第3話 別世界人
空間保安局の実験で別世界の人間を転移させたこの事件は、この研究所を始め関係機関で大問題となったようだ。
当然、一般には公表できないだろう。だが、国の上層部まで報告が届いているかも知れない。知られれば世界をひっくり返すような情報だからな。この世界とは別の世界の存在が示唆されたのだ。例えて言えば『太陽の裏側に地球がもう一つありました』などということ以上の話だからな。
研究所の外部の様子は、もちろん俺の想像でしかない。だが、研究所内部が大騒ぎなのは伝わって来た。廊下を走る奴までいる。
ただ、だからと言って俺が忙しいわけではない。っていうか、俺は身動き出来ない状態だった。まぁ、帰るところがない訳だし行きたいところがあったとしても本来居ない筈の人間を解き放つわけはない。科学的にも社会的にも影響が計り知れない存在だからな。
俺は何日も何もせず、ただ与えられた部屋で過ごしていた。
窓の外の浅間山を眺めることくらいしかやることは無い。しかし、刺激のない生活ではなかった。何故なら目の前の浅間山は俺が知ってる浅間山とは形が違っていたからだ。いくら怪しい連中でも、こんなことは出来ないだろう。
形の違う浅間山を見るたびに別の世界に来たのだと実感するのだった。
* * *
「すまない。この研究所から出すわけにはいかなくなった」
数日ぶりにリーダーのホワンがやって来たと思ったら、残念な報告をした。
既に俺は隔離部屋に移されて、さらに厳重な検査をされていた。無菌室のような部屋だ。居心地は意外と悪くないが。
「やっぱりか」
急に扱いが変わったので、そんなことだろうとは思っていた。
「まず、君を元居た世界へ帰す手立てがない」
「そうだな」
「そうなると、これから帰す方法を探すしかない」そう、ホワンは続けた。
「探す? 誰が? 探せるのか?」
「恐らく、簡単ではないだろう。我々の科学に並行世界の研究などないからな」
一応、オカルト集団ではないのは認めよう。
「それは、俺の世界でも同じだな」
「我々は、君を自由には出来ないが君が元の世界へ帰れるよう全力で支援するつもりだ」
ホワンの表情を見るに真面目に考えているようだ。起こりそうもない事が起こって混乱しているが誠実に対応しようとしているといった顔だ。
しかし、空間転移なんていう奇想天外な実験をしている割には、並行世界にショックを受けていることが不思議ではある。
「全力で?」
「そうだ。全力だ。それは、我々の研究対象でもあるからだ」
確かに、彼らが解き明かしていない現象が目の前に現れた訳だ。研究者なら、これを無視することなど出来ないだろう。
ホワンは今後の俺の生活の保障と、俺が元の世界に帰るための協力を約束して帰って行った。俺も、それ以上は話をする気になれなかった。
* * *
俺はなんでこんな事態に陥ってしまったんだろう? 俺が何かしでかしたのか? 与えられた部屋のベッドに寝転んで、そんなことを考えていた。
百年前に大噴火を起こした浅間山を訪れたことが問題だったのか? 遊歩道に異常な空間があったのか? 江戸湿地帯の開発計画を担当している会社にいたのが悪かったのか?
それともヒカリゴケの近くに居たからか? そんなことなら、彼方此方で並行世界へ転移している筈だ。ヒカリゴケは関係ないだろう。
それでも、明日起きたら胞子を保管するように進言しておくか? まぁ、既に保管しているか……。
やっとのことで俺は眠りについた。
* * *
その後、俺はまた暇になった。体組織の精密検査や共生している細菌、寄生虫検査なども終わって調べるものが無くなったようだ。
それから数日、検査結果が出た頃に再びホワンがやって来た。
「やぁ、調子はどうだ? 何か不自由なことはないか?」
なんだか、ご機嫌伺いみたいなことを言って来た。
「セールスマンかよ」
「あはは。そんな風に聞こえたか? それはすまんな。で、今日は朗報を持ってきた」ホワンは明るい表情で言った。
「ほう。この世界で朗報は初めてだな、それは有り難い」俺はこの世界へ来て初めて普通に笑ったかも知れない。
「そうだな。まず、検査は全部問題無しだ。至って健康だとさ」
「そうか? でも、それはこの世界ではだろう? 俺の世界でもそう言えるのか?」俺はちょっと皮肉を込めて言った。
「はは。冗談で別世界をネタにするとはな。恐れ入った」ホワンはちょっと目を見開いてびっくりして言った。
「暇だしな。仕事していた時は休みが恋しかったが、いかに下らない望みだったか分かったよ」やや自傷気味に言った。
「まぁ、ここで暇でも何も出来ないからな。申し訳ない。しかし、医学的に問題ないことが立証されたので、これからは違うぞ。かなり自由に動けるようになる」
「本当か? それは確かに朗報だ」
「そうだ。それに、仕事も用意した」
「なに? 仕事だ?」
「そうさ、やりがいのある仕事だ」
仕事と聞くと流石にちょっと引く。
「ああ、でも仕事だと大抵やりたいこととは違うもんだよな」
「うん、まぁ普通はそうかも知れない。だが、ここは研究所だ。やりたいこと以外はやらない場所だ」ホワンは言い切った。本当かよ?
「そうか。羨ましい職場だな」
「そこでだ。君もその仕事に加わると言うのはどうだろう?」ホワンは、ニヤッと笑って言った。
「俺がか? 面白そうだが俺は研究者じゃないぞ?」
「それは分かっている。だが、君には元の世界に帰るという切実な願いがある。そうだろう?」
「それはそうだ」
「そして君の仕事は我々と強力して君を元の世界に帰すことだ」
「まじか。そんなことが仕事になるのか? いや、やめろと言われてもやるけどな」
「そうだろう? よし、じゃ決まりだな!」
「だが俺に研究の手伝いが出来るのか? 専門知識はないぞ?」
「そうか? 先日のやり取りから考えて、十分力になれると俺はふんだんだがな」
「それは、買いかぶりだろう。必死なだけだ」
「そうだな。だが、それは大事なことだ。まずは、体験者としての意見を貰えればいい。並行世界については専門家なんていないから全員素人のようなものだ。問題ない」そういってホワンは右手を出してきた。
「それはそうか。分かった。そういうことなら、いくらでも協力するよ。よろしく頼む」俺はホワンの手を取った。
「そう言って貰えるとありがたい」ホワンは本当に嬉しそうに俺の肩を叩いて笑った。
有り難いのは俺の方だ。やっと居場所が出来た気がした。
しかし、この十日で俺の人生急展開だなと思った。
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