ある秋の夜長で…

 中秋の名月を終えたオレンジ色の月は、夜半やはんを過ぎた頃には、白銀の月に変わっていた。

 ひときわ輝く星木星を携えて浮かぶ月が美しい。

 おそらく今宵最後であろうお客を見送ったセキは、吹き付ける冷たい風に、思わず着物の合わせに指先を這わせる。


「急に秋らしくなったわねぇ」


 男でありながら、しおらしく話す女言葉が女々しく感じないのは不思議だ。


 乾いた風が 着流し和服の裾を翻す。

 膝まであらわになった足に、誰に言うでもなく冬の気配を感じるからっ風に、悪態をつきたくなる。


 昔から寒いのは苦手だ。

 扉横にある 備え付けのクローゼットから、単衣ちりめん仕立ての羽織を取り出し肩に引っ掛ける。


 店内では、お人形のように可愛いユナが、使用したワゴンを丁寧に整理していた。ゲンスケとエモトは、相変わらずくだらないやりとりをしながらも、掃除にいそしんでいる。


 外気の冷たさを遮断した店内は、零時をまわった時刻とは思えない暖かで穏やかな空間が漂っていた。


 幸せか…。


 今が、そう…だと、思う。


 そもそも、幸せなどあるはずがない…と、今でこそ考えられないくらい冷めきった人種の人間だった。

 そんなセキが、この店に来て、オーナーに出会って、こんなにも価値観が変わるとは……。


われながら、驚くわねぇ…」


 ふと、満たされている充実と、以前のつまらない自分を思い出して、ほう…と肩の力が抜ける。


 美しい女も、艶やかな熟女も、見慣れていた。飽きる程見てきた。


 だが、あの人のような凛とした美しさを、なんと呼べばよいのか…。


 もともとセキは、置屋に出入りする男衆おとこしであった。男衆おとこしとは、芸妓・舞妓の着付けを担当する男を言う。


 舞妓の帯の長さは、六メートル五十センチ以上もあり、その長さは普段着で使う名古屋帯と比べると、倍近くある。長さに比例して、重さも出てくるため、とても一人で結べるようなものではない。


 その為、置屋と呼ばれる舞妓が所属する店にとっては、男衆おとこしは欠かせない存在なのだ。


 時代がかわったとはいえ、セキが置屋に出入りしていた頃の花街は、それはそれは賑やかだった。


 こぞって肉体的な欲望、色情をさらし、男に取り入る女もいれば、愛欲に溺れて身を滅ぼす男もいる。


 芸事に磨きをかけ、琴や踊りにと努力をかさねても、必ず幸せが訪れるわけでは無い…。


 色気と、駆け引き。

 より良い男との勤しみ。 

 時には、情のあとに客を見送る為だけ、着物を着付ける事もあった。


 そんな女達を、目の当たりにして過ごした時間を、決して嫌いではなかった。むしろ、刺激的な花街にいたからこそ、辛うじて人としての感情を無くさずにいれたのだと…今なら思う。


「あれは、あれで…眩しい世界ではあったのよねぇ…」


 寒々とした思い出を、羽織の両袖に腕を突っ込むことで冷えた手を温め、気だるげに首を振った。 


 すると、丸メガネを鼻先までズラしたゲンスケが大瓶の花瓶を抱えてセキに近づく。


「おまえのその顔は、好きじゃねぇなぁ」


「…あんたの前で、取り繕う必要ないでしょ」


「まぁな。だけど、オーナーには心配させるような顔すんなよ」


 おちょくっているようには聞こえるが、ゲンスケの目を見ればわかる。この男もまた、オーナーと、店、仲間のスタッフ達と真剣に向き合っている。

 

