第5話 メロップちゃんは寝込んでいる!

 術式は世界を書き換えるもの。

 だから、書き換えるためのエネルギーが消費される。

 当然世界を書き換えるものだから世界から消費される、なんてことはなく、違う世界──つまり式者という小さな世界からエネルギーが奪われる。

 

 図書館での網風は小規模だったけれど、今回はかなり大規模に使ったせいだろう。

 

 私は熱を出した。

 体力が底を突いたのだと思われる。最後の演算も良くなかった。楽園ヘルファイスまでの距離は把握しているとはいえ、視認もせずに、というのは……もうやらないようにしよう。


「……お母さん」

「大丈夫ですよ、メロップ。私はここにいますからね」

「でも……お母さんも、ずっと寝てない、よね」


 プレオネが寝ない。

 眠らないまま、熱を出した私の手を握り続けている。それが──心に刺さる。

 アトラスの頃であれば、「ちゃんと休んでいてくださいね」と言って彼女も休養を取ってくれただろう。けれど今この身はメロペー。幼い少女だ。が自らの娘を差し置いて自分が眠る、ということのできない性格であることくらい知っている。


「私は大人ですから、心配しないで。そうだ、お腹は空いていませんか?」

「大丈夫……」


 恥を忍ぶべき、だろう。

 いや、これくらい……結婚したての頃はよくやっていたのだから、恥ですらない。


「お母さん」

「はい」

「……いっしょ、寝よ?」


 このまま私を見守り続けるというのなら、せめてともに休んでほしい。

 他人の機微には聡いプレオネだ。その意図に気付いてくれることを願って、彼女を見上げる。


 その顔は。


「え──ええ、是非」


 何かに驚いたように、あるいはずっと探していたものを見つけたかのように、彼女の頬は朱に染まっていた。熱があるのではないかとも思ったけれど、どうやら違うらしい。いそいそとベッドへ入り、私を抱きしめるようにしてくるプレオネの額に触れても、特に異常は感じられない。

 ……私からも、抱きしめる。

 懐かしい温もりだ。生まれてからは抱かれるばかりで抱きしめるには至らなかった。それを、今、こうして。

 

「メロップ」

「はい、お母さん」

「貴女は……お父さんのことを、覚えていますか?」

「え?」


 意図のつかめない質問。

 メロペーは僕が自ら命を絶った後に生まれた娘だ。娘であり、私だ。

 だから、覚えているはずがない。

 それとも昼間の術式を見て、だろうか。確かにそこから彷彿とさせるのはなんらおかしなことではない。


 でも。

 ──ああ、私はまだ、怖い。怖がっている。


「……わかりません。みんなから聞くお父さんの話を聞くたびに、どんな人かを想像して……でも、情報をまとめると、結局よくわからなくて」

「ふふふ、そうですね。あの人は……良くわからない人でしたから、それであっていますよ」

「そうなんですか?」


 贖罪の気持ちがどこぞへと飛んでいく。

 それより、僕ってそんなによくわからない奴だったの?


「優しい人でした。誰も傷つけたくない。命を奪いたくない。その結果──自らが死するのだとしても、絶対に嫌だと拒んでばかりで」

「私も、嫌です」

「ええ、メロップはそれでいいのですよ」


 頭を撫でられる。

 僕の時は、撫でる側だったのに。


「誰かが傷つく可能性があると判断したら、すぐにそこへ駆けつけて、仲裁をしたり、術式で隔離したり。……その結果自身が、身体や心が傷つくことになるとわかっておきながら、争いの場に赴いて……」

「それが、変、なんですか?」

「変だと思っていました。……貴女のお父さんが死ぬまでは」

「今は……」

「今は、違います。だから安心してくださいね、メロップ。貴女はお父さんによく似ていますが、決して変な子ではありませんよ」


 ──献上される勝利。献上される首。献上される敵国の血。

 

 それらが嫌になって、怖くなって、争い自体が起こらないように、争いを起こす種族や国の縄張りに隔たりを設けた。我ながら何様気取りだ、という話だけど、なんてことはない。

 ただ、私が、怖かっただけ。

 

 でも、それでも戦いは終わらなかった。

 ゆえにこそ、この帝国は大陸統一を果たしたのだ。最終的にすべての国や種族が、僕たちの帝国を敵として見定めたから。


 タイタンの大帝国。

 ここは侵略を迎撃し、拡大を続けた国。その歴史に血に染まらぬ箇所のない──僕が治めた、恐ろしい国だ。


「──プ? メロップ? 大丈夫ですか?」

「……あ、れ。ごめんなさい、眠っていました」

「いえ、眠るのは良いのですが、魘されていましたから……」


 結局のところ、僕はただの臆病者だった。それだけなのだろう。

 信頼し合っているはずの仲間を止める言葉も吐けず、戦いを中途半端に終わらせ、不満を募らせ──この大陸に未曽有の戦争を齎した。

 全部僕のせいだ。僕が怖かったから、僕が嫌だったから。

 

 僕が。

 僕が、いなければ──世界は。


「うっ、ぷ!?」

「メロップ。あの魔核生物の事を考えているのですか? それとも別の事?」


 強く抱きしめられる。

 強く……強く、だ。

 暖かく、少しだけ苦しく。

 そして、プレオネの腕から伝わる震えが、僕を私に引き戻す。


「楽園ヘルファイス。貴女が送った場所ですからわかっているとは思いますが、あそこに転移したのであれば、絶対に大丈夫ですよ。何せ、あの島は……貴女のお父さんが、唯一無条件に笑顔を見せていた島ですから」

 

 楽園ヘルファイス。

 海の真ん中に浮かぶ人工島であり、そこに住まう住民は皆機式師ウィーヴァーであるとさえ言われる。また引退した聖女や教会関係者の流れ着く場所でもあり、その思想はただ一つ。


