第三章 ランプの魔術








「魔術の概念が存在する並行世界と現実の世界を、俺は行ったり来たりしている……と言ったら、お前らは信じるか?」


 昼休みの教室にて、俺は手を組みながら肘を机について、口元を手で覆い隠しながらそのようなことを舞城と都筑に述べたところ、以下のような反応をもらった。


「どうした急に」


「頭イカれたのかなぁ」


 よし。


 予想していた通りの酷い反応だが、まあ、信じないのも無理はない。なにせ俺ですら自身の身に起こっている事態を正確に把握するにはかなりの時間を要したのだからな。


「まあ聞けよ。いいか、これは今から一か月くらい前のことなんだがな―――」












「ふぅん?別の世界から来た、ねぇ……」


 疑わし気な視線を向けてくる宮之城をのらりくらりと躱しながらも、俺はなんとか自身の置かれている状況を宮之城と舞城の二人に説明する努力をしていた。しかし、二人の反応はあまり芳しくはなかった。


「「別の世界」なんてものが、存在するわけないだろ。出鱈目を言うな」


 如何にも舞城が口にしそうなセリフだ。やはりこちらの世界の舞城も、俺の知っている舞城と根っこのところは変わらないのだろうか。


 しかし、こちらの世界には「魔術」なんて奇天烈な概念があるんだから、並行世界の概念も、少なくとも元の世界の二人よりは容易く受け入れてもらえそうなものなんだけどな。


 舞城も宮之城も、魔術師だのなんだのと抜かす癖に、並行世界に関しては頑なに否定し続けている。


「どうして魔術と多世界解釈が一緒くたにされるのよ」


「同じようなものだろ?」


「全然違う」


 宮之城曰く「全然違う」らしい。俺からしてみれば、信じがたいという点においてどっちも似たようなもんだけどな。


 犬が腕を伸ばしたり火を噴いたり、人体を触れずに発火させたりなんかが罷り通るんだったなら、並行世界があったって別にいいだろう。


 少なくとも俺はそう思う。物理現象を明らかに超越してるんだからな。なんなら並行世界の概念に関しては、物理学界でも真面目に取り沙汰されているくらいの概念なんだぜ?


 魔術だなんだを抜きにしても「絶対にない」とは言い切れないはずだ。


「それはそうかもしれないな。だが、魔術は物理現象を超越した概念ではないぞ。SFじみた遊び半分の仮説と同一視するな」


 あーはいはい。


 この世界の人々にとって「魔術」の概念はおそらく日常に根付いた常識そのものなのだろうな。それが常識なら仮に空がピンク色だろうが、それを不思議に思ったりはしないのだ。


 神やら天動説を妄信していた中世の人間たちと同様、それが常識ならそれを疑いはしないし、逆にそれがどれだけ真実味を帯びていようが、それが常識から外れているのならば信じない、ということは歴史が証明している。


 この世界の人々は、魔術という、別の常識を持った俺からすれば突拍子のないように感じる概念を当然のように受け入れているし、これまた当然のように、を受け入れようとはしないのだろう。異世界、いや並行世界あるあるだ。


 これ以上俺が何を言おうが、おそらく変人扱いは免れない。


 しかしそれも異世界渡航者となってしまった者の定めか……。


 なんつって。


「まあ、お前が魔術に対して全くの無知であることはよくわかった」


 現在、俺たちは宮之城等のアジトと呼べる場所へと共に移動している最中であった。


 舞城と宮之城は俺を連れていくことにかなり難色を示していたようだったが、結局連れていくことにしたらしい。俺としては脛に噛り付いてでも無理やりついていく腹積もりだったが。


「記憶喪失……みたいなものか?」


 舞城は俺の現状をそういう解釈で見ているらしい。まあ、それが最もあたり触りないか。


「言っとくが、俺はお前を信用していない。だがお前とあの少女に助けられたのも事実だ」


 その言葉を受けて、俺は控えめな動作で斜め後ろを見やった。すると先ほどのメイド少女とばっちり目が合ってしまった。慌てて正面に向き直る。


 メイド少女は今の今まで俺につきっきりであり、何なら目線も外そうとしない。正直言って怖い。メイド服が血糊で汚れていることも相まって。着替え一式とか持ってるなら早く着替えて欲しい。覗きなんか絶対しないから。


 しかも彼女、基本的に始終無言無表情である。


 何故俺につきっきりなのか、目的が何なのか、何者なのか、あれこれと質問をぶつけてみても梨の礫だった。何もレスポンスがない、会話が成立しない、というのは思いのほか精神的にキツイものがある。


 テレビやらスマホに気を取られて、全く返事を寄こさない中年の夫にぶちぎれる妻の気持ちが、今ではわからんでもない。でも男はマルチタスクのできない悲しい生き物なのでどうか許してほしい。


 一応、何もかもが分からなかったというわけでもない。


 彼女の着ているメイド服、その襟のあたりに彼女の名前らしき刺繍が施されていることに、偶然気が付いたのだ。


『Rue Morgue』


「これなんて読むんだ?」


「ルー……モルグ、かしら。というか、この際だから、呼び方何て何でもいいでしょ」


 確かに、宮之城の言うとおりではある。


 というワケで、今後彼女のことは「モルグ」と呼ばせてもらうことにした。


 「ルー」の方が可愛らしいとは思ったが、そんな親しみを込めて彼女の名を呼ぶ気にはならなかった。なんなら「さん」付けで呼びたいくらいだというのに。


「俺はともかく、お前らもアイツ――モルグに助けられたのか」 


「そうだ。理屈はわからんが、奴はかなり強力な魔術を扱えるらしいな」


 モルグのあのわけのわからない怪力も、魔術とやらのなせる業なのか。


 身体強化も可能とは恐れ入った。


 魔術ってのは何でもありなんだな。


「いや、本来なら魔術でそんなことはできない。多少身体能力を向上させることは可能かもしれないが、あそこまでのパワーは……」


 となると、やはりモルグの怪力は魔術界隈でも特異なものなのか。モルグの奴、敵を圧倒してたもんなぁ。


「お前が使っていた魔術も中々見ものだったけどな」


 あ?


