第四章 黒い天井





「しかし、ランプの魔術で殺せないとなると、お前さてはよほどの魔術師だな」


 俺と迦十先生は再び椅子に腰かけ、地面に落ちたランプを机の上に置き直して、そうやって元の状態に落ち着いていた。


 俺は待て待てと先生の口を手で制して止める。


「ちょっと待ってくださいよ。俺のこと、殺すつもりだったんですか!?魔術について教えてくれるって言ってたじゃないですか」


「魔術について教えるついでにな」


 ついでに殺すとか聞いたことねぇよ。


「それが一番手っ取り早かったからな。オレはてっきり後ろのメイドが最も厄介な敵だと思ってたんだけどな。お前を殺したら確実に敵対するだろうし」


 先生は茫然とする俺から目をはなして、後ろのモルグに一瞬寄越してから話を続けた。


「でも、実際お前は強力な魔術で、ランプの魔術を強制解錠してきた。掌握中もまともな情報を聞き出せなかった。こうなった以上、もうしょうがねぇからお前を一時的に仲間として扱う他なくなった」


 解錠?掌握?


 仲間として扱う?


 なぜそうなる。


 話の流れに全くついていけないのは俺だけか?(いや、違うだろう)


 仲間にしてくれるってのは、一応都合がいい話だけれど。でもこの人、俺のこと殺すとか言ってたよな?


「魔術に関しては本当に無知のようだな。よし、じゃあ今から基礎の部分を全部説明してやるからよく聞いとけ」


 いやいや、まてまて。


 展開が速い。


 会話のテンポが早い、早すぎる……!!


 何て悲痛な突っ込みを入れる間もなく、それから迦十先生の魔術講義が唐突に始まってしまったのである。


「魔術ってのは何度も言うように「進歩した催眠術」だ。基本的な理解はこれで十分」


 催眠術、ね。


 じゃあ、先ほどのランプの魔術に見せられていたあの一か月間の出来事も、迦十先生が俺に掛けた催眠術による幻ってことなのか。


「そうだ。そして魔術は万能だ。適当な道具とそれなりの準備と時間さえあれば、対象の人間にこちらの意図した幻覚を自由に見せたり、相手の思考や行動を制限したり操作したり……まあ何でもありなわけだ」


 そりゃあ法外だな。


 魔術を悪用した、トンデモなく悪辣な犯罪が巷を横行しそうだ。


「そうだな。素手の一般人相手なら正直な話、魔術師はほぼ無敵だ。だがな、魔術を仕掛ける相手が同じ魔術師となると、話は断然変わってくる。


「魔術師は魔術に対する防衛術を会得しているからな。一般人と違っておいそれと魔術師を魔術で好き放題にできるわけじゃない。


「だから、いにしえの魔術師は魔術師同士の争いを想定して「対魔術師用の魔術」を発明したんだ」


 魔術師同士の戦いって、魔術を使って戦うわけだから、要するにそれって「催眠術の掛け合い合戦」ってことだよな?


 それってあまりにシュール過ぎないか?


 ちょっと想像してみた。


 一方が「あなたはだんだん眠くなーる」とか言いながら糸で釣った五円玉を振る傍らで、もう一方が太ももを指でつねって必死に眠気と戦いつつ、やはりこちらも五円玉を振り振り。


 うん。


 あほか。


 情景を想像するだけでへそで茶が湧くぞ。


「まあ聞けよ。


 まあ、確かにお前のイメージはだいたい合っている。そんなに間違っちゃいない。実際、事態はマジそんな感じなんだからな。端から見たらさぞかし滑稽だろうよ」


 迦十先生はあっさりと認めた。


 俺の中の魔術師のイメージがガラガラと音を立てて崩れていくのが分かる。さようなら、ロマン。風に乗ってどこまでも飛んで行け……。


「だが、魔術師同士の戦いは「眠気覚まし」の一言で済むほど甘くないぞ」


 俺の夢現な妄想は、先生の鋭い眼光にてものの見事に吹き飛んだ。


「眠気を誘発させる魔術は、対魔術師においてはそれほど有効ではない」


 そうなのか?


