第五章 洗礼








 写真の話なんて持ち出さなければよかったと、そう後悔したときには時すでに遅しであった。隣を歩いていた宮之城の顔があからさまに不機嫌になってゆくのを如実に感じ取ることが出来る。


「写真の人が、なに?」


「いや、その、美人だったなぁって、その……はい」


 宮之城とそれなりに話をする関係に落ち着いてから、早一か月が経過しようとしていた。これは帰り路が割と似通っていると気が付いて、何度か帰りを共にするようになってからしばらくのことであった。


 油断して思いっきり地雷を踏みぬいてしまったらしい。これは右脚断裂、止血をしなければ致命傷、といったところか。


 例の写真がどうにも気がかりで、つい口に出してしまった。あまりにも迂闊だった。


「お母さんのことね」


 てっきりブチぎれてそれ以降会話などなくなってしまうものとばかり思って身構えていたのだが、思いのほか宮之城は冷静だった。むしろ意気消沈といった様子だろうか。


「会いたい?」


 いや、会いたいとは言ってねぇよ。


 それだとクラスメイトの母親を狙ってるヤバい奴みたいじゃないか。


「へぇ、違うの?」


 美人が怒ると鬼の顔になるってのは本当らしい。宮之城は口元は笑っていたが目は金色に爛々と光り輝いていた。恐ろしや。


 あの……違いますからね。


 ホントすいません。


「なんで謝るのよ」


 俺が心の底からぺこぺこと謝ると、宮之城は若干機嫌を取り戻したかのように、少しだけ笑った。


「残念。あの人には会えないわよ」


「ん?どうして」


「もういないもの」


 ……。


 困るなぁ、もう。いや、この場合余計なこと言った俺が悪いのかな?


「いない……と言っても、別に死んだわけじゃ……いや、死んでるのかも。わからない」


 やけに歯切れの悪い物言いだった。


「家を出ていったの。それ以降連絡の一つも寄越さないし。だから、今あの人がどこで何してるかなんて、知らないってだけ」


「家出か。俺の父さんも家出したことあるよ。母さんと妹の二人怒らせちゃってさ。一週間くらい車で寝泊まりさせられてたなぁ」 


「いや、それと同列に語られても……」


 いやいや、結構大変だったんだぜこれが。父さんが当番の家事サボるから俺が父さんの分まで体張る羽目になったんだぞ。


「……仲、良いの?」


 どうなんだろう。喧嘩とかしょっちゅうだし、他の家と比べて特別仲がいいかどうかとか、比較できない以上わからないしなぁ。そういう宮之城は?


「お父さんは仕事でほとんど家に帰らないし、お母さんはもういないし」


 それは散々だな。


「……」


 宮之城は不意に足を止めた。何か怒らせるようなことを言ってしまっただろうか。


「私も、昔はお母さんと、仲が良かった、……と、思う」


 しんみり、なんてオノマトペが聞こえてきそうなほどしんみりとした調子で、宮之城は話を続けた。


「すごく優しかったのを覚えてる。私の記憶の中のお母さんは。でも、あの日以来お母さんは変わってしまったから」


「あの日?」


「……別に」


 宮之城は、質問には答えず、代わりに心の底から何かを後悔しているかのような顔で、俺を咄嗟に睨んだ。多分、本当はこんなプライベートな事情を俺に話すつもりなんか、なかったのだろう。


「優しかったのも、本当は全部嘘だったのかも」


 宮之城は鬱屈とした感情を晴らすべく、吐き捨てるかのようにそう言った。


「お母さんが私に優しかったのだって、結局は気まぐれでしかない。立場や環境が苦しくなれば、人間って、びっくりするくらい簡単に本性がむき出しになる。誰だってそう、あなただってそうでしょ?」


 俺?


「どういうつもりだか知らないけど、私にちょっかい掛けたりして」


 そんなつもりはなかったんだが。


 まあでも、宮之城の言わんとしていることは、わからなくもない。人間、金や立場やら、日々の習慣が充実していれば何事にも寛容になれるものだ。心の余裕が人をそうさせるのだ。逆にいえば、その余裕がなくなれば当然寛容さも損なわれる。


 宮之城は今、その心の余裕がないからピリピリしているってわけか。


「……そうよ。逆にあなたは暇だから私に突っかかるの」


 その割には優しかった気がするけどな。勉強手伝ってくれたり。余裕がない上であれくらい優しいのなら、もう十分すぎるくらい十分だよ、多分。俺の妹なんてちょっとでも気に食わないことがあったらみぞおちに蹴り入れてくるし。


 何て言ってみても、宮之城はなお不機嫌な顔を崩さなかった。やっぱりそう甘くはないね。


 しかしそれでも、いざ別れの時となると、別れの挨拶だけはちゃんとしてくれた。やっぱり優しいぞ。


「……じゃあね」


 分かれ道に立って、宮之城はぴょこんと慣れなさそうな手つきで左手を軽く上げる。それから、そさくさと背を向けて帰ってゆくのだ。いつもの光景だった。


 俺は、とっさに後姿に声をかけて引き留めた。また、すぐに後を追った。


「えっ、何?」


 俺は携帯電話を懐から取り出して、宮之城に見せる。そういえば、もう結構長い付き合いだが連絡先を交換していなかったことに思い至ったのだ。


「連絡先なんて……別にいらないでしょ」


 とか言いつつ、宮之城は割と素直に携帯を取り出して、それからお互いの連絡先を交換し合った。


 宮之城はしばらくの間、じっと携帯の液晶に視線を落としていたが、やがてハッとしたように正気を取り戻して、それ以降俺には目もくれずにさっさと元の帰路へと歩き去って行ってしまった。


