ぬいぐるみと探偵の物語

千石綾子

ぬいぐるみと探偵の物語

 憧れの気持ちだけで探偵なんてものを始めた。当時有能な警察官だったキースまで巻き込んで。


 今回の依頼は「身体を盗まれたから取り戻して欲しい」というものだった。妹に付き添われた依頼者は、悔しそうにこう語る。


「ちょっと昼寝してる間に、ワニのぬいぐるみが家に入ってきたんだ。リモコンか何かで動いているんだろうと思ったら、いきなり俺と身体が入れ替わって。そのまま逃げられて……」


 本人は極めて真剣に話しているのだが、なにせかなりデフォルメされた間抜けな顔のワニのぬいぐるみがパクパクと口を動かしているのだ。俺達は笑いをこらえるのがやっとだった。


「ご安心ください。我々にお任せいただければすぐさま解決してみせます」


 キースは自信満々に言い放ち、ワニの鼻っ面をつんつんと突っついた。


「やめないか。痒くなっても自分では鼻を掻けないんだ」


 そう叱られて、気まずい雰囲気になった。しかし無事に依頼を受けることになったのだ。



 捜索を始めてすぐに、犯人(=依頼者の身体)は見つかった。依頼者が割と有名なバスケットボールの選手だったので、目撃情報もSNSなどを使えば即座に集めることができたのだ。

 街中で見つけた犯人を、今まさに俺とキースとで追いかけている。


「どっちに行った?」

「東の大通りに向かったぞ」


 更にスピードをあげてコーナーを左折する。通行人が驚いたように慌てて道をあけた。


「いたぞ! その先だ!」

「見えた。捕まえろ!」


 犯人は近くのモールに逃げ込んだ。俺達もその後を追う。一応有名人という事で、気付けば周りには多くの野次馬が。厄介なことになったと思いつつも、俺達は犯人を2階へ追い詰めた。


 吹き抜けのある中心部で、見事キースは犯人を捕まえた。しかし二人は揉み合っているうちに、もつれあったまま階下へと落ちてしまったのだ。

 2階とはいえモールのそれはかなりの高さだ。


「キース!」


 急いで2人が倒れている地点まで駆け下りる。まずは犯人が体を起こす。しかしすぐに足を押さえて悲鳴を上げた。かなり痛そうに脂汗を流している。どうやら骨折したらしい。

 ああ、しくじった。依頼人はバスケの選手だ。骨折させてしまうなんて。

 しかし、俺の懐に入っていた依頼人──ワニのぬいぐるみは嬉々として飛び出してきた。


「もう逃げられないぞ! 俺の身体から出ていけ! 返せ!」


 そう言われて、犯人は悔しそうに顔を歪めた。そしてそのまま目を閉じて床に倒れこんでしまった。


「よし、出ていったぞ!」


 ワニのぬいぐるみは自分の身体の上に飛び乗った。すると、ぬいぐるみは動かなくなり、代わりに倒れていた依頼人の身体がむくりと起き上がった。


「痛っ……!! なんてこった、折れてる……でも俺の身体だ! 戻れたぞ。でかした!」


 骨折より戻れたことが嬉しいようだ。良かった。賠償金の請求はされずに済みそうだ。


「キース、大丈夫か?」


 やはり高所から落ちた相棒に目をやると、彼はこちらを睨みつけていた。


「お前、キースじゃないな?」


 表情で分かった。そしてそれを裏付けるかのように、落ちていたワニのぬいぐるみが立ち上がって叫んだ。


「そうだ、俺はこっちだ。……畜生、今度は俺の身体を乗っ取りやがって!」


 その言葉が終わる前に、キースの身体は走り出した。中身はもちろん犯人だ。


「待て! 返せ、俺の身体!!」


 キースの魂が入っているぬいぐるみを引っ掴んで、俺はキースの身体を追いかけた。


「おい、その持ち方はよせ。目が回るだろう」

「うるさい。走れない奴が悪い」


俺はぬいぐるみの尻尾を掴んで走っている。確かにこれだけ振り回されたら目も回るだろう。

 しかし今はそんなことを気遣ってやる暇はない。キースの身体が取り戻せるかどうかの瀬戸際なのだから。


 キースの身体(=犯人)は、人混みをかき分けつつ遠くに逃げていく。しかし俺も足には自信がある方だ。どんどん追い詰めていく。


 追い詰められた犯人は、いきなり道路に飛び出した。その直後、車がキースの身体を直撃し、ボンネットの上に大きく跳ね上げた。


「キース!」

「──俺じゃない! 俺の身体だ!」


 駆け寄ると、犯人はぐったりとしていて意識がない。恐る恐る脈をとるが……。


「即死だ……」

「俺の身体!! 俺の……」


 路上にキースの悲痛な声が響いた。




 ──それから一週間後。


「鼻が痒い。掻いてくれ」


 キースが苛ついたように訴えた。俺は黙って掻いてやる。


「あの依頼人の気持ちが今なら良く分かる。鼻が痒いのに自分で掻けないなんて、クソだ」

「まあそう言うなって。鼻くらい俺が掻いてやるからさ」

「寝返りも打てないし、全くクソだ」

「大人しくしてればそのうち良くなるって先生も言ってたろう?」


 病院のベッドで、両手両足をギブスで固定されて吊るされたキースがひっきりなしにボヤいている。

 犯人は即死だった。しかし身体の方は辛うじて蘇生に成功した。キースの魂は無事に自分の身体に戻り、今日集中治療室から出ることができた。

 俺は心底ほっとしていた。探偵の相棒がワニのぬいぐるみではとても仕事にならないからだ。

 そうして、キースの枕元に置かれたワニのぬいぐるみの頭をそっと撫でた。



                    了



(お題:ぬいぐるみ)

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