第129話



 夜分遅く。

 俺は書類作業に勤しんでいるマリーとアイビーに先に休むと断ってから、執務室を抜けた。


 廊下を歩いて、誰もいないことを確認。移動ナイフ、フォールアウトを窓の外に放り投げて、外に移動。身体を宙に投げた。落下して地面に激突する前に再度放り投げ、空中を移動し続ける。


 夜の街に踊る。


 月の光に照らされる街は、いまだ賑やかであった。笑い声が聞こえる酒場や、夫婦喧嘩のような喧騒も聞こえる。誰も彼もが浮かれていた。この平和がいつまでも続くと疑っていなかった。


 屋根の上に降り立つ。

 誰の家かもわからないが、この家で眠る子たちもいる。この世界には俺が知覚できていない多くの人たちがいる。


 これから、そんな人々全員が敵になる。

 国民全員から恨まれる人生か。


 それもまた、面白いのかもしれない。誰にでもできるようなことではない。

 俺が根無し草で良かったよ。俺が悪役になって嘆く人間はいない。そういう意味でも、これは俺にしかできない役回りだ。


 俺がやるべきだと、再認識する。


 下町まで宙を駆けていって、とある店の前に降り立つ。扉を開けた。

 バーでありながら喧騒から離れたそこは、店主と客数人が大人しく飲んでいるだけの静謐な場所だった。


 俺に集まる視線。しかしそれも一瞬だった。俺の姿は黒い外套で覆われていて、顔もフードを目深に被って見えないように工夫している。誰かもわからない人物をじろじろ見つめても時間の無駄だと悟ったのだろう。