 じゃあ俺も帰ろうかと踵を返そうと思った時だった。


 夕日に照らされたアスファルトの上に、見慣れない人影がポツンと立っている。


 8歳くらいの少女だろうか。ウェーブのかかった金髪に、蝋人形のように整った容姿。青と白のエプロンドレス。大きなカチューシャに、浮世離れした碧眼がこちらをじっと。


 ……あれは。


 いや、アイツは前にもあったことがある。


 アイツは確か。


 アリス。


 そうだ。アリスじゃないか。まただ、また忘れていた。あの世界のこと。どうしてあんな強烈な記憶を失ってしまうのだ。


 アリスは俺が見ていることに気が付くと、踵を返して駆けだした。両手で抱え込んでいるウサギのぬいぐるみがぴょこぴょこと上下に揺れている。


 俺は慌てて後を追いかけた。


 駄目だ。


 あの先は大きな道路に出る。危険だ。この時間は車の往来が激しいから……。


 だども、俺がどれだけ呼びかけても、アリスは立ち止まろうともしない。まるで俺の言葉など聞こえないみたいだった。


 やがて、アリスは道路に飛び出して、街路樹を抜けて、アスファルトの上に躍り出た。


 俺は思いっきりジャンプして、両手を広げる。


 俺の身体は街路樹を飛び抜けた。


 アリスは迫りくる車のダンパーをぼんやりと見つめている。ピクリとも動こうとしない。


 俺は固い地面を身を削るようにして転がった。そして、目の前に立ち尽くしているアリスを抱え込んだのだった。



 大きなスキール音が鼓膜を劈いた。



 直後、右半身の感覚が消失した。



 それから、身体が地面を転がっていく感覚がした。



 脳みそというのは紐でできているのではなかろうかと、唐突にそう思った。


 普段はしっかりと硬く結ばれているが、衝撃で結び目がホロホロと解けてしまう。そんなイメージが湧いたからだ。



 俺の脳みそが緩んで解けてしまう感じがして、それからは、


 もう何も考えられなくなった。



















「おい、内藤。俺手加減しろって言ったよな?」


 俺の目の前に、舞城が仰向けに寝転がっているのが分かった。こいつは何をやっているのだろうか。


「改めて見ても、すさまじい威力の魔術ね」


 今度は宮之城の声だ。これは一体どういうことだ。先ほど別れたはずの宮之城がなんでこんなところにいる?


「また記憶が混乱している。やっぱりあなた、魔術を使うとそうなるの?」


 いまだ混乱冷めやらぬ頭で、俺は周囲を見渡した。それで、思い出した。


 ここはJ一郎に貸してもらっている訓練場で、俺は今、迦十先生の指示による魔術の操作訓練の真っ最中であったのだ。で、舞城を実験台に魔術を行使した、という状況だ。


「思い出した?」


 ああ、丁度先ほど元の世界に戻っていたところだ。


「はぁ……まだ言ってる」


 宮之城はもうそれっきりしゃべりたくないといった風体であった。本当のことだんだけどな。


「いてて、マジで死ぬかと思ったぞ。とんでもない魔術作用だな」


 宮之城がしゃべらなくなったのと入れ替わるようにして、舞城がのろのろと起き上がった。俺が魔術を舞城に使ったというのだろうか。全く覚えていない。


「コントロールに難あり、といったところか。全く制御できていない」


 本当に俺が魔術を使ったのだろうか。いや、でも、魔術の発動にはが必要不可欠なんだろ?俺はトークンなんて持っていないぞ?


「何言ってんだ。持ってるだろ。右ポケットにしまい込んだだろ」


 右ポケット?


 俺はポケットの中を探った。スマホが出てきた。当たり前だ、ポケットにしまい込んでいるものなんてこれくらいしかない。


「携帯しか入ってないぞ?」


「だから、それがお前のトークンなんだよ」


 スマートフォンが……トークン?


 じゃあ、俺はスマホを使って魔術を発動させている、ってことか?


「だからそう言っているだろうが。さっきだって、俺がお前に魔術を掛けたらお前は咄嗟にそれを手に取って、俺の魔術の作用を解錠した」


 うーん。駄目だ。全く記憶にない。記憶がないってのは本当に起こり得る状態なのだな。今なら如何にも悪代官な出で立ちの政治家が、記憶喪失を声高に叫んでいたとしても、ちょっとは信じてしまいそうな新境地だ。


「改めてとんでもない作用の魔術だったぞ。もしお前がではなくに注力していたら、間違いなく死んでたな」


 死ぬて。


 アレ?魔術による完全掌握は心神喪失状態になるだけ、なんじゃなかったか?


「普通はそうだな。だけど、魔術の作用によっては死ぬ場合もある。主にショック死を誘発するような作用だ。例えば、雷に打たれる幻覚を見せる魔術、とかな」


 なるほど、一撃でショック死してしまうような過激な作用の魔術なら、そもそも心神喪失だとかの前に、その作用によって死んでしまう可能性もある、ということか。例えそれが幻覚だろうと。


と言われているが、もしそんな魔術で即死級の幻覚を見せられたらば、場合によっては幻覚だろうとショックで死んでしまうんだな」


 それは危ないな。


 でもそれって、使い手にとっては使い得なのでは?