 ポケ〇ンとかだと「ねむり」はかなり強力な状態異常なのだが。


「そりゃ眠らることができるなら強いだろうよ。だが魔術による眠気の誘発は、痛みやちょっとした衝撃で簡単にレジストできる。また、魔術に掛けられると分かって身構えている奴なら更に抵抗は容易だ」


「じゃあ、逆にどんな作用の魔術なら有効なんです?」


「パッと思いつくのは痛みを誘発させるものだな」


「……」


 痛み……か。


 俺の想像の中の魔術師バトルが、一気に過酷なイメージへと書き変わってゆく。


「痛覚は生き物の本能に強く訴えかける、強烈な感覚だからな。だから痛覚は一般的にも抵抗レジストが難しいとされている」


 確かに痛みをごまかすのは難しいように思える。アドレナリンなどの所謂脳内麻薬がドバドバ出れば痛みを感じないとは聞くが、脳内麻薬なんて意図して出せるものでもないだろうしな。


「魔術師同士の戦いは、いかにこちらの魔術の作用を相手に押し付けられるかがカギだ。同時にいかに相手の魔術の作用を無力化するかも重要だ」


 なるほど、なんとなく魔術師同士の戦いのイメージが固まってきた。


 基本的には催眠術による熾烈な寝かしつけ合戦、子守歌のラップバトルという構図は変わらない。だけど、子守歌じゃいっかな勝負がつかないわけだからラップの内容もどんどん過激なものと変わるわけだ。で、相手もズタボロに言い負かした方の勝ち。

 より相手を効果的に陥れることができるような幻覚を相手に押し付ける。


 それが魔術による魔術師同士の戦いの基本であるというわけか。


「相手にこちらの魔術の作用を押し付けることを、一般的に魔術による「施錠」という。逆に相手の魔術の作用を無効化することを「解錠」と呼ぶ。魔術師同士の戦いは基本的に「施錠」と「解錠」を互いに繰り出すことで成立している」


 ふむ。


 どうして魔術の掛け合いがカギの開け閉めにたとえられているのかは全く不明だが、俺の中のイメージはより鮮明に、順調に固まっていった。


 なるほど、「施錠」と「解錠」ね。「施錠」が相手を、魔術の作用によって催眠状態にすること、「解錠」はその催眠を解除すること、というわけか。


 なんというか、魔術ってのは七面倒な仕様なんだな。手っ取り早く解錠不可能な魔術なんてのがあったりしないものかね。


「それはない、というか仮にあったとしてそんな魔術は役に立たないだろうな」


 ん?それはどうしてだ。


 解錠されないような魔術があるなら、話を聞く限り理論上無敵なのでは?



「魔術には一つ、大きな欠点がある。


 それは魔術による催眠作用がことだ」



 それは寧ろ利点だろ。


「それがそうでもない。魔術はその催眠効果があまりにも強力すぎて、被術者のみならず周囲の人間や、にも魔術の作用が働く」


 ……。


 一瞬、先生が何を言っているのかわからなかった。


 えーっと、魔術の作用が術者本人にも働くということは、例えば相手を眠らせる魔術があったとして、それを相手に食らわせた場合、相手は眠るが自分も同時に眠りにつくことになる。


 それからしばらく時間がたった後、一緒に仲良く起床、振り出しに戻る。


 ということか。


 バカ野郎。


 そんな展開、ギャグ漫画でしかみたことねぇよ。


 それ欠点どころか最早欠陥だろ。


「自身にも影響がある以上、魔術の作用は必ず無害化できるようにしておかなければならない。しかしそうすると、相手も同様に魔術を無害化できてしまう。確かに馬鹿げている。だが、これらのジレンマをいまだに克服できていないのが、現代魔術の現状、というわけだな」


 逆に言えば、この矛盾した性質のおかげで魔術師同士の戦いが成立しているともいえる。 一度発動したが最後、なんてもんがあったら、強すぎでそもそも戦い事態が成立しなくなる。


「魔術が被術者にもたらす症状を主作用メインエフェクト、術者本人に及ぶ症状を副作用サブエフェクトと区別されてはいるが、両者に本質的な違いはない。症状もどちらも同じだ。ただ、副作用の方が主作用よりも影響が少ない、という傾向にある」


 そりゃそうだ。


 副作用の方が強かったら話にならん。


「まあ、作用反作用の法則みたいなもんだな。仮に他人を殴ったら、自分の拳と良心も同じくらい痛むだろ?それと似たような話だ。仕方のないものだと思って割り切るしかねぇ」


