第41話 聳り立つ壁。崩れ落る崖。



公園の方へと歩みを進める安奈を追いかけて、宏樹も足を動かした。

すると、安奈が突然立ち止まる。


「どうしたんですか?」

「木の下を見てみて」


足を止めた安奈がそう言った。

宏樹がその言葉に従って、巨木の下に目をやると…。


「おばあさん…ですか?」

木の下には木製の小さなベンチが置かれており、そこには小さな老婆が腰掛けていた。


「そうよ。あの人はマリーおばさん。ハルマの都の中で最高齢の方よ」

「そうなんですね」


安奈曰く、彼女はよくこの場所で日向ぼっこをして過ごしているという。

そんなおばあさんを見ていた宏樹はちょっとだけ気になって、その人の元へと歩み寄った。



「こんにちは〜」

宏樹がそう挨拶する。


「あらこんにちは。おや、見ない顔だねぇ…何か私にようかい?」

とマリーはゆっくりと柔らかい口調で返してきた。


…優しそうな人だな…

宏樹は少し躊躇ったが、ここは包み隠さず聞いてみることにした。


「現世って…どうして危険なんですか?」


すると、マリーは目を見開いたまま固まった。


「…どうして…そんなことを聞くんだい?」

そう返された宏樹は、真実を話そうとした。


「僕は今、現世に住んでるんです。だから…」

と宏樹が話している最中に、恐ろしい勢いでマリーはこちらに目を合わせて言った。


「ちょっと待ち!あんた…現世に住んでいると言ったかい?」

マリーは声を震わせながら問い詰めてくる。


その質問に、宏樹は隠すことなく暴露した。

「はい。現世に住んでいます」

と宏樹が答えると、マリーはみるみるうちに血相を変えて説教をしてきた。


「悪いことは言わん!あんたもこちらの方に来なさい!あの世界では命がいくつあっても足りゃしないよ!」

彼女はさっきまでの穏やかそうな口調とは一転して、早口で語気強めに喋ってきた。


「いや、そんなことはないです!僕は今もこうしてっ…!」

そんなマリーに対して、宏樹が反論を述べようとしたが…。


「“奴ら”と戦うことは死を意味し危険さ…。そんな道を選ぶより、私たちの教会に入って祈りを捧げ、“救い”を待った方がよっぽどいいじゃないか…!」

マリーは息継ぎを忘れるほど興奮しているのか、言い終わった後の呼吸が荒々しい。


「救いって…いや、僕はそんなもの…!」

さっき遮られた反論が、もう一度宏樹の口から飛び出そうとしたその時…。


「こんにちは、マリーさん」

「あら安奈ちゃんじゃない!今日もおしゃれしてるわねぇ」


安奈が間に入ってきた。


「ええ、今日はこの知人の子とお散歩しているからね」

「そうかいそうかい。それはまた楽しそうだねぇ」


マリーは先ほど見せた豹変ぶりから打って変わり、穏やかそうな口調でそう安奈に返事を返す。


「いつもより、数倍張り切ってます…!なんちゃって笑」

安奈も淡々とした口調から一転して、艶やかさを帯びた声で言う。


「あらもう〜安奈ちゃんたら…!」

それに対して、マリーも返事を返す。


二人がそんな会話をして盛り上がっている側で、宏樹は一人浮かない顔をしていた。


…どこにでもいる普通のおばあさんに見えたのに……

さっき見せた豹変ぶりは、宏樹の脳裏に焼きついていた。


…一体、なんだったんだろう……?

宏樹はそう思いながら疑問符だらけの眼差しでマリーを見ていた。


彼女の豹変ぶりはもちろん気になるが、宏樹にはもっと上の不安要素があった。

それは豹変したマリーが口走った、とある言葉だった。


“救い”…って一体なんのことだろうか…?

私たちの教会に…と言っていたから、神の教えかなにかを指しているのだろうか?


…それと…”奴ら“っていうのはなんだ?…怨魂のことだろうか…?