「…アタシがそんなヘマすると思う? あの人の事は、よく分かっているつもりよ。本人以上にね」


「そうかぁ? 俺は…どれだけ一緒の時間を過ごしても、オーナーの優しさに甘えてる気がして男として情けねえな」


 ゲンスケなりに、必死にオーナーの役に立てる努力をしているのは知っていた。

 ゲンスケだけではない。エモトもユナも、セキも、オーナーの為なら…と思うのに、彼女はいつだって先頭を闊歩する。


 アタシ達なんて…盾にもなら無いから…。


 それでも、いつかこの腕で守りたいと思うのは、ここにいる者達の願い。


 いつか…疲れた身体を預けてくれたら…どんなに嬉しいだろう。


 ゲンスケと二人、互いに交差した考えを共有してため息をつく。

 しかし、口に出すことは無い。ゲンスケも片眉をあげるにとどめた。


「秋はしんみりしてダメね。あんたの珍しく気弱もカワイイけど。今夜の相手が必要なら、お相手してあげるわよん」  


「ばか。そんな気さらさらねぇくせに、よく言うぜ。おまえこそ、手詰まりになってんじゃないのか? 最近のやきもきした顔は、なかなかイイ男顔だぞ」


「やきもきねぇ~。で、そのススキは嫌味なの? どうせいつもの贈り物でしょ?」


「ああ。まあな。この時期必ず届くが…実際、この辺りではすっかり見なくなったからなぁ。オーナーは嬉しそうだぜ」


「…仕方無いわね。オーナーは?」



 *  *  *



 セキが大瓶の花瓶をかかえて店の裏庭に行くと、オーナーが月を眺めながら縁側に座っていた。


 レースを施したいつものブラウス姿で、袖を肘までまくり、黒いタイトスカートからのびる真っ白な素脚を投げ出し、秋風に晒している。


 色無いろなき風が、月に照らされたオーナーのいる所だけ、枯れ葉に色付くよう、風光明媚ふうこうめいびな場所に見えた。


 オーナーの傍らには、ユナが用意したであろう燗酒が用意されていた。 


 冷気に触れても冷めないよう、ユナが気遣ったのは燗徳利かんどっくり。ちろりよりは、料亭や旅館のような高級感もあるうえ、何より月見酒をするオーナーを楽しませたかったのだろう。

 

 セキの存在に気付いているだろうに、こちらを見るわけでもないオーナーは、手にしていた盃に口をつけた。

 ゆっくりと、喉が上下するさまをまじまじと見てしまう。


 観念したセキは、オーナーの右隣に、大量のススキが入った花瓶を置き、自分はオーナーの左隣りに座った。


 やっとこちらを見たオーナーは、にっこり笑うと当たり前のように用意されていたもう一つの盃に酒を満たす。


 目で飲むよう促され、躊躇いなく嚥下すると、ふわりと酒の香りが鼻先をくすぐる上等な酒だった。


 オーナーが好んでいる酒である事はすぐにわかる。


 セキの呑みっぷりに満足そうに微笑んだオーナーが、再び月を見上げた。

 

「良い月ね」


「…満月でないけど?」


「ええ。どんな月だろうと関係ないでしょ。月と、美味しいお酒。ススキと、秋の夜風。私の店と、私のスタッフ」


 歌うように穏やかなオーナーを見ていると、彼女の役目を忘れてしまいそうになる。


「セキ?」


 セキ自身、自分が何者なのか…。もはや生きた人間ではない…。自分が選んだ道なのに、おかしな感覚を上手く処理出来ず、ふわふわしてしまう。


 酒のせいなのか…。月とオーナーにあてられたのか、月明かりの縁側で、オーナーにならい足を投げ出した。黒い足袋が闇に溶け込む。 


 着物の裾を、秋風は容赦なく翻した。

 今更ながら隣に座るオーナーが薄着でいる事に、おのれの間抜けに気が付く。羽織りを脱ごうとして…。


 オーナーの手がセキの手を止めた。


「羽織りでしょ? 寒がりの男がムリして、カッコつけることないわ」


 その余裕に無性に腹が立った。


「っ。ムリじゃなくて、男としての見栄よ!」


 思わず大きな声が出てしまい、きまり悪くそっぽを向く。


 何をしているのか…。自分はこんなガキっぽかったか…?


 ススキがサワサワと揺れた。

 誘われるよう、リリーン…リリーン…と、鈴虫が鳴き出す。

 ぎこちない鳴き方に、オーナーが「まだ、ヘタね」と毒づくも嬉しそうだ。


 ふわっと暖かなぬくもりを感じ、セキは面食らった。セキの腕の中に…オーナーがおさまっているのだ。


 顔のすぐ下に、オーナーのゆるく結い上げたうなじ。胸に収まる薄着の肩は、しっとりと身体を預けてくる。


 セキの羽織りを興味深そうにヒラヒラさせ、それでも暖かなぬくもりを分け合う格好が気にいったのか、そのまま手酌でついだ酒を口に含む。


「っ。ちょ…と、オーナー」


「なあに?」


 至近距離で上目遣いに振り返られ、思わず言葉を飲んだ。


 まったく。この人は!


 ゲンスケやエモトが気付かないはずがない。


「ふう。アタシ、ゲンスケに殺されるわよぅ」


「ふふふ。大丈夫。セキをけせるのは私だけだから」


 冷静を装って、わざと砕けてみるが、酒がはいったオーナーには通じない。


 驚くほどの度胸と勇壮ゆうそうで、大胆不敵。そうかと思うと、まるでむすめみたいな無邪気な一面を見せてくる。


「…いつになったら、本気で抱きしめさせてくれるのかしらね」


 ボソ…と呟いたセキの声は、競いだした秋の虫のにかき消され、オーナーに届いてはいなかった。


 リリーン…リリーン。


 そのあとの酒を、セキが味わう余裕がなかったのは言うまでもない。


 


      『ある秋の夜長で…』 終わり



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幽霊美容室 ショートストーリー 麗しき幽霊は今日も憂いを秘めている 高峠美那 @98seimei

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