 やれやれ。


 魔術ってのはすこぶる万能ではないらしい。18禁の漫画でありがちな、術者にとことん都合の良い万能の催眠術なんかとは、勝手が随分と違うみたいだな。


「以上が魔術の基本的な特性だ。で、これがかなり重要な話なんだがな、魔術を扱う際には、必ず専用の道具が必要なんだ。それが無ければ魔術師は魔術を扱えない」


「ああ、催眠術師がよく使っている、五円玉みたいな話ですか」


「まあ、そうだな。その専用の道具、俗に「トークン」と呼ばれるものだ」


 そう言いながら、迦十先生は机の上のランプを揺すった。


 あ。


 なるほど。


 そういうことか。


 ピンときたね。俺に「ランプの魔術」を行使する際に使用した「トークン」とやら。それが、このランプだったというワケだな。このランプが「五円玉」の役割を果たしていたのだろう。


「まあ、厳密に言ってしまえば、実はトークンがなくとも、腕次第では魔術を扱える、なんていう魔術師もいないわけじゃない。だが、トークンを使う方が素手よりも圧倒的に素早く、かつ確実に、しかも強力に魔術を作用させることができる。だから対魔術師においてはトークンはほぼ必需品と言って差し支えないだろうな」


 なるほど。


 確かに、いざ魔術師と戦うという時になって「では、今からあなたに催眠術を掛けます。まずは、わたしの声とこの人差し指に意識を向けて―――」なんて悠長なことをしている余裕などないだろうということは容易に想像がつく。


 だからこそ、魔術の発動は迅速に行わねばなるまい。さしずめトークンはそのための補助具といったところか。


「トークンを使えばスムーズに「施錠」と「解錠」を行える。言ってしまえば、トークンってのは魔術における、「魔術を発動させるためのカギ」そのものだな」


 だからこその「施錠」と「解錠」か。


 OK。納得した。


「もちろん、トークンにも魔術を扱う上での欠点は、ある。基本的に一つのトークンで発動できる魔術は一つだけだ。例えば、相手を眠らせる魔術が使えるトークンがあるとしたら、そのトークンは眠らせる以外の魔術は扱えない。多少の応用は効くけどな」


 まあ、その程度の欠点は許容してしかるべきだろう。それ以上に対魔術師戦は迅速さが求められるのだから。


 俺が諸々に理解を示したことを確認してから、迦十先生は次の話へと進んでいく。


「魔術師同士の戦いは互いの魔術の作用の押し付け合い。そして、魔術が相手に完全に作用した状態のことを「完全掌握」と呼ばれるんだが、この完全掌握状態におちいると、相手は心神喪失状態になって、基本的には何もできなくなる。この「完全掌握」状態に相手を追い詰めることが、対魔術師における勝利条件の一つだ」


 心神喪失って……響きが怖ぇよ。


 後遺症とかないだろうな。


「一晩寝て起きりゃほとんど元通りだよ」


 それはよかった。


 とにかく施錠と解錠を繰り返しまくって最終的に相手を完全掌握状態までもっていく、ってのが魔術師同士の戦いの基本というワケか。……いやまてよ。


 確か先生は「完全掌握」は勝利条件の一つって言っていた……ってことは、他にも勝ち筋がある?


「ああ。わかりやすいのは、物理的にぶっ倒すことだな」


「物理て」


「魔術なんて所詮催眠術。発動する前にぶん殴るなりして気絶させれば勝ちだ。口で言う程楽じゃないがな」


 うーん。


 魔術師相手に物理戦闘か……。まあでも、よく考えたら魔術師ってひょろそうなイメージだし、案外相性は悪くないのかも。魔術師ってゲームとかだと後衛ってイメージだからな。よし、筋トレ始めるか。


「後は過剰作用オーバードーズを狙ったり、だな」


 ダンベルもない癖にダンベルアップライトロウを始めた俺をおいて、迦十先生は話を進める。


「魔術の作用はある程度は魔術による「解錠」で無効化できる。が、長時間何度も魔術を食らい続けると、魔術の過剰作用によって、魔術の主作用や副作用とは関係なくめまいや吐き気、立ち眩みなどの症状が引き起こる」


「へぇ。それって、薬も飲み過ぎたら毒になり得る、みたいな話ですかね?」


「まあでも、たいていの魔術師はこの過剰作用を嫌って短期決戦を挑んでくるはずだから、過剰作用は滅多に起こらない。だからそれほど気にする事柄でもない。そういうのもあるってことを覚えていればそれでいい」


 過剰作用か。恐ろしい響きだが、滅多に起こらないというのなら安心といったところか。


 等と考えていると、部屋全体が少し揺れた。それに伴い、ランプの光がゆらゆらと揺蕩うのがわかった。


 なんだ、地震か?