 怪我人や病人の治癒──。

 来るもの拒まず去るもの治す。「病や怪我を治すこと」そのものが目的だから、報酬さえ求めることはない。ただその思想の強さを懸念して、島長はヘルファイスを陸地に近づけることなく大海原へ浮かべ続けている。

 もし陸地に近づけば──彼らは無償の治療の果てに、自らを殺してしまうだろうから、と。


 あそこはあらゆる相手を治療する。動物や精霊、魔核生物。人間以外のそれらにも等しく治療を行い、元の棲み処へと返す。

 僕の信条にも近い所があったから、これだけは厳重注意としてみんなに言っていた。

 あの島だけには手を出さないでほしい。どうか、どうか、と。


「……」

「ふふ。行きたいのでしょう?」

「え、あ。はい、わかりましたか?」

「ええ。貴女はお父さんに似て表情には出ませんが、だからこそなんとなくわかります。ああ今我慢したな、とか、無理をしているな、とか」

「凄いです、お母さん」


 そしてありがたい。

 私はほとんどの感情を表情に出せない。そして指摘通り、我慢をし過ぎたり無理をし過ぎたりする傾向にある。昔指摘されたのに、死ぬまで──死んでも直らなかった部分だ。

 それを見抜いてくれるというのは、嬉しい。

 負担になってしまうことだけが心苦しいけれど。


「でも、ごめんなさい。あの島へ行くのは難しいです。せめて貴女が五歳になってからにしましょう。いいですね?」

「は……はい」


 そうか。

 ヘルファイスへは、転移を使わない手法で向かう場合、かなりの時間を要する。タイタンの戦士たちだけで高速飛翔するならともかく、私を守らなければならない以上、細心の注意を払う必要がある。

 海の魔核生物や堕ちた精霊も多い中、それをしながら飛翔を、となると難しい者がるだろう。


 五歳。

 つまり、せめて自らの術式で体調を崩さない程度にまで成長してから、ということだ。


「お母さん」

「なんですか?」

「あの……アレス、さんは」

「ああ。心配要りませんよ。アレはこの国で最も強い者ですから」


 語らない。

 決して、あの使役者らしきものがどうなったかを語らない。


 ぞ、と。全身を寒気が走った。……アレスの剣は、また。



*



 そこはメロペーには知らされない──場外のとある牢獄。あるいはアトラスにさえ場所を知らせていなかったやもしれないそこに、三人と一人がいた。


「ほほっ、成長したのぅアレス。腕一本を炭化させたとはいえ、生け捕りに成功とは」

「私も喜びを覚えている。情報を持つものであろうが、手掛かりそのものであろうが全てを灰燼へと帰していたアレスが……生け捕りなど」

「うるせぇなぁジジイ共。……メロップがコイツのこと捕捉してたっぽかったからな。殺したら怖がるかと思ったんだよ」


 アレス、ゲルア、テウラス。

 その三人に見降ろされているのは、片腕のないローブ姿の男。黒みのある肌に長い耳。

 特徴としては森人──だが、その肌の色は先天的なものではない。何かが混じっていることは明白だった。


「さて、お主。名は?」

「……」

「ウォルダ・フィ……セ……ニア? 相変わらず読みにくいのぅ森人の名は」

「!?」


 口を開いてもいないのに本名を言い当てられた森人の男が動揺を見せる。

 見せども、全身を拘束されているから動くことはかなわないのだが。


「アンドリュー、ココイ、ラパヌー。これらの名に聞き覚えはあるかの?」

「……」

「同志か。何のじゃ? ふむ、タイタンの大帝国を堕とすための。ほうほう、少数精鋭も良い所じゃのぅ」


 古き者ゲルア。

 彼の使う術式は、対象の精神に干渉するもの。精神や思考──ゆえに彼の前に理性は意味を為さない。黙りこくったところですべてがつまびらかにされてしまうのだから。


「あのラヴァバードはどこで手に入れた? ……む」

「どうした?」

「……わからん、らしい。当人も……覚えておらんな、これは」

「捨て駒か」

「の、ようじゃのぅ。このタイタンの大帝国を堕とすために集った同志たちそのものが捨て駒じゃろうな。それじゃ、ほい」


 服の袖からバラバラと麻紙を出し、そこへサラサラと絵を描いてくゲルア。

 本職の絵描きも唸るだろう腕で描かれたものは、所謂ところの似顔絵。その顔の下に書いていくのは先ほど挙げた三つの名前だ。


「アレス、こいつらじゃ。黒幕はまだわからんが、とりあえず今城を、ひいてはあの子を狙う敵。──悟られぬようにな」

「ああ。もう、アトラスの二の舞は御免だからな」


 麻紙を受け取ったアレスは牢獄を出ていく。

 何をしに行くか、なんて決まっている。考えずともわかる。


「さぁて、そんじゃ、コイツが忘れさせられている依頼者とやらを洗ってみるかのぅ」

「腕が鳴るな。久方ぶりの整理作業だ」

「……いや、テウラス。お主は万一に備えて城に戻れ。今プレオネしかおらん、というのが少し引っかかる。儂も洗い終わったらすぐに向かう」

「それは……わかった。いつもならば言い合いでもしようものだが、彼女らの方が心配だ。──自爆には気をつけろよ、ゲルア」

「ふん、誰に物を言うておる。そちらこそ抜かるなよ。アレスが街に出ている今、悪意ある者が狙いに来るやもしれん」


 特に今、クレネの山で起きている事件。

 この辺りにいないはずのラヴァバードを使役する男。組織らしき何か。


「……不運体質が呼んだにしては、少しばかり多すぎるからの」


 タイタンの大帝国を狙う悪意は、恐らくすぐそこまで。

 

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