第27話 少年とカフェオレ
互いに一歩も引かない論争は終わる気配を見せず、一見すると不毛な争いをしているように見える。
だが、その中心にいる少年と老人は至ってまじめで、手に汗握る攻防を繰り広げていた。
しかし、この論争を優位に進めているのは、アルフの方と言わざるを得ないだろう。
「どうしてわかってくれないんですか…!?どんなに穏やかな生活よりも大切な、家族や友人がいると言うことを…!!」
「何度も言っているだろう…。君がそれを大切だと思えば思うほど、我々にはそれを守る責務があるのだ…」
「よいか?君がどれだけ危険な世界に飛び込んでも構わないが…その巻き添えを受けるのは、君とは関係のない家族や友人かもしれないんだぞ…?」
「………それは…!」
「少々、虫が良すぎるんじゃないのか…?それで、誰かが犠牲になった時…君はどう責任を取ると言うのだ?」
もう5〜6分くらい、このやりとりをしているだろうか?
宏樹もアルフへの反論はたくさん出してきたが、その大方が弾き返されてしまって少しバテてきていた。
それに、これだけ長い間言い争いを続けている宏樹は、だんだんと感づき始めていた。
…この人の言うことは、どれもこれも正論ばかりだ……。
自分がまだまだ訓練不足だと言うことも、今のまま家に帰ってしまうと自分以外の人たちに迷惑をかけるということも。
「…お前さんはまだ高校生だろう…?自分のせいで周りを不幸せにするような過ちを犯し…背負ってほしくないんだ…」
少しづつ現状がわかってきた宏樹は、未だ拒みながらもアルフの言葉を徐々に受け入れ始めていた
「…確かに…それは…正しいかもしれません……でも……………」
「…どうか…わかってくれ……」
アルフは悪い人ではない。本当に自分のことを思って話してくれている。
それは十分にわかっている。わかっているのだが…。
…でも……でもよ………こんなの...............
それからしばらくの間、宏樹はただ黙って椅子に座ったまま項垂れていた。
ただ家に帰りたい!…と必死な思いで訴えを続けていたわけだが、結局アルフを説得することはできなかった。
それどころか、今の自分が現世へと戻ることによって誰かが傷ついてしまう可能性や、逆に自分自身が危険な目に遭うことによって結果的に誰かを不幸にしてしまうことにも気がつかされた。
…こんなのって……ありかよ………
宏樹はただただ惨めな気持ちで心が壊れそうになっていた。
自分を育ててくれた父親や母親、苦楽を共にした友人達や恋人。
そんな彼らに別れを告げることはおろか、会うことすら許されない。
そういう自分が恐ろしいほど不甲斐なく、それを受け入れられない自分にも嫌気がさしていた。
宏樹があまりに無情な現実に打ちひしがれていたそんな時。
ーーーコンコンコンーーー
突然ドアがノックされ誰かが入って来た。
「失礼します、支配人」
入って来たのは、私服姿の安奈だった。
「あら、宏樹くんどうしてここに?」
「あ…いや、なんでも…ないんです」
「そう…」
安奈はそう言って、台所へと入っていきコンロに火をつけた。
やかんに水を入れ始め、水を沸かしているようだ。
…こんな朝早くに、何しに来てるんだろう…?
さっきまで項垂れていた宏樹は、ただ意味もなく木製のパーテーション越しに安奈の方をぼーっと眺めていた。
…コーヒー豆…?だろうか…?
