第2話 メロップちゃんは凄い!

 夜──。


 帝国は昼夜を問わず明るいが、転じて暗い城の中。

 一室だけ明るい部屋があった。それはかつての大皇帝アトラスの私室。そこに隣接する大部屋に、9名。大陸に名を轟かせる"タイタンの戦士達"がそこにはいた。


 戦士アレス。暗殺者メティス。狩人プラム。商人エイベム。

 探究者テウラス。解放者メノイ。研究者ゼオス。古き者ゲルア。

 

 そして、聖女プレオネ。

 

 初めに口を開いたのは、メティスだった。


「……それにしても驚いたよ。あの子は──メロップは、あの歳であんなにもしっかりしているんだね」


 当然だが、メロップと対峙した時とは違う──仲間に対する砕けた態度で。

 その言葉にアレスが何故か自慢げに、プレオネ以外は同意するように息を吐いた。


「まだ二歳を迎えたばかりでしょう? さすがはアトラスの、というべきか……やっぱり、というべきか」

わたくしなど二歳の頃は厩で馬と戯れていましたよ。大人に囲まれ、気圧されもせずにあの受け答え。才能を感じますねぇ」

「オレも棒切れ振って山を駆けずりまわってたなぁ多分」

「山の猿と一緒にしないでくださいます? 私はしっかりお勉強をしていました。……今に活かされているとは言いませんけど」

「儂は覚えとらんのぅ」


 口々に話し出す──それはそうだ。彼らは互いに信頼し合う仲間で、しかしこうして一堂に会するのは久しぶりなのだ。いつも通りの口喧嘩が始まったり、それを冷たい視線で眺めたり、まぁまぁと仲介したり。

 まぁまぁと、仲介する。


 その役目がいないことに気付くのに、そう時間はかからなかった。


 天使が通った、とでもいうべきか。

 誰かが口を閉じたとき、誰もがそれを感じて閉口し、しんみりしてしまった。


「……話を戻すけれど、メロップは……アトラスを思い出すね。本当に。あの癖、プレオネが教えたわけではないんだろう?」

「ええ……気付いたら、勝手に。侍従の誰かから聞いたのかと思いましたが、誰も話していない、と。本当に、親子のつながりというのは面白いものです」

「……ふん、あの馬鹿が生きていれば、親子そろって笑ってやったのにな」


 メノイが吐き捨てるように言う。

 

「精々悔しがるといいさ。お前の娘は──俺達が、散々可愛がってやるからな」

「メノイはなんだかんだ言っていい父親になりそうですものねぇ」

「うるせえ」


 帝国民は、一つの事実を知らない。


 それは、大皇帝アトラスが、自ら命を絶ったという部分。

 命を落とした事実こそ周知されたが、彼が自決を選んだという事実は隠しておくべきだと判断されたがためである。

 帝国に翳りを齎すべきではないと。


 だから、この事実を知っているのは、彼に皮肉を投げる事の出来るものは、タイタンの戦士達だけなのだ。


「……もう一つ。メロップは、彼と似ているところがあるの」


 だから。


 だから、プレオネは話すことにした。


 もう同じ事を──否、あの身を引き裂かれるような苦しみを、これ以上味わうのは嫌だから。

 

「メロップは──彼と同じように、命を奪うことを嫌うわ。いいえ、彼以上に──極端に」


 自分たちの罪は、理解しているつもりだから。


*


 アレスは馬鹿である。

 それは自他共に認める事だ。アレス自身、頭が良くなりたいとも思わないし、周囲も彼に叡智を求めたりはしない。

 だが、考え無しではない。割とよく悩むし、割とよく凹む。


 その罪は、アレスの凹みポイント最上位。


「……じゃ、メロップの前で怪我するのもさせるのも禁止な」


 自分でもびっくりするくらいの低い声が出た。

 過去の己の罪。

 自分本位で、良かれと思って──アトラスの気持ちも考えずに、勝利を献上した。

 

 敵がいなくなればみんな笑顔になると思っていたし、脅威が去れば彼が喜んでくれると思っていた。

 