 俺がいつ魔術なんて使ったよ。魔術なんて扱えるわけないだろ?


魔犬バスカヴィルに襲われた時に使ってただろうが。かなり強力な魔術だった」


 魔犬?魔犬って、あの犬のことか。でも、俺は魔術を使った覚えなんかないぞ。それとも無意識のうちに魔術を行使していたとか?


「無意識?魔術の発動にはトークンが必要なはずだが……」


 トークン? なんじゃそら。トークの過去分詞かなんかか?


 そんなもんは持ってない。


「……まあ、兎にも角にも話は師匠の所に着いてからだ」


「へぇ、師匠がいるのか。如何にも魔術師っぽいじゃないか」


 舞城は俺の言葉を軽く無視して、前を歩いていた宮之城に話しかけにいった。やっぱり元の世界とは違ってかなりアウェーだな。


 それにしても、二人は平気な顔で歩いているのだが、街中で俺たちはかなりの注目を集めてしまっていた。


 すれ違う人の大半が振り返って二度見してくる。あ、主婦っぽいおばさんと目が合った。気まずい。


 まあ原因の八割方が俺の後ろに引っ付いて歩いている血まみれのメイド少女のせいなのだが。


 今の今まで警察に捕まらなかったのが奇跡なまでに、怪しさが爆発している俺たち(というかモルグ)であるが、二人は周囲を取り巻いている視線を全く意に介していないように思えた。


 こちらの世界の事情は分からないが、ガワが同じなだけで、実は血まみれの人間が街中を闊歩していてもさほど重視されないという、世紀末真っ只中の世界観なのかもしれない。


 そんなこんなで一同がたどり着いた先は、豪華絢爛の大屋敷……などではなく、まして極端にボロい、如何にもという感じの西洋館、などでもなかった。


 もっとこう、ファンタジーな建物が目の前に現れたとしてもさほど驚かない心構えでいたのだが、実際に俺の目の前に出現した建物は、少なくとも外観はごく普通のビルであり、それもせいぜいが三階建て程度だろうという規模の、こぢんまりとしたものであった。


 街中だし当たり前と言えば当たり前か。


「おい、何してる」


 少々肩透かしを食らいつつも、正面の寂れたビルにお邪魔しようと歩を進めた俺を、舞城が引き留める。


「入り口はこっちだ」


 舞城はビルではなく、その脇の、おそらくビルの地下へと続くであろう階段を指さした。  


 どうやら目的地はビルそのものではなく、その地下施設だったらしい。なるほど、世を忍んだアジトって感じだ。


 ビルの脇に目立たないように設置されていた階段を、俺たちはコツコツと降りていく。


 その階段の終着点、そこは随分とアングラな空気のある、重そうなガラス張りの扉が鎮座していた。全体的に古臭さが漂っているせいか、外なのに埃が舞っている気がする。


 入り口に立てかけられている看板には、洒落たデザインのフォントで……これは『ネヌ・ウェンラー』と描かれているのだろうか。カタカナだけど、ちょっと文体を崩し過ぎて読み辛いな……。これはもしかして、店名?


 しかし、それよりも気にかかるのは入り口のガラス扉に彫刻された文字の方だった。


 俺の気のせいでなければどうも「フィットネスジム」と書かれている気がするのだが。


「そうだ。師匠は普段はジムを個人経営している」


「……」


 そうなのか……。世を忍ぶためのカモフラージュ、とかではなく普通に経営しているのか。


 この時点で、俺の中の師匠の造形はテンプレートな魔術師からはだいぶかけ離れたものとなっていた。ダンブル〇アみたいなのを想像していたのにな。


 曲がりなりにもジムを個人で経営しているような奴が、細身の老人なわけがない。と言うか、痩せるためだか鍛えるためだかでやってきた客をそんな姿で出迎えようものなら、もののコンマ一秒でトレーナーとしての信用をゴリゴリに失ってしまうだろう。経営破綻だ。


 でも、だからと言って黒光りのゴリゴリマッチョマンとかだったらどうしようか。ジムの経営者としてはまあ及第点だろうが、魔術師としてはどうなんだ?


「師匠はちょっと変わってるからな」


 舞城はそういい淀みながら、何のためらいもなくフィットネスジムの中に入っていく。宮之城も無言でそれに倣う。


 入り口には『closed』の文字の入った看板が立てかけられていたのだが、二人はお構いなしだ。こういうのを無視して店の中に入るってのは、なんだが非日常感があって、ちょっとだけわくわくするぞ。


 等と考えながら店内に入った俺を出迎えたのは、俺の予想を斜めにぶった切るような、意外な人物であった。


「師匠、戻りました」


「おう」


 その師匠とやらは、店内にずらりと並べられているトレーニング機器の最も手前に位置する、ルームランナーの上に乗って走りまくっていた。


 舞城に声を掛けられるまで俺たちに気が付かなかったのかはたまた無視していたのか知らないが、呼び止められたことでようやくルームランナーを停止させたあと、近くのテーブルに置かれていた、それでどうやって吸水するんだってくらいぺらっぺらのタオルで汗を拭きながら、こちらに歩いてきた。


 ふむ、見たところ二十代後半くらいの女性か。


 まあ今時女性がフィットネスジムを個人で経営してたって別に不自然ではない。どころかむしろ一定の需要は十分に見込めるだろう。


 露出が高めだが一切の色気を感じさせない黒地のスポーツウェアから垣間見える肌は、素人目にも引き締まった確かな筋肉を感じる。トレーナーとしても一流なのではなかろうか。


