第1話 覚醒

 目を覚ますと、そこは知らない場所だった。

 そんな月並みな始まりになるくらい、ここは知らない場所なのだ。深い森で見上げる程に高い木が乱立している。葉っぱの隙間から青空が見えるので昼間だろうが、陽の光を防いでいるせいか結構暗いし寒い。


「……何なのこの状況は」


 とりあえずは状況を整理したい。

 私は土手で本を読んでいた。本が退屈だったので空を見ていたら、蚊が寄って来てそれから逃げてたら大穴に落下。落下し続けて気付いたら森の中にいた。

 支離滅裂だ。遅刻の理由だってもっとマシなものにする。

 とりあえず夢ではないだろう。夢だ夢だと何でも否定していたらいつまで経っても話が始まらない。夢とは見るものであって実感するものではない。

 私は状況を知る為にも動くことにした。立ち上がろうと地面に伸ばした手が何か硬いものに触れた。


「……剣?」


 そこに落ちていたのは剣だった。銀色に光る刀身。歪んだ十字になっている柄と柄。誰がどう見ても剣としか言いようのないものだ。誰かが落としていったものだろうか。よく分からないけど私は剣を手に取った。

 状況は不明。未来も不定。だけど不安は紛れた。


「こういう状況にはいくつか心当たりはあるんだよね。とても馬鹿馬鹿しくて、自分でこういう思考に至ることを恥ずかしく思うし、何より何番煎じだよって話だから敢えて言葉にするのもどうかと思うけどさぁ、これって異世界転移だよね?」


 私の疑問に答えるかのように、森の木々が揺れた。

 冷たい風が私を撫でる。


「正解ってコトかな」

「正解と言えば正解。間違いと言えば間違いだね」


 背後から急に声が聞こえた。

 こんな人気の無い森で、人よりも獣が多そうな森で、人の声が聞こえるのにはとても驚いた。心臓が口からまろび出そうなほどの衝撃。

 背筋にひやりとしたものが流れるのを感じた私は声のした方を向いた。


「誰?!」

「無駄さ。君に僕を見ることは出来ないさ」


 私の視界には大きな木と、木の幹の辺りに生えているキノコ、コケ。声はキノコから聞こえるように見えた。キノコが喋るなんてありえない? そもそも異世界に居るのだから何でもありだろう。

 私はとりあえず持っていた剣でキノコを叩いた。


「そこだ!」

「痛い!」


 剣はキノコの傘に命中し、キノコが叫んだ。

 本当に喋るキノコがいるなんて。ここはマジに私の知らない世界らしい。ワクワクしてきた。武者震いかもしれない。ただ単に寒いだけかも。


「喋るキノコが珍しいと思うのは分かるよ。僕も君達が言語を介するのを見て不思議に思うもの。だからってとりあえず叩いてみるという発想には至らないよね?! 野蛮人なのかい?!」

「野蛮人って、私は割と普通の女子高生だ」

「ワリトフツーノジョシコーセイって怖いな」


 キノコの癖に、口もあるように見えないのに、よくもまあお喋りなものだ。しっかりと口のある私の方がまだ無口だ。

 もう一発叩いたら黙るだろうか。なんてこれじゃあ本当に野蛮人だ。

 会話が出来るのだから、会話をするべきだ。


「さっきの話。正解と言えば正解ってどういう事? ここは異世界じゃないの? 少なくとも元いた場所には喋るキノコは無かったし、こんな剣もその辺に落ちてなかった」

「すべてのものには意味があるというワケさ」


 何か意味ありげにはぐらかされた。私は自然と剣を持つ手を上に上げていた。


「……えっと……よく、分かんないけどもう一回叩かれたいってことかな」

「ちょっと待ってよ。僕の口からは何も言えないよ。言っちゃいけないんだ」


 「言っちゃいけない」。それはつまりこのキノコは私の状況に対して答えを持っているということだ。もしかしたら言っているだけかもしれないけど。顔が無いので表情が読めない。

 顔が見えたところで何が分かるのかと言われると答えに困る。


「分かったよ。叩いたりしてゴメンね。謝るからさ、どうしたらいいか教えてよ」


 私は言いながら剣を上段に構えた。


「変なこと言ったら叩かれそうだね。うん、真面目に答えるよ。ああでも僕はふざけてああやってはぐらかそうとしたワケじゃないんだよ。真面目にふざけてただけなんだ。そこのところは……」