 テーブルの下に潜り込もうかどうか迷っていると、迦十先生が首を振った。


「違うな……もうバレたか」


「バレたって、何がです?」


「部屋を出るぞ」


 先生は俺の質問には答えず、代わりに勢いよく椅子から立ち上がると、俺を乱暴に出入り口へと手招きしたのだった。



「外に出るぞ」











 迦十先生に連れられて、モルグと共に小部屋の外に出ると、先ほどと似たような揺れが再び発生していた。


「先に説明した通り、魔術の基本は「解錠」と「施錠」だが、この二つの他にもう一つだけ、非常に特殊な魔術の形態がある」


「はぁ」


 俺は気のない返事をしつつ、天井を見上げた。なんだかこの建物全体が絶えず揺れ動いている気がする。というか、杞憂でも何でもなく、空とまでは言わんが、マジでふとした拍子に天井が落ちてきそうな、そんな不穏な揺れ方をしているのだ。


 この頃になると、鈍感な俺もさすがにこの揺れが地震によるものなどではないということくらい、察しがついた。揺れ方が地震とは根本から違う。


「これはかなりの高等技術で、熟練の魔術師でも失敗する可能性は大いにあるな」


 気もそぞろな俺の態度も意に介さず、迦十先生は話を続けていた。


「いい機会だし見せてやるよ」


「いや、別にいいですよ。それよりも、この揺れって……」


 どこかウキウキしている様子の先生を適当にあしらいつつ、目下の所最も気になっている建物の揺れに言及しようとした俺の言葉を遮るように、慌てた様子の舞城が向かいの廊下からこちらに向かって駆けてきた。


「師匠!奴らです。やっぱり来ましたよ。


 ……ん?」


 舞城は息を切らしつつ、きょとんとした顔で俺と後ろのモルグを見る。


「師匠、こいつら――」


「おう、今日からこいつらは私たちの仲間だ」


「はぁ!?」


 舞城は迦十先生に詰め寄る。


「どういうことです!」


 それについては是非とも俺も聞かせてもらいたい。


「まあ待て、確かにこいつらがなのは、状況的にほぼ間違いがない」


 発信機?なんのことだろう。


 俺の身体のどこかにGPSでも張り付いているのだろうか。


「だがこいつら自身は悪気がないみたいだし、強力な魔術も扱えるようだし?だったら仲間にしちまって、逆に利用した方がお得だろ」


  舞城はあんぐりと口を開けて茫然と歩き去る迦十先生を見送った後、いきなりハッとした表情を浮かべたかと思うと、それから俺をまるで親の仇敵のような目つきで睨んだ。なんだよ。一番迦十先生に混乱させられているのは俺なんだからな。


「おい、何やってる内藤。ついてこい」


 俺がしばし舞城と望まぬお見合いに興じていたところ、先をいく迦十先生にお咎めの言葉を戴いた。


 しょうがないので、今なお睨んでくる舞城に肩を竦めて応えてやってから、迦十先生の後を追った。


 当たり前みたいな顔で舞城もついてきた。お前は先生に呼ばれてなかっただろうが。


「おいおい、見えるか?ほら、あそこだ」


 廊下の突き当りを抜けると、先ほどのトレーニングルームとは比較にならない程広大な室内が広がっていた。


 学校の体育館よりも更に広い空間が広がっている。


 その広大な室内の縦から横まで、一面にズラリとルームランナーが設置されているのだ。何台あるのか見当つかないが、ぱっと見でも十や二十では済まないのはわかる。あり得ねぇ。土地代だけでも相当だぞこれ。


 しかし、迦十先生は国家事業レベルの建造物には目もくれず、まして自慢げなわけでもなく、俺を手元まで呼び寄せると、俺の頭を引っ掴んでぐりぐりと俺の顔の向きを調整し始めた。


 首がいてぇ。何するんだ。


「もうちょい……もうちょい右。


……よし、このあたりだ。正面を見ろ、内藤」


 万力のような腕に固定されて、藻掻いても藻掻いても一ミリも動く気配のない頭部にげんなりしつつ、他にできることもないので、仕方がない、先生の言う通りに正面をじっと見据えた。


 俺の視界の先は、斜め上の天井の一部へと向けられていた。


 真っ白な天井だ。


 いや……?


 なんだ?どこかがヘンだ。


「見えるか?天井が保護色になっていて見えにくいだろうが……」


 やはり、何か白っぽい物体が動いている。その白っぽい物体が揺れ動くたびに、建物全体がきしんでいる。さっきの揺れの元凶はこいつか?


