プロローグⅡ:冥王と約束
「…ねぇ、おじさま。おじさまは冥界に住んでるんでしょう?冥界ってどんなところ?」
「…冥界、か。そんなことを気にしてどうする?其方が楽しいと思うようなことは…話せないと思うが…。」
お茶を濁すようなハデスおじさまの言葉に私は思わず頬を膨らませた。
「楽しいかどうかじゃなくて、私はおじさまと冥界について知りたいの。だってお母様もほかの皆も冥界については全然詳しく教えてくれないんだもの。」
「…まぁ、ほとんどの者があまり冥界やそこに住む冥界神のことを快く思っていないからな…」
「…どうして?」
私が疑問を口にするとハデスおじさまは少し考えるような素振りを見せた。
「…そうだな。冥界は地中深くにある、暗く澱んだ死の世界で…そこに属する神々も“死”や“眠り”など…あまり前向きな事柄を司る役割ではないから…だろうか」
「そんなのっておかしいわ。冥界神もハデスおじさまもみんな、ほかの神様と同じように自分の
「そうだな…だが、生きる者は皆、死と老いを畏れるものだ。それはたとえ不死である
そういうハデスおじさまはなんとなく寂しそうに見えた。だから私は自分の思いをちゃんと口にして伝えなければいけないと思った。
「私は、行ってみたいと思うけど…。」
「冥界にか?…やめておけ。其方の母も良いとは言うまい。」
ハデスおじさまが怪訝そうに眉をひそめる。怒っている…というわけではなく、どちらかというと戸惑っているようだった。
「…でもね、それでも私は知りたいと思うの。知らないことを知りたいと思うのは悪いこと?」
「…いや、知っているのと知らないのとでは見える世界はまるで違う。知りたいと思うのは…決して悪いことではないと私は思う。」
「じゃあ…!」
期待を込めた私の眼差しに対し、ハデスおじさまは
「…だが、冥界に関わろうとするのはやめておくことだ。私が冥界の長となってもうすぐ200年ほどになるが…、地上・天界と冥界には未だ大きな隔たりがある…。先程ほとんどの者が冥界について快く思っていないと言ったが、それは冥界の者たちとて同じだ。彼らは自分達を
「そんな…!どうして…?みんな、同じ神なのに…。」
「…厳密には同じとは言い切れん。誕生してからまだ日の浅い其方には少し想像がつきづらいだろうが…
「……」
沈黙が流れる。ハデスおじさまの口調はどこか諦めたような感じだった。ひょっとするとおじさまも今の冥界と地上・天界の隔たりには何か思うところがあるのかもしれない。
やがて、ハデスおじさまはおもむろに口を開いた。
「…しかし、それでももし…其方がそれを目指したいというのならば…、地上と冥界を結びたいというのならば…、まずはきちんと世界の成り立ちを
「…それなら、ハデスおじさまが教えてくれる?」
「…何故私が…」
私の提案にハデスおじさまは目を丸くした。
「だって、ハデスおじさまも私とおんなじでしょう?」
「何…?」
「ホントはみんなと仲良くなりたいし、ほかのひとたち同士も仲良くしてほしいって思ってるんでしょ?」
「…!それ、は…」
口ごもるおじさまに、私はすかさず言ったのだ。
「それにね、私はもっと知りたいな。おじさまと冥界のこと」
*****
それから、私とハデスおじさまは時折地上で会い、交流するようになった。おじさまは最初こそあまり気乗りしないような素振りをみせていたが、やがて心を開いてくれたのか、次第に交流する機会も増えていった。
おじさまが地上に来る時は、冥界の怪鳥・ハルピュイアが飛んできて私の前に羽根を落としてくれる。それに書かれている場所で私たちは落ち合った。
ハデスおじさまは博識で訊ねたことほぼすべてに答えてくれた。私はハデスおじさまから様々なことを教わった。原初の神々について…ティタン族との戦い…冥界神のほとんどが
また、意外とおじさまは私が望む“遊び”に根気よく付き合ってくれたりもした。私が摘んだ花を編んで花輪を作れば「上手にできた」と褒めてくれ、かくれんぼがやりたいといえば冥王の身隠しの
でも、やっぱりハデスおじさまは冥界に関する質問の時は消極的で、あまり詳細を私には教えたくないようだった…。きっと必要以上に私が冥界に興味を持たないようにしているつもりなのだろうけど、私にはそれは逆効果だった。私は冥界に行ってみたいという気持ちを密かに募らせていった。
