第133話


 病棟にて手を合わせる。


 真っ白な建屋。静かな空間。刺激臭の残る病室。

 そんな中、マリーはベッドの上で眠る一人の男性を見つめていた。魔物に襲われて重傷を負い、意識の戻らなかった男性が息を引き取ったところだった。


「ご冥福をお祈りします。私の力不足でした。申し訳ございません」


 マリーが首を垂れると、逆に男性の妻は恐縮しきりだった。女王に頭を下げさせている状況、周囲の目を気にして、マリーに顔を上げてくださいと震えている。


 マリーは毅然とした表情で、


「騎士団員の到着が遅れたのは政治の責任です。もっと効果的に彼らを動かす必要があります。貴方の大切な人が死んだのは、私の責任でもあります。謝罪してもしたりません」


 再度マリーが頭を下げそうになったので、俺はその服の袖を掴んでやめさせた。


 彼女としては本心で、忸怩たる思いがあるのはわかる。しかし、そう何度も国のトップが頭を下げてはならない。謝罪の末に、じゃあ最初から全力を尽くせば良かったじゃないか、なんて言われても、俺たちにはできることとできないことがある。


 そう、できることとできないことがあるのだ。


 マリーは病床につく国民一人一人と軽く言葉を交わしていた。概ね、好印象だった。ベッドから起き上がれない人たちも何人かいたが、マリーのせいでこうなったなんて言う人間はおらず、むしろ甲斐甲斐しく王城から降りてくる彼女へ讃辞を投げている印象だった。


 マリー様は国と民のことを考えてくれている。

 慈悲の女王。彼女は立場問わず、誰もを想ってくれている。

 彼女の王政は盤石だと言っていい。もう、大丈夫だろう。


 しばらく病棟を回った後、俺とマリー、そして護衛として随行していた数人の騎士団員は病棟を出た。


 風が俺たちを出迎えた。

 少しだけ肌寒さを感じる。


「貴方たちはこのまま巡回を続けなさい。私はリンクと二人で王城まで帰るから」


 病棟を出ると、マリーは自身の赤髪を取りまとめていた髪留めを外した。長く伸びた赤髪が花びらのように空中を舞う。


 騎士団員は困惑の表情。


「そうはおっしゃられても、このご時世です。いつ魔物が襲ってくるかわかりません。黒の曲芸団も、王都を混乱させている本当の目的は貴方を害することかもしれません。こんな状態で女王を護衛一人で歩かせるわけにはいきません」

「こんなときだからこそよ。命は命。貴方たちは私ではなく、他の命を守りなさい。私だろうが誰だろうが、守らなければいけないのは等しく命。それは変わらないわ」

「残念ながら、命には貴賤があります。今貴方様に何があっては、それこそ多くの命が散ることになります。貴方がいなくなれば国が揺れますよ」


 マリーも部下にそう言われるくらいには立派に女王だ。

 当初から考えれば、とてつもない進歩だな。何度も殺されかけたっていうのに。


「別に、私だって死にたいわけじゃないわ。貴方たちには国民を守ってほしいの。もうこんな思いはしたくないわ。

 あとは単純に、貴方たちが必要ないから言っているだけ。こいつが披露会で優勝したのは知っているでしょう? 護衛はこれだけで大丈夫よ」


 俺に集まる視線。

 苦笑いを返すと、むっとされた。


 マリー女王の権威はすでに崩れないところまで来ている。


 マリーはカリスマ性を有していた。波乱万丈な生きざま、堂々とした佇まい、相手の思惑を見通すような薄い笑み。それらは国民全員の心を掴むに足りた。誰もか彼女の傍で働きたいと願い、護衛の任務などは誉にもなると聞いた。

 ここにいる彼らだって、今日という日を誇りに思っていたのかもしれない。病棟に向かう慈悲深き女王。彼女に従う彼らはまさに騎士。誇れる自分になれていたはずだ。


 マリーの歯に衣着せぬ言い方は、良くもあるが悪くもある。

 彼女としては本心で、他の民を守ってくれという願いを込めての発言だったろうが、受け取りては解雇にも似た不名誉と受け取ったかもしれない。


 言葉ってのは難しいな。

 だからこそ、色んな形を作ることができて、俺は好きなんだけど。


「まあ、おまえらじゃ、こんなもんだろ。マリーの護衛は俺に任せておけ」


 俺は鼻で笑った。

 当然、眉を顰められる。


「……なんだと」

「あんたらが何人いたって、俺には勝てないだろう? 無駄な議論はやめて、さっさと職務につけよ。女王様の命令は素直に聞くもんだぜ」

「調子に乗るなよ」


 青筋が立つわ立つわ。

 そりゃそうだ。こんな嫌な奴、嫌われて当然。


 しかして、女王から直接命令があった以上、彼らは反論することができなかったようだ。俺に一瞥をくれた後、不承不承の顔のままに彼らは方々に散っていった。



「で? 今度は何を企んでるの?」


 二人きりになってから、マリーは腕を組んでジト目をこちらに向けた。


「何も企んでないって。普段通りの俺だっただろ」

「どこがよ。あんたの本質は軋轢を生みたがらない日和見でしょ。喧嘩を売るような真似をして、あんたの評価が下がるだけだと思うけど」


 それでいいんだよ。

 俺とマリーの評価は似通っていてはいけない。マリー様もリンクも素敵、ではいけないのだ。俺の失墜の際に、マリーも巻き込まれてしまう。俺とマリーとは分けて考えてもらわないといけない。