 文句が出なかったのは、俺のような怪しい人物も一定数やってきているからだろうか。

 特に追い出されることもなかったので、店の中に入っていく。


 端の席で酒を煽っている見覚えのある青年を見つけた。俺は彼の前の椅子に腰かけ、度数の高い酒を注文した。


「彼にも同じのを」


 店主は顔色一つ変えずに頷いた。

 顔色を酷く変えたのは、眼前の男の方だった。

 普段は感情を読ませない糸目がほんの少し見開かれる。


「誰だよおまえ」

「そう噛みつくな。相席くらいいいだろう?」

「そう思うんなら、まずはそのフードを外せ。名を名乗れ。初対面の相手に話す態度じゃねえだろうが」

「初対面? おいおい、つれないことを言うなよウルフ」


 俺は深く被った黒色のフードを外すことはしない。薄暗い店舗では俺の顔をうかがい知ることはできないだろう。


 店主によって黄金色の酒が運ばれてくる。

 俺はそれを持ち上げて、「乾杯」と呟いた。同じ酒を目の前にしたウルフからは反応が返ってこなかったので、勝手に飲み始める事にした。


「……濃いじゃん」


 アルコールが強すぎる。氷が溶けるのを待つか……。


「おまえが頼んだんだろうが。……胡散臭えやつ」

「いいから飲めよ。俺のおごりだ」

「言っておくが俺様はただ酒くらいで靡くような男じゃないぜ」

「わかってる。これは俺と相席する迷惑料だとでも思ってくれ」

「……変なやつ」


 ウルフも酒を煽った。豪快に飲み干すと、「かああ」とアルコールに塗れた息を吐く。


「良い飲みっぷりだな」

「おまえの方は赤ん坊みたいな飲み方だな。人間性が透けて見えるぜ」

「当たりだよ」


 ちびちびと飲む。

 そうしないとすぐに酔いが回ってしまいそうだ。


 酒を飲んでもウルフの顔色は変わらない。鋭い眼光と共に問うてくる。


「で、なんだよ。俺様に用があってきたんだろ」

「まあまあ。本題よりも先に、世間話でもしようじゃないか。エマは元気か? 病気は治ったか?」

「……」

「薬の維持費も馬鹿にならないだろう。どうだ、その金を俺に出させてはくれないか?」


 ウルフの目が細められる。

 殺気が飛んでくる。後一言余計なことを話せば、俺の首は落ちるな。


「まあ待て。そう簡単に霊装を出すな」

「……どこまで知ってる」

「全部さ。おまえのことはよく知ってる。初対面じゃないって言っただろ」


 まあ、今回ではすれ違ってもいないけれど。

 前回で肩を並べて戦った仲じゃないか。


「不気味なやつだ。俺様の周辺は押さえたってことか」

「脅迫するつもりはない」

「嘘つけ。そこまで釘を刺しておいて何を言う」

「まずは交渉の席についてくれればいい」


 俺という未知数の存在に短慮な行動を取らなければいい。

 俺という存在を無視できないものと理解し、かといって排除する対象としても見ない、絶妙な立ち位置に置いてくれ。


 ウルフは不承不承ながら、椅子に深く座り直した。彼視点、俺がどこまで根回しをしてここにやってきたか判然としない。ここで彼が席を立てば妹がどうなるか、わかったものじゃない。

 ウルフは霊装の存在をできるだけ隠してきた。俺が先にそれを制したことも、彼の動きを奪う要因となっている。


 さて、前振りは終わった。


「まずは報酬の話。さっき話した通りだ。おまえの妹エマのための薬の費用を受け持つ。二億でどうだ?」


 王都に済む人間が生涯をかけて稼ぐ額。当然、下町にいたのではなかなかお目にかかれるものではない。

 薬を買って、良いベッドを買って、ゆっくり療養する環境を整えて、なお余るだろう。


「……」


 ウルフは押し黙る。


 交渉の基本は機先を制することだ。

 まずは相手に考える状況を与える。その後、一つ一つ相手の逃げ場を奪っていけばいい。最後に残った手段が輝いて見えるように誘導すれば、ウィンウィンの関係の完成だ。そういった意味で、提案する側が強いのは当然。


 怪しい話だが、ウルフは話を聞くくらいの度量は持っている。


「俺に何をさせようって言うんだ」

「王都に混乱を与えたい」


 俺は先日のアイビーとの会話を思い出す。


『魔物の襲来は絶対。霊装使いや騎士団は勿論、普通の国民にも戦ってもらわないといけない。

魔物は全員で力を合わせて絶対に殺さないといけないと、そう思わせないといけないよね』

『ああ。大量に生まれる魔物に立ち向かって行く覚悟が必要だ』


『ハナズオウの能力で魔物を転送しよう。魔物の恐ろしさをまずは身を持って痛感してもらう』

『それだけじゃ足りないかもしれない。魔物には思考がない。天災みたいなものだ。地震が起こって大地を恨むことはないだろう? 何か、誰かのせいにしないと人間は生きられない』


『人災の方が人の憎しみを煽れるかな?』

『ああ。結局人が一番の怒りを覚えるのは、”理解できる相手”の、”理解できない行動”だ。隣にいた人間の手のひら返しほど嫌なものはないだろう』


『つまり、同じ存在からの攻撃? 同じ国民が敵対する行動をとれば、もっと怒ってくれるってことだよね。賛成。スカビオサやマーガレットを見ていても、魔物というよりも魔王を恨んでいたからね。私という魔王が、一番の敵だった』