「分かったから」

「とりあえずこの道を右へ真っ直ぐ行くといいよ。そこには王都がある。王都カートニー。人界の中心地で、君みたいな異分子でも居場所がある」

「ふーん。とりあえずありがとう」


 異分子とはっきりと言われると少し寂しい。キノコにお礼を言った私は言われた通りに右へ真っ直ぐと歩みを進めた。


「旅の始まりには小さなアクシデントってね。魔物とかいるのかな」


 この剣を人相手に使いたくはない。さっきのキノコみたいな変なヤツが相手なら多分大丈夫だ。まさか人間が一人もいないとは思いたくないけど、異世界なのでその可能性も大いにあり得る。

 とりあえず王都に行けばこの世界がどういう場所かも分かるだろう。

 道の端にある草がガサガサと揺れる。私は警戒して立ち止まった。すると草の間から一匹の獣が現れた。そいつは一見、狼の様に見えたがそれにしてはサイズが大きい。人を乗せられそうな大きさだ。


「……」


 獰猛そうな牙がちらりと覗く。

 あれに噛まれたらとても痛いだろうし死ぬだろう。

 私は息を呑んだ。

 どうしたものかと思案していると狼が言葉を発した。


「これこれ綺麗なお嬢さん。そんなに緊張しないでください」


 キノコが喋るだけじゃなく、狼まで喋るとは。

 いやいやそんなことよりも、もっと大事なコトがあるはずだ。


「綺麗って、私のこと?」

「あなた以外にどこにいるというのです?」


 意外と見る目のある狼のようだ。

 クラスの男子達は狼の様な目で女子のお尻を追っていた割に見る目が無かったということだろう。

 狼はさも当然の様に体を起こして二足歩行になる。元々巨大な狼だったので、その大きさは教室の天井くらいになっている。

 狼――と言ってしまっていいのか謎だけど――は文字通り腰を低くして言った。

 見る目があり、紳士的。ちょっと好きかもしれない。


「私は何もあなたと戦いたい訳ではありません。ウェアウルフとは野蛮さを嫌う者でしょう?」

「知らないけど、でも私も戦ったりはヤダな」


 ウェアウルフというのかこの狼は。確か知っているところだと人狼とかそういうのだったような気がする。つまりコイツも元は人間だった可能性があると。


「いえ、それは違います。私はというよりウェアウルフは生まれつきウェアウルフでございます」

「親切にどうも。でも私の思考にツッコミ入れないでよ。怖いから」

「大気に潜む精霊の力を借りれば野蛮人の心を読む程度は造作も無い事でございます」


 言い方は柔らかいけど、コイツも私を野蛮人だと思っているらしい。

 やっぱり嫌いだ。


「大気に潜む精霊って?」

「魔術でございます。魔術とは精霊の力を借りて発動するものです。簡単な呪いくらいならば、個人が持つ魔力だけで発動できるものもありますが、そうしたものが効果を発揮するのは意志を持たない人形か、赤子くらいなものです」

「なるほどね。この世界には魔術があって精霊の力を借りれば使えるのかぁ。何かテンション上がって来るね」


 自分で言いながらもあまりよく意味は理解していなかった。


「それはいいことを聞きました。興奮した人間の血はとても美味しいです」

「……」


 コイツ今何と言った。

 やっぱり私に何かする気なんじゃないだろうか。

 いやというかそもそも戦うのが嫌いであって、食べる気は無いとか敵じゃないとかそういう事を言われた訳ではない。

 私は剣を構えた。剣はその質量には似合わず軽かった。少なくとも中学生時代に握っていた竹刀よりも軽い。発泡スチロールを持っているかのようだ。


「ほぅ、魔具ですか。おまけに定着率も中々。あなたいい戦士になりますよ」

「ここを生き延びればって言いたいの?」

「いえ、ここで死んでしまうのは勿体ないと」


 ウェアウルフは再び四足歩行になり、地面を蹴った。電光石火の如く私目掛けて突撃してくるウェアウルフ。電車をも優に越す速度、圧倒的な重圧。それを私は横に跳んで回避した。


「体が軽い?!」


 しかもそれだけではない。あの速度に反射が追いついたところにも驚愕した。

 異世界に来たことで何らかの才能が覚醒したとしか考えられない。


「魔具を持つ者の肉体性能は只人を超越したものになります。それを持つあなたは正しく超人と言っていいでしょう」

「ご親切にありがとう」


 ウェアウルフが耐性を低くする。

 彼の目が私の首を狙っているような気がした。呆けていては私の細くて綺麗で柔らかい首などサックリと持っていかれるだろう。

 急に飛び込んで来た命の危機。それに対して私は自然と高揚していた。

 理由は分からないけど、体を動かすのに問題はない。故に私は自身の中に芽生えた不思議な感情について深く問いかけはしなかった。


「いい反応です。ですが気は抜かないように。命のやり取りにおいて迷いは不要です」

「何で戦闘訓練みたいになってんだろ」


 初陣なので助かるけど。

 ウェアウルフとしてはそれでいいのだろうか。

 だけどまあそんなことはどうでもいいや。

 ウェアウルフが体をきりもみ回転させながらこちらへと向かって来る。それを跳躍して回避。ちょっと地面を蹴っただけで五メートル大にまで跳躍した私は、そこから落下の勢いを利用し、私の真下を通るウェアウルフに剣を向けて落下した。

