埋もれて眠りたい

小湊セツ

君の秘密、僕の秘密

 自分の眼が他人とは違うとはっきりと理解したのは、両親以上によく世話をやいてくれた乳母が死んだ時だった。


 いつも側に居てくれた彼女に『大好きだよ』と伝えたくて、サフィルスは彼女の膝の上から顔を見上げた。至近距離でた彼女の瞳の奥には、暗闇を疾走する黒い馬車が視えた。

 もっとよく視てみようと覗き込んだ途端、彼女は悲鳴を上げてサフィルスを突き飛ばし、二度と城には現れなかった。――その日の夜、彼女は馬車に轢かれて死んだという。


 以降、サフィルスは人の眼を見るのが怖くなってしまった。もし、好意を抱いた人の眼の奥に、あの暗闇を視てしまったら……その人には未来が無い。死期が迫っているということだ。


 人の眼を見て話すのが怖い。しかし大公の嫡子という立場がサフィルスに子供らしい甘えを許さない。貴族社会において、人の眼を見て話せない弱気な公子など恰好の餌食だ。魔眼を制御する術を身に付けるのは急務だった。


 これといった解決策が見つからないまま十三歳の春。サフィルスは騎士養成学院に入学することとなった。

 この学院は、全国から騎士になることを志す優秀な若者を集めている。中には、本来サフィルスと一生顔を合わせることが無かったであろう平民の子も居る。サフィルスのルームメイトもまた、そういった平民の子だった。


 寮に入った初日、簡単に挨拶を済ませた後、ルームメイトの彼――エリオットは、鞄から原寸サイズの大きな狼のぬいぐるみを出して、自分のあまり快適とはいえない狭いベッドに寝かせた。なるべく関わらないようにしようと決めていたサフィルスだが、これには驚いて凝視してしまう。


「俺、こいつが居ないと眠れないんだ。だから、ベッドに置いておくけど気にしないで」

「……うん」


 初対面で自分の弱点を晒すなんて馬鹿じゃないのか? と思ったが、サフィルスはすぐに流した。きっと自分とエリオットは生きる世界が違う。学院を卒業したら二度と会うことはないだろう。そんな人の弱点を覚えてどうなる?


「それから俺、眠りが浅いから朝まで絶対にカーテンは開けないで」


 ベッドの天蓋から垂れるカーテンを閉めながらエリオットは言う。


「わかったよ」


 深緑のカーテンに映った狼のぬいぐるみと背の高い少年の影に答えると、サフィルスは自分の荷解きに戻った。





 入学から数日、観察してみてわかったことだが、エリオットもあまり人が好きではないらしい。彼の正面に立って会話をしていても微妙に眼が合わない。特別シャイというわけではないが、誰に対しても同様の当たり障りの無い態度を取る。だが、サフィルスの魔眼は、使うと酷く疲弊するので、彼の未来を視ずに済むなら都合が良い。


 大公の嫡子であるサフィルスに取り入ろうと擦り寄って来ないことも、居心地が良かった。当たりを引いたのではないか、なんて思っていた矢先、その事件は起きた。


 ある日、授業を終えたサフィルスが寮に戻ると、部屋の扉の前にひとりの少年が立っていた。白金の前髪が目元にかかって表情は見えないが、ノックをしようと手を上げて、逡巡の末に叩かずに下ろしてを繰り返している。制服のネクタイの色から察するに同級生らしい。


「僕らの部屋に何か御用かな?」


 サフィルスが声をかけると、彼は驚きに飛び上がって、顔を真っ赤に染めた。


「いや、別に……大した用事じゃ……ただ、今夜は……だし、大丈夫かなって」

「うん? 今夜はなぁに?」


 しどろもどろになる彼に問いを重ねていると、ドアが開いてエリオットが顔を出した。


「サフィルス? 何を騒いでんの? ……って、げ。レグルス!」


 露骨に顔を顰めたエリオットに、レグルスと呼ばれた少年は気色ばむ。


「げ、とはなんだ!」

「あーもう、うるさい! 悪いけど今夜はお前と喧嘩する体力は無いから」

「喧嘩……しに来たわけじゃない。お前、朝からずっとフラフラして……」

「大丈夫だから。もう帰って」


 皆まで聞かず冷たく言い放って、エリオットはバタンと扉を閉めた。気まずい沈黙に耐えかねてサフィルスが部屋に逃げ込もうとすると、レグルスが肩を掴む。最近はエリオットと過ごすことが多くて油断していたのだろう。掴まれた拍子に振り返った目線の先、レグルスのエメラルドグリーンの瞳を