 倫理的な問題はさておいても、相手を死に追いやることができるわけだし。


「忘れたのか?魔術には副作用があるんだぞ」


 ああ、そうだった。


 魔術の作用は、ある程度緩和されるとはいえそっくりそのまま術者にも返ってくるのだ。


 つまり、相手を感電させる魔術で仮に相手を感電死させることが出来たとして、自分も感電死するリスクがあるわけだ。


 雷の魔術を打ち込んで、相手も自分も感電死。


 間抜けすぎる死にざまである。地獄の沙汰で浄玻璃の鏡にこんなものが映し出されようものなら、厳格な閻魔様もさすがに大爆笑を禁じ得ないだろう。或いは顔を酷く顰めるのかも。何しろ他殺の自殺の二重罪なわけだから。


「ちなみに?俺の魔術の作用って、そんなに殺意が高いのか?」


「そうだな。危うく轢き殺されかけたよ」


 舞城が吐き捨てるように言った。


 ちょっと待て?轢き殺されかけた?一体どんな魔術何だそれは。


「そんなの、お前がよく知っているはずだろ。俺と同じものを、お前は副作用で体験しているはずなんだからな」


 ちょっと休憩させてもらう。とだけ言って、舞城は部屋から出て行ってしまった。俺は、はたとその場に立ち尽くして、考えに耽った。


 舞城は「轢き殺されそうになった」といった。もしそうならば俺も副作用によって似たような体験をしてしかるべきだろう。


 そして、確かに俺は轢き殺されそうになった経験が、ある。しかし、それはだ。


 いや、待てよ?


 そういえば、俺は元の世界でとして、必ずこちらの世界に召喚されている。


 ということは……どういうことだってばよ。


「ねぇ。考え事なら、よそでやってもらえる?それか口を閉じて黙るかのどっちかね」


 ふと顔を上げると、宮之城がキレた表情でこちらを見やっていた。


 すいません……。


 俺は謝りつつ、大して行きたくもないトイレを理由にそさくさと部屋を退出していった。怒っている女性と二人きりってのはよろしくないからね。仕方ないね。


 部屋を出て、勝手の解らない廊下を渡り歩いた後、ようやく見つけたトイレの個室に入って一息ついたものの、とくに用を足したいわけでもなかったので、しばらく白い便器をじっと見つめていた。


 白い便器をじっと見つめていると、なんだか徐々に心が落ち着いてきたので、俺は白い便器から目を離すと、ついでに白い便器の水を流してから、トイレの個室をあとにした。


 用は足していないが、これで心はすっきりだ。


 まるで用を足したかのような心持で、さて手でも洗おうかと振り返った先に、8歳くらいの少女が当たり前のような顔をして立っていた。



 というか、アリスだった。

 


 思わず叫び声をあげてしまった。


 吃驚した。というか、どうして男子トイレにこいつがいるんだ。素面で間違いを犯す齢でもなかろうに。


 というか、この絵面だと、第三者のジャッジではむしろこちらが怪しい、という状況に陥ってしまっている気がする。


 というわけで、でもないが、自己保身もかねてどうしてこんなところにいるのかを尋ねてみた。是非ともまともな返答を期待願いたい。


「ナイトウとお話がしたかったから」


 らしい。


 話ねぇ。しかし幼女とは共通の話題がないだろう。一体何を話すというのだ。プリキュアとか?


「アリスのこと」


 お前のこと?


「アリスの本当のなまえ、ナイトウにも教えてあげる」


 本当の名前ね。


 まあ、「アリス」が本名だとは思ってなかったけどさ。でも、別に無理してまで教えてくれる必要ないんだけどな。


 アリスは、俺の言葉を否定するかのように、首を振った。


「絶対に必要。アリスのなまえはナイトウ以外、みんな知ってる。ナイトウだけが知らないのは、ナイトウがみんなから信用されてないから」


 うーん。


 でも、信用されてないってのは、そりゃ当たり前なんだよな。俺ってば完全に部外者なわけだし。


「いいから、聞いて」


 アリスはぬいぐるみを抱えたまま、俺を手招きして呼んだ。しょうがない、付き合ってやろうと、俺がアリスの傍まで近づくと、アリスは俺の耳に手を当てて、小さな声でこしょこしょと囁いた。うっ、くすぐったい。何かに目覚めそう……。


 てのは冗談で。


 アリスの本名……というか、フルネームを聞いた俺は驚いた。


 驚いたというかなんという、今まで「アリス」という名前に抱いていた印象が90度変わってしまったって感じだ。


 おいおい、それだと全く関係のない狂人おじいさんになってしまうけど、良いのか?まあ、最近のソシャゲだと偉人ですら何でもかんでも女体化しちゃうから、アリと言えばアリ……なのかな?


「わすれないで。アリスのなまえをしってることが、仲間のあかしだから」


「いや、絶対に忘れはしないだろうけどさ(有名人だし)。でも俺に教えてくれてよかったのか?」


 俺の問いに、アリスはポクポクと愛らしく頷いた。可愛い。


「ナイトウは信用できるから」


 はて、いつの間に彼女の好感度を上げたのだろうか。全く覚えがない。


 もしかして、車で膝の上に乗せたのとか、そのあとの嘔吐事故で背中をさすってやったのが効いているのだろうか。だとしたら上がりやす過ぎる好感度ゲージだが。


 そんなことは考えてもわからなかった。


 その後、申し訳程度に手を洗浄した後、俺たち二人は仲睦まじくトイレから退出した。これが男子トイレだから、はたから見たら犯罪の香りがプンプンするってところだろう。俺が30代くらいの、そうだな、J一郎くらいのおじさんだったら確実にアウトだったぜ。


