第五章 少年がどうしても手放せないもの
第26話 誰かが作った安全なんていらない
「とにかく…今の君を外に出すことはできない…」
宏樹が返す言葉が見つからず黙り込んでいると、アルフが追い討ちの言葉を投げかけてきた。
しかし、そんな宏樹も負けじと会話のキャッチボールを続行する。
「それなら、初めにそう言ってくださいよ!!こんなの…あんまりじゃないですか!!」
…このまま黙ってここで生活するなんて、たまったものじゃない!!!
宏樹がそう苦言を呈すと、アルフがこう答えた。
「最初に伝えたとしても同じこと。どちらにせよ、ここから出すつもりは初めから無い」
…嘘だろ……それはさすがに………!!
このアルフの発言においそれと頷くことなぞ到底できず、宏樹は持てる知識を使って対抗を始めた。
「僕はまだ高校生です!誘拐だと言われても知りませんよ!?」
宏樹はプライドを脱ぎ払い、互いの関係にヒビが入ることも恐れずそう言い放った。
するとその言葉を聞いたアルフの筆が、一瞬だけ止まった。
…図星か…?そうだろう…!このまま押し通して説得しよう…!
そう考えた宏樹だが、相手はそんな簡単に折れてくれたりはしなかった。
「君はここに来るまでに、どういう目にあったのか覚えているか…?」
「え……」
急にそう聞かれた宏樹は、困惑する。
「平和なはずの街中で戦車に襲われ、死に物狂いで走り回ったんじゃなかったのか…?」
「………そうですが…それがなんですか…!?」
「誘拐よりも…見殺しの方が罪が重いのは、誰にでもわかるはずだが…?」
「……ですが…!!」
宏樹はまたしても痛いところを突かれてしまった。
「外の世界の危険については、君もよく知っているだろう。それでもまだ誘拐だと言い張るのかね?」
「つまりそれは……僕が死ぬ。そう言いたんですか!?」
追い詰められてもなお説得を続けたい宏樹は、ありもしない自信を振りかざす。
「2日間である程度の訓練は終わらせました!攻撃や防御ももうできます!」
安奈からは戦場に出るのはまだまだ先だと言われているし、攻撃だってまっとうに訓練したわけではない。
それなのに宏樹は早くここを出たいと思うばかりに、つい虚勢を張って慢心を思わせるような発言をこぼしてしまった。
宏樹が口を滑らせてから、しばらくしてアルフが話し始める。
「まさか…1日2日の訓練を終えただけで、敵と戦えるとは思っておらんだろうな…?」
「じゃあ、一体どれくらいで出られるんですか…?」
慢心に気がついて僅かに冷静さを取り戻した宏樹は、まだ少し怒気を含んでいる声でそう尋ねた。
だがそんな宏樹にアルフが返した言葉は、鎮まりかけていた炎に油を注ぐことになった。
「最低でも、半年はここにいてもらう」
「は…半年!?」
…いくらなんでも、ありえない…!!!
今から半年も現世に帰ることができないなんて、家族だけじゃなく学校や友人に近隣住民にまで、ありとあらゆる人たちに迷惑をかけてしまう。
「それじゃ遅すぎるんです!!!」
…そんなにかかると知っているなら、どうして先に言わないんだ…!!?