安奈が戸棚からザラザラと音のなる袋を取り出してそれを開けたかと思うと、中身を漏斗のような透明な容器へとどんどん流していく。
そして、やかんの中のお湯を少しずつ漏斗の中へと注いでいく。
…やっぱり…!コーヒーの匂いだ…
7、8畳程しかない小さな部屋の中に、香ばしくアロマな香りが立ち上る湯気と共に広がっていく。
…早朝にコーヒーを淹れに来ているんだな……あれ?でもコップが三つ……
宏樹がコップの違和感に気づいた時…。
「宏樹くんは、ブラック飲めるかしら?」
突然そう聞かれた宏樹は咄嗟に答える。
「え…あ、砂糖とミルクもお願いします」
「砂糖とミルクね」
宏樹がそう答えたからか、安奈は台所の下の冷蔵庫を開けて中から砂糖とミルクを取り出し、三つ目のコーヒーに入れて混ぜた。
「ありがとうございます」
「いえ。まだ少し熱いから火傷しないように」
安奈からコーヒーカップに入ったカフェオレもらった宏樹は、膝の上にそれを乗せて冷ましながら一口飲んだ。
…美味しい…!安奈さんは本当になんでもできる人だな…
さっきまで自分の惨めさに打ちのめされていたからか、なんだか安奈の背中が遠く感じた。
宏樹がカフェオレを飲んでいる間に、キッチンへと戻った安奈が今度はアルフの分のコーヒーを持って出て来た。
「支配人、お熱いのでご注意を」
「うむ」
彼女はそう言って、アルフの机にコーヒーを置いた。
湯気が立つコーヒーが置かれた時、アルフが徐に口を開いた。
「安奈くん…」
「はい、どうされましたか?」
アルフはコーヒーを一口含んで、話を続けた。
「彼のことは君に任せていたな…」
「はい」
そして少しの沈黙の後、アルフが言い放った。
「彼がここを出たいと申し出ているのだが………」
その言葉が飛び出した瞬間、一気に部屋の中の空気が変わったのを感じとった。
…やばい……俺のせいで、安奈さんが………!
なんとなく状況を察した宏樹は、冷や汗が額に滲んだ。
「安奈くん、君はあの日あの時あの場所で体験したことを…忘れたわけではないだろう…?」
「ええ、支配人」
…あの体験…ってなんだろう……?安奈さんは何か嫌な経験をしたのだろうか?
「だからこそ、君に多くの新兵の訓練を任せている。わかっているな…?」
「はい、もちろんです支配人」
宏樹は息をも忘れるほどの緊張が張り詰めるこの部屋の中で、ただじっと二人の話を聞いていることしかできなかった。
「説明してくれ…。どうして彼が現世へ帰ることを求めているのだ…?」
アルフはペンを握った手を机に置き、俯いたままそう言った。
…これは、自分のせいだ…!安奈さんは関係ない……!!!
宏樹にはわかっていた。安奈さんに現世に帰りたいと言ったことはないし、安奈さんは何も悪くないと…。
…きちんと伝えないと…!彼女は何も………!!!
自分のせいで責任を問われそうになっている安奈のためにも、自分の口からキッパリと彼女の潔白を伝えなければならない。
それなのに…。
「支配人…。その件ですが…。」
安奈がゆっくりと口を開いたかと思うと、次の瞬間思いもよらない言葉が彼女の口から飛び出して来た。
「彼がここを出たいと思っていることは、初めから存じ上げております」
…え…!ええっ!!?
「安奈さん!??」
宏樹は斜め上の返事に思わず声が出た。驚きの発言をした安奈を宏樹がじっと見つめる。
「だから、彼を預かったのです」
…どうして…どうしてそんな…!!
宏樹はまさか安奈が味方でいてくれているとは思わなかったから、頭が混乱した。
彼女が何を考えているのか、今の宏樹は当然わからなかった。
その発言を聞いたアルフは、またしてもコーヒーを一口含んだ。
心なしかコーヒーカップを持つ手が震えているようで、物凄く怒っているように見えた。
ところが、ゆっくりとコーヒーカップを下ろしたアルフは、陽気な声で話し始めた。
「そうかそうか。それはまた…」
アルフはさっきまでの様子とは似ても似つかず、さながら別人のようで、せっせと筆を手入れし図面を片付け始める。
そんな様子の彼は、何かただならぬオーラを発していた。
机の上の道具を全て片付け終わったアルフは、徐に椅子を回しこちらへと向き直った。
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