第35話 黄昏が日常に溶け込んでいく



美咲との仲直り?も済ませ、カフェから帰宅した宏樹。


「ただいま〜」

自宅の玄関を開け、登校靴を脱ぐ。


「おかえり〜久々の学校はどうだった〜?」

「まあまあかな〜」


…なんかいい匂いするな…

家に入ると、母はもう夕飯の準備を進めていてプーンといい匂いが鼻に入ってきた。


「しばらくしたら夕飯の支度が終わるから、早めにシャワー浴びちゃって〜」

「は〜い」


時刻は17時前。

今からさっとシャワーを浴びて夕飯を食べれば、問題なく北御谷に着く。


階段を登り、自分の部屋へと入った宏樹はまず初めにスマホを取り出した。

そう。安奈への安否確認の電話をかけるためだった。


ーーープルルルループルルル…ーーー

「はい。こちら安奈です」


「もしもし、こんばんは」

「その声は、宏樹くんね」

電話の向こうの安奈の声を聞いた宏樹は、少し安心した。


「はい、無事…初日が終わりました…」

色々な意味で疲れていた宏樹はやや脱力したような声で答える。


「お疲れさま」

それに対して安奈は労いの言葉をかけてくれる。


「その様子だとやっぱり、まだまだ慣れないんでしょう?」

安奈にそう聞かれた宏樹は、素直な感想を伝えた。


「はい…まだ不安と恐怖が少し…」

その宏樹の反応に、安奈は。

「やっぱりね」


安奈は宏樹のその言葉を冷静に受け応えた。

その理由は、これまでにもそう言う事例がいくつかあったからなのだそう。


「え?僕以外にも都を出た人がいたんですか?」

「ええ、貴方が来るずっと前だけど、だいたい数十名くらいはここを出たかしらね」

「そんなにいるんですか!?」


それを聞いた宏樹は、ある種の安心感のようなものを覚える。

「なんだか、それを聞いたら少しホッとしたような感じがします」


宏樹が電話越しの安奈にそう安堵の声を溢すと…。

「ただ、そう楽観もしていられないわよ?」

彼女はやや不穏なことを口走った。


「どうしてですか?」

宏樹がそう尋ねると。

「…言ってもいいけど…」


安奈は一瞬の間をおいてそう言った。

「…はい。聞かせてください…!」


宏樹は少し怖かったが、自分にも関係あるなら聞いておいたほうがいいと思い、そう言った。


すると安奈は、ゆっくりと丁寧に話してくれた。

「これまで出て行った数十人。そのうち、7割以上…連絡がつかなくなっているわ」


「7割…ですか…」

「ええ…」


それを聞いた宏樹はちょっとだけ怖くなった。


今日は特に大きな問題は起こらなかったが、まだ初日も初日。

明日も明後日も何も起こらないとは限らない。


「どうかしら?今なら、まだ戻れるわよ?」

宏樹が現実を突きつけられて黙り込んでいると、それを察した安奈にそう提案される。


「出るも残るも貴方の自由。危険から逃げたいと思うのは恥ずかしいことではないのよ?」

安奈は続けてそう言う。


彼女は宏樹に戻って来て欲しいと言っているわけではないのだろう。

ただ、宏樹にも選択をする権利があるのだと言ってくれているだけなのだ。


「………」

宏樹は、安奈の配慮に触れて一瞬だけ心が揺らいだ。だが…。


「…いいえ!…確かにまだ、慣れないことも多いですけど…。戻る気はありません…!」

…もうこの選択を選んだからには、今更引き下がるつもりはない…!