 ずぷりという鈍い感触が剣を通して私に手に伝わる。

 私は構わず剣を持つ手に力を込めた。


「合格です」


 ウェアウルフの口からそんな言葉が私に向けられる。

 彼の体を地面に叩きつけながら私は着地した。下敷きにしている彼の体からは力を感じない。


「はぁ……これが戦いか」


 飛び散った血の匂いは一生忘れない。

 殺し合った仲だし、会って数十分とも満たない関係だけど、会話の出来た相手を自分で殺すというのは余り気分が良くなかった。生存競争という言葉の意味を改めて思い知らされた私だった。

 ウェアウルフとの戦いで異世界の洗礼を受けた私は、そのまま道を真っ直ぐ歩いていた。言われた通りに進んでいたらウェアウルフと会ったので、このままあのキノコの言う通りにしていていいのだろうかという疑念はあるものの、結局言われた通りにするしか選択肢が無かった。先の戦いで私が持つ魔具とやらの使い方は何となく分かったし、やっていくだけの力があることも知った。


「あのウェアウルフがこの世界の戦力バランス的に最下位とかだったらヤバいね。ふつーに死ぬ」


 王都に着いたら何をしようか。

 とりあえずお腹が空いたので、レストランを探そう。服も気になるし、宿暮らしも楽しみだ。ゆくゆくは自分の邸宅を持ったり……。

 ……いや待て。何よりも探すべきはお金を得る手段じゃなかろうか。日本では守られていた私だが、こっちでは自分で自分の身を守らないといけないのだ。お金の仕送りしてくれる人もいない。

 自分で働いて自分で稼がないと死ぬ。

 色んな所に死の要因があった。考えると嫌になる。


「パスパス。現実は見ないで楽しくいこう。腐った現実より実り豊かな空想……だよ」


 それを一般的には現実逃避という。

 ウェアウルフの遺体は何か細かい粒子状のものを放出しながら消えていった。残ったのは爪のみ。

 恐らくは店に売るのが正しいのだろうけど、何が大事な物なのかも分からなかったので、戦いの師匠として彼を埋葬することにした。

 森の景色は変わり映えしない。

 最初は珍しく何に対しても目を留めていた私だが、今は機械的に足を動かしていた。たまに空を見るが、依然として陽の光は遮られていた。


「魔法も使えるようになりたいね。精霊とやらの協力が得られればって言ってたけど、それはどこのどなたが教えてくれるのかな」


 剣もずっと持ってると重く感じてくるものだ。実際は全く重みは感じていないのだけど、ずっと握っているし、剣先が地面に当たって鬱陶しい。

 とか何とか考えていたら剣が勝手に塵になって消えた。ウェアウルフが消えた時と同じようにだ。


「えぇぇぇぇ?! ちょ、ちょ、邪魔だとは思ったけど消えられると困っちゃうんですけどぉ?! ただの女子高生が武器も持たずに森で生きていられると思って?」


 わーぎゃー騒いでいると突然、武器は手元に出現した。


「ふむ」


 私は一旦、武器を放り投げてみた。剣は普通に地面に落下した。頭の中でこの武器が消えてくれたらと思ったら、武器は消えて戻ってこいと思うと私の手に剣が戻ってきた。

 しばらく試行錯誤して念じれば武器の出し入れができることを知った。消えた武器がどこへ行くのかは分からないけど、まあ元に戻せるのだからそれでよしとした。

 一つ一つやれることが増えていく快感のようなものがあった。

 何より剣の出し入れのギミックで私は一つの妙案が思いついた。


「試したいなぁ、魔物出てこないかなぁ」


 子供のように胸を高鳴らせていると、私の目の前にデカい壁が落ちてきた。

 それが付近の木々を薙ぎ倒したことで、森の一帯に陽の光が降り注がれる。


「のわぁぁぁぁぁ?! なんじゃぁぁぁ?!」


 美少女女子高生らしからぬアホみたいな声をあげてしまったが、私はすぐにコホンと咳ばらいをした。誰も見てないだろうけど、一応ね。

 壁と形容したものは正しくは生物の死体だ。さっきのウェアウルフの数倍は巨大だ。この世界は何でもサイズがデカいのだろうか。人間も巨人サイズがデフォルトとかだったらどうしようか。