 道中で俺たちは雑談に花を咲かせた。花を摘んだあとに花を咲かせるってね。ははは。何言ってんだろうね俺は。


「アリスは魔術師なんだよな。そんな歳でもなれちゃうもんなんだな」


 俺のいた元の世界じゃ、30歳まで童貞を守り通さなければ魔法使いになれないって話だったぜ。


 ところがアリスはこれまた首を振って否定した。そんなアリスに連動して、手に持たれているぬいぐるみもゆらゆらと揺れる。


「アリスは魔術師じゃないよ」


「そうなのか?」


「アリスは……」


 ふと、ぴたりとアリスは歩みを止めて、正面を見やった。


 俺もアリスから目を離して、正面を見やった。


「おう、二人ともここにいたのか」


 迦十先生が仁王立ちしてこちらを手招きしているのが見えた。


「こい。作戦会議を始めるぞ」










「作戦会議……の前に、一つ言っておくことがある」


 J一郎所有のオフィスビルの一角、とある小部屋にて俺含め関係者全員を集めた迦十先生は、開口一番に堂々とそう口にした後、白色のテーブルの上に手に持っていたそれを乱暴に叩き置いた。


「見ろ、この無残な様を」


 見ろと言われたので、テーブルの上のそれを遠慮なくまじまじと見る。段ボール箱一杯に、食いかけのバナナが大量に廃棄されて山となって積もっているのが分かる。まるで獣が食い散らかしたかのような有様だ。確かに、無惨と言ってしかるべき無惨さではある。


「この残飯がなんですか?」


「おう、お前の目にもしっかりと残飯に見えてるようで安心したぜ」


「食い方汚いっすね、先生」


オレじゃねぇよ!あいつだ」


 迦十先生がサムズアップで指さした先を見ると、モルグがバナナ片手に部屋の隅の方に腰を下ろしているのが見えた。そういえば姿が見えないと思っていたら、こんなところで道草を、いやバナナを食っていたのか。


「私が栄養補給のために持参していたバナナ数キロ、アイツが全部食いやがった」


「はぁ、それは残念でしたね」


「お前の責任だからな」


 俺の責任?


 えっ、なんで?


「アイツはお前の専属メイドみたいなもんなんだろ!?だったらアイツの行動の責任は皆ご主人様であるお前に帰結するよなぁ!?」  


「ええっ!?」


 いやいや、俺あの娘にメイドらしいこと一つもされてないし、多分俺に勝手についてきているだけで、雇用主は別にいるとおもうぞ?知らんけど。


 つーか、そもそもあの格好はコスプレで、断じて本物のメイドさんではないだろう。モルグのことは正直よくわからんけど、そんな俺でもアイツにハウスキーパーとしての能力が皆無なことくらいはわかるぞ。ぱっと見で十分。


「食ったことは、この際だ、許してやるとしてだ。もう二度と勝手に他人のもん食わないよう、責任もってしっかり調教しとけ!」


 調教て。


 嫌ですよ、調教初期の段階で絞殺されそうだし。


「とまあ、雑談はこれくらいにしといて……」


 そう言いながら、残飯と化したバナナを積んだ段ボール箱と潔くモルグの方へと投げやってから、迦十先生はようやっと真面目な顔で話を始めた。


「私たちは現状、魔術結社に追い詰められている。この状況を打破するには最早魔術結社を束ねるトップ、幹部のを討ち取るよりほかない。ここまでは良いな?」


 全員が頷く。いや、モルグだけは無反応だけど、コイツはもう頭数に入れなくていいだろ。


「で、その方法だが。まずは奴らのアジトに潜入する」


「ちょっと待ってください。奴らのアジトなんていつ見つけたんです?」


「おいおい、俺の情報網を嘗めるなよ。舞城」


 舞城の突っ込みに、J一郎がニタニタと笑いながら応える。


「そんなもん、この街に来た時から把握済みだぜ」


 グッとサムズアップ。更にウインク。


 舞城の顔面があからさまに歪んだ。確かにこいつの苦手そうなタイプのおっさんではある。


 あと、話の腰を折るようで大変恐縮なんだけど、これ以上引き伸ばすのもわけわかんなくなりそうだから聞いてもいいか?


 ゴルゴ―マって誰?俺の見知っている人?


「宮之城たちを襲っていた仮面の男だ」


 迦十先生がさらっと答えてくれる。ああ、アイツか。滅茶苦茶な自論を展開していた、覗き穴のない仮面付けてた奴ね。


「ゴルゴ―マはこの街の魔術結社支部を統括している魔術結社の幹部だ」


 その魔術結社とやらについてもそろそろ説明していただきたいところだけど。


「そんなことも知らんのか。何もんなんだ?このガキ」


「居候だよ。あのクソメイドのツレだ」


 先生が部屋の隅を睨みながら、吐き捨てるようにそう言った。いや、それはちょっと違う。


「ふぅん。まあいいや。わかんねぇなら、誰か説明してやれよ」


 シーンとしてしまった。気まずいなおい。


「しょうがねぇな。じゃ俺が」


 コホンと一つ咳ばらいをした後、J一郎が、


「魔術結社っての平たく言えば、「反魔術師組合の犯罪組織」ってところだ」


 魔術師組合ってのは?


「まじで?その説明もいるのか?」


 申し訳ないが頼めるかね。


「簡単に言えば魔術師と魔術を管理する組織だな。全国にいる魔術師はほぼ全員魔術師組合の管理下にある。パメラ達なんかもそうだ。だが、魔術を心得ている者でも魔術師組合に無所属の奴らがいる。それが俺や魔術結社の連中だ」


 どうして魔術師組合を抜ける必要があるんだ?所属していたら何か不都合なことでもあるのか。


「まあ、組合は規制が強いからな。束縛を嫌う奴や、魔術で好き勝手したい連中は大概抜けたがる。俺もその口だ。だが、魔術結社はそういう輩とはちょっと毛色が違う。


 奴らはある一人の人間の思想の元に活動している。



 一つ、魔術師組合を潰す。



 一つ、魔術の発展、研究のためにはあらゆる犠牲も倫理もいとわない。



 最後、世界征服」


 最後だけ妙に陳腐だな。


 いや、よく見たらどれも同じテンションだった。創設者は中坊か?


