第127話
なんで俺はここまでするのだろう。
自己犠牲も甚だしい。
こんなに殊勝なやつだったか。
人類なんかどうだっていいのに。
その人類のために命を差し出す?
阿呆か。
その他大勢のどうでもいいやつらのためになんか死んでやるものか。
人生の天秤。
自分の命と吊り合うものは一体なんだ。自分の命よりも重いものは一体なんだ。
いや、そんなものはない。
自分の命が一番に決まっている。自分の命があるから大切なものを見ることができるのだ。
だから俺は生きるさ。人類のために命を賭けるなんて馬鹿のやることだ。なにを自己犠牲に浸っているんだ。
拗ねたクソガキはそうやって鼻で笑った。
そして、それすら下らなくて笑うのだ。
じゃあ、いいのか。
その人類の中の一握り。大切な存在である彼女たちが魔物に喰われても、同じ事が言えるのか。
結局、同じこと。
人類という他人塗れのことを考えれば、どうなったっていい。
でも、隣人。今まで関わってきた人たちの顔を思い浮かべると、そう簡単にどうでもいいとは言い切れない。
人類はどうでもいいのだが、その人類という土台の上にはかけがえのないものがある。じゃあ、人類を守らなければならない。
前世ではどうでもいいと言い切れたのに。
たった十年。それだけやり直しただけで、俺の認識は書き換えられてしまったようだ。
そう、もう見つけてしまっているのだ。
自分にとってかけがいのない場所を。命を賭してでも手に入れたい、何かを。
俺は討伐隊に所属するライに会いたい旨の手紙を出した。
すぐに返事は返ってきて、俺たちは翌週には落ち合っていた。
王都にある人のあまり多くない喫茶店の中で二人対面しながら、近況を話し合った。そして、本題へと入っていった。
「それで? 私のことを呼ぶなんて、どういう風の吹き回し?」
「別に。ただ会いたくなっただけさ。最近中々会えてなかったからな」
「嘘つき。だったらもっと早く会えているでしょう。忙しいから会えないなんて、ただの言い訳よ。本当に会いたかったら時間は作るものだもの。実際、マリー様やシレネ様、アイビーさんとは会ってるんでしょう? 二人きりで」
「どこで話を聞いたんだよ」
「知らなかった? 私とレフって仲が良いのよ。貴方と会っていない間、彼女とはよく会って話しているの」
おしゃべりなレフのことだ。大分誇張して伝えているのだろう。
嘘じゃないから否定はできないのだけれど。
「……結局、貴方は私には手を出さなかったわね」
寂しそうな顔。
ライが俺に好意を持っていることは知っている。遠巻きながらも伝えられたし、彼女の霊装を使用できていることからも明らか。
だが俺は、ライをマリー、シレネ、アイビーと同じようには扱わなかった。扱えなかった。
「誰にでも手を出すタイプだと思ってたんだけどね」
「それじゃただのクズ男じゃないか」
「違うの?」
試すような微笑み。
「違……わないか」
「そういう変に素直なところが好かれるコツ?」
「言ってろ」
ライはひとしきり俺をからかうと、けらけらと笑った。
それから、視線は飲み物に落ちる。声のトーンも落ちた。
「……私に手を出さないのは、私がタイプじゃないから? 私のことをそこまで好きになれない? 体型? 顔? 性格?」
「恋愛の話だ。説明できることでもないよ」
「説明して。じゃないと、私はずっと悶々としたまま生きることになる」
顔を上げたライの顔は、悲痛に沈むものではなかった。
クズ男は述懐することとする。
「正直に言うぞ。おまえの方が俺のことを好きなわけじゃないだろ」
「好きよ。何を言っているの。貴方のことは好きだし、実際、貴方は私の霊装を使用できているでしょう?」
「おまえはきっと、俺に憧れを抱いているだけだ。それを恋愛だと勘違いしている。俺とおまえは似ているからな」
「どういうところが似ているの?」
「”自己”を追い求めているところかな。自分が定義できていない。自分が何をするべきか、何をすれば自分なのか、それをずっと探し求めている。ただ漠然と生きている人生に不満がある。
俺も同じだよ。そしておまえはきっと、同じ存在である俺が何かを手にしたように見えたから、羨ましく想ってくれてるんだろ。憧れであり、先駆者。そう見ていて、横に立つ相手だとは見ていない」
「……なかなか怖いことを言うのね」
ライは手煩に、コップについている水滴を払った。