 それはそれで面白……普通に嫌だわ。


「……人がいる。巻き込んでしまったみたいですね」


 頭上から鈴のように綺麗な声が私の耳に届いた。

 私は目の前の死体の上に誰かの影があるのが見えた。誰だろうか。声の感じからして女の子。それも美少女だ。美少女とは声だけで分かるもの。事実、私の声はいいと褒められたことが……あったような気がする。少なくとも音楽の先生には褒められた。小学一年の頃に。


「ほえー、デッカイ魔物だね本当に。これを倒すってスゴイな」

「ちょっと待っててください。今、降ります」


 スタッと目の前に降りて来たのは金髪の女の子だ。

 宝石の様な翡翠色の瞳。整った輪郭に、ぱっちりと開いた大きな目。汚れ一つ見えない白い肌。私に及ぶレベルの美少女だ。いや私以上。今まで見てきた中で最も美しい。人間国宝。一光年に一人の逸材。

 散々言葉を尽くしても彼女の美しさを表現できない私の語彙力の無さに絶望して死にたくなる。


「生きていてごめんなさい」

「私に言われても困ります」


 私は頭からつま先まで、それこそ肉や骨に至るまで、一挙手一投足を見逃さないくらいに金髪の少女にピントを合わせていた。

 見ているだけで幸せになるとはこういうことを言うのだろう。


「知らない人……。最近、王都にやってきた冒険者ですか?」

「……これから王都に向かおうとしている野蛮人です」

「?」

「何というか……記憶喪失? 的なアレでして。何となく王都に向かうってことだけは覚えてるんだけど、どうして王都に向かうのかも分かってないし、そもそも王都って何ぞやで、もうなんかああああああああああああああってカンジ」


 真実を話すべきかどうか。きっと話したところで伝わらない。だったら取り繕った方がいい。そう思ったが話せば話す程に美少女に嘘を吐く自分に嫌気が差してくる。

 私の説明に、金髪の少女は顎に手を当てて何かを思案した様子。

 彼女の中で何らかの答えが見つかったらしい。


「何となく事情は理解しました。頭が悪い……失礼。何か精神に異常を抱えているんですね」

「どちらにしても失礼だなオイ。美人なら何言っても許されると思ってたら、その通りだかんなチクショー可愛い」

「変なキノコでも口にしたんですか?」

「喋るキノコとは会ったけどね、食べちゃいないよ」

「喋る……キノコ?」


 金髪の少女は喋るキノコを知らないらしい。あれはこの世界の人から見ても珍しい奴なのだろうか。


「私はエステラ・リィン。王都の冒険者ギルドに所属する冒険者です」

「私は神崎玲衣。ただの女子高生だよ」

「……記憶喪失……いえ申し訳ございません。精神がアレなんでしたね……」

「珍しいタイプの記憶喪失なんです。謝らないで、悲しくなるから」


 どうもエステラさんは私を精神異常者にしたいらしい。

 記憶喪失とか言っておきながら自分の名前をスラスラと喋ってたら怪しまれるか。私でもソイツの精神異常を疑う。


「ではレイさんと。王都に行くのなら一緒に行きましょう」

「……いいの?」


 てっきりここで魔法とかで飛び去られてそれっきりだと思っていたので、思わぬ提案に私は聞き返してしまった。

 エステラさんはすまし顔で言う。


「はい。女の子がそんなボロボロの格好で歩いてたら、良からぬ人間の餌食になります」

「ああそーいうこと」


 出自不明の美少女なんてその筋の人からしたら恰好の獲物に違いない。言われて私は自分の格好を見てみると、確かに服がボロボロだ。所々擦り切れている。結構お気に入りの服だったのに。

 日本で販売している服は異世界での戦闘に耐えるようには作られていないので、当然といえば当然の結末かもしれない。

 冒険者ギルドがあるのならそこに行ってお金を稼ぐのがいいかもしれない。


「あなたにも事情があることは理解しました。とりあえず記憶喪失ということにしておきます。王都に着くまでの安全は保障しますが、その後はお一人で勝手になさってください」

「ありがとう。正直、心強いよ」

「いえ、別に」


 エステラさんはそう言うとさっさと歩いてしまう。

 もっとお礼を言いたかったが、早く帰りたいのだろう。

 私は何も言わずに彼女の後を着いて行くことにした。

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