「実は俺もその線を睨んでいる。魔術結社なんか作ってしまうくらいだから中学生なんじゃないかってな。ちなみに創設者の名前はメルカトル。本名かは知らん」


 なんだその名前は。地図でも描くのか。


「まあとにかくヤバい奴らの集まりと考えてもらっていい。しかも目的の一つに「組合の殲滅」があるわけだからな。当然命を散々狙われる。タマを取られるだけならまだしも、洗脳されて一生組織の操り人形なんてのもザラだ」


 ひえぇ。極悪集団じゃないか。SHOCKERかよ。


「魔術結社は各地に支部を配置して、それぞれの管理を幹部に一任している。で、ここの地区に配置された支部を統括している幹部がだ」


 ここでようやく話が戻るわけだ。


「幹部っつっても魔術結社じゃほとんど使い捨てみたいなもんだ。毎月の如く入れ替わり立ち代わりって感じだな」


 それはなんというか世知辛いな。ヤバい組織のとはいえ、せっかく幹部になれたというのに。


「ゴルゴ―マは最近この支部に配属された新米幹部だが、その魔力は強大だ。既に何人もの魔術師がやられている」


 やられている、てのはつまり殺されているってことだよな……。


「噂によると、ゴルゴ―マは「密室魔術クローズドマジック」の使い手らしい」


 密室魔術?何だそりゃ。


「実在するのか?」


 舞城が目を丸くしながらそう言った。おいおい、同業者からも実在を疑われてるぞ。


「わからん。何しろ噂だからな」


 俺は隣に座っていた舞城の脇腹を擽った。舞城は変な音を漏らしてその場で身を捩る。おい、ちゃんと説明しろ。


「やめろ、バカ!密室魔術ってのは、解錠方法の存在しない魔術のことだ!」


「解錠方法がない?それじゃ危険だってのが魔術じゃなかったっけ」


「そうだよ。だから誰も使わない。というか、使えない。いまだに構築方法が確立されていないからな。だから密室魔術は幻の魔術だ。実在すら疑わしい」


 ふぅん。


 ……あれ?そういえば、俺が初めてゴルゴ―マと対峙したとき、アイツたしか密室魔術がどうとか言ってたような。


「それが本当なら、マジで使えるのかもな」


 投げやりな態度で舞城が独り言ちる。すっかり拗ねてしまった。ちょっと擽りすぎたかも。


「その魔術結社の支部だが、先ほども言った通り、既に場所は把握している。何なら既に潜入済みだし、潜入ルートも確保してある」


 J一郎は自慢げにそう言い切った。おお、それがマジならこの人相当優秀なのではないだろうか。


「敵の戦力もだいたい割れている。ゴブリンどもが約三十名、それから魔術結社の魔術師が数名だな」


 ゴブリンなんてのがいるのか。それは是非とも相対したくないな。絶対ヤバい連中だろうし。レ〇プとかされたらいやだし。いや、杞憂かもしれないが。


「ゴブリンならお前も既に会ってるだろ」


 咄嗟に舞城にそう突っ込まれる。えっ、嘘。いつ会った?それらしいのには全然あっていないのだが。


「あのメイドが一ひねりしてたろ」


 ……ああー!


 かの白い仮面付けてた全身タイツ共ね。あいつらがゴブリンなのか。


 言われてみれば確かに、名にふさわしい気味の悪い連中だった。


「言ってやるな。全員魔術結社に洗脳されて使役されている哀れな一般市民だ」


 ……訂正。


 ゴブリンたちは寧ろ被害者でしたとさ。やっぱ偏見でモノをいうのはとことん駄目なんだな。反省せねば。


「敵魔術師の大半はお前らなら大丈夫だろう。ただ敵のアジト内には侵入者迎撃用の罠もあるから、そこは注意だな。でも、やはり一番の問題はと魔人だろ」


 まーた知らない子が出てきちまったよ。誰だね、その魔人ベル子ちゃんとやらは。


「お前が蛇髪女って言ってた奴だ」


 俺の渾身のため息を聞いた迦十先生がフォローを入れてくれた。さすが先生だ。あのメドゥーサみたいな髪形の奴か。


「アイツはマジでヤバい。なんせ姿を見ただけで硬直、顔を見ただけで死んじまうんだからな」


 それはやばい。アテネのご加護が必要だな。あとは鏡の盾とかも用意しとかないと。


「魔人も魔獣の一種みたいなものだが、より厄介な存在だ。魔獣と違って基本的に魔術で倒せねぇからな。だから基本的に物理でぶっ倒すかやり過ごすしかない。一応弱点もないことはないが……」


 聞いてもいないのに魔人の説明を入れてくれるとは、やはり先生は偉大だ。


「俺は変装や潜入はお手の物だが、荒事は不心得だぞ。この二人はパメラ、お前が何とかしろよ」


「わかっている。秘策ならあるさ」


 迦十先生はそう言ってから、俺の方をちらりと見やった。何やら意味ありげな視線である。


 まさか、秘策って……俺のこと!?