「何かあったら、俺を呼んでくれ。真夜中でも朝方でもいいから、必ずだ」

「……うん。わかった」

「俺は部屋に戻る。エリオットを頼む」

「うん」


 去って行くレグルスの背を見つめながら、サフィルスは呆然と眼を瞬く。彼の瞳の奥に、大きな狼のぬいぐるみに囲まれて、幸せそうに眠る自分の姿を視た。


「あれは、なに?」


 視えた景色は薄暗かったが、淡く色が付いていた。サフィルスの金髪も、ぬいぐるみの白と茶色の毛も判別できた。ゆえに、あれは死のイメージではない。レグルスが経験する近い将来の光景のはずだ。彼の未来に自分が映るということは、彼と親しくなるということだろうか?

 そして、狼のぬいぐるみといえば、エリオットの抱き枕を思い出す。あのぬいぐるみに秘密があるのだろうか?

 疑問は尽きないが、ひとつだけ確実なことがある。――今夜、何かが起きる、ということだ。





 サフィルスはベッドの上で膝を抱えて、エリオットの眠るベッドを見つめていた。ベッドの周りにはカーテンが引かれて、窓から差し込む満月の光に狼の影が映る。

 外から何者かが侵入してくるかもしれないと、カーテンを開け放しているため、部屋の中は満月の金色の光で満たされている。風は無く、穏やかな夜だった。


 いつの間にか膝に顔を埋めて眠っていた深夜。エリオットのベッドから苦しげな唸り声が聞こえて、サフィルスは眼を覚ました。サフィルスはレグルスを呼ぼうと、部屋を飛び出したのだが、ドアのすぐ横で壁にもたれて寝ていたレグルスを発見した。


「な、なんでこんなところで寝てるの!?」


 サフィルスが飛び出してきたことで状況を察したのだろう。レグルスはサフィルスの問いには答えず、部屋に踏み込んだ。


「エリオット! 大丈夫か!?」


 部屋の中をぐるりと見回して、レグルスは真っ直ぐにエリオットのベッドに向かう。天蓋から下がるカーテンを掴み、躊躇無く一気に開いた。


「あっ、開けちゃだめ……」


 追いついたサフィルスがレグルスの肩越しに見たのは、ベッドに横たわる、美しい銀色の狼だった。レグルスはホッと息を吐いて、ぐったりしている狼の背中を撫でる。胸に腕を回して脈を取り、つらそうにシワが寄る額に濡らしたタオルを乗せた。最後に毛布を掛けてベッドから降りると、レグルスはその場にずるずると座り込んだ。


「エリオット……なの?」


 見守っていたサフィルスが問うと、レグルスは疲労で頭が回っていないのか素直に頷く。


「ああ。狼の獣人なんだ。エリオットも、俺も」

「えっ、君も!?」

「サフィルス。悪いが、今夜は俺もここで寝る。もう限界なん……だ」


 言い終わるが早いか、レグルスの身体は金色の光に包まれて形を変える。光が消えた時には、大きな茶色の狼が床に寝そべっていた。正に、サフィルスが視たぬいぐるみのように、もっふもふな茶色の狼だ。


「はは、あれは、ぬいぐるみじゃなくて、君たちだったんだね」


 カーテンには相変わらず狼の影が映っている。ぬいぐるみのフリをした狼がベッドで寝ている。たぶん、そう遠くない未来、彼らと雑魚寝するぐらい仲良くなれるのだろう。そんな未来が待ち遠しいサフィルスだった。

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