宏樹は心の中のモヤモヤを振り払うかのように、強気にそう宣言した。


それに対して安奈が。

「そう。期待しているわ」

と、少し笑みを含んだような声で言ってくれた。


「それじゃあ、無事が確認できたので。予定通り18時に集合ね」

「はい、わかりました!」


安奈は、その連絡だけ言い残し電話を切った。



それから、宏樹はシャワーを浴びに一階へと降りた。

「お〜宏樹、気分はどうだ?」


するとそこには、今しがた帰宅して来た父の姿があった。

「まあまあだよ」

「そうかぁ。あんまり無理するなよ」

「うん」


玄関の掃除をしながらの父と何気ない会話をする。


「父さん、先にシャワー入っていい?」

「いいぞ〜早めに上がってくれ」

「わかった」


宏樹は父が玄関の掃除をしているうちにシャワーへと入った。


「ふぅ〜さっぱりした」

部屋へと戻った宏樹は私服を着て、夕飯を食べるために一階へと降りる。


「冷めないうちに食べちゃって〜」

「はーい」


今日の夕飯は麻婆茄子とトマトドレッシングがかかった棒棒鶏ばんばんじーだった。

茄子とトマトは、今が旬ということで安くなっていてから買ってきたとのこと。


中華料理が好きな宏樹にとっては、これ以上なく嬉しい献立だと言える。


味わって食べる時間が残されていないのが、傷だが…。


✳︎ ✳︎ ✳︎


「行ってきま〜す」

「気をつけて行ってくるのよ〜」


17時半ごろ、夕飯を食べ終えた宏樹は家を出た。

両親には、民宿で出会った人とふもとのゴミ掃除のボランティアに行ってくると伝えてある。


初めはもちろん怪しまれたが、山のゴミ問題を失くしたいと熱く語りなんとか許してもらえたと言う流れだ。


「ヒィ〜まだまだ寒いなぁ〜」

5月前とはいえ、夜はまだまだ冷える。


あたりはもう夕闇に包まれ始め、街中はいつも通り仕事帰りの人たちでごった返していた。

それから宏樹は、少し歩いて出で湯通りまで歩いて来た。


…もうすぐバスが来るな…

宏樹は出で湯通りに面している「御前ごぜんの湯」の前で、バスを待った。


それから1分とたたずにバスが来た。

宏樹はやってきたバスに乗り、整理券を取って席へと腰を下ろす。


…今日は意外と乗ってるな…

以前乗った時は真昼間だったが、今はちょうど帰宅時。


それこそ山奥に住んでいる人達が利用しているのだろう。しかし…。


…今のバス停でごっそり降りたな…

その乗客達も山の麓あたりの住宅街でどんどん降りて行った。


…そりゃそうか……


こんな時間に山奥に行く人なんているはずがない。

ましてや、もう廃屋しか残っていない村のバス停まで送ってくれだなんて、正気の沙汰ではない。

もしそんな人がいたとしても、まともな理由でそんなところに行ったりはしないだろう。


尤も、宏樹自身はそのまともではない理由を抱えているうちの一人だが…


「お客様、220円になります」

「ありがとうございました」

宏樹は料金を払ってバスを降りると、北御谷の廃集落へと向かって歩き出した。


時刻は17時45分


…急げば間に合う…!大丈夫だ…!!

宏樹は早歩きで北御谷の入り口へと向かい、小走りで階段を駆け登った。


…はぁはぁ…結構ギリギリだったな…

階段を登り終えた宏樹は、周囲に人がいないことを確認し、蔦の中に隠されたドアノブを引いた。

鈍い金属音と共にドアが開き、宏樹は急いで中に入る。


「ふぅ…」

建物へと入った宏樹は、まだ呼吸が整わないような感覚がした。


「緊張…してるのかな…」

宏樹はあまり緊張したり驚いたりするようなことはないのだが、この非現実感の前では乱されてしまうようだった。


「大丈夫…!俺は大丈夫…!」

宏樹は誰もいない廃屋の中でボソボソと一人呟きながら英傑を召喚した。


「…よし…!いこう…!!!」

そう自分に言い聞かせた宏樹は、満を持して空世へと入った。



「約束通り来たようね」


空世へと到着すると、そこにはすでに安奈が待機していた。


「まずは1日お疲れ様」

「ありがとうございます」


彼女は現世から戻って来た宏樹に対して労いの言葉をかけてくれる。


「現世の生活はどうかしら?」

安奈にそう尋ねられた宏樹は、一切の迷いなく答える。


「楽しいですよ。まだまだ不安になることもありますが…」

「そう。それは良かったわね」


またしても、彼女は微笑んでそう言ってくれた。


「では、脱線話は程々に…。早速、訓練を始めましょうか」

「はい!」


時刻は18時。

夕闇に二人の影がぼうっと溶ける。


これから宏樹は長い長い訓練生活を、こなしていくことになるのだった。

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