『主犯は俺たちになる。けれど、国民の中から他に敵対する存在を募ろう。魔物だけでなく、人間すら操っている者がいる。それが一番不安と怒りを与えられる』


『まさに――魔王だね。私たちは魔王になるんだ』

『もう飽きたか?』

『まさか。腕が鳴るよ。私、魔王って得意なんだ。何年演じたと思ってるの?』

『女優だな。俺も騙されているしな』

『あはは。私の大根演技を見破ったのはリンクだけじゃん』


『話を戻すぞ。俺には魔王の手下を集められる人物に当てがある。話してみる。おまえの稼いだ金は使ってもいいか?』

『お好きにどうぞ。披露会の時のやつでしょう? リンクが稼いだお金でもあるからね。じゃあ私はその間、マリーの機嫌でもとっておくよ』


 必要なのは、人間として人間の敵になること。

 ”憎むことができる相手”となること。


 俺とアイビー、女王の近くで存在感を出していた二人が、魔王として人類を滅ぼそうとする。敵の姿が明確であればあるほど、憎悪は形を成しやすいだろう。


 そんな俺たちは大犯罪を起こさなければならない。

 人災。人の手に依る災い。

 そのための手をウルフに借りようと思っている。


「この二億という金は運用資金も兼ねている。金をチラつかせて、俺たちに協力する人間を集めてくれ」


 下町に顔の利く彼ならば、人を集めることは容易いだろう。

 人災の手伝いだ。金の他に必要なものがあれば便宜を計ろう。金、または使命と命とを天秤に賭けられる者が必要だ。


「断る」


 果たして、答えはつれないものだった。


「そうか」


 まあ、そうだよな。


 少しの間、沈黙が降りる。

 我慢できずに口を開いたのはウルフの方だった。


「理由は聞かないのか?」

「義がない、とでも言うんだろ。ただ王都に混乱を起こしたいってだけじゃ、ただの犯罪だ。そんなものは誰にだってできるし、意義がない」

「なんで……。本当に気味の悪いやつだな。俺は本当におまえに会った記憶がない」

「これから出会う予定だったんだからしょうがない」

「……」


 言葉遊びもそこそこにしておこう。

 あまりに話の通じないやつだと思われてウルフに逃げられてしまっては敵わない。


「聖女の予言、どう思う?」

「別に、関係がねえよ。俺様たちはその日暮らしで手いっぱいなんだ。未来のことなんか知りやしないね」

「事実、一年後にそれは起こる。全人間が死に絶える大災害が待っている」

「信じねえよ。……と言いたいところだが、おまえの言う事はそうも言い切れなさそうだ。で? なんでその予言に歯向かうような真似をする」

「逆だ。俺はこの予言を信じ、魔物を討伐することを考えている。そのための準備が必要なんだ」

「……へえ」


 ウルフは口角を歪めた。

 今日初めてその顔に喜色が宿る。


「王都に混乱を。それは予言通りに人類を救うため。そう言いたいのか?」

「どう捉えてもらっても構わない。少なくとも俺は何人も殺す予定の犯罪者だからな」

「面白いやつだな、おまえ。俺様の性格を知っているんならここは俺様の協力を扇ぐために、人類を救うためだと断言するところだろう?」

「俺だっておまえを値踏みしてるんだよ。意義なく関わって、途中で抜けてもらったんじゃ困る。やるなら本気で取り組んでほしい」


 俺は顔を上げてウルフの目を射抜く。

 俺の顔の輪郭を知った彼は、「ひひ」と笑った。


「なんだ、俺様も見たことのある顔だな」

「詳細は後で伝えるが、俺はおまえのことを知っている。おまえのことは信頼できる相手だとわかっているから、全てを開示してもいい。俺に協力するというのなら、全部話す」

「わかった。いいだろう」


 ライといい、レドといい、どいつもこいつも判断が早いな。

 下手すれば物理的に死ぬし、大方社会的に死ぬんだぞ。

 毎回俺の方が不安になるんだが。


 ウルフは俺がちびちび舐めていた酒をかっ払うと、一気にそれを飲み干した。猛禽類のように、口を広げて笑う。


「危険。有害。危険な橋ほど渡りたくなるもんだ。報酬も膨大だし、何よりも面白そうだ」

「そう簡単じゃないぜ」

「わかってる。だから俺様に声をかけたんだろ」


 傲岸、不遜。

 ウルフと俺が仲良くなったのは、こいつが良くも悪くも遠慮という言葉を知らなかったからだ。


「その代わり、全てを話せ。俺様がどこまで協力するかは、話を聞いてからだ」

「面白い話になるよう、せいぜい口を動かすよ」

「言ってろ」


 からからと彼は笑った。

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