「師匠、奴らがアジトを特定して放ってきた刺客ですよ」


 舞城が口を挟んでくるが、迦十先生はまるで話を聞かない。


「アレは……だな。連中すごいもんを引っ張ってきやがった」



 ギョッとした。



 俺が天井のそいつを見つめていると、まるで俺の視線を感じ取ったかのような挙動で、そいつは首を180度回転させてこちらに振り向いたのだ。


 異様なほど縦に長い眼孔の中に、無数の粒が敷き詰められている。アレの一つ一つが眼球なのかと想像すると、俺が仮に集合体恐怖症だったら失禁していてもおかしくはない。


 それから、異様に大きい、はねのような耳と、ゾウのように長い鼻が蛇のように宙をうねっているのがわかる。


 なにより、遠目だから初めは気が付かなかったが、あれはかなりの巨体だ。おそらく大型の車よりもさらに二回りは大きいだろう。


 そんなものがヤモリのように天井に張り付いて這いまわっているという事実が、それの不気味さをより一層際立たせていた。


 この感覚は以前にも味わったことがある。


「魔獣か?」


 魔獣。


 初めに俺を襲ってきたあの魔犬とか呼ばれていた奴と同種なのだろうか。


「そうだな」


 迦十先生は俺の言葉にあっさりと頷く。やはりそうか。こいつら揃いも揃っておどろおどろしい見た目をしているんだもんな。


 改めてよく見てみようと、天井の化け物に目を凝らしたところ、まるで岩礁に引っ付いたタコのようにみるみる白い天井に溶けていくように、最早どれだけ目を広げてみても影も形も見えなくなってしまった。


 光学迷彩とは驚いた。魔獣ってのは異世界の化け物か。


「いや、ただの畜生だ」


 いや、どう贔屓目に見ても異形のバケモンだけどな。


「そう見えるように特殊な魔術が施されているだけだ。正体は犬猫の類だよ」


 ほぉ……。


 要するにあれも幻覚なわけね。魔術ってのは本当すさまじいな。


 なんて悠長に構えていたら、突如前方に並べられていたルームランナーたちがけたたましい音と共に横薙ぎに吹っ飛んだ。なんだなんだ。


「上の奴だ。このままじゃ殴り殺される」


「さっさと倒しちゃってくださいよ。先ほどの話を踏まえるなら、アイツに施されている魔術をすればいいんでしょ?」


「ところがそうもいかねぇ。魔獣は魔術に対する耐性が人よりも圧倒的だ。なんせ、魔術はどれだけ進歩しようが所詮人様専用。犬畜生共にはどうにも効き目が薄い。全く効かねぇわけじゃないけどな。少なくともオレ無理だ」


「じゃどうするんですか」


「だから言ったろ?こういう時のための、非常に特殊な魔術があるって」


 そう言って、迦十先生は両手の指を互い合わせにくっつける。あたかも印を結んで精神統一を図る忍者のようだった。


「見せてやるよ。SimSim《誤魔化し》を」


 これも幻覚なのだろうか。


 先生の指先同士が、熱された飴細工のようにぐにゃりと曲がってくっついて、互いに混ざり合って、やがて曼荼羅のような模様を中空に作り上げていた。美しさと不気味さが混同している前衛的なデザインである。


「魔術の迅速かつ確実な発動には原則として持ち前の「トークン」が必要だ。しかし、SimSim《誤魔化し》は対象のトークンを利用して既に発動している魔術を再構築する」


 あのバケモンがランプだの五円玉だのを持っている感じはしないのだが、それでもその、シムなんとやらを発動させられるとでもいうのか。


「いちいち口を挟むなよ、黙って聞いてろ。魔獣は自身の肉体がトークンみたいな役割を担っているんだっつーの。


 ……魔獣ってのは外部からの魔術に滅法強いが、自身に施されている魔術はその限りじゃない。魔獣も人間同様魔術の主作用と副作用の法則に縛られているからして、副作用を防ぐ術をもっていない。だから魔獣に施されている魔術の構築を乗っ取って、その副作用を強めてやれば容易く完全掌握に持っていける」


 副作用を強める……。そんなことが可能なのか。


「高等テクだ。「黒い天井」は対応のテンプレが確立されているから、比較的簡単は部類ではあるが……。


 いいか?


