第8話 アレスの悔悟とメロップちゃんの決意

 アトラスが死んだ。

 ……もう何年も経っているのだ。流石にもう割り切っている。


 アレス。アレスだ。

 最強と呼ばれて久しいこの名は、誕生からこの時まで一度たりとも翳りを見せたことはない。だからこそ何度も聞かれた。何故、何故と。

 なぜ、アトラスに仕えるのか。お前ならば武力だけで王になれるぞ、と──。

 聞かれるたびに鼻で笑ったものだ。笑い飛ばしたものだ。

 王になる、など。あまりにも荒唐無稽だ。アレスは頭が良くない。アレスは人付き合いが苦手だ。アレスは笑顔を向けられるのが苦手だ。アレスは優しさを息苦しいと思う。

 ほら、これほど王に向かない人間がいるか。

 そも。

 アレスが最強を求めたのは、ただ、親友を死なせたくなかった。ただそれだけの理由なのだから、王になる意味がない。その武力、その最強は親友──アトラスのために作られたものであり、他の理由で揮われることはないのだと。


 叫ぶ声が聞こえた。

 届くはずのない距離から、遥か天空から、叫ぶ声だけが聞こえていた。内容なんか伝わるはずもない。それを行うにはあまりに声量が足りないし、突然のこと過ぎてアレス側にも聞く姿勢が整っていなかったから、聞こえなかった。

 

 だから、聞こえたのは一言だけなのだ。

 その前のぐちゃぐちゃした部分は何も聞こえなくて、ただ、ただ、ただ──。


 ただ。


「お願い、アレス!」


 と。

 

 脳が理解する前に、歓喜に打ち震える身体が剣を抜いていた。アレスは頭が良くないから、術式なんてまともには使えない。けれどその天性の才が齎す炎と共にアレスは剣を振り下ろし、願われた通りに叩き切った。

 何を斬ったのかさえわからないまま。

 斬った後も、振った後も、歓喜が身体を満たしていた。割り切っていた、なんて嘘だったとようやく気が付いた。割り切れるはずがない。だって、彼が自ら命を絶った理由はアレスにあるのだから。

 割り切る、なんて。できるはずがない。

 でもその後悔も打ち払われた。確実だ。確実に彼女はアトラスの娘だ。


「……で、なんで会わせてくれないんだよプレオネ」

「変質者があの子に抱き着こうとしたからです」


 抱き上げようとした。頬ずりをしようとした。

 アトラスの子だとは思っても、彼女を守るべき対象であるとしか考えていなかったアレスが、彼女を主君であると認めたのだ。そのことを伝えようとした……ら、プレオネに怒られ、締め出されてそれが現在。

 今すぐにでも誓いの儀をしたいのに、面会謝絶らしい。


「それより、です。魔核生物を取り込んだ森人。そして此度の事件。あなたは何か掴みましたか?」

「俺が掴んでるわけないだろ。小難しいことは全部お前たちに任せてんだから」

「……まぁ、そうですね。アレスに聞いたのは失敗でした。では質問を変えます。あなたはどう思っていますか? 此度の件。何かしらの悪意を感じますか」

「ああ、それは感じるぜ。誰がどうとかはわかんねーが、明らかに狙って来てる。アトラスの不運とはちょっと違う。誰かが悪意を持って、メロップを害そうとしてる」

「メロップを、ですか」

「ん? ……ああ、今俺そんなこと言ったのか。まぁ、そうだ。多分な。何か悪ィもんがメロップを狙って来てる。クレネの連中を引き戻した方が良いとは思うぜ。あいつら全員戻して、俺がクレネに行った方が良い」


 その方が早い。アレスは本気でそう思っている。

 クレネの山で何が起きていようと、面倒ならばクレネの山を消し飛ばしてしまえばいい。タイタンの戦士たちがあれほど向かってまだ解決できていない、というのが情けない──そんな思いさえある。

 アトラスに心配をかけるな。ああ、いや、メロップに心配を覚えさせるな、と。

 文句を言いたい程に。


「今日中にはメティスが帰ってくるでしょう。話はその時聞くにしても、アレス。貴方は国内にいてください」

「……無理か?」

「はい。今回の事件でわかりました。やはりアトラスのいない今、防御の面で私達は大きな後れを取る。私では発生が遅すぎて──貴方とメロップがいなければ、あるいは全滅もあり得ました」


