第132話
「あははははっ。とーってもいい景色」
火に包まれる王都を見下ろして、その女性は高らかに笑った。
地上よりも空に近いかもしれないこの場所では、その笑い声は誰に届くこともない。何も変わらない星の輝きがあるだけ。
「そんな風に言うと楽しんでるみたいだからやめておけよ」
「実際、楽しいんだもの」
ライは箒の上に立ち、上空を仰ぎ見た。満点の夜空に向かって手を広げた。
「私は今、生きているの。今この瞬間、私の名前が世界に刻まれる。私がこの世界に歴史を刻み込んでいる。私がいた証拠がこうして目に見える形で残っているのよ。あの建物は私が燃やしたの。真っ黒。私のせいで、真っ黒なの」
ライの調子が悪い。いや、良過ぎるというべきか。
心配になって顔を見に来てみれば、夜の王都を上空から眺めてご満悦だった。
ここは二人しか来られない世界。邪魔のはいらない場所。
過去の俺だったら一緒になって笑っていただろう。つまらない世界、楽しみにならない明日。燃える王都に向かって、下らない世界に一矢報いてやったと鼻で笑うだろうか。
明日も未来もどうでもいい。
でもそれはきっと。
「あはは……。やっぱり私の人生って、つまらない」
ライは自覚していた。
世界はいつだって、どう見えるかじゃない。どう見るかなんだ。
俺が死ぬまで気が付けなかったこと。
流れ星か、涙か。輝く何かが俺の眼前、暗い世界を流れていった。
「私は一体、なんなんだろう。なんだったんだろう」
数多いる人間。眼下を逃げ惑う人々は、千差万別だった。
世界にとって有益な人物から、そうでもない人物まで様々。
それを見下ろすことのできる俺たちは、何を勘違いしているのだろうか。彼らと何が違うと言い切れるのだろうか。
「シレネ様を恨んだこともあったわ。私の人生は彼女の御付きなんかにさせられたから、一つの未来に決められてしまった。終わってしまったんだって。私は一人だったらもっと楽しい人生を歩むことができたと思った」
しがらみと妬みと。
ありもしない別の自分の人生を顧みる。
「霊装を受け取ったときだって、嫌だったの。私の将来の選択肢が狭まった感覚があったわ。霊装使いとして生きていくことしかできなくなって、私は普通の生活は送れないんだって哀しくもなった」
手にしたものは欲しくもないもので。
大勢の人が欲しがった装備品は、手にした瞬間になまくらに成り下がる。
「学園でも、周りはそんな勝手に決められた運命を受け入れている子ばかり。誰もかれもが能天気に笑ってる。それでいいんだと受け入れている人生に主体性がなくてつまらない。鼻で笑ってしまうわ」
自分と周囲の差異を感じて、閉じこもってしまって。
そう考える自分は周りとは違う存在だと信じようとして。
「自分は違うと思っていた。誰もができない深い思考ができると、そう信じていた。この世界に収まらない存在だと縋っていた。そう思っていたら、本当に違ってしまっていた。私はもう、何をしても楽しくない。皆みたいに楽しく笑えない。いつの間にかただのつまらない人間になっていたの」
斜に構えた性格は、色んなものを転がしてしまう。手にできたものがあったはずなのに、それらは流れて地面に落ちる。手元には何も残らない。あったはずなのに。掴めたはずなのに。
まるで俺を見ているようだった。
過ごした環境は勿論違っている。俺と違って家族もいるし、四聖剣の御付きという立場もある。顔だって可愛らしいし、男子からの人気もあった。世間的に見れば霊装使いという状況も勝ち組の一つだろう。
でも、手元には何もないのだ。そう、思ってしまっている。
理想があって、それ以外は目に入らなかった。
理想だって、実は存在していないのに。
「私の目が節穴だったのよ。いっぱい、あったの。手にできるタイミングは、手にできるものは、いっぱいあった。欲しいものも碌にないくせに、それを見逃して、あるいは興味ないと突っぱねて、私は何をしていたんだろう」
「同じだよ。俺も同じだ」
「違うでしょう。貴方は掴んだわ」
「同じだったんだよ」