 一回しか見せないから、よーく見とけよ」


 迦十先生がベラベラしゃべっている間にも、前方のルームランナーは天井の魔獣の手によって、左へ右へなぎ倒されていく。いい加減こちらまでそうだ。


 迦十先生がベラベラしゃべっている間にも、前方のルームランナーは天井の魔獣の手によって、左へ右へなぎ倒されていく。いい加減こちらまで吹き飛ばされそうなくらいの距離感だった。


 しかし、天井から伸びてきた見えざる手がこちらに向かって降り降ろされるよりも、迦十先生の方がどうやら迅速だったようだ。



 先生の手元に顕現していた肉色の曼荼羅が、忽然と消失した。



 と同時に、まるで真武君の黒旗が天に広げられたかの如く、天井が、強風で膨らんだ旗のような勢いで、一瞬のうちに真っ暗闇に包まれてしまった。


 その天井のある一点が、真っ白に浮き上がっていた。


 の白の保護色がはがれ落ちる。


「よし、勝ったな。ここを出るぞ、お前ら」


 そう言って迦十先生が踵を返した直後、一頭の巨大な白象が天井から降ってきて、地面に叩きつけられて、それからはピクリとも動かなかったのだった。








 地面でぐったりとしている像を、足先で突いた。すげぇ、本当の本当に正真正銘のゾウである。


 あの気色悪い巨大透明ヤモリもどきの正体が、このゾウだったとは。これが「魔術によってカモフラージュされている」ということなのだろうか。


 待てよ。ということは、俺を襲ってきた魔犬も、元となっている動物がいるということか。


「アイツらは見たまんまの犬だぞ」


 俺の独り言に、舞城が突っ込みを入れてくる。


 最初こそ、俺に対する警戒心たるやすさまじかったのだが、俺のあまりの無知蒙昧ぶりに今や毒気を抜かれてしまったらしい。仲良しとまではいかずとも、普通に話しかけてくれるようにはなった。


「犬っころなら、見た目にビビらなくても頑張れは素手でも勝てる……ってことだよな。理論上は」


 俺もようやっと魔術の基礎が理解できた頃合いだ。あの不気味な姿が案山子同然の見せかけだというのなら、見た目に臆せず殴ったりけったりすれば案外勝てちゃうのでは?という自論である。


「やめとけ。犬でも素手の人一人楽に殺せるくらいには調教されているぞ。それに奴らの魔術の影響下にいる人間は、奴らにとってはめくら同然だからな」


 めくら、つまり目隠しした状態の俺と、バキバキに訓練された野性味の溢れるドーベルマンを脳内で対峙させてみる。うーん、どれだけイメージトレーニングしてみても、無惨にかみ殺される気しかしない。地面に置かれたスイカも碌に割れないような軟弱な生き物なんか、犬どころか猫にすら勝てんわ。なめんにゃよ。


「魔獣は熟練の魔術師でも相性次第では殺される可能性が十分にある。そもそもがおいそれと出会っていい奴らじゃないんだ」


 今の所、この短期間に二度もエンカウントしているのだが?なんかやけにハードだとは思っていたんだけど、やっぱりこれスライム相当の敵じゃないのね。


「魔獣の生産、飼育、売買は魔術師組合によって厳密に規制されている。でも、魔術結社の連中はそんなのお構いなしに大量の魔獣を抱え込んでいるんだろうな」


 へぇ。魔術結社とやらは随分とアナーキーな賊共なんだな。


 いい加減そのあたりの事情についても知りたいところだが、どうやらそんな時間はないようだった。


「おい、お前ら。正面に車持ってきたから、さっさと各自適当に乗り込め」  


 迦十先生がそう急かすので、俺は色々尋ねたい欲をグッとこらえて言うとおりに行動せざるを得なかった。今は逃げに徹するのが吉なようだ。三十六計逃げるに如かずってね。


 というか、あのゾウさん、ここに放置したままでいいのだろうか。


「いいんだよ、んなもん。ほっとけ」


 現代日本だとかなりの事件だと思うんだけどな。少なくとも全国放送に乗るのは確実だ。それとも並行世界ではゾウの死体なんか犬の糞並みにごろごろ転がっていたりするのだろうか。


 だとしたらこっちで生きていく自信、あんまりないぞ。いや、魔術だなんだとかの時点で生きていける自信なんて微塵もないんだけどさ。









 正面に留めてある車は、少なくとも俺の目にはごく一般的な四人乗りの軽自動車に見えた。既に運転席には迦十先生が乗り込んでおり、その隣の助手席には宮之城が澄ました顔で座っている。


「おーし、お前らは後ろに乗り込め。さっさとしろぉ」


 俺は後ろを振り返って見た。


 まだ乗り込んでいない奴は、俺、舞城、モルグ、それと、今しがたウサギとカエルのぬいぐるみを抱えてやってきた、アリスとやら。



 壱、弐、参……先生!四人います!後ろの座席に四人も乗るのはキツイと思います!


