外にも人気での。主に魔核生物が入っておる。あの湯にゆったり浸かるにはそれらを退かさねばならんのじゃ」
「……わかりました。諦めます」
知らなかった。
それは……嫌だな。私のために彼らの邪魔をする、というのは、違う。
「しっかし、なんで精霊の秘湯なんじゃ。温泉に行きたいのであれば国内の安全な場所が」
「今すぐ術式の精度を上げたいということだろう、メロップ?」
「あ、はい。規模の大きい術式を使うたびに倒れていては迷……危険です。勿論私が幼いから、という理由もわかってはいますが、それでも怖いのです」
「俺達が傷つくのが、か」
「……皆さんが、です」
怖い。怖いに決まっている。
怖くて防護の術式を身に着けたんだ。それが満足に使えないとなれば。
「信用されてないな。私達タイタンの戦士たちはそう簡単に怪我をしないものだぞ」
「皆さんだけじゃなくて」
「すべての人々、じゃろ? いや、人々だけじゃなく精霊や魔核生物もか。ほんっとアトラスにそっくりじゃな。……そうじゃ、アトラスにそっくりなら、精霊と仲良くできるかもしれんぞ」
「ダメです。危険です」
精霊と、仲良く。
……。
……?
「父は、精霊と仲が良かったのですか?」
「そうだな。私達異族から見ても仲が良かった。興味を持たれていたし、好かれていた。生憎とアトラスは精霊が見えなかったから、どれほど自身が好かれていたのかを理解できずじまいだったとは思うが」
「ほっほっほ、これでメロップも精霊が見えんかったら面白いが、プレオネの血が入っていてそれはないじゃろし、どうじゃプレオネ、聖女の血があれば精霊から危害を加えられることもないじゃろ?」
「……それでもダメです。そもそもメロップ、貴女が前に出る必要なんてないのですよ。今回はたまたま連続して混乱が続いた、というだけで、普段は私達や城の衛兵がしっかりと貴女を守ります。ですから」
思っているけれど──生前見ることの叶わなかった精霊が見えるかもしれない、という話に、それはもう心惹かれてしまっている自分がいる。
だって、見えなかったのだ。いることは知っていたし、いるだろう場所に術式をかける、なんてことをすることもあった。
それでも見えなかった。精霊。精霊。精霊。
人間や魔核生物とは違う、ある意味「意思を持つ術式」とでもいうべき存在。
美しい男女の姿をしているとは聞いているが、それがどのような姿なのか、どれほど美しいのかがわからない。
「……ゲルア。どうしてくれるんですか」
「何がじゃ」
「メロップの目を見てみなさい」
「ふ、興味津々、といった感じだな。どうするプレオネ。メロップ初めての我儘──母親として叶えてやらないのか?」
ああ、いや、無論。
危ない場所ならいい。興味を消そう。プレオネがダメだというのなら、相応の理由があるはずだ。精霊のいる場所というのは先にゲルアが述べた通り、魔核生物も多いだろうし……うん、私の欲は最下層におくべきだ。
「……そんな目で見ないでください、メロップ」
「ほれほれ。なに、安心せいメロップ。比較的近場に精霊の溜まり場はあるし、プレオネの隔離結界を使えば魔核生物も近づいては来ん。精霊との交渉役に儂がついていくとして、テウラスを城に置いていけばよい。アレスは」
「勿論ついていくぜ。万が一もあり得るからな」
「ま、仕方がない。今回は留守番を任されよう。メティスらが帰ってくるかもしれないからな」
あれよあれよと決まっていく話。
良い、のだろうか。
「よーしとなれば早速支度じゃ。儂は先に言って交渉をしてくるでの、プレオネ、結界の準備を頼む。アレスは森の中駆けずり回っとけ。お主の圧だけで野生動物や矮小な魔核生物は逃げるじゃろ」
「おう」
「……はあ。わかりました。メロップ、それじゃあ外へ行くための御着替えをしましょう」
「は、はい」
そういえば、何気に出かける、という形で外に行くのは今生において初めてだ。
一年じゃ特に何も変わらないだろうけれど、僕が死んだあと帝国に何があったのかは気になる。
……気にする資格なんてないんだろうけど。
にしても、近場に精霊の溜まり場があったとは知らなかった。ゲルアの言い分から察するに森の方のようだけど、あの辺に何か特別な樹木の類でもあるのかな……?