後悔は、失ったから。
失ってからじゃないと、悔いることはできない。
人の目は前についていて、意識しないと足元を見ることはできない。
「俺は死んでからそれに気づいた。こんな俺でもいっぱい持っていたんだって気づいた。死ぬ直前になって、何を意地張ってたんだって、本気で自分が大嫌いになったんだ。いまだに一番嫌いだ。ここで気づけたおまえは偉いよ」
「私だってもう遅いわ。もう、色んなものを落とした後だもの」
「落としたなら拾えばいいだろ。おまえが歩けていなかったのなら、足元にあるはずだ」
止まることは悪いことばかりじゃない。
まだライは何も落としてなんかない。
謝る相手は生きているし、手にしたい未来はそこにある。
ライは大きく息を吐いた。
「シレネ様に謝りたい。中途半端な思いで仕えてしまってごめんなさいって。四聖剣に関係なく、あの人は尊敬できる人だった。
レフに謝りたい。心の奥で考えが浅くてつまらない子だなんて思っていて。毎日を笑って生きるあの子の方が、私なんかよりもよっぽど素晴らしいわ。
他の多くの人にも、謝りたい。私はそこまで価値のある人間じゃないのに、誰を見下して生きていたんだろう」
「そう思えるのなら大丈夫だよ。おまえは立派だ」
「貴方にも、ごめんなさい」
ライは俺を真っすぐに見つめた。
「当てつけのように好きと言ってしまって。貴方を好きな私のために、利用したみたいで。貴方のことを好きでいられる間は、私は私になれるような気がしたの」
「いいよ。おまえのような可愛い子に好きだと言ってもらえることのどこに謝る必要がある。本気じゃなくても、別の目的があっても、俺は嬉しかったさ」
「そう。そう言ってくれるのなら嬉しいわ」
ライは薄く笑ってから、
「……嘘。私は本気で貴方のことを」
ライはそこまで言って、言葉を打ち切った。
遮るものもないこの場で二人きり。話を聞いていないなんてことはなかったけれど、俺は反応を返さなかった。
俺がこの箒に乗れている時点で、ライの気持ちはよくわかっている。ずるいようだが、俺の霊装はそういうものだ。言い訳を重ねたって、彼女が俺のことを想ってくれているのは知っている。
だけど俺は彼女の思いに答えることはできない。
どうせこれからそう時間を置かずにして死ぬ身だし、ライの前向きな気持ちを俺が邪魔するわけにもいかないし、そもそも俺は人に好かれるような人間じゃないし――いや、卑下はやめろと言われたっけ。
うん。
嘘つきは終わりか。
俺には好きな子がいる。三人もいるのはどうかと思うけど、全員、大切なんだ。
今の俺を形作ってくれた、大切な人たち。人は人との出会いによって変わっていくが、互いに変えられる間柄というのが、大切な出会いなのだろう。
多くの恋慕を募らせるというのは厚顔だろうか。
今更思いに応えないというのは薄情だろうか。
どちらにせよ、俺が人類史上類を見ない最悪な男だというのは決まっている。
俺はライとは視線を合わせなかった。
この選択によって、次の瞬間に箒がこの手から消えたとしても、それは仕方がないことだ。
「……もっと貴方に本気で言えばよかった。他の子と同じように思いを隠さないで、周りに気兼ねせず抱き着けば良かった。前にも後ろにも進めないまま私はここにいる。私はずっと、後悔してばかりよ。今だってそう」
「後悔しているから、俺の計画に乗ってくれたのか?」
「それもあるわ。動きもしない私の足を動かしたかったの。でも、本当に、私がやるべきだと思ったのよ。だから、これからは後悔しない。これだけは後悔しない。広場で断頭台に捧げられようとも、この思いは変わらない。私はようやく、私を見つけたの」
その手に何があるのかを、理解した。
それだけで立派な人間だよ。
「全部終わったら――、いえ、なんでもないわ。私に貴方は変えられないものね」
ライは呆れたように、哀しむように、懐かしむように、振り切るように、笑った。
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