 それから彼女は、顔の汗をしっかりとぬぐい取った後にテーブルに置かれていた丸眼鏡をかけて……。


 この時点で、どうも俺には彼女の容姿に見覚えがあるらしいことにようやく気が付いた。


「よく生きて帰ってきたな、お前ら。で、そいつが例の怪しい男とメイドか」


 俺は彼女を正面から見据えて、またその声を改めて聴いたことで、確信を得た。


 彼女は俺のよく知る人物だった。


 というか、俺が通っている学校の担任教師である、迦十先生その人であった。









「えっ、そこで迦十先生がでてくるの?」


 弁当の卵焼きをつつきながら話を黙って聞いていた都筑が、そこで意外そうな声色でそう口をはさんできた。


「そうだ。いやぁ、あれには驚かされたな」


「ああ、俺も驚かされてるよ。お前のそのけったいな妄想力にな」  


 舞城はとっくに空になっている弁当箱の中身を弄りながらそう言った。


「俺や宮之城が魔術師で?迦十先生がその師匠だと?高校生にもなってアホみたいな妄想話は勘弁してくれ」


「これが妄想話じゃないから、お前らにわざわざ話してるんだっつーの」


「えーっと、つまり内藤は、舞城や宮之城さんや迦十先生が魔術師、ふふっ、魔術師で、魔術が存在する変な世界に行き来している、ってことでいいんだよね」


 都筑はちらりと俺の後方へ視線を送った。


 視線の先にはこちらに意も介さず読書に勤めている宮之城の姿があるはずだ。


「そうだ」


 笑われたって構わない精神で、俺は鷹揚に頷いた。


「ふーん。現実世界と異世界が所々リンクしているっていうのは、中々斬新な設定だね」


 設定とかいうな。それだと今の話が俺の妄想みたいじゃないか。


「妄想なんでしょ?」


 だからちげぇって!


「まあ、内藤にとってはそうなのかもね」


 ……まあ、今はそれでもいいさ。


 俺も手放しにこの話を信じてもらおうなんて、甘い考えを抱いてはいない。


「ということは、何か信じてもらえるに値する証拠のようなものがあるってこと?」


 うむ。その通りだ。


 俺もあれから一か月の間、ただ漠然と日々を過ごしていたわけじゃない。


 今の話を丸ごと信じてもらうには、魔術の実在を証明するほかないだろう。


「出来るの?」


 ……。


 まあ、そう言うことだ。


「ほう、じゃあ早く話の続きをしろよ。昼休みがお前の与太話で終わっちまうぞ」


 分かったよ。


 じゃあ俺が「並行世界の迦十先生」と出会ったところからだな……。








「何やってるんですか、こんなとこで」


 迦十先生と対面した俺の第一声はそれだった。


「ていうか、俺のことわかります?」


 舞城や宮之城の前例から、なんとなく察しつつも俺は彼女にそのように伺った。


「いいや、全く」


 案の定、迦十先生は俺のなけなしの期待をバッサリと切り落とす。こちらの世界でも俺を知っている、という奴はいないのだろうか。


 まだ見ぬ芭芭と都筑なんかには期待だな。


 あいつらは元の世界でも特に親しい間柄だったし。あ、ちなみに舞城、お前には心底がっかりさせられたよ。並行世界とは言え俺を覚えていないなんてな。


「何の話だ?」


 いや、なんもない。


「師匠、コイツ強力な魔術師です。魔犬の攻撃から身を守っていましたし」


 肩を竦めた俺を怪訝そうに睨んでいた舞城だったが、つとめて気にしないような素振りを見せた後、迦十先生に告げ口じみた物言いで、以上のような全く身に覚えのない事実を語り始めた。


「ほぅ。自力で魔犬を凌ぐとは、やるじゃないか」


 だから、魔術何か使えないんだって。


「あ?ああ、確かO《オー》太郎が電話で言ってたな。お前頭打っておかしくなったんだって?」


 色々と語弊があるが、まあ状態はそれに近い、とだけ言っておこう。いきなり異世界から来た奴の思考回路なんて、現地の人間からしてみれば狂人の類とさして変わらんだろうからな。


「異世界だぁ?頭のねじが飛んだきっかけはアニメの見過ぎか……なるほどな」


 納得するな。 アニメに対する偏見が垣間見えるぞ。


「じゃあ魔術に関する知識もほぼ皆無なわけだ。じゃ、一から勉強し直しだな。オレが教えてやる」


「いやいや、ちょっと待ってください師匠。それはおかしいでしょう」


 物凄いテンポ感とノリで話を進める迦十先生に、舞城が待ったをかけた。


 身内だったら俺もそうしたかもしれない。外野の俺ですらこの会話の流れは流石におかしいと感じるんだからな。


 この間一度も話に入ってこなかった宮之城は、事態を一歩引いたところからこちらをじっと見つめるのみだった。若干険しいと感じる表情から察するに、どうやら俺や後ろに控えているであろうモルグを監視、警戒しているようだ。おそらく宮之城も大方の意見は舞城と同じなのだろう。


「こいつは魔術結社の回し者かもしれないんですよ!」


「でも、命を助けられたんだろ?それに、お前らがここまで連れてきちゃったんだから、今さらうだうだ言ったってしょうがないだろうが」


「師匠が連れて来いって命令したんじゃないですか!俺はてっきり……」


 てっきり……の後、舞城はこちらをちらりと見て、それから口を噤んだ。おいおい、てっきり何だと思ってたんだこら。


「罠だったらそん時はそん時だ。腹くくれ」


「……パメラさん、本気?」


 宮之城もドン引きしたような顔を迦十先生に向けた。


「まあ、一応襲撃に備えて逃げる準備もしとくか。エリン、J一郎に連絡しといてくれ」


 知らない名前が迦十先生の口から飛び出してきた。少なくとも俺の知り合いではなさそうだ。


「あのパチンコバカに頼るの?私たちの頼み、聞いてくれるかしら」


「お前の頼みなら聞くさ。いざとなればお前がハニトラで奴を篭絡しろ」


「絶対嫌」


 宮之城は不服そうに鼻を鳴らした後、身を翻してどこかに向かった。J一郎とやらに取り付けるのだろうか?


