Ⅰ.冥王と見合い話
―原初の神々は
しかし、ウラノスがキュクロプスやヘカトンケイルなど、醜く生まれた我が子らを嫌って地中深くのタルタロスに封じたため、ガイアは怒り、息子である時空の神クロノスに命じてウラノスを王座から追い落とした。
だが、二番目に王座についたクロノスもまた、我が子らに権力を奪われることを憂い、妻レアから生まれた子供達を次々に飲み込んでいった。そしてのちに彼はレアの一計によりただ一人難を逃れた末子のゼウスにより、結局は自らも王座を追われることとなった。
父クロノスの体内から姉と兄を救いだしたゼウスは、世界を天界・海・冥界の3つに分け、兄であるハデスとポセイドンと共にくじを引き、それぞれの統治する領域を決めた。
その結果、末弟のゼウスは天界を、次兄のポセイドンは海を、そして長兄のハデスは冥界を治めることになったのである…。
*****
「……なぁ、ハデス。お前結婚とかしないのか?」
唐突に投げ掛けられた問いに、ハデスは目の前の並々と
無責任に発せられた問いの主はゼウス。ハデスの弟にして神々の王だ。
ハデスはすでに何度聞いたかわからぬその問いに、ただ淡々と何の感情も持たずに答えた。
「…そのつもりはないな。」
ハデスの無機質な答えを聞き、ゼウスは上座の自らの席に座ったまま苦笑する。
現在ここに集い、久方ぶりに酒を飲み交わしているのは神々の王ゼウスとその妃ヘラ、そして海の王ポセイドンと冥界の王ハデスの4柱のみである。彼らは皆6姉弟の中の1柱であり、つまりこの集まりはとても身内的なものだった。
神々とはいえ身内が集まれば、話題は自然と家族や子供などより身近なものになりがちだ。そしてその矛先は自然といまだ独り身の者へと向かう。
「…でもさ、ヘスティア姉さんじゃあるまいし、何も
ゼウスの言葉を受け、ヘラが「よくそんな事がいえるわね」と言わんばかりにゼウスを睨み付けた。それでハデスは喉まで出かかった「お前にだけは言われたくない」という言葉をすんでのところで飲み込む。
妻の視線を受けて、ゼウスは少々たじろぎながら兄のポセイドンに視線を投げて助けを求める。それを受けて今度はポセイドンが口を開いた。
「……ハデス。何もお前だけの都合の話じゃないんだ、わかってるだろう?俺達はそれぞれ自分が治めるべき世界を持ってる。地下にある冥界とはいえその長がいつまでも独り身のままじゃあ、他の奴らにも示しがつかねぇんだよ。ヘスティア、アテナに続いてアルテミスまでもが処女の誓いを立てた。これに続く神が他にいないともいえねぇ。」
「……まるで全てが私のせいだとでもいうかのような口振りだな。では聞くが、女神たちが次々と男を遠ざける誓いを立てるのは、どこぞの男神たちが気に入った女に手当たり次第に子供を
「てめぇ……」
ちらり、と弟たちを
「まぁまぁ、落ち着けよ。ポセイドン。せっかくハデスが久しぶりにわざわざ冥界から出向いてくれたんだ。ここで兄弟喧嘩したって仕方ないだろ?…なぁ、ヘラ。お前からもハデスに言ってやってくれよ。アテナやアルテミスの“処女の誓い”について一番不満を持ってるのは“結婚と家庭生活”を
ゼウスの突然のパスをヘラは深々とため息をつきながら受け取った。
「そうねぇ…。確かに最近あのコたちを見習って“処女の誓い”を立てようとする娘がニュンペー(※植物や川の化身である精霊)や女神の中に増えてるのも問題だわ。でもね、“結婚”を司る神ということを抜きにしても、純粋に姉として貴方を心配しているのよ、ハデス」
ヘラはいかにも心配そうな顔つきでハデスを見て言葉を続けた。
「最近人間たちが地上に増えたから、冥界の仕事は忙しくなる一方なんでしょう?貴方には支えてくれるような妻が必要よ。まさか、あのレウケーとかいうニュンペーのことをいまだに引きずってるなんて言わないわよね?もう200年以上も前になるのよ?」
“レウケー”という単語に反応してわずかにハデスの眉間に
「そういうわけではない。…しかし、一体誰が暗い冥界へ進んで嫁いでくれるというのだ。私に妻を
「そ、それは……!」
ハデスの反撃を受けて、ヘラは分かりやすくたじろいだ。いかにも準備などしていないであろうその反応にハデスはやれやれと溜め息をつき、これ以上はこの3柱と話をしても無駄だと判断して、席を立つ。
するとそこでゼウスが突然、思い付いたように言葉を発した。
「…あ、そうだ!ならコレーはどうだ?ほら、デメテルんとこの。お前昔懐かれてたろ?」
「コレー…だと…?」
ハデスはその名前を聞いてますます
「…まだ子供じゃないか」
“豊穣”の女神デメテルとゼウスの娘、コレー。
確かにどういうわけか彼女はハデスによく懐いていた。現在より人間が少なく、冥界もさほど忙しくなかった頃、度々ゼウスに呼び出されオリュンポスに顔を出していたハデスは、ある日幼い娘に出会った。それがコレーだ。
コレーは実に愛らしく、好奇心の
それだけでは飽きたらず、子供特有の無邪気さでハデスの手を引き、花冠を作って頭に載せたり、かくれんぼに付き合わせたり…ととにかく自由奔放に振る舞った。ハデスとしては、そんな彼女の子供らしい強引さに戸惑ったものの、可愛い姪っ子を無下にするわけにもいかず、仕方なく何度か交流を持ち、遊びやおしゃべりに付き合ってやったのだった。
しかしながら、ハデスの中のコレーとはそのような無邪気な子供の姿の記憶しかない。いくら女性の好みにさほどこだわりがないとはいえ、子供を嫁にするというのはいささか…いや、かなりの抵抗があった。
ハデスのそんな戸惑いを察したのか、ゼウスは苦笑しながら付け加える。
「…おいおい、いったい何年前の話をしてるんだよ。もうコレーは立派な大人の女だぞ。しかもとびきり美人なんだ。血の繋がった娘じゃなきゃ今頃俺が……」
軽薄なゼウスをヘラの視線が黙らせる。ゼウスは慌ててゴホンと咳払いをし、ハデスに向かって続けた。
「…とにかく、一度会ってみないか?」
「………」
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