死を意味し危険と言っていたが、その説明はちょっと不自然だ。


「それじゃあ、マリーさんも体調に気をつけてくださいね」

「ええ、あなたのおかげで今日も万全よ。いつもありがとうねぇ〜」


色々と謎が残ってしまったが、宏樹が悩ましくしているうちに安奈がマリーとの会話を終わらせていた。


「それじゃあ、行きましょうか」

「…はい」


宏樹はそう言って公園の出口へと向かって行く安奈の後を追った。


✳︎ ✳︎ ✳︎


こうして公園を後にした宏樹と安奈は、目的も無く都内を歩いた。

その道中、安奈がマリーについて教えてくれた。


「あの人は、都内に一ヶ所だけ設置されている教会の長をやっていて、熱心に“救い”というのを求めて祈りを捧げているの」

宏樹はすかさずその“救い“と言う意味深な単語について、安奈に尋ねてみたが彼女も詳しいことはわからないと言う。


「あの人を慕っている人も一定数いるけど、その言葉の意味を知っている人は…いないんじゃないかしら」

「そうなんですね…」


宏樹は惜しいことをしたなと思う反面、今更聞くのもなんだか気が引けるという、曖昧な感情が心に湧いた。

そんな風に宏樹が残念そうな顔をしていると、安奈が口を開く。


「まあ、これでわかったかしら?都の住人たちが外を嫌がっているということ」

「はい…。わかりました…」


…今はそれがわかっただけでも、十分かもしれない…

宏樹は結局めぼしい情報を得ることはできなかったが、言い合いなんかに発展するよりはいくらかマシだ。


そもそも安奈が言っていたように、ここの住人たちは現世に行く気なんて無く、そもそも戦うことなんて無いのだから、傑帥ではあるが一般人と何も変わらないと言っても過言ではない。


こう言うのは少々失礼かもしれないが、初めから聞く先を間違えていたということだ。


…こうなったら、頼りになる人は限られてくるな…

住人に聞くより、もっと有用な情報を教えてくれそうな人に頼るのが、正しい選択だろう。


頭の中でそう確信した宏樹は、早速安奈にあることを質問した。


「安奈さんは、ここから出ないんですか?」

宏樹がそう思うのは自然なことだ。


宏樹をものの見事に戦車兵へと仕立て上げ、自身も長いこと戦車兵として数多くの戦闘をこなしている。

そんな彼女なら、現世でもきっと戦っていけるだろうし、この都に留まっている必要なんてないだろう。


「絶対、現実世界の方が幸せな生活を送れると思いますよ?」

宏樹は安奈に問いかける。すると…。


「…?安奈、さん?」

安奈は突然その場で立ち止まった。


宏樹は知らなかったのだ。

今自分が、絶対に踏み込んではいけない領域に足を踏み入れていると言うことに…。



安奈はその問いかけにしばらく黙っていた。


しかし、突然口を開いて小さな声で発した。


「出る意味が無いの…」

「………と言うと…?」


その様子から何かを察した宏樹も、やや声量を控える。


「私は、十数年前まで家族4人で暮らしていたの」

安奈は立ち止まったまま話続ける。


「でもある時、家族全員で外に出ようって話になったの」

「………」


宏樹は嫌な予感がした。


「その時にさ…“あいつ“に襲われちゃって…私以外みんな死んじゃったんだ…」


宏樹は言葉を失う。


「だから。私はもう、私にはここを出る意味が無いの」

安奈はゆっくりと一言ずつ話す。


…そんな………ことが…


自分が幸せだと思っていることが、皆が望んだ幸せだとは限らない。

良かれと思って言ったことが、知らぬうちに人を傷つけてしまうことだってある。


「ごめんなさい安奈さん…嫌な記憶を思い出させてしまって…」

宏樹は真っ先に彼女に謝罪をした。


「ううん。もう昔の話だから…忘れて」

心なしか、安奈に瞳に何か光るものが溜まっているように見えた。


「だからこそ、あなたには期待しているの」

彼女はそう言ってわずかな微笑みを宏樹に送る。


それから安奈はまた目的も無く歩み始め、宏樹もその後ろをついて歩いた。



…一体…現世には何がいるんだよ……

無言のままの安奈と共に歩きながら、宏樹は一人考えている。


安奈を襲ったのは一体何者なのだろうか?

マリーの言っていた、“奴ら”と同じものなのだろうか?

怨魂とは違う、未知の勢力でもいるのだろうか?


…結局…振り出しに戻ってしまった……

宏樹は安奈には申し訳ないことをしたなと思いつつ、ここまで踏み込んで結局なんの情報も得られなかったことに肩を落とした。


しかし、今日宏樹が見聞きしたことは、これから先に待ち受けている長い物語の幕開けを意味しているということを...


彼はまだ知らない。

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