 それにしても、宮之城のハニートラップか……。全く想像がつかないのが逆にすごく気になる。是非とも一度体験してみたい。


 何て事を考えていたところ、不意に振り返った宮之城がこちらを鋭い目線で睨みつけていることに気が付いて、蛇に睨まれたカエルのように、俺の体はしばし石のように硬直した。


 こちらの邪な想像を勘で見抜くとは、恐れ入ったぜ。


 それにしても、今のやりとりから宮之城と迦十先生の親しさは伺えるが、甚だしく意外である。


「意外だ?お前は私とあいつのこと何も知らんだろ。……いや、そういえばお前、教えていないはずのオレの名前を口にしたよな。舞城が漏らしてないとするなら、どこで私の名前を知った?」


 それを説明するには、まず俺が並行世界からやってきたのだということを理解してもらわなければならないのだが……。


「並行世界からやってきた?馬鹿かお前」


 まあ、そうなるわな。


 まるでそれが当然の権利であるかのように、こっちの世界の住人には「魔術があるなら並行世界があっても変じゃないでしょ」という俺の持論を全くと言っていいほど受け入れてもらえない。


「どうもお前は魔術と言うものに対して大きな誤解があるようだな。こっちにこい、魔術の何たるかを早速だが教えてやる」


 迦十先生は顎で俺についてくるよう促してきた。


 教えてくれるというのなら是非とも教えてもらおうじゃないか。思春期の高校生男児代表として、いい加減魔術についての好奇心が抑えられなかったところだ。


「師匠、俺も行きます」


「は?何でだよキモチわりぃな。お前はここにいろよ」


 舞城が引っ付いてきそうだったのを、迦十先生はかなりキツめに振った。


 いや、そりゃあ俺も「こいつ師匠師匠うぜぇな」とか思ってはいたが、いざショックで項垂れている彼を見てしまうと、さすがに今のは別世界の友として同情を禁じ得ない。


 そんな傷心の舞城を置いて、俺と迦十先生はとある小部屋へと向かった。


「そういえば、お前なんでオレのこと「先生」って呼ぶんだ?」


 歩いている途中、迦十先生が俺にそう話しかけてきた。


 ああ、元の世界では学校の先生だったんですよ、あなた。しかも俺の担任。


「ああ、並行世界がどうとかいうお前の妄言か」


「妄言じゃないですけどね。……それより、アイツも連れてきて、よかったんですか?」


 俺は後ろを見やって、さっきから後ろにべったりと張り付いて着いてきているモルグを顎で指した。


 彼女は相変わらずメイド服を着ていたが、いつの間にやら服の血糊はどこへやら、元のきれいなメイド服に戻っていたのはまことに不可解であった。着替える時間も着替えも持ち合わせていなかったはずだが、はたしてこれも魔術のなせる業なのだろうか。


「いいんだよ。なんにもしゃべんないなら仕方がないし、これからそいつとお前はセットだ」


 まあ、どうせいてもいなくても、しゃべらないならどっちでもいいのか。しかしこいつはよくて舞城がダメな理由は何だろうか。舞城は確かに面倒くさい奴だがモルグの同行が許されるというのならさすがにかわいそうだった。迦十先生は全く気にしていないようだけどな。


 じゃあ、俺の気にしないでおいてやろう。と歩みを進めたその時だった。


「うぉっ!?」


 いきなり腕を掴まれた。


 モルグだ。痛いくらいにがっしりと腕を捕まえられてしまった。


「どうした?」


「……」


 当然、モルグは答えない。その代わり、黒檀のような瞳が、じっと正面を見据えた。まるでそこに答えがある、とでも言いたいかのように。


 俺はモルグの視線の先を追って、それでようやく俺と迦十先生の行く先を遮るかのように立っている少女の存在に気が付いた。


 まるで地面から生えてきたかのように、何の前触れもなくその少女がいるものだから、今の今まで気が付かなかったが。


 少女は7~8歳くらいのウェーブがかった金髪ロングで、蒼と白が基調の、後ろに大きなリボンが付いたエプロンドレスを身にまとっている。大きなウサギとカエルの人形を抱えていることを覗けば、あとは頭につけている大きなカチューシャと、浮世離れした綺麗な碧眼がやけに目を引く美少女であった。まるで童話の世界から飛び出してきたかのような幻想的な容姿だな……。


 なんて思ったら、少女は胸ポケットから大きな片眼鏡モノクルを取り出すと、右目にレンズをはめ込んだ。なんだ、眼鏡属性も兼ね備えていたのか。属性てんこ盛りだな。


「だれ?その人たち。パメラのあたらしいおともだち?」


 片眼鏡越しに改めて俺たちを見据えたらしい少女が、やがて前を歩いていた迦十先生にむかってそう呟いた。その間、モルグは俺の腕を握る力を一切緩めようとはしなかった。


「そうだ」


 迦十先生は何のためらいもなくそう答えると、それから俺を見て鷹揚に頷いた。子供だからって嘘はいけないんじゃないですかね。まあ、説明するのが面倒な状況ではあるけども。


「ふぅん」


 少女はてくてく、というオノマトペが聞こえてきそうなほど印象的な、少女然とした足取りで俺の目の前までやってきた。すると、モルグが俺と少女の間に入るような形で半歩程前に出る。


 モルグと少女は、互いににらみ合うような形で対峙していた。はて、一体何だというのだろう。両者の意図する事柄が俺にも皆目見当もつかなかった。


「そいつの名前は「アリス」。アリス、そこの男の名前は内藤で、メイドの方の名前はモルグだ」


 少女がモルグから目を離して、それから俺に視線を寄こしてきた後、顔面の各パーツと比べて驚くほど比率の小さな唇を心なしか開いたかと思われたその時、横から迦十先生が口を挟んで勝手に自己紹介を終えさせてしまった。


 アリスねぇ。確かにそう言われると、少女の立ち姿は如何にも「不思議の国のアリス」の世界から飛び出してきた「アリス」って感じがする。でも、さすがに名前にハマり過ぎているというか、あまりにも名前とキャラを寄せ過ぎているきらいがあるよな。なんだがソシャゲの量産系キャラクターっぽい。