 違った。


 彼はアレスが命を奪うことに心を痛めていた。彼はアレスが怪我をすることに心を痛めていた。

 アレスは己が帰還した時に見せる彼の笑顔を、安堵だと思えなかったのだ。


「そうだな。怪我……調理の怪我でもマズイかもしれん。誰かが傷つくことを恐れたアトラスの性質がさらに強まっている可能性を考えれば、稽古すらも見せてはならんかもしれないぞ」

「ま、その辺は城外でも……っつか、帝都内でやんなきゃ大丈夫だろう。ただし、怪我したら治してから顔を出すことだな。徹底しよう」


 異論は出なかった。

 皆、恐れている。自分たちの行いのせいで──今度は娘までもが、という幻影を。


 しかし、現実になる可能性はゼロではない。

 それはとても恐ろしい事だった。


「どうする、術式無効の結界でも編むか? 城内で式が編めなくなれば、不測の事態も減ろう」

「無効は逆に危ないわ。半減くらいでどう?」

「悲観的な話をする……魔核を心臓とするタイプの鳥が来た時……あの子の目の前で、小鳥が落ちる」

「ナシだナシ! そもそも森人も侍従の中にはいるだろ、そいつらが苦しんでるとこは見せられねえ」


 真剣に考える。ない頭で考える。

 この場には自分より頭の良い者たちばかりだから、大丈夫だとは思う。だけど考える。


 考えなかった結果が……誰よりも大事な彼の喪失だ。

 絶対に守ると誓った彼が自ら命を絶つなんて、考えもしなかったのだから。


「そもそも、プレオネ。あの子の資質は? もう見たのか?」

「……いえ、見ていない……というより、見えないのです。元より血縁者の資質は見え難いのですが、自分の娘、というのはこんなにも見え難いのかと驚きました。だから、ないわけではない、というくらいしかわかりません」

「聖女の血というのもよくわからんのぅ。む? そういえば次代の聖女がメロップになることはないのか?」

「ありませんね。その代の聖女が嫁いだ時点で、教会の総本山では新しい聖女が選ばれています」

「見下げ果てたシステムだな。ま、その方が俺達には効率がいいか」


 少し安堵する。

 聖女というのは、どうしても戦火のチラつく言葉だ。少なくとも、戦士の自分には。

 

「そいじゃ、あたしはこの城に住み込もうかねぇ。メロップが大人になるまで、くらいか? あたし達にとっちゃ、それほど長い時間でもないし」

「それじゃあ私も、と言いたいところですが……如何せん、まだ心配事が」

「私達はそもそもそれを報告しにきたんだ。メロップの守護は、正直とても悔しいところだけれど、君たちに任せる。ただ、ゼオス。君に来てほしい」

「……何」


 一瞬、オレが行こうか、と言いそうになった。

 オレが行って、誰よりも早く解決して、それで良いじゃないか。


 心の内を明け透けに言うのならば、アレスはまだその気持ちが抜けたわけじゃあない。

 罪の自制さえなければ、それはアレスの本心であるところだから。


 でも、恐らくそれをわかってくれたのだろう。

 プラムのその人選に、アレスはめいっぱいの感謝を送った。


「クレネの山がね、少し……少しだけ、様子がおかしいんだ。君の頭脳を借りたい」

「……了承。ただ、不安……楽観的に捉えることは出来ない。もう一人必要」

「俺が行こう。アレスの大声にビクつくようじゃ、俺の顔も怖いだろうからな」

「自覚あるんだ……」

「うるせえ……あぁ、いや。なんでもない」


 一瞬。

 チラ、と。メノイがアレスを見た。

 メノイもまた、アレスが前に出ようとするのがわかっていたからだ。じっとしていろ、アホ。そんな意味の一瞥だったが、流石は仲間。アレスもまた下手したら許さねえぞバカと返す。