なんとか冷静さを取り繕っていた宏樹だったが、この言葉によって堪忍袋の緒が切れてしまった。
「それなら、自分で勝手に出て行きます!!」
そう吐き捨てた宏樹は、扉のドアノブに手を伸ばす。
「どうやって出て行くんだ…?」
今、まさに階段下から出ようとした宏樹の背中に、その疑問は投げられた。
「安奈からも聞いているだろう…ここは、空世(うつろよ)と呼ばれている異世界の中だ」
宏樹はドアノブに手をかけ、俯いたままアルフの言葉を聞いていた。
「君が以前住んでいたところとは別の世界。帰るためには正しい手順を踏まなければならない」
それを聞き逃さなかった宏樹はドアノブから手を離した。
「じゃあ、その手順を教えてください!今!すぐにでも…!!!」
宏樹はそう言いながら数歩ばかりアルフに歩み寄った。すると…。
「……まずは、落ち着け。焦っても始まらん」
「………… わかりました」
アルフにそう諭された宏樹はふてぶてしく返事をして、さっきまで腰掛けていた椅子へと再び座り直した。
宏樹が座り直してから、少ししてアルフは徐に口を開いた。
「そもそも、なぜお前さんはそこまでして外へ出たいのだ?」
「なぜって……………」
突然そう聞かれた宏樹は、うまく言葉が出てこなかった。
もちろん自宅へと帰りたい理由は山ほどあるし、すぐにでも言い返すことはできた。
だが、今のアルフを説き伏せるためにどういう言葉が最適なのか?…と考えているうちに結局何も思い浮かばなかったのだ。
黙っている宏樹にアルフがさらに続ける。
「ここは我々が長い時間をかけて創り上げた理想郷であり、ここにいれば勉学や娯楽といった、ありとあらゆる幸福が保証される」
…理想郷…娯楽…幸福………
宏樹は、アルフの口から飛び出たいくつかの言葉を、心の中で呟く。
「外の世界に出たとて穏やかな場所など無く、勉学や娯楽はたちどころに存在理由を失い、誰からも救われることは無い」
…………
「なにを気張らなくともここにいれば平穏は手に入る。先を急いでも良いことなど一つも無い」
…………………
「君が大切にしていると言った家族や友人…。その全てを投げ捨ててまでここへ移り住んだ者もいるんだ…」
…それが…なんだ……
「お前さんはまだ若い…。大切なものを捨ててまでここにいる人間の辛さなど、想像し難いかもしれないが…」
…そんなの……そんなのは……
「そんなのは僕には関係ありません!!!」
ずっと黙ったまま延々とアルフの説教もどきを聞いていた宏樹は、募りに募った想いを強く語り始めた。
「平穏を選ぶ人は勝手に選べばいい…ですが……!」
無言のままのアルフに向かって、宏樹は拳に力を入れて強く言い放った。
『僕が欲しいのは安全なんかじゃない、絆と友、そして…愛情なんです……!』
宏樹の言葉にアルフの瞼がゆっくりと沈む。
「そこに平穏が無いなら、自分自身で作ればいい!避難するために来たわけじゃない!!!」
宏樹がこれまでの人生を共にした日常。
時に誕生日に買ってもらった大切なぬいぐるみを、どこかで失くしてしまい大泣きしたこともあった。
時に合唱コンクールでふざけすぎて、教師や女子生徒を怒らせたこともあった。
時に気の合う友人たちと一緒にカフェ巡りをしすぎて、お小遣いを使い切った時もあった。
泣いた日常。怒られた日常。笑った日常。
今まで宏樹のそばにずっとくっついて離れなかったものが今、目の前で自分から引き剥がされようとしている。
代わりに自分を迎えようとしている日常には、今まで自分を支えてくれた友や家族や“恋人”と言った人はおらず、存在価値を失った平穏な世界がただ漠然と広がっているだけ。
そんな、あまりにも虚しい状況に置かれてしまった宏樹は、まるで自分の身が裂かれるような想いだった。
ここの世界で一生暮らしていくと言うことは、現世での死を意味していることに他ならない。
やり残して来たものだって沢山ある。親孝行だってできていない。
…こんなところでのうのうと過ごすつもりなんかない…!!
「だから教えてください!!!ここから出る方法を…!」
…たとえどんなリスクを冒してもいい…僕は日常を取り戻すんだ…!!!
それを訴えてからというもの、しばらくアルフとの激しい論争が続いた。
頑として都から出ることをよしとしないアルフに対して、宏樹も今まで自分が暮らしてきた世界がいかに自分にとって大切なものであるかを。
ただがむしゃらに語り続けた。
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