 なんて失礼なことを考えている間も、少女改めアリスは、何がそんなに気になるのか知らないが俺の顔をじっと眺め続けていた。


「ナイトウ……」


 アリスはぽしょりとそう呟いた後、


「よろしく、ナイトウ」


 とだけ言って、それからモルグを無言で一瞥した後、どこからすたこらと行ってしまった。可愛そうだからモルグにもよろしくしてあげて。


「いくぞ」


 去ってゆくアリスの背中をなんとなく目で追っていた俺を置いて、まるで何事もなかったかのような調子で迦十先生は歩き始めてしまった。モルグも、いつの間にか腕から手を放している。


 一体なんだって云うんだ……。 


 とまあ、


 途中でそんなこんながありつつ、三人がようやっとやってきたのは薄暗い小部屋だった。


 そしてそこは先ほどのフィットネスジムにつながっているとは到底思えない程がらりと雰囲気が変わっていたのだった。


 部屋に入ったなり、部屋の中心のテーブルの上に置かれていたランプの芯を迦十先生が捻ると、ようやくそれなりの明るさが確保されたようだった。


 迦十先生に椅子に座るよう促される。一応モルグのために小さな丸椅子も用意されていたのだが、素直に従った俺とは違い、モルグはまるで座ろうとはしなかった。


 俺は椅子に腰かけてから、ランプの光に照らされた、陰気な部屋の中を見廻した。


 部屋はとにかく質素な西洋風の造りであり、真ん中にテーブルが一つ、壁には手頃な本棚が一つ、その隣に小さな机が一つ、それからあとは、俺たちが座っているようなボロの椅子がずらりと並べられているのみである。どれもこれも妙に古くさく、唯一目を引くようなものは赤い花模様が織りなされた派手なテーブル掛けくらいだが、それも今にも破けそうなほど糸目が露になっている。


 先ほどのフィットネスジムのような、現代的アーバンの香りは一切しない、非常に対照的な造りだった。


 こんな部屋をわざわざデザインした意図は一体何なのだろうか。


「魔術を扱うには、雰囲気作りが重要なんでな」


 迦十先生は見ろとばかりに周囲を見渡した。


「どうだ、雰囲気あるだろ?」


 まあ、確かに。先ほどのトレーニング機材に囲まれた現代的空間よりはよっぽど「魔術的」ではある。


「魔術を教えてくれるんですかね」


 思いのほか先生がのんびりしているので、俺は単刀直入にそう聞いてやった。


「そうだな。でもその前に」


 迦十先生は懐から徐にキセルを取り出して火をつけると、匂いのついた煙を吐き始めた。煙草を吸うとは意外だと思ったが、どうも煙の匂いが煙草のそれじゃない。よく見たら煙も葉を燃やして出るタールのそれとは違うような気がする。


 煙の肌触りがひんやりとしていて、どちらかと言えば霧とか、水蒸気のそれに近い。


「お前が魔術にどんな先入観を持っているのかが知りたい。お前は魔術をどのようなものだと解釈しているんだ?」


 どのように解釈……って言われてもなぁ。


 魔術って言うと、呪文を唱えると体内の魔力的なものを糧に炎やら氷やらが手から出てきて、相手を燃やしたり凍らせたり……とか?宮之城が実際に炎を出していたし、そんなに間違った解釈ではないと思うの。


「なるほど」


 迦十先生は机に身を乗り出して顔を近づけてきた。キセルからチロチロと流れ出ている煙が顔に中る。


「魔術にそんな超常現象は引き起こせない」


 引き起せないって、いや、実際に引き起してただろ。


 宮之城とか、俺を襲ってきた敵は。ちゃんと覚えているぞ俺は。


 宮之城は燃えてたし、俺を襲ってきた仮面野郎はやばい犬とか蛇女とか、どう考えても尋常じゃない現象を軽々と引き起していたぜ。俺の後ろに控えているメイドだってな。


「魔力だの精霊だの超能力だの、魔術にそんな解釈を齎されていたのは、もう数百年も昔のことだ。オレが魔術師組合で学んだ魔術は、誰でも使おうと思えば使える代物だ。生まれ持った資質だとか、特別な素養だとかは必要ない。要は洗練された技術と知識の積み重ねでできた、たかだか進歩した催眠術に過ぎないのだからな。—―誰だって扱えるんだ、こんなふうに手を振れば」


 迦十先生は手を上げて、俺の目の前の空間に何やらよくわからない図形を指で描いたが、やがてその指をテーブルの上に置いて数度テーブルのふちを指で叩いた。


 到底信じられないことが目の前で起こっていた。


 テーブル掛けに描かれていた赤色の花模様が、平面からグワリと浮き上がって、まるで本物の花であるかのような見事な造形の立体に変わったのだ。


 俺は思わずと言った具合に顔をテーブルの花の束に近づけた。確かに、テーブル掛けに描かれていた種類の花に違いなかった。しかも、本物の花でしか味わえない、湿っぽい匂いさえ漂ってくるのだった。


 おお、すげぇ。


 つっても、これくらいならまだ「ちょっとした手品」と言われてギリギリ納得できそうな塩梅の不思議ではあった。


「じゃあ、もうちょっとサービスしてやろうか」


 迦十先生が再び指をほんの少し動かすと、今度は後ろの戸棚にしまい込まれていた書物の一冊一冊が、まるで夕方に飛び交うコウモリのように、戸棚から勢いよく飛び出して宙を自由に舞ったのち、テーブルの上にバタバタと積みあがったのだった。