ハデスおじさまと過ごせる日は決して多くはなかったけれど、おじさまと過ごす時間は私にいつも驚きと新しい発見をくれた。そんな日々の中で私はいつしか、おじさまと共に在りたいと願うようになっていた。
そう。私は恋をしていたのだ。
しかし、転機はいつも突然に訪れる。
その日も私は、おじさまに逢うために待ち合わせの場所へと向かっていた…
*****
おじさまの指定した時間よりも早く神殿を出た私は、ふと神殿の裏手の荒れ地で珍しい形の花を先日見つけたのを思い出した。おじさまは私が色をつけた花を持っていくと喜んでくれたので、私はそれを手土産にしようと思い至ったのだった。
花は荒れ地の先の崖下に咲いていた。少し手を伸ばせば届く距離にあったので、私は油断してそこが
私が花に手を伸ばしていた時、折り悪く
その一部始終を見ていたのはハデスおじさまが遣わしたハルピュイア一羽だった。彼女はハルピュイアの中でも特に賢い一羽だったので、すぐさま私の危機を
気絶していた私はこの時の様子をあとからお母様付きのニュンペーに聞かされたのだが、お母様とニュンペーたちが作物を実らせる作業をしていると、一羽のハルピュイアが頭上に飛んできたそうだ。
女性の顔を持つハルピュイアだが、彼女らは皆、神や人と同じ言語を話すことができなかった。そのためギャアギャアとけたたましい音で鳴くのだが、その騒音と貪欲な食欲、そして冥界との関わりから死肉を貪るとまで揶揄され、彼女らもまた冥界の一員として地上の神やニュンペーたちから嫌厭される存在であった。
最初、お母様付きのニュンペーたちは頭上で騒ぐハルピュイアを追い返そうとした。しかしあまりにしつこいので、ニュンペーのひとりが追いかけることにしたらしい。そこで、崖下で倒れている私を発見したのだという。
私は神殿に担ぎ込まれ、目覚めたのは丸二日が経ってからだった。
目を開けるとそこには涙目のお母様がいて、お母様は私を力強く抱き締め、掠れた声で怒鳴った。
「ああっ…コレ-!私のコレ-!!どれほど貴女を心配したか!!もういい加減、気の向くままに行動するのはやめて頂戴!私が貴女の事をどれだけ大事に思ってるのかわからないの!?私にはもう、貴女しかいないのよ!」
「お母様…」
母は私を強く抱き締め、子供のように泣きじゃくった。
「ああ、コレ-!こんなこと、もう二度とごめんだわ!お願いよ、どうか私のためにも“いい子”でいて!そうだわ…貴女が“花”の女神としてひとり立ちするその時まで、私の傍から決して離れないで!わかったわね!?」
「…はい。お母様…」
実をいうとこの時私は、頭を強く打ったショックからか記憶が混濁しており、ハデスおじさまとの約束も彼と話した内容もその殆どを消失していた。目覚めたばかりの頭はひどくぼーっとしていて、なんとなく違和感はあるものの、それがなんなのか思い出そうとすることさえできなかった。
そんな私の頭に母の『“いい子”でいて』という願いはするりと入り込み、私の心に『もう母を心配させてはならない』という楔を打ち立てた。それが、あの人にとって残酷な仕打ちになるとは思いもしないまま…
*****
「ハデスさまぁ~」
「…ヒュプノスか」
「ひょっとしてまーだ姪っ子ちゃんとやらの事待ってます~?」
「…ああ、都合がつかぬ時はハルピュイアの羽根に×を書いて送り返す手筈になっている。なんの連絡もしないまま、すっぽかすような
「そうですかねぇ、オレは単純に飽きちゃったんじゃないかと思いますよ」
「何…?」
「だって、相手はまだ子供じゃないっすか。子供は存外飽きっぽいですからね…。新しいことにでもハマって、冥界やハデス様のことなんてどうでもよくなっちゃったんじゃないっすか~?」
「そう…かもしれんな…」
「ってことでいい加減戻りません?ちょうどいい機会じゃないっすか。ここんとこ、人間たちもちょくちょく死んで冥界に下ってくるようにもなりましたし、冥界の王としてやらなきゃいけないことは沢山ありますよ~?」
「…わかった。行こう。」
(「来てくれたらヒュプノスを紹介するつもりだったのだが…。残念だが、
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