 昼間に叩き切った力の塊。

 目下調査中とのことだが、あれはドラゴンブレスに酷似していた。そんなものがまた放たれるというのなら、確かにアレス以外防げない。アトラスがいれば彼がやったことだが、彼はもういない。だから最大の矛たるアレスが必要だ。

 タイタンの戦士たちはそれぞれがそれぞれに最高を持っていた。その一つが欠けたということは、タイタンの大帝国が今それなりの危機に晒されている、ということでもある。


「枯れ木ジジイの解析は?」

「いえ、まだ……」

「だぁれが枯れ木ジジイじゃ。……プレオネ、メロップに会わせてもらえるか?」


 階段を昇って来たゲルア。その手には数多の書物があり、なんなら浮いているものまである。それは彼が蒐集してきた魔本の全てであると同時に、彼の知識そのものと言える存在。

 ……原理については、アレスが聞いたところでわかりっこないので聞いてすらいないが。


「今はダメです」

「なぜじゃ」

「今、あの子は集中しています。それを乱したくありません」

「集中? じゃが、此度の件に関する話なんじゃ。それでもダメかの」

「ダメです」

「枯れ木ジジイ、諦めろ。俺もさっきから頼んでるが、ずーっとこれだ」

「……まぁ、じゃあ、待つか」

「はい。そうしてください」

 

 集中。果たして何をしているのか。

 中の様子は。


*

 

 メロペーの身体になってから、初めて禅を組んでいる。

 瞑想。自らの世界を消費する術式の精度を上げるのならば、この手法が最も効率がいい。呼吸と同時、全身に張り巡らされた神経を少しずつ内側に引き込んでいくような感覚。

 世界は怖い。世界は恐ろしい。

 だから自らの内側に心を向ける、というのは穏やかになれる行為だ。誰も傷つけず、命も奪わず、ただただ──静寂を。


 世界。術式は世界を書き換える手法だ。

 では世界とは何か。世界とは、だ。それを書き換えるためのペンは、細ければ細いほど複雑なものを、太ければ太いほど広範囲を描き得る。

 世界。世界を感じる。 

 感じる世界を広げる。

 探知や感知ではなく、ただ広げていく。部屋の中。部屋の外。私の部屋。新しい私の部屋。

 

 そして──中庭に落ちた、いくつもの痕跡。

 

「……ふぅ」


 一度、全ての感覚を引き戻す。

 アトラスだった頃より幼く、柔く、小さなこの身体で干渉できる最大距離が、これくらい。ラヴァバードの転移は例外だ。無理を……熱を出し、寝込むほどの無理をしていいというのならもう少し広げることもできるけど、倒れない程度だと今はこのくらいが限界。

 

 とてもじゃないけど、足りない。

 僕ができていたことにも足りないようじゃ、僕が救えた以上の物を救うなんて無理だ。

 

 ……今すぐに、術式の精度を上げるには。

 

「そんな方法があったらみんなやってる……か」

 

 溜め息。 

 危なくない方法でそんなものがあったら、誰でもやっている。

 有害な方法ならいくらでも知っている。それを禁じてきた立場なのだから。思いつくたびに、考えつくたびに禁じた。使ったことは無いけれど、禁じ手は全て覚えている、というほどに詳しい自信がある。

 そんなことはどうでもよくて。

 今。今すぐに、せめて効果範囲を広げて、効果持続時間を伸ばして、且つ私が倒れない程度の精度を。


 ……。

 ああ。一つだけ、思い当たるものがあった。


「温泉……」


 秘湯と呼ばれるものの一種であり、精霊が溶け込んでいる非常に珍しい温泉。

 辿り着くまでが大変ではあるけれど、アレスとテウラス、プレオネがいれば行けないことは無いはずだ。

 ……問題は、この我儘を私が言うことそのもの。

 そして何故知っているか、という問題を。

 

 なんとか。

 なんとか、プレオネを説得してみよう。僕の亡きあとの帝国なんだ。私が守れなくてどうする。その底上げのために──いざ。

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