「俺を好きでいてくれることは嬉しい。でもそれは恋や愛じゃない。だから俺は応えられないんだ」
「やめてよ。そんな否定の仕方、あんまりじゃない。私の気持ちを勝手に決めないで。まだ私のことをタイプじゃないと切り伏せてくれた方がマシよ。
じゃあ、あの三人は違うっていうの? あの子たちだって、貴方が助けたから貴方を好きになっただけ。吊り橋効果のようなもの。貴方が前に立って大きな背中を見せつけたから、恋しただけでしょう。横に立つ相手としては不適格よ。貴方に自分を助けられる力があるから、好きになっただけなんじゃないの」
ライはまくしたててから、唇を噛んで身を引いた。
「ごめん。こんな風に言うつもりはなかったの」
「いいさ。でも、彼女たちは違うんだ」
別に彼女たちを助けて、あっちが恋してくれたから好きになったわけじゃない。
逆で。
彼女たちが俺を一人の俺に寄り添ってくれたから好きになって、だから助けたんだ。
俺が何も持っていなくても、傍にいてくれたんだ。
マリーは学園内で、よく一緒に話していた。
俺も彼女も二人とも、教室内にはいたくなかった。互いに友達ができるような性格じゃなかったのもある。
マリーは教師から指導されるような立場にいなかったし、俺は俺で半ば諦められている存在だから、どこにいようと文句を言われることもなかった。それなりに長い時間を一緒に過ごした。
大抵はつまらない顔をしていたが、たまに見せる笑顔に救われていたのは、俺の方なんだ。
シレネとは卒業後、親しくなった。
彼女は彼女で、ぼろぼろだった。誰かに寄り掛からないと生きていけなかった。けれど彼女は英雄で、誰にも思いを打ち明けることができなくて。
俺に彼女が身を寄せてきたのは、俺が何も持っていなかったからだろう。俺に何を言っても、何も変わらない。噂が広がることもなく、失望されることもない。英雄は英雄のままで存在している。そんな妙な安心から、俺と日々を過ごすようになっていた。
でも俺だって、すべてを持っている彼女の支えになれていることは、少なからず生きがいになっていた。彼女を救えるのは俺だけだと酔ってもいた。だから救ってあげたいとも思った。
アイビーは二度目の人生で。
俺は魔王を殺すという目標を立てた。それは空っぽの中に生まれた唯一の俺のやりたいことだった。やらなくてはいけないことだった。やりとげるべきことだった。
でも俺は何もない状態で。誰にも話を聞いてもらえなくて。でも、アイビーは聞いてくれた。俺の話を馬鹿にせずに聞いてくれた。後になってそれは彼女の思いもあったと知ったけれど、それでも、何もない俺に一つの応援をくれたのだ。
俺には何もなかった。
金もなければ家柄もない。家族の名前も知らないし、人と上手く付き合うこともできなかったし、嘘つきで、拗ねていて、どうしようもない人間だった。
それでも、俺は彼女たちといるときだけは、人間だった。
俺はその時ばかりは、”リンク”という自分を持つことが出来ていたんだ。
「俺はマリーを、シレネを、アイビーを、愛している。だから救った。それだけの話なんだ」
「……じゃあ何、私たちはついでってこと?」
「もしも王都や学園ではなく、世界の端で死んだという話だったら、救わなかった。でも、三人ならどこにいたって救いに行く」
残酷なことを言っている。
命に貴賤はあるか。
あるだろう。
家族を救うのと、赤の他人を救うの。
同じ熱量で立ち向かえるわけがない。線引きはどこかで引かれるだろう。
――結局人は、動機による。
自分の中に積み上がったもの。それによって、行動を変える。
ライは目を落とした。
震える手でコップを掴むと、中身を一気に飲み干す。
「……まあ、そういうものよね。貴方、変なところで真面目だし。何の理由もなく三人のことを好きだなんて言ってるわけもない。思い返せば、スイレンも気にしてなかったし、三人以外は相手にしてなかったしね」
「俺はこういう人間なんだ」
「堂々とすればいいってものじゃないわ。……でも、まあ、ね。ショックなのはショック。でも、そこまででもないかもしれない。貴方の言う通り、私は貴方に恋していたかというと、少し違うかも。三人みたいに独占欲もないし、むしろ三人と一緒にいる貴方が好きだった」
大きく息を吐く。
ライは口だけで笑った。
「でも、そう簡単には切り替えられないわ。私は何をすればいいんだろう。