 なわけないだろ。


「秘策って何ですか?」


「まあ聞けよ。密室魔術だの魔人だのは確かにヤバい。だが、どんな魔術も発動しなければ無問題だ」


「……つまり?」


「J一郎はの達人だ。それで敵に気がつかれないようぎりぎりまで接近して、やられる前に、やる!これが私の立てた戦術」


 暫くの間沈黙がひた走った。誰も口を開こうとはしなかった。どうやらあらゆるコメントが封殺されている状況らしい。


 だから代わりに俺が突っ込んどく。先生、それは戦術じゃなくてただの脳筋戦法、通称ごり押しです。まあでも、案外色々策を講じるよりもずっと効果的なのかもな。


「いいか、お前ら。準備が整い次第すぐにでも魔術結社支部にカチコミを仕掛けるからその腹積もりで」


 最後に先生がそのように締めて、今宵の作戦会議はつつがなく終わりを迎えた。どうでもいいけど、これ作戦会議の体をなしてなかったよな。ほとんどが俺への用語解説と先生の所信表明で終わってたし。













 作戦会議(?)が行われたその日の昼下がりのことだった。


 俺がオフィスビルに備え付けのシャワールームにて、たまりにたまった疲れを洗い流した後シャワールームから出ると(設備が充実している)、休憩所にて同じく風呂上がりの宮之城とばったり出くわした。昼だってのにお互い、随分早いシャワーだったな。 まあ激務だったしな。


 宮之城は私物のスマホに没頭していた。それから、液晶を物凄い速度で叩いている。意外な光景だ。誰かと連絡でも取り合っているのだろうか。


 俺が近くの自動販売機から飲料水を購入して、ガラガラと缶が落ちる派手な音を立てても、宮之城はまるで気がつかない様子だった。


 ついでだし、宮之城の分も買ってやるか、と更に硬貨を自販機に投入。宮之城の好きな飲み物なんて知らないので、無難に水にしておく。


「おーい、宮之城」


 俺が声をかけると、それでようやく宮之城はハッと面を上げて俺の存在に気が付いたらしい。それから、いっそ恐ろしいくらいの手際の良さで、彼女は携帯電話を懐にしまい込んだ。よほど見られたくないプライベートな一幕だったらしい。


 俺は特にメールの相手には触れずに、「ほらよ」と手に持っていた水を投げ渡す。宮之城は危なげなくそれをキャッチした。


「……ありがとう」


 ちゃんとお礼を言った後、パキリと音を立ててキャップを外し、トクトクと水を飲み込んでいく。うーん。美人は水を飲む様子すら絵になるらしい。俺も手持ちの清涼飲料水を飲み込む。


「内藤くん、だっけ?」


 宮之城は三分の一ほどペットボトルの中身を空けてから、俺に話しかけてきた。


「一応、聞いておく。あなた本当に魔術結社の関係者じゃ、ないのよね?」


 念を押すように、そう聞いてきた。


 それには堂々と応えられる。


 もちろんだと。


 魔術結社どころか魔術のいろはも知らない奴に、関係者なんか勤まるとは思えん。あ、でも一応連れってことになっているモルグがどうかは知らんけど。あいつあんなふざけた感じで実はスパイとかだったらどうしてくれよう。


「そう。一応、信じておく」


「ちなみに、俺が魔術結社の関係者だったら?」


 一応、聞いておく。


「もしそうなら、この火傷の痕のお礼をさせてもらう」


 宮之城は顔の火傷を指さしながら、平然とした口調で言いのけた。おおう、それって根性焼きとかでは到底済まないよな……。


「何か恨みでも……て、聞いてもいいのか?」


「別に隠すことでもないし、いいわ、教えてあげる」


 別に積極的に聞きたいわけでもないのだが、宮之城はそんなのお構いなしに開口一番、ヘビィな内容を語り始めた。


「私の元々住んでいた家、アイツらに焼かれたの」


 あっ、そうなの……。


「私、両親が魔術師で、あの頃は魔術結社とひと悶着あったらしいから。で、この火傷の痕はその時に出来た。私は生き残ったけど、お父さんは死んでしまったし、お母さんは……」


 お母さん。そういえば、彼女とは元の世界で母親についての話をした覚えがある。


「生きてはいた……いえ、いっそあの時死んでいてくれた方が良かったのかも」


「それはまた……随分な物言いだな」


「お母さんの火傷は私のよりもずっと酷かった。あの人はいつも自信に満ち溢れていたけど、顔が焼けただれて、髪もチリヂリになって、お父さんも死んで。あの日以来あの人はおかしくなった」


 言われて、ようやく気が付いた。


 あの時宮之城が零した言葉、「あの日」というのは、家と顔と家族が焼けた日だったのだと。


「それで、宮之城のお母さんは家を出ていったってことか?」


「出ていった、というか、失踪……だけど、なんで内藤くんが知っているのよ」


「俺の元いた世界で、宮之城が話してくれた」


 正確には、口をこぼした、だけど。


「あなた、その妄想のことまだ言っているの?しつこいわよ」


 しょうがないだろ。本当のことなんだから。


「本当だって、優しかったけど変わっちまったとかだなんとか言ってたぜ?」


 プライベートな話題なので積極的に他人に話すのは憚られたが、何しろ並行世界のとはいえ、当の本人に話すのだからまあセーフだろう。


「優しかった……そうね、確かに」


 宮之城は何かを憂うかのような目つきで、天井の蛍光灯をぼんやりと見上げた。


「でも、顔が醜くなって、錯乱して私に暴力を振るう様になって、わからなくなった。今じゃ優しかったあの人の笑顔が、全部嘘だったように思える」


「……」


「でも、もういい、あの人のことは。一生会うこともないだろうし」


 他人の俺が口を挟める事情ではないのだろうけど、本当にそれでいいのだろうか。


「正直、写真が無かったらもう顔もはっきり思い出せないくらいだし。あの火傷の痕が衝撃的過ぎて。形見の品もこれしか残ってない」


 そう言って、宮之城は首元からネックレスを取り出して、手に持った。 浅葱色の宝石が施されている。


 ……あれ?そのネックレス、似たようなのをどこかで見たような……。


「というか」


 宮之城はいぶかし気な目で俺を見た。それで、なんとか記憶の戸棚から目的の品を引っ張り上げようとしていた俺の努力が露となって消えた。ついでに、頭の隅に引っかかっていたとっかかりのようなものもすっぽり抜け落ちて、消えた。


