教室にて



 私達の教室は、この校舎の二階にあった。私達と言っても、綾と私はクラスが違うのだが。私は2ーBで綾は2ーDなのだ。

 2ーBと書かれたプレートが提げられた教室の前で私は止まり、綾はその隣の隣にある教室へと向かわなければならない。

 じゃあね、そう言おうとした時に綾がいきなりぎゅーと抱きついてきた。

 それと同時に


「学校頑張ってね、また帰りに会お」


と言われた。

 少し言葉に詰まっていると綾が心配そうに茶色で綺麗な瞳を揺らしているのが視界に映った。心配させてしまったのだろうか。そう思うと私は何て言えばわからなくなる。

 わけのわからない感情が心の奥で波風を立てているような感覚に襲われた。ぐちゃぐちゃに心が揺れる。これは…申し訳なさ…?というものだろうか。

 “忘れたはず”の感情がまた蘇ってくるのを感じると、戸惑いが大きくなる。

 でもそんな事を考えていてはもっと綾に心配されてしまうかもしれない。とりあえず、と私は口を開く。


「うん、また帰りに」


 上手く笑えているかはわからない。口角を上げ、自分では笑みをつくったつもりだった。

 でも、綾は安心したようにまた笑顔を見せ、私から離れて歩いていった。少しこちらを伺いながら自分の教室へと歩いていった。

 後ろ姿は小さいのに何処か存在感というかどこか頼ってしまいそうな、頼りになりそうな、そんな雰囲気に満ちていた。

 そんな姿を見ていると。思わず綾にあの事を相談できたら、なんて考えてしまうもそれはだめだとすぐに諦める。綾まで巻き込みたくないという気持ちが頭の中を過ったのだ。


 きゅ、と口を閉じると思考を切り替える。楽しい、そう言える時間は一度終わりだ。

 表情を元に戻し、白いドアを横にスライドさせる。そこには比較的新しめな教室が広がっている。木ではなく、プラスチック製の机に椅子。それらは全て白色というシンプルな色を宿していた。


 私は誰かに話しかける事もせずに真っ直ぐ自分の席へと向かう。

その途中で、一人の机の周りでたむろしていた女子達がちら、と私の方を見てはコソコソと話す。小蝿の羽音のように小さく聞こえてくる言葉は陰口だった。私だけじゃない、他の子の陰口も言い、意地悪な顔でくすくすと笑っていた。

 無駄に甲高い声は頭に響く。煩わしい、そう思っていても表情筋は動かなかった。もう慣れてしまったのだ。陰口を叩かれる事も、むだに甲高い声も毎日のように聞いていれば慣れてしまう。

 私は、はぁ、とわざと大きくため息をつくとそのまま彼女達の前をスタスタと通り過ぎる。彼女達は想像していた反応を見られなかったのが悔しかったのか、その後声を荒げ何かを言っていた。だが、私は相手にする気にもなれなかった。

 他の子と同じ椅子に掛けると、私はこっそりふぅ…と息をつく。朝から会いたくない人に会った上に先程の出来事だ。学校の中とは言え自分の席というのは安心できる数少ない場所となっていた。



 朝のホームルームまで五分ほど時間がある。その間、私は暇つぶしに持ってきている小説を開く。その小説の世界では、異能というものが存在しない。異能が生活等に強く結びついている私達からしたらあり得ない世界。

 でも、その世界でも変わらなかった。学校があって、仕事があって、人間関係があって、醜い争いがあって。それは全てこちらの世界でも同じだった。結局、争いは人間がいる限り永遠に続くものなのかもしれない。

 私はこの小説を読んでいる時、“あちらの世界”はどうなっているのだろう、なんて事を考える。異能という、この世界では比較的重要視されるものがない世界。

 私はそんな世界に生まれたらよかったのに、と考えてしまう。それは私が‘能力無し’だからか、それとも……いや、もう一つの理由については考えるのをやめよう。


キーンーコーンーカーンーコーン


 昔から変わらないチャイム音がのんきに響く。一度だけしか流れていないはずのその音は教室の壁に反響し、幾重にも聞こえた。

 そのチャイムを聞くとだんだんと現実に思考が戻ってくる。あっという間に五分は過ぎていたようで、担任の先生が教室に入ってくる。ここからはいつもと同じ。学級委員が号令を掛け、クラス全員が声を合わせ挨拶をする。それから連絡事項を伝えられ、ホームルームは終了した。



 一限目は座学で教室移動も無し。

 基本的にこの学校はテストと実技の点数が取れていれば授業中なにをしてもいい。そんな自由な学校だった。私は教科書とノートだけ机の上に並べるも、真面目に授業を聞くつもりもない。先生からはなにも言われないので別に問題ない。

 授業の時の音は全て嫌いだ。楽しさの欠片もない内容は頭に残る事なく耳から耳へと通り過ぎていく。先生の声も、誰かの声も、ノートに文字を書く音も、教科書をめくる音も、全てが雑音にしか聞こえない。

 窓から風が囁くような音が少しだけ聞こえるも、教室内の音によりかき消されていく。


 そんな雑音まみれの空間の中、私は肩肘を机に立てそこに顎をのせる。そういえば、と軽く瞼を閉じ昔、と言っても中学一年生の時の記憶を探る。私は朝の昇降口で会った海里との記憶を思い出そうと思ったのだ。

 記憶を思い出そうと意識をそこだけに向けると雑音は何処か遠くに聞こえるようになった。

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