 いや驚かされた。開いた口がふさがらないとはこのことだ。


「こんなのはほんの子供だましだ」


「いやいや、そんなことないですよ。物体浮遊なんて滅茶苦茶凄いじゃないですか!」


 こんなことが可能なら、工夫次第でいくらでも悪さができそうだ。いや、悪さなんかしないけどもさ。


 などと、俺はしばらく馬鹿みたいに大口を開けながら想像豊かな空想に耽っていたのだが、ふと迦十先生がつい先ほど口にしていた言葉を思い出してハッと我に返った。


「先生。たしか、魔術なんて誰でも使えるとか言ってましたよね」


「言ったな」


「俺でも使えるってことですか?」


 思わず前のめりになってしまったとして、是が非でも回答を得たい質問であった。


「もちろん。……ただし」


 言いかけてから、迦十先生はいつになく真面目な顔で話し始めた。彼女のキツイ視線をメガネのレンズ越しに浴びて、自然と背筋が張る。


「ただし、魔術を誰にでもポンポンと教えるわけにはいかねぇ」


「……」


 まあ、そらそうだ。俺は興奮で浮きかけていた腰を、すとんと椅子の上に戻した。


「魔術を教えるには、まず「試験」に合格してもらわないとな」


 試験……だと?


 まさかペーパーテストがあるというのか。でも、俺には魔術や魔術師に関する知識なんてありはしないぞ。そんな状態で試験とやらに受かる気は全くしないのだが。ノー勉強で試験を乗り切れるのは高校までだ。大人の世界でそれは通用しない。


「いや、そんなに難しい課題じゃない。まずは「ランプの魔術」を習得してもらう」


 そう言いながら、迦十先生は机の上のランプを弄り始めた。


 が、ふとしたきっかけもなしに、不意に迦十先生がランプを傾けていた手を離した後も、いかなる物理法則のなせる業かは知らないが、ランプはその場で傾いたままピタリと静止したのち、くるくると、独楽のように勢いよく回り始めたのだった。


 はたから見ていて不安を覚える程、それはますます回転数が上がっていった。その内とんでもない方向に吹っ飛んで粉々に砕け散ってしまうのではないかとすら思われたが、ランプを回しているであろう当の本人がキセルを蒸せてのんびりとしているものだから、俺も慌てるわけにはいかないという心持となっていった。


 それに、ランプは最早回っていると見えない程速やかに回転していて、やがて輪郭が失われてしまったのかと錯覚するまでに澄み渡った様子は何とも言えない美しさがあって、つい我を忘れて見入ってしまうくらいだったのだ。


 かと思えば、はっと気が付いた時には高回転で歪んでいた輪郭も元通りのランプが、いつの間にかテーブルの上におとなしく座らされていたのだった。


「ざっとこんなものだ。よし、じゃあやってみろ」


 迦十先生は平気な顔でそう言った。 


 いや出来る気がしないんですけど。


「しょうがねぇな。じゃあ、もう一回見せてやる」


 観察してできるようになるものなのだろうか。


「今度はよく見て覚えろよ。コツは欲を捨てることだ。欲望は魔術に大敵だからな。自分が特別だと思い込まないことだ」 


 ふむ、欲を捨てる……とな。


 できて当たり前だと思うのが大事、みたいな話だろうか。


 中々に難しそうである。


 しかし、魔術を習得できるというのなら努力は惜しまないつもりだ。少なくとも出来て損はないはずだからな。


 俺は少しだけぼんやりした頭で、ランプから溢れ出る光をじっと見つめた。


 そんな俺をからかうような目つきで笑いながら、迦十先生はランプを手に取った。そして、ランプを机の上から降ろすと、徐にランプから手を離した。


 ランプの光は重力に従って、すぅっと地面に吸い込まれるように落ちていき――












 



















 ピタリと、ランプは宙で、接着剤で留められたかのように静止した。










 俺が軽く人差し指を動かすと、ランプはそのままひとりでに机の上に戻っていく。


 そんな一連のランプの動作を机の反対側から見ていた迦十先生だったが、やにわに手を数度叩いてニヤリと俺に笑いかけた。


「悪くない。「ランプの魔術」は何とか習得したみたいだな」


 俺は返事をする代わりにやれやれと首を振って応えた。「基礎中の基礎」「いろはのい」だと散々にわたって教え込まれた身としては、習得に何週間もかかってしまったのを素直に祝福されているとは到底思えなかった。


 俺が並行世界の迦十先生から魔術を学び始めてから、大体一か月くらいが立っていた。一か月の間に、俺は魔術の基礎と言われている「ランプの魔術」の理解を順調に深めていた。


 「ランプの魔術」とは、軽い物体浮遊術のようなものだ。


 ランプ程度の物なら手に触れることなく、重力に逆らうかのような挙動で、己の意のままに操ることが可能である。念力みたいなもんだ。先生のように複数の対象物を操作できるならともかく、俺はたった一つの物しか操ることができない。


「こんな調子で奴等に太刀打ちできるんですかね」


「それは訓練次第だな」


 奴等、というのは俺や宮之城等を追ってきたあの例の仮面集団のことである。


「確か、魔術結社とか言ってましたっけ。どうして奴らに襲われてるんですか」


「まあ、色々と因縁があるんだ。で、お前の方はどうなんだ。記憶はまだ戻らないのか」


「もう~全くですね」


 戻らないというか、おそらく脳内に存在しないのであるからして、そもそも思いだす努力すらしていないのが実情である。


「記憶が戻らない限り、アイツらの信用は得られないぞ」


 迦十先生が言っているのは宮之城や舞城との現状のことだ。


 今のところ、迦十先生以外の人間には総スカンを食らっている。


 俺やモルグの素性が知れないからだろう、二人には酷く警戒されているのだ。こうしてアジトのフィットネスジムに居候していても、全くと言っていいほど顔を合わさない日々が続いていた。


 全く警戒が解けないのを実際に目の当たりにすると、寧ろ迦十先生がどうして俺にここまで親身になってくれるのか逆に疑問になってくる。なんとなく恐ろしい気がして今の今まで聞いてはいないが。


 そういえば、最初にこのジムに訪れた時に出会ったあのアリスとかいう子供とも、あれ以降ほとんどあっていない。あんな年端のいかない子供がこんなところで住み込んでいるわけもないし、おそらく普段は別の所で暮らしているのだろう。