「あなたの言う別の世界の私、あなたとどういう関係だったの?」


 宮之城はどうやら、元の世界での二人の関係を疑っているらしい。いらぬ心配を……。


「どうって?」


「そんなプライベートな事情まで打ち明け合う仲だったの?いや、まさかとは思うけど……」


 それはない。杞憂である。


「宮之城とは一か月ほど前から、それなりに話すようになったってだけの間柄だ。それ以上でもそれ以下でもない」


「そう、よかった」


 うん……いや、よかったってなに!?


「ねぇ、内藤くんの言うことが本当なら、あなたはこちらの世界ともう一つの並行世界を行ったり来たりしている、ってことよね?」


「あ、ああ、そうだな」


「それって、「パラレルワールド」っていうよりも寧ろ「対地球カウンターアース」なんじゃない?」


「カウ……なに?」


「だって、あなたの世界はこの世界と同じ時間軸にあるわけでしょ?だからこそ、あなたが二つの異なる世界を行き来できるわけでしょうし」


 うーん。


 詳しい理屈はわからんが、とにかくこっちの世界と似たようなもう一つの世界、でも魔術の存在しない世界があって、住んでいる人間も似通っている、っていう解釈で十分だろ。


「私の同一存在みたいなものがいる……てことは、私の他にも、舞城くんとか、パメラさんもいるの?」


「そうだな。ああ、でもJ一郎さんとか、モルグは見かけないな。アリスはいたようないなかったような。逆に都筑とか芭芭はこっちじゃ見かけないな」


「都筑?芭芭?誰?あなたの友達?」


「ああ、それは――」


 ようやくこちらの宮之城とも話が盛り上がるようになってきた……というところで、いらぬ邪魔が入った。


 休憩室から外につながっている非常扉から、けたたましく扉を叩く音がこだました。なんだなんだ。


「すいませーん。開けてもらえますか?」


 そんな声が扉の向こう側から聞こえてきた。野郎の声だ。おいおい、こっちは入り口じゃねぇぞ。


 しかし開けてやらないのもさすがに可愛そうなので、しぶしぶ立ち上がって扉の前に立ち、鍵を開けた。


「はいはい、今開けますよ。でもここ入り口じゃ―――」


 扉を開けて、文句を言いつつ顔を上げると、斧を振りかぶった全身タイツの白仮面とばっちり目が合った。


 目と目が合う瞬間。


 じゃなくて。


 勢いよく扉を閉めて、背中で押さえつつ即座に鍵を閉め直す。


 直後、強い衝撃が背中を打った。



 あぶねぇ!!



 非常扉が丈夫そうな鉄製で本当によかった!


「宮之城!!来てる!」


「は、何が?」


「全身タイツ、なんだっけ、そう、ゴブリン、ゴブリン来てる!!魔術結社来てるぅっ!!」


「はぁ!?」


 ようやく状況がつかめたらしい宮之城が慌てて立ち上がったのとほぼ同時に、迦十先生の雷の轟きのような声がどこからともなく聞こえてきた。


「お前ら、逃げるぞ!ここはもうだめだ」


 声の方を見ると、どうやら俺たち以外は全員集合しているみたいだった。早いな。まだ八時には程遠い時刻だぜ。


 などと言っている場合ではない。


 俺と宮之城は迦十先生たちに連れられて、無駄に長い廊下を駆けだした。


 それにしても、敵はどうやって俺たちの位置を把握しているのだろうか。やっぱGPS仕込まれたかぁ?


「さぁな」


「これからどうするんです?」


「決まってるだろ。こうなった以上、短期決戦だ。今から奴らのアジトに潜入する」


 え、今から?


 マジか。展開が急すぎてついていけないぜ。












 魔術結社の支部に向かう道中にて足として運用した車は、迦十先生の軽自動車……ではなく、J一郎さんの所有するワンボックスカーであったのは不幸中の幸いであった。


 乗車人数が増えたにもかかわらず、J一郎の運転する車内は快適そのものであり、仮にこれが迦十先生の運転する軽ともなれば、俺の膝の上に乗るのがアリスではなくJ一郎となってしまい、挙句の果てには先生の荒い運転も相まって車内は嘔吐地獄と化していたであろうことは容易に想像できた。


 さて、これから俺たちはやられっぱなしの魔術結社に対して乾坤一擲の一転攻勢にでるつもりであるわけだが、その前に今回の仲間を改めて紹介しておこう。


 まず、このチームのリーダー的ポジションに位置するベテラン魔術師、迦十先生だ。頼りになるのかならないのかよくわからない。


 次に、その下っ端である舞城と宮之城。宮之城はゴブリンたちを燃やしたりしていたのを見たが、舞城が魔術を使うところは終ぞ見ていない。こいつは果たして役に立つのだろうか。


 そして、チームのマスコット的存在であるアリスと、チームの破壊神モルグ。アリスはまだ小さい子供なのに連れて行って大丈夫なのか不安だし、モルグは何をしでかすかわからない不安が常に付き纏っている。


 最後に、潜入、捜査、活動支援などおそらくチームで最も有能であろうおじさん、J一郎と、対極的におそらくもっとも無能であろう俺である。俺に関しては最早、何故チームに加わっているのか意味不明なまでに無能無知ある。魔術も碌に使えないしな。結局どうして迦十先生が俺を仲間に加えたのか、最後までわからないままだった。