…………あ。こういうことね。貴方を好きでいれば、私は”貴方に恋する私”になっていたんだわ。何かに、なれていたんだ」
視線を外に投げる。
その瞳の中は空っぽだった。
少し前まで鏡を見ればそこにあった顔だった。
「……なるほどね。貴方の後を追ってわかったわ。貴方が堂々とできているのは、自信を得たからなのね。自分への自信。これから先何があっても揺るがない、貴方自身がそこにある」
言語化されて納得もする。
へらへらできているのは、逆に自分がそこにあるから。根が吹き飛ばされないことを知っているから。
「一途な俺がいるんだ」
「三途でしょ」
「ああ。だから三途の川を渡ろうという男にはふさわしい」
「……何を言ってるの?」
俺が今日、ライをここに呼んだ本題。
少し遠回りしたが、この話がしたかった。
「俺は人類の敵となって死ぬつもりだ」
「随分と話が飛ぶのね」
「この前討伐隊基地を見に行ったが、危機感が足りていなかった。一人で一匹の魔物を殺したくらいで調子に乗ってもらっちゃ困る。討伐隊員には一人で百匹の魔物を殺してもらわないといけない」
「それは無理よ。魔物の身体能力はとんでもないもの」
「その無理を通せ。そうしないと、人類に未来はない」
「……」
ライは押し黙る。
彼女の認識では、現状の討伐隊で十分対抗できると思っていたのだろう。そして、その誤った認識は討伐隊全体に広がっていると考えていい。
誰が口で説明したって、納得してはもらえない。
だったら、必要なのは実演だ。
「俺は人類の劇薬になる。人間の世界を事前にかき乱し、危機感を煽る。自分の身体がどうなっても魔物を殺す――そう思ってもらえるように、一芝居打つつもりだ」
「人類のために死ぬということ?」
「ああ。英雄じゃない。むしろ、蛮族だ。俺は歴史の教科書に、人類史上最大の悪として存在するだろう」
「それで? 最後まで聞いてあげる。なんで私にそれを話すの?」
「協力してくれ。
人類のために、俺と一緒に死んでくれ」
俺とアイビーだけでは人手が足りない。俺がやろうとしていることは、俺とアイビー以外からでも行動を起こしてもらわないといけない。
複数人が王都を中心に混乱を引き起こす引き金にならないと。
何人か候補を考えて、俺は一番にライに話を持ってきた。
「何かと思えば、わざわざ私を呼んで、そんな話?」
「おまえにしか頼めない」
「理由を聞かせて? シレネ様にもしていないんでしょう?」
「あいつは人類の側についてもらわないといけない。四聖剣が裏切ったなんて、国民に印象が悪い。マリーも同様。女王として構えていてもらわないとな。
おまえを選んだ理由は、さっきの話にもある。俺と似ている考えのおまえなら、協力してくれると踏んだからだ。これは世界を救うための戦いなんだ。おまえは”世界を救う人間”となる。心が踊らないか?」
自分の生きた意味。
自分の生きる意味。
それらは簡単に見失いがちだ。大人になるにつれて、世界が狭くなっていくように感じる。自分の人生の残りから逆算してどこまでできるかなんて下らない計算を始める。何を残せるかを現実的に考えていく。
特に俺のように何もない人間はその色が濃い。
何のために生きてるか、人によっては下らないと唾棄することだが、俺にとっては死活問題だ。
だから俺は、魔王にこの世界に落とされた時、嬉しく思った。俺が人類を救う。俺の人生は、意味のあるものだったんだ、と。
別に魔王を殺したかったわけじゃない。使命に殉じたかっただけなのだ。何かをやりとげたかっただけなのだ。
そして、ライも同じことを思ってくれると思う。
命を賭けてでも、自分を掴みたい。
そこに自分を見出したい。
「世界を救う……」
「ああ。これ以上ない生きがいだろう?」
ライは鼻を鳴らした。
呆れた顔で睨みつけてくる。
「……貴方、最低ね。振った相手を地獄に誘うだなんて。最低の男だわ」
「今更さ。それに、おまえには必要だと思ったんだ。そういった、”生きがい”が。俺なんかじゃなく、自分の命を賭けられる場所が。少なくとも、俺はそうだった」
「わかったわ。協力する」
即答に少し驚く。
いや、そんなこともないか。
「死ぬときは俺を恨んでくれ」
「違うわ。恨むとしたら、私は自分を恨む。何者にもなれなかった自分を」
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