「詰めれば乗れるだろ。気合で乗り込め」


 いや、確かに詰めれば何とか乗れないこともない気がする。しかし、舞城はともかくモルグとアリスは完全に初対面の方々だし、こう、腰やら肩やらを密着させて乗り込むのはちょっと……。


 などと俺が臆していたところ、舞城がさらっと後部座席に乗り込んだ。動きに躊躇がない。


 せめて舞城の隣は確保しようと、さて俺も乗りますかと身を乗り出して車に乗り込もうとした瞬間、俺と舞城の間にするりと入り込むようにして、今まで微動だにしていなかったはずのモルグが何の悪気も無いといった顔、というよりいつも通りの無表情で乗り込んできた。


 ふざけんなこら。


 このままでは舞城、モルグ、挟んで俺という一番気拙いフォーメーションになってしまうではないかと、俺は心を奮い立たせてモルグを軽く押したり引いたりなけなしの交渉に挑んでみたりしてみた。


 が、ダメ。


 全く手ごたえを感じない。水にセロハンテープを張りつけようとするみたいなもん。虚無感が凄いのなんのって。


 俺は一縷の望みにかけてアリスの方を見やったが、アリスは俺をじっと見つめた状態で、地面に根を下ろしているかの如く、その場から動く気配がなかった。


 俺は渋々モルグに続いて車に乗り込んだのだった。無念。


 まあ、そんなこんなであとはアリスだけという時になって、問題が生じた。


 スペースがない。


 舞城とモルグと俺、所狭しと身を寄せ合えばガキの一人くらい乗せるだけのスペースは十分に確保できるはずだったのだ。


 しかし、これがどういうわけだか、俺が乗り込んだ時点で、パンパンである。違う、そうじゃない。モルグだ。モルグが何故だかわからんが俺と舞城を猛烈に左右へと押しやっているのだ。その結果として十分に身を寄せ合うことができていないのだ。


 俺は握りこぶしを固めた。この無口無表情(ガチ)のメイドを懲らしめてやらねばと思った。しかし、先の一件と言いこ奴の怪力ぶりは常軌を逸しているため、確実に返り討ちに会うだろう。俺は握り拳を解いた。何よりも諦めが肝要である。


「……」


 アリスはしばらくぼんやりとした目で、溢水寸前の車内を見つめた後、徐に車内に乗り込むと、俺の膝の上にちょこんと座ってきた。


 一瞬、なんで?と思ったが、……まあ、よく考えたら、そうするよりほかない、か。


 色々申し訳ない。


 等といった経緯から、俺は無表情系メイドと隣り合わせかつロリータを膝の上に抱えている、という、字面だけ見ればともすれば一部のもの好きに羨望の眼差しを受けなくもなさそうな稀有な状態を保ちつつ、一行を乗せた車は間もなく目的地不鮮明のまま発進した。


 一時間後(道中車内では色々あったのだけど、ホント申し訳ない、ここ全編カットで)。


 とある寂れたオフィスビルの小さな駐車場にて、車はせわしなく前進と後退を繰り替えして、ようやく駐車が完了したのだった。


 後部座席が真っ先に開いて、俺の膝に抱えられていたアリスが、これまた真っ先に車から飛び出した。それからよろよろと道端の街路樹へ向かうと、やがて圧力に耐えかねて決壊したダムの如く、胃の中の物を勢いよく吐き出した。渾身の嘔吐である。


 俺はアリスの背中をさすってやる。ああ、かわいそうに……膝の上なんかに乗っているから……。


 ていうか、先生の運転、粗すぎだっつーの。


「おいおい、店の入り口で吐くなよな」


 と、軽い調子でそんな俺たち一向に声をかけてくる男がいた。どうやらビルから飛び出してきたらしい。


「よぉ、久しぶりだなJ一郎」


 迦十先生に「J一郎」と呼ばれたその男は、眉を顰めて後頭部を乱暴に掻いた。なんだか胡散臭そうな野郎である。


「胡散臭いとは失礼な奴だな」


 失礼、口が滑りました。


 とはいえ、無精ひげ、首回りがダボついた虎柄のシャツ、おまけにオールバックという胡散臭さの三重奏ともなれば、これはもう疑ってくれと暗に頼み込んでいると捉えられても仕方がないのではなかろうか。


