第3話 メロップちゃんは緊張している!

 喉を鳴らす。

 こんなにも重いノックはいつぶりだろうか。の部屋、そのドアに音を立てるのに、これほどの重圧を覚えるとは。

 ぐ、ぐぐ、ぐぐぐ。右手が重い。とても重い。ドアを叩くだけだ。叩くだけだぞアトラス。

 震える手は何を思ってか。悔恨か。それとも恐怖か。私は罪悪感を覚えている──のだと思うけれど、果たしてこれは何に対する罪悪感か。

 嘘を吐いていること?

 それとも自ら命を絶ったこと?

 

 いや。

 と面と向かって話すことに、何を恐れる。


 ノックをする。 

 ただ、一度目で開くとは思っていなかった。力んでいた体が思わず前方へとつんのめる。


「あぁ、メロップ。大丈夫ですか?」

「は、はい。大丈夫です」


 抱き留められて逃げ場を失う。逃げ場。逃げるつもりだったのか私は。


「メロップ」


 優しい声。優しい声だ。

 暖かい声でもある。


「怒る気はありませんから、そんなに怯えないで」

「あ……はい」


 怒られるとは思っていない。は滅多なことでは怒らないし、不当なことで怒ることもない。だから怒られるとは思っていなかった。

 ただ私が、うじうじと、ぐだぐだと悩んでいるだけだ。


「さ、行きましょう」


 抱き留められて、抱き上げられて。

 は私を連れて行く。向かう先は椅子ではなくベッドだ。ベッド。ベッドの上に座って、私を膝の上に座らせて。

 ……暖かい。落ち着く。妻ではなく母として接されると、どうにも表現し難い気持ちになってしまう。


「メロップ」

「……はい」

「貴女がお昼に使った術式は、貴女自らが編み出したものですか?」

「はい、そうです。私が編んで、作り出しました」


 正直に話す。

 先ほど使ったのは風を糸状に編んで蜘蛛の糸のようなものを作る術式だ。

 鋭利にするのではなくふわふわとさせて厚みを作り、緩衝材とする。緩衝材は人間の重みをうけて縮み、空気が抜けた後は勝手に離散する。そういう術式であり、そして誰も傷つけない──そういう術式だ。


「……そうですか」

「ダメ、でしたか?」

「いいえ。……メロップ。それは、貴女のお父さんが使っていた術式です。それを貴女が本当に自ら編み出したというのなら──貴女はいつか、お父さんを越える機式師ウィーヴァーになれるかもしれません」


 機式師。

 私が僕であった頃、あるいは今の私のように、既にある術式を扱うのではなく、自ら術式を作り出す者のことだ。

 ……確かに、僕であった頃の術式をすべて使える今であれば、私はもっと……もっともっとたくさんの人を救い得る術式を編み出せるかもしれない。


「使ってダメ、ということはありません。今日のように誰かを助けるためならば、貴女の判断で使いなさい。けれど、誰かを傷つける為に使うのは──」

「絶対に……しない、です」

「ええ、貴女がそういうことをしない子だと思っています。信じていますから、大丈夫ですよ」


 誰かを傷つけるための術式なんて……ありえない。


 ぽん、ぽん、と頭を撫でられる。 

 ああ、暖かい。彼女の温かい心が伝わってくる。それは僕を想うものではなく、彼女の娘、メロペーを想うもの。だというのに、僕に向けられたものではないのに。


 感情表現は相変わらず苦手だけど、ただ彼女に身を寄せて、目を瞑ることくらいはできる。

 ゆっくり、ゆったり。

 私の意識は……彼女の温かい腕の中に落ちて行った。




 

 次の日の事である。

 の部屋で眠ったはずなのに、自室で起きた私。恐らく運んでくれたのだろうが、寝間着へと着替えさせられていたことに羞恥を覚える……というのは、今更ではあるのだが。私が赤子であった時に散々受けているのだから、今となってはどうとも思わない。

 息を吸う。大きく吸う。

 朝の深呼吸は僕だった時からのルーチンだ。そうして朝を感じ、起床する。


 術式が解禁された。

 昨日の母よりの許しは、そういうことであると受け取っている。


 みんなの魔力を探るに、この城に残っているのはとアレスとテウラス、そしてゲルアだけ。商人であるエイベムは城を出て商売を行っているだろうし、ゲルアとテウラスがわざわざ子供の様子を見に来るということはないだろう。

 だから私が気に留めるべきは、アレスが暴走して何かをやらかさないか、ということだけ。


 ……だと、思っていたのだけど。


「ほほう、改めて間近で見ると、めんこいのぅ。ほれ、儂がゲルアじゃ。一時はアトラスの師をも務めていたんじゃぞ~」

「ゲルア、嘘は良くないね。君がアトラスを導いたのは一瞬も一瞬。一時、なんて言葉でぼかして誇張するべきじゃない」

「……ちぇ、なんだってこの陰険と二人行動しなければならないんじゃ」


 接触してきた。

 侍従が何も言わないこと、が駆けつけてこないことを見るに、承知の上、ということだろうか。


 古き者ゲルアと探求者テウラス。

 どちらも酷く長い間を生き続ける異族であり、深い知識と思慮に優れた者達だ。

 だから私の正体がバレてもおかしくはないと思っていた。

 