 マリーの後ろをくっついている金魚の糞。マリー様の温情で近くにいるだけの変な奴。俺はそんな評価でいい。そんな評価がいい。


「なんでもいいんだよ。ほら、仕事が溜まってるだろ、さっさと城に戻ろうぜ」


 煙に巻いて、俺たちは歩き出す。

 マリーが変装もなく歩けば、見つかるのは当然。皆、笑顔で手を振ってきて、マリーはそれに応じている。


 人通りが少なくなると真面目な顔になって、先ほどの死に顔をしかめた。


「……これで何人死んだのかしら」

「五十人になったな」


 最初の魔物の襲撃には十三人だった死者。それはその時の話。怪我人の中には重傷者もいて、手当の甲斐なく亡くなってしまうことが多くなってきた。

 魔物の爪や牙に依る裂傷と、怪我人の増加による病床の圧迫。死者は増加傾向にある。本来の一割にも満たない数の襲撃で、ここまでの惨事になってしまっている。


「……五十人。多いわね」


 五十という数を多いと言えるマリー。誰だってそう答えるだろう。食糧難や災害とも少し違う。眼前で死体となるのをまざまざと見せつけられれば、少ないとは言えないだろう。魔物という明確な敵のせいで五十人も死んでいるんだ。

 しかし、これももう少し経てば、あれはまだ全然マシだったという評価に変わる。百倍、千倍にも及ぶ数が死ぬ。その時人類は何を思うだろう。


「やれるのかしらね」

「やれるさ」

「あんたの言葉は何かの根拠があるから安心できるわ」


 積み重ねた俺の評価は、他人に安堵を与えるもの。

 ではなく、


「だけどその根拠を私が知らないっていうのは、不安事項ね。正直、貴方は焦っていた方が可愛げがあるわ。落ち着いているあんたを見ると、不安になる」

「なんでだよ」


 マリーの足が止まる。

 となると、護衛の俺の足も止まることになる。

 振り返って、向かい合う。


「ねえ、リンク」

「何だよ」


 今回の世界、マリーと出会ってから、もう七年近くか。短くも長かった。少女の面影は残りつつも大人の顔つきになった彼女は、腰まで伸ばした赤い髪を背に、俺を見つめていた。


「何を考えているの?」

「何も考えてないって。そう見えるだけだろ」

「あんた、自分で気が付いていないだろうけど、嘘をつくとき鼻の穴が膨らむのよ」

「嘘だろ。おまえもカマかけができるようになったんだな」


 それが本当なら、こんなタイミングで言うべきじゃない。まだまだ青いな。

 マリーは悔しそうに唇を噛んで、


「……でも、なんとなくわかるのよ。あんたは清々しい顔をしている時こそ、嘘をついている」


 それは真実を言い当てているのかもしれない。


 嘘をつくのは、欲しい未来が見えているから。理想を手にするために、嘘をつくのだ。

 つまり、今の俺は欲しいものが見えている状態。

 理想に向かって歩いている真っ最中。そりゃ、清々しい顔にもなるだろう。


「おまえはいい女だよ、マリー」

「いい女の条件を知っている?」

「性格がいい、顔がいい、スタイルがいい」

「隣にいい男がいることよ」


 マリーは俺に近づいてきて、手を取ってきた。

 強く握りしめて、俺を引っ張って歩き出した。


「あんたがそういうやつだっていうのは知っているわ。だから、多くは聞かないでおいてあげる。信頼しているのよ。だけど、私の傍にいることだけは約束して。私の騎士は貴方だけよ。貴方が傍にいてくれたから、今の私がいるの。皆に愛されている女王がいるの」


 もう俺がいなくても大丈夫だよ。

 とは、この時はまだ言えなかった。


「過分な評価だって。おまえは俺がいなくても大成していたよ」

「何を言ってるの。貴方がいなかったら首を吊っていたんでしょう?」

「……まあ、そうだけど」


 論破されてしまった。

 マリーは嬉しそうにはにかんだ。


「ほら。私は貴方がいないとダメなの。そこのところ、もっと本気で考えた方がいいわよ。貴方は私の隣に、ずっといるの。いなくちゃいけないの」


 俺はこの時はなすがままに、その小さな手に引かれていった。

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