「あれ、なんだか寝ぼけてるらしい、余裕ぶっこいてる奴が一人いるな。俺の助けが必要だって聞いたけど?」


「そうなんだ、実は連中にジムを特定されちまってな」


「へぇ、それはそれは」


 なんだかJ一郎とやらと迦十先生の気さくな会話を聞くに、仲がよろしい気がする。どういった関係なのだろうか。


「J一郎と師匠は旧友だよ」


 舞城がすかさず説明に回ってくれた。便利な奴だ。


「師匠が魔術師組合で魔術を学んでいた頃の同期らしい。色々あってJ一郎の方は魔術師組合を脱退して今はフリーだがな」


 ふーん、フリーターなんだ。


「フリーターじゃねぇよ」


 俺の何気ない一言を耳聡く拾いあげたらしいJ一郎なる男が、がなった。


「俺のご立派な店をお前らガキ共にも見せてやろう。ついてこい!」


 そう言って、J一郎は意気揚々とビルの中に入っていった。


 つってもなぁ。


 俺はビル全体を一通り見回してみる。


 何の変哲もないビルだぜ、これ。


 特筆すべきてんがあるとすればそれは、多少年季が入っている、ということくらいのもんだ。ていうか、そもそも商業用なのかすら怪しいといったレベルの風貌である。


 どう見ても冴えない個人経営のオフィスビルだぞ?この見た目で客を引けるとは思えないのだが。


 何てことは失礼だから口にはしないけどね。


「いや、全部声に出して言ってるけど」


 傍をたまたま通りかかっていた宮之城が、思わずといった風にそう突っ込んできた。あ、しゃべりかけてくれた。


 俺と、それから舞城がじっと宮之城を見つめると、彼女は若干顔を赤らめつつ咳ばらいをしてさっさと歩いて行ってしまった。やったぜ。


 なんてことをしつつ、俺たちはビルの中に入っていった。


 それからガラス張りの自動ドアをくぐりぬけ、さらにエレベーターに乗り、謎のカードキーを通して更に分厚い扉をくぐり、……なんだかやけに厳重だな。


 なんだかんだでたどり着いた先には、驚愕の光景が広がっていた。


「おおっ!!?」


 これは!


 ルーレットに、ブラックジャック、ミニバカラ。賭け事の匂いがプンプンするね。


 扇形の特殊な形状のテーブルにそれぞれディーラーが付いて、豪華絢爛な装飾品の数々。しかもゲームに興じている人間は皆高そうなスーツを着用している。こちとら芋っぽい私服にコスプレ少女二人、おまけに現役高校生の制服といった風貌なのでヤバいくらい浮いている。


 まさしくカジノっ!


 カジノっ……!


 カジノじゃないか!


 こっちの世界の日本だとカジノは合法なのか?


「いや、がっつり違法だ。ウチは違法カジノを売りにしているんだからな」


 やっぱり違法なのかい。黒服がそこら中に立って警備していることからなんとなくそうなんじゃないかなとは思っていたけど。


「さ、お前らお子様にここの空気は会わんだろう。奥の部屋に案内してやる」


 お、お子様ルームに案内してくれるのか。有難いね。いい加減周囲の目が突き刺さって息苦しかったもんですから。


「で、事情はだいたい把握した」


 監視カメラのモニタールームやら金庫やらが散見される、お子様ルールというには趣味の悪い小部屋に通された後、さっそくといった体でJ一郎が話始めた。


「とうとう魔術結社の連中に追い詰められたわけだ」


「そういうことだ」


 迦十先生、首肯。


 やっぱり追い詰められているんだな、俺たち。


「だったら、残された選択肢は一つしかないな」


 在るのか、対抗策。


「敵は強大だ。だが、その実態は一部の人間によるワンマン経営でその配下は圧倒的イエスマン」


 ……えーっと、つまり?


「司令塔をぶっ潰せば、あとは烏合の衆となり果てる」


 要するに?


「魔術結社の幹部、ゴルゴ―マを暗殺する他ない」


 そう言いのけた自信満々なニタニタとした笑い顔だけが、俺の脳裏にこびりついてしばらく離れなかったのだった。


 暗殺か。






 何だが物騒な話になってきたぜ。




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