 まあ、というワケで、並行世界ではそのような色々と肩身の狭い生活を送りつつも、俺は見習い魔術師としてコツコツと魔術の習得に勤しむ日々を送っているのだった。


 とにかく、今は何もわからないこの並行世界で独力でも生き延びる術を会得する必要がある。


 魔術結社とかいうヤバすぎる連中から身を守るためにも、一刻も早く強力な魔術を使えるようにならねばならないのだ。しかし、迦十先生は一向にランプの魔術以外の魔術を教えてはくれない。


 いい加減同じことの繰り返しで飽きが回ってきたところなのだ。そのあまりの退屈さときたら、最初こそ俺の後ろにべったり張り付いて俺の魔術の訓練を見守ってくれていたモルグですら、今や訓練中はふらりと俺の元を離れて店を散策しているくらいなのだからな。


「教えて欲しいなら、まずは複数の対象物を同時に操れるようになるんだな。できない奴は一生できない。


 それまではお預けだ」


 はいはい、わかってますよ。 それが「試験」なんでしょ。


 俺はランプを片手で持ち上げると、ぽいと宙に放り投げて、そのまま空中でくるくると回した。


 最初にこれが出来た時なんか、あまりの興奮でその日の夜は寝付けなかったくらいだというのに、人間の慣れというのは恐ろしいものだ。


 眩い光を中心にくるくると乱回転するランプをぼんやりと眺めながら、俺は大きなため息を吐くのを止められずにいるのだった……。









「マジかよ……」


 昼休みもいよいよ佳境に迫っていた。


 舞城は、俺の掌の上でくるくると回転し続け入る消しゴムを凝視しながら、信じられないといった面持ちでそう口をこぼした。


「え、つまり、どういうことだ?さっきの、お前の話は……全部本当だったってことか?」


 混乱した様子で、舞城は震える指先を俺に向けた。こうして実際に魔術を目の当たりにしても彼は、まだ信じがたい、といった調子だった。まあ、そうなるのも当然かもな。


「わぁ、ほんとに浮いてるー。どうなってんのこれ?」


 逆に都筑の方はいつものようにのほほんとした面持ちで、興味深そうに消しゴムの回転を眺めていた。お前の方はもう少し驚いてくれてもいいんだぞ。こう、ちょうど舞城のと足して二で割るくらいの感覚でさ。


「でもさ、僕たちに見せちゃってもいいの?門外不出とかではないの?」


「多分大丈夫だと思う」


 そもそも、並行世界での俺はずっとジムに引きこもっている。それに、一応説明はしたものの迦十先生らはこちらの世界の存在をまるで信じていない。信じないんだったら、こっちで好き勝手しても別によかろうなのだ!の精神である。


 どうせこっちの世界では何をしたってバレっこない。だったらせっかく習得した魔術なのだ、見せびらかさなきゃ損というものだろう。


「信じられねぇ。本当にあるのか、


 異世界……。


 魔法」


 「うぉぉ……」と舞城の唇から異様な音が漏れ出ている。


 同じ思春期男児だから舞城の気持ちはよくわかる。異世界や魔術の実在はロマンだからな。


「俺にもできるのか?」


 舞城は先ほどの低血圧もどこへやら、異常な食いつきでそう尋ねてきた。


 迦十先生は誰でも使えるって言ってたし、多分使えるのだろうけど。


「是非とも教えてくれ」


「あ、僕も、僕も」


 普段は全くと言っていいほど尊敬されない俺が、二人から、親鳥に餌を強請るひな鳥の如く教えを乞われているこの状況。正直たまらないね。


 しかし、魔術を本当にこんな風に公に広めて良いものだろうか。


 いや、構うまい。どうせこっちの世界には魔術がないのだ。ならば俺がこの世界の魔術の祖となろうではないか。わははは。


「何盛り上がってんの?」


 野郎三人でわいわいしていたところ、横から芭芭が首を突っ込んできたので、俺は咄嗟に手元で浮かせていた消しゴムを掌に握り込んで隠した。


 俺の机を囲んでいた野郎二人がこちらの表情を伺ってくるのがわかる。芭芭に魔術のことを教えるかどうか、ということだろう。


 うーむ。いや、隠し立ては不要だ。


 この際だから芭芭にも全部教えちゃえ。


 と、思ったら、昼休みの終わりと午後の授業の始まりを告げるチャイムが教室に鳴り響いた。


「後で私にも教えてよー?」


 とだけ言って、芭芭は自分の席へと戻っていった。潔い奴だ。そして芭芭と入れ替わるようにして、教室に担任の迦十先生が入ってくる。


 先生は何事か述べながら早速黒板に何やら書き込み始めていたし、舞城らは未だ興奮冷めやらぬ様子で板書に取り掛かっているしで、さて俺もと教科書を机から引っ張り出した時だった。


 ポケットの中の携帯電話が、大きく震えた。


 電話だ。


 誰からだろう。


 ポケットのスマホを、先生に気づかれないように取り出して、液晶の文字を見た。



『迦十先生』



 俺は飛び上がるように面を上げた。


 教壇に立っている迦十先生は当然の如く黒板に向かっている。


 俺は授業中にもかかわらず、まるで気にせず、恐る恐る電話に出た。



『――内藤。言ったよな』



 迦十先生の声だ。


 授業中の迦十先生の声とダブって聞こえる。あまりの違和感に眩暈がしそうだ。


『欲望は魔術に大敵だってな。欲望ってのは、自己顕示欲のことだ。検索エンジンの万能感に飲まれて、スマホ片手にイきり散らかしている幼稚なクソガキ同様、お前みたいな奴を放置しておくと危険なんだよ。魔術界隈にとってな。


『「ランプの魔術」はお前みたいな人間をあぶりだす。何時までたっても覚えたてのオナニーを止められない、こらえ性の足りない汚ねぇマセガキを自動的に処分する有難ーい魔術だ。この魔術だけでも全国各地に普及させたいものだぜ』


 教室にいるすべての人間が、いつの間にかこちらをじっと見つめていた。生気の抜けた真っ黒な瞳で。


 黒板に向かっていた迦十先生の頭も、180度回転してこちらをぎろりと見つめている。


 全員の視線の焦点が、丸ごと俺に集まっているのが肌で感じ取れる。視線に威力があったら今頃俺の身体はハチの巣にされていただろう。


 というか、やっぱりバラすのは無しだったのね。


 じゃあもっとちゃんと忠告してくれよ。頼むからさ。



『—―後悔は済んだか?



