ヨーチンの音色

カトウ レア

第1話

 先日、白鵬のドキュメンタリーを見ていた。海のないモンゴルに生まれ育った白鸚が初めて海を見たのは、日本に初めて来た15歳のとき。関西国際空港に到着する機上である。

 何かわたしのなかで記憶のふたが、開くような感じがした。今から20年くらい前に、モンゴルの女の子と働いたことがあった。その彼女も初めて海を見たのは日本海だった。海をじっと眺めていた姿を思い出す。

 彼女は、モンゴルからヨーチン、打弦楽器の奏者として来日した。彼女の名前をナナとしよう。ナナは22歳くらいだった気がする。ただ、彼女を待っていた舞台は、コンサートホールではなく、北国の大きなショーパブだったけど。

 最初は皆、本当にモンゴルから来たのか?といぶかしんだ。本当は中国じゃないのかと。だけど、ショータイムで一心不乱に演奏するあの姿を、奏でる哀切な音色を体感すれば、一目瞭然だろう。薄暗い灯りの中で、酒と煙草と香水の匂いが漂うあの空間が、ただ一段あげただけの舞台が、光ってみえるのだから。だんだんナナの演奏を聞くのが目当てのお客さんが、増えていった。  

 ナナの話によると、モンゴルは冬はマイナス20度の日もあるから、日本は寒くないと言う。馬にも乗れると言う。そして、小さい頃に貧しさから親の勧めで、楽団に入り暮らしていたのだと言う。筋金入りのプロ意識とプライドの理由が少し、垣間見れた。

 日本語はまるで話せない状態で来日したのに、そのバイタリティで日本語や日本の歌を覚えていった。ふとしたときに、ナナは夜の仕事で出勤前に見る大相撲が好きだと言った。「好きな力士はいる?」と聞いたら、「安馬」(あま)と答えた。そう、のちの日馬富士がまだ細くて若い頃のお話、それくらいの時代。

 ビザの期間が切れて、1回帰国して、お店からのリクエストで2回目の来日をしたナナ。モンゴルで車とマンションを買ったという噂を聞いた。アメリカンドリームのような話が、今でもあるのかと驚いた。日本語を覚えてきた彼女はその人気の高さとプライドの高さゆえか、他の国のダンサーやシンガーともめた、店ともお客さんともめた。演奏後、絡んできたお客さんを激しく怒ることもあった。日本の相撲界でも、モンゴル力士と相撲協会がもめたことを思い出した。実力も実績もあり、強いのだ。強すぎて、周りがついていけないのだ。孤立する彼女は、痛々しかった。

 そんな彼女が、倒れた。胃潰瘍で入院した。強がっていても、彼女もストレスのピークだった。わたしも店のスタッフとしてお見舞いに行った。隠密に。ナナの人気は凄くて、彼女のファンのお客さん達が、「入院なら病室を教えてくれ」とせがんだ。ナナが住む寮の近くに車を停めて、動向を見ている人もいたらしい。病院を突き止めて、病院を張っていた人もいたらしい。ひと騒動だった。わたしはお見舞いには何を持っていくか、迷った。お花じゃありきたりだし、小さなクマのぬいぐるみを選んだ。慣れない異国で入院なんて心細いだろうし、何かに彼女を守って欲しいから。朝、起きたときに、見つめるのが真っ白な天井ではなく、かわいいクマの方が少しでも良いかなと思ったのだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ヨーチンの音色 カトウ レア @saihate76

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