 思っていたのだが。


「ほーれほれ、高いたかーいじゃ」

「ゲルア、危ないことはするな! 万一があったら……」

「幼子を抱くのに万一などないわい。ほれ、楽しいじゃろうメロップ」


 ……いや。

 何が悲しくて酒を酌み交わした戦士たちに高い高いをされなければならないのか。

 表情変化の乏しい私でなくとも無表情になろうというもの。特にゲルアの顔をこんなにも間近で見たのは初めてだ。私だからいいものを、子供に見せたら怖い顔だと自覚しているのだろうか。アレスもメノイも恐い顔の代表に上がる名前だけど、ゲルアも相当に……。

 あと、ここは多くの書物を収めた場所であるので、あやし方を選ぶにしても高い高いは悪手ではないだろうか。もう少しこう……静かなものをだな。


「おい、何も楽しそうじゃないぞ」

「ほー、おっかしぃのう。この年頃の幼子はこれが好きだと本に書いてあったのじゃが」

「──ふん、これだから古キノコは」

「なんじゃと痩せ蔦!」


 この二人、長く生きている者同士なだけあって、仲が悪い。プライドの張り合いというべきか、一応ゲルアの方が年上なのだが、ゲルアの子供っぽさとテウラスの大人っぽさが相殺し合っている。

 無論、それは相対的な話であって、年齢に見合わずどちらも若々しい精神をしているのだが。

 

「あの……何用ですか?」

「何用。何用と来たか。……ゲルア」

「何用でもないのぅ。しかしお主、まだ二歳なんじゃから、もう少し子供らしくしても良いんじゃぞ?」


 ……やはりゲルアにはバレているか。

 テウラスもこの分だと気付いている。


 よし。


「ゲルア、テウラス。──私は」

「おおおおおお!? 聞いたかテウラス! 儂の名を読んだぞ! 儂の名を!」

「私も呼ばれましたが?」

「儂の方が先に呼ばれたぞ! 儂の方が! 先に! 呼ばれた!」


 ……。 

 気付いていなかった。普通に子バカ、いや孫バカだった。別にゲルアは私の父ではないのだから孫扱いも不満に思う所があるのだが。


 風を編んで防音の術式を耳に装着する。

 一瞬で聞こえなくなる音。遮音の術式はいくつかあるけれど人に最も害を為さないものはこれだ。小規模であるが故に発生速度も高く、そして発生していること自体を見抜かれ難い。

 問題点があるとすれば、その遮音性の高さだろうか。

 ほぼ完全に音を遮断してしまうこの術式は、たとえば身に迫っている危険、あるいは忠告なども消してしまう。


 ゲルアとテウラスのいつも通りの喧嘩に耳を塞いだ──ただそれだけのつもりだった。

 けれど、直後に起こったことは私の予想の範囲外。

 ぎょっとした目で私を見るテウラス。術式に驚かれたのだと最初は思った。だけど、ゲルアがその手に風の……凝縮と圧縮を繰り返し、敵対者を吹き飛ばす、という術式を編んだ時点で間違いを悟る。

 

 影の差す背後。振り返るまでもない。

 何かが迫ってきているのだから、確認する前に逃げる必要がある。──けれどこの身体では、僕の時のような俊敏さは引き出せない。術式も無理だ。加速には初速がいる。初速を生みだせていない現状をどうにかできるものではない。


 頭の中を駆け巡る数々の術式。僕であった時に作った、誰かを助ける術式たち。

 ……けれど、私を守る術式が圧倒的に少ない。何故か。カンタンだ、私はみんなに守られていたから、自らを守る術式なんてものを作る必要が無かった。せいぜいがさっきの遮音や匂い消しくらいで……なんて。

 もう身体を翳す影は近い。肌で感じる風圧もまた同じ。遮音の術式を解けば、悲鳴がたくさん聞こえてくる。


 まぁ。

 いいか。

 私自身の怪我であれば──プレオネが治してくれるだろう。命を奪うのは嫌だし、自死ももう絶対にしないけれど、死なない程度の怪我なら別にいい。それは多分、私が甘んじて受けるべき罰でもあるのだから。


 術式の検索をやめる。

 逃げる足を止める。

 

 そうして、振り返って──眼前に迫る巨大な本棚が。



「──メロップ!!」


 

 巨大な炎の剣によって薙ぎ払われたのを、この目で確と見た。

 焔の放つ光が人影を強く強調し、故にこそ網膜に、脳裏にその姿を彷彿とさせる。


 戦士アレス。

 大戦士アレス。

 タイタンの大帝国における最大戦力であり、僕の友人であり。


「無事か!? 無事だな!? ケガは無いか!? ……おいゲルア、テウラス! お前らがついといて何してんだよ!!」


 ……その、助けてもらっておいてなんだけど、一言一句が轟音に近いほどうるさい男である。

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