「助かる」

「おう」


 じゃあ、と。

 メティス、プラムが席を立った。


「もう行くのですか? せめて明日の朝、メロップに挨拶するくらいは……」

「あまりあの場の監視を解きたくないんだ。大丈夫、メロップが次の誕生日を迎えるころには終わらせるよ」

「次の誕生日は一月後だけどねぇ」

「……次の次の誕生日を迎えるころには終わらせるよっ」


 そういって。

 メロップに見せていたクールな姿はどこへやら──メティスは眉を顰めて、大広間を出ていった。


 その姿にため息を一つ。妹のプラムがでは、と。

 それに続いて、ゼオスとメノイも出ていく。


 それを見送って、アレスは呟いた。


「……あれ、でもオレが残って何ができるんだ?」


 家事なんて出来ないし、庭仕事なんか散らかして終わり。

 得意なことは荒事だけ。メロップには見せられないことだけ。


 プレオネとテウラス、ゲルアの冷たい目が突き刺さる。エイベムは何かを熱心に記帳しているから置いておいて、ウッと言葉に詰まった。


「……いやまぁ、何かするさ!」

「何もしないでいてくれるのが一番なんじゃがのぅ、と皆の胸中を代弁する儂であった」


 うるさいぞ枯れ木ジジイ。


*


 私が僕であった頃、少しだけ他人ひとより得意なものがあった。

 それは術式……摩訶不思議を引き起こすもの。奇跡を人為的に起こすもの。

 生来の資質によってその得意不得意が決まるのだけど、僕は資質に溢れていたのであった。いたのであったのだ。

 

 これが唯一他人ひとに誇れることであったし──同時に、ずっと忌避していたものでもあった。


 術式の多くは、命を奪うために作り出されたものだったから。


 対象は人、だけではない。

 動物や精霊、魔核生物。人間の脅威に対して振るわれる暴力を術式と呼ぶ。


 嫌だった。怖かった。重かった。

 

 誰かを傷つける術式が、恐ろしくて扱えなかった。原理は知っているし、式も思い浮かべられるけれど、どうしても使いたくなかった。

 術式を扱える人間は稀で、戦場にいれば何百という味方が傷つかずに済むだろう『傷つける術式それ』を、僕は使いたくなくて、使えなかったのだ。


 だから、自分で編み出した。

 人を助ける術式。人を癒す術式。

 後者は教会の奇跡に似ていたからに使用を差し押さえられたけれど、ともかく。


 これを産み出してから、ようやく術式と向き合えたのである。




 だから、咄嗟に使ってしまったのは、それがどれほど反射的だったか、という点で一つ、目を瞑ってほしい。


 

 視界の端で、バランスを崩すのが見えた。

 誰が、とか。何が、とか。そういうのは認識していない。


 誰でもいいし、なんでもいい。


 けど、危ないと思った。

 危ない。危険だ。


 恐ろしい。



 

 理性より先に脳が編んで、躊躇わずに口が出力していた。

 目線すら動かしていない。私は本を読んでいて、だから私の口元は隠れている。

 気付けたのは彼女だけだろう。一番気付かれたくない人であったが、彼女は術の発生が多少遅い。間に合わないことは明白で、だから私しかいなかった。


 数秒後、とす、という柔らかい音とともに、カーペットへ重いもの……恐らくは人体と本が落ちたのだろう音が響いた。

 そこでようやく顔を上げれば、慌ただしく動く侍従数人と──驚きの目でこちらを見る彼女


 その瞳に悲しい色がない事に安堵する。

 気付かれたわけではない。ただ、また嘘を吐かなくてはいけない。


 あの侍従を救わないという選択肢は、僕が僕である限り、僕が私になったとしても、絶対に選べない。だから遅かれ早かれこういうところは見られていたのだろう。

 私が恐れているのは、私が僕であるとバレることではない。


 私が彼女の娘ではないと──彼女の娘はいないのだと、それが彼女の心を裂くだろうことが、怖くて怖くてたまらないのだ。


「……メロップ」

「はい」

「あとで……私の部屋に来てほしいの」

「わかりました」


 謝ろうとする心を押さえつけて、素直に従う。

 あぁ、主よどうか。私にこの場を切り抜ける言葉を。

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