 じゃあな』



 迦十先生の有難いお言葉を戴いたのと同時に、俺は机の上に身を乗りだして、全力で教室を飛び出した。


 直後、廊下と教室を隔てる窓ガラスが勢いよく弾けた。教室中の空気が風船みたいに膨張して破裂したかのような轟音だった。


 ガラスを思いっきり突き破って廊下に転がり出た俺に追い縋るように、割れた窓の枠いっぱいに手足が溢れ散らかした。あまりの物量に教室全体がきしんでやがる。


 思わず振り返って見た、今にも飛び出さんとしているクラスメイトの迫真の表情の中に、舞城やら都筑やらの顔も垣間見える。ゾンビみたいな所作。宮之城や芭芭のは見当たらないが、あんまり見たいとも思えないのでむしろ安心した。


 それよりも教室はもう数秒もクラスメイト達の猛攻を耐えられないだろう。


 俺の余命は幾ばくもなし。


 蜘蛛の糸にもすがる勢いで、俺は手に持っていたスマホに向かって全速力で叫んだ。


 もうほんと、色々全部謝るんで、だから助けてください。と。


『無理だな』


 無慈悲。


『そうなった以上—―




 ん?』


 スマホの向こう側から糸の切れるような音がした。それ以降、俺が何度呼び掛けても先生の声が聞こえてくることはなかった。  


 もう一度スマホに声を投げかけようとして、俺の耳たぶが誰かの指にがっしりと掴まれたのが分かった。


 と思った次の瞬間には、肉が裂けるような鋭い痛みと共に俺は真後ろに引き倒されて、直後に大量に人間が束になって覆いかぶさってきたのだった。


 腹や背中が食い破られているかのような痛みにもだえ苦しむ最中で、俺はふと、中空に何か小さなものが張り付けられていることに気が付いた。



 前にも見たことがある。



 あれは、ランプだ。



 迦十先生があの小部屋で使っていたランプ。



 昼間でも、あのランプの光はまだ脳裏に鮮明に蘇ってくる。だから見間違えるわけがない。



 そのランプが、どうしてあんな所にあるのだろう。それは、廊下の天井から目算で三十センチ程離れた空間に、ぴたりと張り付けられているのがわかる。



 なぜ、ランプが……?



「――っ!!」



 雪崩のように降り積もるクラスメイトの狭間から垣間見たランプが俺の脳内に、一筋の光明を見出させたのとほぼ同時に、あの雷鳴のようなトラクションが廊下中に轟いた。


 俺は衝撃で前方に吹っ飛んだ。


 直後、後方の人の山が弾け飛んだ。


 首筋に生暖かい血潮が降り注いでくる。


 俺は滝のように流れ落ちる血を顧みずに、勢いよく振り返った。


 巨大な黒塗りのトラックが縦方向に、廊下とひと固まりになっていた人込みを突き破るように顕現していた。それはまるで、海面から勢いよく飛び上がった大海原の大クジラのようだった。


 トラックはそのまま上の階をつつくように天井にぶつかった。その衝撃で天井に並んだ蛍光灯が、悉く煙を上げて割れる。それに伴って焦げ付いたかのような嫌な匂いが頭の上に降り注いでくるのが分かった。



 正気じゃない光景だ。



 巨大なトラックが唸り声をあげている。


 トラックは天井をがりがりと削りながら、徐々に、仰向けにこちらに倒れ落ちてきていた。その挙動は宛ら水面から勢いよく飛び上がり、それから宙に伸びきった体を水面に叩きつけるようにして海に戻っていくクジラのブリーチングのようであった。


 俺は痛みで身体を動かす暇もないまま、



 トラックの背中に押しつぶされた。



 衝撃で俺は椅子ごと、後ろへ倒れ込んだ。その拍子に頭を打ってしまった。


「……?」


 ふと気が付いて、倒れ込んだ状態のままあたりを見廻すと、俺はいつの間にか、薄暗いランプの光を浴びながら、迦十先生とランプの魔術の修行をしていたあの部屋にいることに気が付いた。


 瞬く間に、いつか迦十先生が吹かしていたキセルから漏れていたあの煙の独特な匂いが鼻孔をくすぐる。


 何が起こったか理解しきれずに、茫然とただ倒れ伏しているだけの俺の顔を、後ろに立っていたモルグがのぞき込んできた。


 それで、俺は全てを悟った。


 俺がこの一か月間魔術の修行に明け暮れていたと思ったのは、たった数分の間に見せられた夢だったのだということに。


 俺は急いで起き上がると、あたりをよく見渡した。


 すぐに、正面の本棚の前にへたり込んで座っている迦十先生と目が合った。


「おう、戻ったか」


 先生は笑っていた。若干冷や汗をかいているか?


「先生……あの、これって」


 俺はそれ以上、二の句が継げない。


 地面にランプが転がっているのを見ても、未だに信じることができなかった。だけど、こうして正気に戻ってしまえば、実際に経過している時間をなんとなく把握するのはわけないことだった。


 だからこそ、信じられなかった。


 あのあまりにも鮮明な一か月間の出来事は、俺がたった今迦十先生に見せられた「ランプの魔術」による幻覚だったのだという事実を。


「言っただろ?たかだか進歩した催眠術だって」


 先生は「よっコラショ」と立ち上がって、ずれた眼鏡を指で押さえる。


「それにしてもお前の魔術は強烈だったな。危うく死ぬところだったぜ」




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