 俺には何もわからなかった。ただ、謎ばかりがとぐろのように頭の周りを渦巻いているだけだった。


 ただ一切は過ぎていく。俺を置いたまま。


 一向を乗せた車はとあるビル群の真ん中に、駐車された。ここが、魔術結社のアジトだというのだろうか。こっちもJ一郎の裏カジノと変わらない、なんの変哲もないオフィスビルなのか。もっとバリエーションに富んだ方が受けがいいと思うのだが……。


「じゃあ、各自これを身につけろ」


 車内にてJ一郎により全員に、奇妙な形の半透明なマスクを配られる。


 ふむ、さっそくつけてみたけど、サイズはぴったり。付け心地は悪くない。呼吸も苦しくないし。


 各々も特に問題なくマスクを着用している……かと思ったら約一名、モルグだけは手に持ったマスクをぶんぶん振り回していた。駄目だこりゃ。


 仕方がないので俺が付けてやる。ほらよ。


 マスクをつけるとモルグはようやく落ち着いた。なんだか猛獣を手なずけているような気分だ。


「よーし、全員付けたな」


 マスクを付けた後、全員がのろのろと車内から出て、正面の、魔術結社の支部らしいビルの入り口に降り立った。本当にここで会っているのだろうか。裏カジノよりは、見た目はずっとグレードの高そうなビルだが、魔術結社のアジトだと言われると首を捻らざるを得ない建造物である。


「おっと、その前に……」 


 俺がビルを何となく見上げていると、最後に車から降りてきたJ一郎が、徐に懐から高そうな金のジッポライターとたばこを取り出すと、火をつけて一服し始めた。


 吸っとる場合か。


「ちげぇよ。ジッポーはあいつのトークン。そして煙草の匂いは暗示のための導火線だ」


 俺がやれやれと頭を掻いていると、横から迦十先生がそう言って、ようやく気が付いた。


 俺含め、全員の服装、体形、更には容姿やなんなら性別まで、いつの間にか全く違う集団に変貌していた。全員黒スーツのサラリーマンのような、統一感のある格好になっている。


 俺の身体を見ると、いつの間にか着込んでいるスーツを押しやるように胸が膨らんで、見事にたわんでいるのが分かった。触ってみる。完全に本物の質感である。あり得ねぇ。実ってやがる♡


「J一郎の十八番、「変装の魔術」だ。腕は相変わらずのようだな」


 先ほどまで先生が立っていた場所に、全く知らないおじさんが立っている。声もまるで違う。言われなければマジで迦十先生だとわからない。もう凄すぎて一周回って気持ちが悪い。


「よし、いくぞ」


 見知らぬ妙齢の美女が掛け声と共にビルの中に入っていった。


 変装が完璧すぎて誰だかわからねぇ。多分、J一郎だと思うけど。


 混乱冷めやらぬ中一行がビルの中に入り込むと、ビル内部は、まあ普通のオフィスビル一階と行った風である。


 店内には割と一般人らしき人たちが屯していた。とてもじゃないがここが魔術結社の支部だなんて信じられない。まあ、これが世間に対するカモフラージュだというのなら、まさに大成功だろう。


 対する俺たちの方も、全く疑われることなくロビーの受付まで直行することができた。カモフラージュを逆に利用している形だ。なんというか、予告状を敢えて出すことで集めた警察の中に密かに紛れているルパンの心持である。正直、ちょっと楽しい。


 それから先頭に立っていた妙齢のキャリアウーマン(おそらくJ一郎)が受付嬢と何やら話し込んだ。一行が立ち止まることとなったので、俺は周囲を見渡した。


 俺の後ろに立っている背の高い強面の男は、ポジションからしてモルグだろうか。正直あの怪力を考慮すれば、元の姿よりもこっちの方が似合っているように思える。


 それから、受付で対応しているJ一郎(女)の斜め後ろで腕組みしている上司っぽいちょび髭は迦十先生だろうか。てことは、その後ろに張り付いている研修っぽい二人組は宮之城と舞城だな。どっちがどっちかは最早判別がつかん。


 アリスはどこにいるのだろうか。姿が見えない。


 俺はぐるりとあたりを一周してみた。



 そして、気が付いた。



 なぜか全員がこちらを見ている。



 俺が視線をJ一郎の方へ戻すと、J一郎は受付を通って、奥の方へ進もうとしている。これは……潜入に成功しているのか?それとも……。


 ちょっとした異常事態に、みんなに声をかけるかどうか、逡巡と共にもう一度後ろを振り返った。そして悟った。いや、悟らざるを得なかった。


 迷っている暇なんかなかったと。



 ロビーの手前の方。



 椅子に腰かけていた、杖をついていたおじいさんが、椅子の陰から巨大な自動子銃を引っ張り出しているのを見た。



 ……。



「先生っ!!!」



 俺は叫んだ。



 同時に、叫びに反応して咄嗟に俺の方を振り返った先生らしきちょび髭も、叫んだ。



「伏せろっ!!!」



 思いっきり伏せた。多分生涯でもっとも迅速な「伏せ」だったと思う。


 直後、上空を切り裂くような衝撃と、雷鳴の如き銃声が轟いた。音よりも衝撃が先に来た。次々に襲い掛かる轟音で耳たぶが弾け飛ぶようだ。




 窓ガラスが、




 受付の柱が、




 人々の絶叫が、




 あらゆるものが粉々に砕け散る阿鼻叫喚が巻き起こる。




 誰かの叫び声が聞こえる。誰だ。




 これ、多分、俺だ。俺が全力で絶叫しているのだ。




 もう何もかも無茶苦茶だった。




 

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