*
ここじゃ、と。
ゲルアは言った。
そこは……。
「何にもない……? 開けては、いるけど」
「む? 何の話じゃ?」
「え、いや、何か大きな樹とかがあるのかと思って」
「大樹? 大樹なんかあってどうするんじゃ」
どうする、と言われても。
……確かにどうにもならないのかもしれないけれど。
「精霊というのはの、同じ種同士集まりたがるものじゃ。そこに巨大な木だの岩だのがあってみよ。邪魔じゃろ」
「逆に、こういう開けた場所は好まれますね。密集しやすいので」
「だから街とかにはいねーんだっけ?」
「ほう、アレスのくせによく知っておるな」
「一々馬鹿にするなよ枯れ木ジジイ」
そうなのか。
そして、それじゃあ──今生も見えないのか。
だって私には、何もない原っぱにしか見えていない。
「ゲルア。メロップが落ち込んでいるので、早く出てきてもらうよう言ってください」
「おお、すまんな。メロップ、普段は皆たくさんいるんじゃが、お主が来るということで色めきだってのぅ。ちょいとばかり叱って、順番制にしたんじゃよ。だから今ここにいないのであって、恐らくお主が見えていないワケではないと思うぞ」
「大丈夫ですよ、メロップ。私の血を引く貴女であれば、見えないはずがありませんから」
聖女の血。
……それは良い代えてしまえば異族の血と同義だ。ゲルアやテウラス達異族の中でも、癒しの術に長けた者達だけで構成されたコミュニティを教会と呼び、故に他の異族を見下す傾向にある。
なんて。
そんなことは今はどうでもいい。
「おぅい、メロップが来たぞ。ああ、押しかけるでないぞ」
ゲルアの言葉が終わるか終わらないか。
直後には、目の前に少女が立っていた。水色の少女。サハギンのような尾の生えた、けれど魔核生物ではなく自然に近い気配のする少女だ。
それが。
その子が。
ちゅ、と。……私の頬と顎に手を添え、キスを一つ落とす。
「!?」
「ちょ、何しとんじゃ!」
「プレオネ、結界で圧し潰すのはメロップじゃなくてもトラウマになると思うぞ」
「……ふぅ。まさかアレスに諭される日が来るとは」
舌を使ったキスだ。ちゅ、どころじゃない。味わうように、しゃぶりつくすように口づけをされている。
その。
まぁ、一応、私も……僕も、プレオネとはそういうことをしたから、経験がないわけじゃない。というかしていないと私が生まれていない。
だから初心な反応はできないけれど、驚きはするし、あと普通に苦しい。
「っぷはぁ! あ、ごめんね。苦しかったね」
「けほっ……ぅ」
「やっぱり灼くか?」
「アレス、メロップでなくとも目の前で精霊が蒸発するのはトラウマになると思います」
私の唇を十分に、十二分に楽しんだ水色の少女は、ふわりと浮いて中空に座った。
そうして──眩い光を放つ。
「むおっ!?」
「なんだ!」
「結界を……ああ、いえ、分岐ですか。驚かせないでください」
プレオネだけが落ち着いた態度。
その視線の先。つまり先ほど水色の少女がいた場所には、霧のような、いや、霧そのものな姿をした精霊の少女がいた。
「おおお……一気にここまで。流石は"愛し子"!」
「愛し子、ですか?」
「え、見えてるの?」
「はい。見えています」
「聞こえるだけじゃなくて?」
「はい」
言えば、霧の少女はみるみるうちに頬を上気させて、叫ぶ。
「ようやく見えるようになったのね!?」
「!」
その言葉は。
ゲルア、アレス、プレオネが疑問符を浮かべている中でのその言葉は──ダメだ。
まだ。
まだ、覚悟ができていない。
聞かれちゃ、いけない。
「あら、そうなの。それじゃ──ごめんね、ゲルア。夕方には帰すから!」
「なにを……まさか!?」
「ッ、結界を構築します!」
「メロップ、手を伸ばせ!!」
突然焦り始めた皆と、にっこり笑顔の精霊。
彼女は私の身体に覆い被さり。
「精霊の世界へ、ごあんなーい」
私は。
この世から、消えた。
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